第二百四十二話:冬支度。コタツとミカンの魔力
その朝、俺、ルークス・グルトは、重たい羽毛布団の奥深くで「死」を覚悟していた。
目を開けた瞬間、視界に映ったのは、自分の口から機関車のように吐き出される真っ白な蒸気。
寝室の窓ガラスには、氷の精霊が気まぐれに描いたような、繊細かつ冷酷な幾何学模様の「霜」がびっしりと張り付き、外の景色を白一色に遮断している。
石造りの家特有の、骨の髄まで染み込んでくるような鋭利な底冷え。布団からわずかに一センチだけはみ出した鼻先や、枕元の水を飲もうと伸ばした指先が、瞬時に氷のように冷たく硬直し、感覚を失いつつある。
枕元の水桶を覗き込めば、そこには分厚い氷の膜が張り、もはや凶器と化している。
「……無理だ。布団から出られない。この世界には『断熱材』と『セントラルヒーティング』という文明の利器が欠如している……」
俺はミノムシのように毛布にくるまり、震える声で絶望的な独り言を呟いた。
リーフ村に、手加減なしの本格的な「冬将軍」が到来したのだ。
暖炉? あるにはあるが、部屋全体が温まるまでには時間がかかるし、暖かい空気は上に行く。足元を這い回る冷気は、絶対零度の刺客として俺のつま先を狙い続けている。
このままでは、俺は春が来るまで布団の住人となり、やがて化石となるだろう。
「……やるしかない。あれを……日本が生んだ『最強の防寒要塞』にして、人類を堕落させる『悪魔の兵器』を召喚するしか……!」
俺は決死の覚悟で布団を跳ね除け、肌を刺す極寒の空気に「ひぃぃッ!」と悲鳴を上げながら、ガチガチと歯を鳴らして作業場へと走った。
生き残るための戦いだ。
◇
数時間後。リビングの中央には、異世界には存在しないはずの奇妙な物体が鎮座していた。
俺が『木工スキル』をフル活用して急造した、正方形の低い木枠(櫓)。
その天板の裏側には、火魔法石と風魔法石を複雑な回路で組み合わせ、微風で温風を循環させるように設計した『魔導ファンヒーターユニット(無段階温度調節機能付き)』が取り付けられている。
そして、その上から覆い被せるのは、最高級の綿花を限界まで詰め込み、空気の層をたっぷりと含ませた特大の「ふかふか掛け布団」。最後に、重厚な天板を乗せて固定する。
完成だ。
一見すると、ただの布団を被った背の低いテーブル。だがその内部には、亜熱帯の楽園、いや、母親の胎内にも似た絶対的な安らぎが広がっている。
名付けて、『魔導式コタツ・あったか天国一号』。
「……さ、寒いわねぇ……。ルークス、部屋の空気、冷え切ってるじゃない。暖炉の薪を倍にしなさいよ……。息が白くて喋るのも億劫だわ……」
そこへ、厚手のウールのローブを何枚も着込み、マフラーで顔をぐるぐる巻きにし、まるで雪だるまのような姿になったフィオナが、ガタガタと震えながらやってきた。
足元では、フェンも寒そうに尻尾を丸め、普段の威厳など欠片もなく、俺の足元にすり寄ってくる。
「フィオナ、フェン。文句を言う前に、騙されたと思って、ここに足を突っ込んでみろ」
「は? なによこの貧乏くさいテーブル。布団がかかってるじゃない。食事をする場所になんで寝具があるのよ。行儀が悪いわね……」
フィオナは不審げに眉をひそめ、渋々といった様子で、ソファーの前に設置されたコタツに近づいた。
そして、厚手の靴下を二枚履きした足を、布団の隙間へと恐る恐る滑り込ませた。
――スルリ。
瞬間。
彼女の動きが、彫像のようにピタリと停止した。
「……っ!?」
フィオナの碧眼が、信じられないものを見るように見開かれる。
凍りついて感覚を失っていた足先に触れたのは、柔らかく包み込むような温風と、布団の繊維に蓄えられた陽だまりのような濃厚な熱気。
血液が解凍され、血管が拡張し、指先からふくらはぎ、太もも、そして腰へと、奔流となって駆け上がってくる「幸福な熱」。
「……はふぅぅぅぅぅぅぅ…………」
フィオナの口から、魂が抜け出るような、蕩けるような吐息が長く漏れた。
凛としたハイエルフの姿勢が、音を立てて崩壊する。
肩の力が抜け、背中が丸まり、彼女は磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、ズルズルと腰までコタツに入り込んだ。
「……なにこれ。……あったかい。……熱いお風呂に入った時みたいな……。足先から、春が来たみたい……。私、もうここから出られない……。コタツの精霊になりたい……」
『……主よ。我も良いか? その穴は、異界に通じているのか?』
フェンが鼻先で器用に布団をめくり、頭から潜り込む。
数秒後。
コタツの反対側から、幸せそうに目を細め、舌を出したフェンの顔だけが出てきた。体は完全に中で丸まり、野生の狼としての誇りは消滅し、ただの「巨大な温かい毛玉」と化している。
「……ふっ。かかったな。これが『コタツ』の魔力だ。一度入ったら最後、英雄も高潔なエルフも伝説の魔獣も、等しく液状化させて廃人にする悪魔の装置だ」
俺もまた、自分の定位置に足を滑り込ませた。
ああ……生き返る。
冷え切った下半身が温まるだけで、なぜこれほどまでに人は幸せになれるのか。脳内から快楽物質がドバドバと出ているのが分かる。
「さて。コタツには欠かせない『冬の相棒』が必要だな」
俺は廊下(という名の天然の冷蔵庫・気温マイナス二度)から持ってきた、竹カゴを天板の上に置いた。
中には、鮮やかなオレンジ色をした、小ぶりで皮の薄い果実が山盛りになっている。
『聖樹ミカン』だ。
「……なにそれ? 果物? 冷たそうじゃない」
「まあ見てろ。コタツに入りながら食う冷たいミカンこそが、至高なんだ」
俺はキンキンに冷えたミカンを手に取り、ヘタの方から親指を入れて皮を剥いた。
――プシュッ……。
静かな部屋に響く、皮が弾ける瑞々しい音。
同時に、微細な飛沫と共に、爽やかで甘酸っぱい柑橘の香気が爆発的に広がり、コタツの周囲に漂う少し澱んだ温かい空気を鮮やかに切り裂く。
「……んんっ、いい匂い。目が覚めるような香りね」
俺は白い筋をあえて少し残したまま、冷たい房を二つに割り、口に放り込んだ。
ジュワッ。
冷たい。甘い。酸っぱい。
コタツで火照り始めた体に、冷えた果汁が染み渡る。喉の乾燥が癒やされ、ビタミンが細胞に行き渡る感覚。
この「頭寒足熱」ならぬ「内冷外熱」のコントラストこそが、冬の醍醐味だ。
「ほら、フィオナも」
フィオナが黄色い果実を受け取り、口に運ぶ。
「んっ! 冷たっ! ……でも、美味しい! コタツの中だと、この冷たさがご馳走ね! 熱いお茶もいいけど、ミカン最高!」
気がつけば、天板の上には黄色い皮の山が築かれ、俺たちの指先は黄色く染まっていた。誰も動こうとしない。トイレに行くのすら命がけの決断が必要な状況だ。
◇
やがて、窓の外は日が暮れ、しんしんとボタン雪が降り始めた。
本来ならキッチンに立って夕食の支度をする時間だが、誰一人としてコタツから出ようとしない。
出れば寒い。それは死を意味する(と錯覚するほど、コタツの中が快適すぎる)。
「……ルークス。お腹すいたけど、出たくないわ。このままここで餓死するの? それはそれで幸せな最期かもしれないけど……」
「安心しろ。俺も一歩も動く気はない。……だから、ここで全てを完結させる」
俺は天板の下のアイテムボックスから、愛用の『魔導カセットコンロ』と土鍋を取り出した。
コタツの天板の上で、調理を開始する。これぞ、動かないための究極の生存戦略。
昆布とカツオの合わせ出汁を張り、ざく切りの白菜、斜め切りのネギ、焼き豆腐、飾り切りしたシイタケ、そして聖樹ポークの薄切り肉と、つみれ(肉団子)を投入する。
カチッ、ボッ。青い炎が鍋底を舐める。
グツグツグツ……。
土鍋が音を立て、真っ白な湯気が立ち上り、部屋の窓ガラスをさらに曇らせる。出汁の優しい香りが、ミカンの香りと入れ替わるように部屋を満たす。
「今夜は『寄せ鍋』だ。……ポン酢で食うぞ」
俺たちはコタツに入ったまま、熱々の鍋をつついた。
ハフハフと白い息を吐きながら、出汁をたっぷりと吸ってトロトロになった白菜を頬張る。
「あつっ! はふっ、はふっ! ……ん~~~! 染みるぅぅ! 身体の中からは鍋の熱が、外からはコタツの熱が攻めてくる! なんて贅沢な挟み撃ちなの!」
暑くなったら、窓の外で冷やしておいたビール(または冷やしミカン)でクールダウンする。
完璧な永久機関だ。ここには争いも、苦しみもない。ただ「温かさ」と「満腹」だけがある。
「……幸せ。私、冬が好きになったかも」
『うむ。この装置、魔道具としてのランクは間違いなくSS級だな。世界を堕落させる兵器だ』
フィオナとフェンが、とろんとした目で、焦点の合わないまま呟く。
俺たちは窓の外の雪景色を眺めながら、ただひたすらに堕落を貪っていた。
その時。
ドンドンドン! と玄関の扉が激しく叩かれた。
「ルークス殿! いるか! 松茸の礼に来たぞ! 王都から馬を飛ばしてきたんだ、寒くて死にそうだ! ……おい、返事がないな。灯りはついているのに……留守か?」
ガルド公爵の声だ。
だが、俺たちは顔を見合わせ、無言で頷き合った。
玄関まで行く? 寒い廊下を歩く? ありえない。
「……誰も出ないわよね?」
『うむ。ここを出たら凍死する。我は動かんぞ』
「……公爵、鍵は開いてますよー。勝手に入ってきてくださいー。俺たちはもう……一歩も動けません……。そこにあるミカンでも食っててください……」
俺は力のない、しかし幸福に満ちた声で叫び、再び鍋の底から煮えた豆腐をすくった。
コタツ。
それは一度入ったら最後、英雄も貴族も魔獣も、すべての時間と意欲を吸い取る「温かいブラックホール」であり、冬の最強の魔物なのだった。
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**【読者へのメッセージ】**
いつもご愛読ありがとうございます!
第二百四十二話、いかがでしたでしょうか?
冬の最強兵器「コタツ」。
日本人なら誰もが知るあの魔力に、ついにエルフとフェンリルも陥落しました。
冷えたミカンと熱々の鍋。これ以上の幸せがどこにあるでしょうか。
これで春夏秋冬、すべての季節の味覚を制覇したルークス。
しかし、スローライフは終わりません。
次回は、年末に向けて「あの行事」の準備が始まります。
「コタツから出られない!」「ミカン食べたい!」と思ってくださった方は、ぜひ【評価・感想・ブックマーク】をお願いします!
皆様の応援が、ルークスのコタツの設定温度を上げます!
次回、第二百四十三話――「年の瀬。年越しそばと、除夜の鐘(物理)」。お楽しみに!




