第二百三十一話:王都からの来訪者、その名は『美食公爵』
リーフ村の穏やかな昼下がりに、その場違いな轟音は響いた。
村の入り口の未舗装路を、車輪が軋むほどの重厚さを伴って現れたのは、金箔を散りばめた漆黒の塗装が施された、王族ですら道を開けるレベルの豪華絢爛な馬車だった。牽いているのは、筋肉隆々の白馬が四頭。
馬車が静かに停止し、従者が恭しく扉を開ける。
そこからゆっくりと、巨体を揺らしながら降り立ったのは、恰幅の良い、見るからに「富」と「食」を愛してやまない初老の男だった。
その名はガルド・フォン・エピキュリア公爵。
王都中の料理人がその名を耳にしただけで震え上がり、彼の「不味い」の一言で幾多のレストランが廃業に追い込まれたという、伝説の「神の舌」を持つ男だ。
「……ふん。ここが、王都の貴族たちの間でまことしやかに囁かれている『黄金の食材』の産地か。……なんだ、ただの湿った土と、田舎特有の堆肥の匂いしかせぬではないか」
ガルド公爵は、最高級のシルクのハンカチで鼻を覆いながら、出迎えに来た村長ハンスたちを、まるで路傍の石を見るような冷ややかな目で見下ろした。
「よ、ようこそおいでくださいました、公爵閣下! 英雄ルークスが守るリーフ村へ! さあ、まずは歓迎の一杯を。これが最近、我々村民の魂を鷲掴みにしている、特製の『味噌汁』でございます!」
ハンスが自信満々に、湯気を立てる漆塗りの椀を差し出した。
中には、今朝ルークスが仕込んだばかりの、極上の合わせ味噌と豆腐の味噌汁が入っている。
だが、ガルド公爵は椀の中身をチラリと一瞥しただけで、顔をしかめて鼻を鳴らした。
「……なんだ、この茶色く濁った、泥水のようなスープは。具材も白いただの四角い塊ではないか。料理とは、まず目で味わい、香りで誘うものだ。このような野暮ったく、洗練のかけらもない液体……私の高潔な舌を通す価値もない」
ハンスが絶句し、震える手で椀を取り落としそうになる。
その時、俺、ルークス・グルトが、畑仕事の手を止め、泥だらけの長靴のまま前に出た。
「……あんた、料理を見た目『だけ』で判断してるのか? 随分と『安っぽい』舌をお持ちのようだ」
「な……っ!? 農民風情が! この美食公爵に向かって、なんたる暴言! 不敬罪でその首を――」
「俺が、あんたのその偏見まみれの眼球と、退屈しきった舌を、ひっくり返してやるよ。……見た目も、中身も、香りも……すべてが『黄金』に輝く、究極の丼でな」
◇
俺は激怒する公爵を、半ば強引に自宅のキッチンへと招き入れた。
調理台の前に立たせ、俺は食材を並べた。
主役は、エルフの森から連れ帰った聖樹の恵みで育ち、運動と睡眠のバランスを完璧に管理された『聖樹ポーク』の、厚さ三センチはあろうかという極厚ロース肉。
そして、硬くなったバゲットを自らおろし金ですり下ろした、粒の大きな『生パン粉』。
「……揚げ物か? 油で揚げるなど、素材の味を油臭さで誤魔化す、下品な調理法の代表格ではないか。貴族の食卓には、最も相応しくない」
公爵が後ろで腕を組み、ブツブツと文句を言っているが、俺は無視して肉の下処理に入った。
ミートハンマーを振り上げ、肉の繊維を丁寧に叩き切る。これで、厚切りでも歯で噛み切れる柔らかさになる。
軽く塩コショウを振り、薄力粉を薄くまぶす。余分な粉は叩き落とす。
溶き卵にくぐらせ、たっぷりの生パン粉の山に埋める。手のひらで優しく押さえつけ、剣山のように立ったパン粉を纏わせる。
そして、鍋の中で静かに波打つ、高温に熱したラード(豚の背脂)へ――投入。
――ジュワァァァァァァァァァッ!!
肉を油に入れた瞬間、激しい音と共に、きめ細やかな真っ白な泡がカツ全体を包み込んだ。
瞬時に立ち上る、ラード特有の甘く、どこまでも香ばしい動物性の脂の香り。それは、人間のDNAに刻まれた「カロリーへの渇望」を、ダイレクトに、そして暴力的に刺激する魔性の匂いだ。
「む……っ!? な、なんだこの香りは……。ただの油臭さではない……。もっとこう、脳の奥を直接揺さぶり、唾液腺を締め上げるような……」
公爵の喉が、意志に反してゴクリと鳴る。
パチパチパチ……。揚げ音が、低音から高音へと変わる。中の水分が抜け、火が通った合図だ。
俺はきつね色――いや、黄金色に揚がった巨大なカツを引き上げ、油を切る。
包丁を入れる。
ザクッ、ザクッ、ザクッ。
キッチンに響く、小気味よい音。
その断面からは、薄ピンク色の肉から、真珠のように輝く透明な肉汁が溢れ出し、まな板を濡らしていく。
「よし、ここからが魔法の時間だ」
俺は専用の小さな親子鍋に、カツオと昆布の合わせ出汁、濃口醤油、砂糖、みりんを黄金比で合わせた「割り下」を入れ、火にかける。
ブクブクと沸騰したところに、スライスした玉ねぎを投入。しんなりしたところで、さっきの揚げたてカツをドカリと鎮座させる。
ジュワッ……。
乾燥した衣が、甘辛い割り下を吸い込む音。
醤油の焦げる香ばしい匂いが、揚げ物の脂の匂いと混ざり合い、キッチンを「定食屋の魔力」で完全に支配する。
そして、フィナーレ。
ボウルで軽く解きほぐした、黄身の濃い卵二個分を、カツの上から「の」の字を描くように回し入れる。
「……蓋をして三十秒。この『蒸らし』こそが、卵を黄金に変える」
チッチッチッ……。
俺は秒数をカウントし、公爵は固唾を飲んで鍋を見つめている。
三十秒後。蓋を開ける。
ボワァッ!
湯気の中から現れたのは、白身は固まり、黄身は半熟トロトロの状態でカツを覆い尽くす、黄金の布団。
俺はそれを、炊きたての銀シャリをよそった漆黒の丼の上へ、手首を返して滑らせるように乗せた。
白飯という純白のキャンバスの上に、黄金と茶色の芸術が描かれる。最後に鮮やかな緑の三つ葉を添えて、完成。
「……お待ちどうさん。『聖樹ポークの極厚ロースカツ丼』だ」
ドンッ、と重厚な音を立てて、湯気を上げる丼が公爵の前に置かれた。
「……重い。ずっしりと来る。これが、一食分か? それに、ナイフもフォークもないではないか。どうやって食えというのだ」
「丼ってのはな、左手で器を持って、右手で箸を使って、犬のようにガツガツとかき込むのが一番美味い作法なんだよ。……上品ぶってないで、冷めないうちに食え。衣がシナシナになったら台無しだぞ」
公爵は不服そうに眉を寄せながらも、抗えない香りの暴力に負け、震える手で箸を伸ばした。
卵の絡んだカツの端と、その下のタレの染みたご飯を、一塊にして持ち上げる。
ずっしりとした重量感。
公爵は覚悟を決めたように大きく口を開け、それを放り込んだ。
――サクッ。ジュワッ。トロリ。
公爵の動きが、彫像のように完全に停止した。
割り下を吸ってなお、衣のサクサク感は失われていない。
歯を立てた瞬間、分厚い豚肉の繊維がほどけ、聖樹の加護を受けた甘い脂が、爆発的に口内へと溢れ出す。
それを優しく包み込む、半熟卵のまろやかさと、出汁の効いた甘辛いタレ。
そして何より、それら全てを受け止める、炊きたて白飯の圧倒的な包容力と甘み。
醤油の塩気、砂糖の甘み、脂の旨味、米の粘り。
口の中で、味のオーケストラが暴動を起こしている。
「……ぬ、ぬおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
リーフ村の空に、公爵の、獣のような咆哮が響き渡った。
「なんだこれは! 甘い! 辛い! 旨い! サクサクなのにしっとりしている! この暴力的なまでの味の濃さはなんだ! 私の知る、皿の上にちょこんと乗った宮廷料理が、ただの飾り物に見えてくる……! これが……これが『食事』だというのか!」
もはや、貴族の作法も、エチケットも、どこにもなかった。
公爵は丼を左手で鷲掴みにし、口元まで持ち上げると、箸をスコップのように使って、猛烈な勢いでカツ丼をかき込み始めた。
ガツガツッ、ハフハフッ、ジュルッ。
「止まらん! 箸が止まらんのだ! この、タレの染みた茶色いご飯だけで酒が飲める! 卵の黄身が絡んだカツは、王冠の宝石よりも輝いている! 脂身が……脂身が甘いぞぉぉぉ!」
カチャカチャと、箸が器に当たる音と、咀嚼音だけがキッチンに響く。
ものの数分で、大の男でも苦しいほどの大盛りカツ丼は、公爵の胃袋という名のブラックホールへと消え去った。
「……はぁ、はぁ……。……不覚。この私が、理性を失って器を舐めるとは……」
額に玉のような汗を浮かべ、公爵が恍惚の表情で天井を見上げ、だらしなく椅子に背を預ける。
俺はニヤリと笑って、食後の熱いほうじ茶を差し出した。
「どうだ、公爵。これが庶民の味、『B級グルメ』の底力だ。見た目は茶色いが、魂を震わせる色だろ?」
「……B級だと? ふざけるな! これはSS級だ! 国宝に認定すべきだ! ……ルークス殿、頼む! もう一杯だ! 金なら払う! 領地でも何でもやる! 今度は……今度はカツを二枚乗せてくれぇぇぇ! あと、その味噌汁とやらもつけてくれ!」
「ははは、ダブルカツ丼セットか。あんた、胃袋も年齢詐称してるんじゃないか?」
俺は再び、冷蔵庫から新しい豚肉を取り出し、ミートハンマーを構えた。
カロリーと糖質と脂質。
この「悪魔の三位一体」に勝てる貴族など、この異世界には存在しないのだ。
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**【読者へのメッセージ】**
いつもご愛読ありがとうございます!
第二百三十一話、いかがでしたでしょうか?
繊細な貴族料理を、「カツ丼」というカロリーの暴力でねじ伏せるカタルシス。
揚げたてのカツを卵で閉じるあの一瞬は、世界を平和にする魔法の時間です。
これで美食公爵もルークスの虜(胃袋的な意味で)。
王都への「カツ丼チェーン展開」も夢ではありません。
「カツ丼食べたくなった!」「飯テロすぎる!」と思ってくださった方は、ぜひ【評価・感想・ブックマーク】をお願いします!
皆様の応援が、ルークスの揚げ油の温度を保ちます!
次回、第二百三十二話――「醤油の開発、そして刺身への挑戦」。お楽しみに!




