第十九話:育つもの、そして見つめる瞳
『陽だまりの家』に最初の芽が出てから、一週間が過ぎた。
村は、すっかり冬の気配に包まれている。朝の空気は肌を刺すように冷たく、畑の土は硬く凍りつき、北の山から吹き付ける風は、枯れ木の枝を寂しく鳴らした。人々は、分厚い外套に身を包み、暖炉にくべる薪の残量を気にし始める。それが、リーフ村の当たり前の冬の始まりだった。
だが、今年だけは違った。村人たちの心には、一つの温かい光が灯っていた。
俺の家の裏手に建つ、あの『陽だまりの家』だ。
その半透明の壁の内側では、外の世界の厳しさなどまるで嘘のように、穏やかな時間が流れていた。俺が蒔いた種から出た芽は、この一週間で、さらに力強く成長していた。双葉の間から、本葉が健気に顔を出し、その瑞々(みずみず)しい緑色は、日に日にその濃さを増していく。
「すごいわ……本当に、育っているのね……」
毎朝、俺と一緒にハウスの様子を見に来るのが日課になった母さんは、ガラスのように滑らかなスライムレザーの壁にそっと触れながら、感嘆のため息を漏らした。
「うん。この家の中は、いつも春みたいだからね」
俺の新しい日課は、この小さな春の世界を維持することだった。温度が下がりすぎないよう、日中は入り口を少しだけ開けて空気を入れ替え、夜は完全に閉め切る。土が乾けば、井戸から汲んだばかりの新鮮な水をやる。その一つ一つが、地道で、根気のいる作業だ。
だが、俺にとって、その時間は何物にも代えがたい宝物だった。日に日に大きくなる緑の葉を眺めていると、前世で疲弊しきっていた心が、ゆっくりと浄化されていくような感覚があった。
そして、この地道な日課は、俺のポイントにも着実な変化をもたらしていた。
「ルークス様、ハウスのおかげで、なんだか冬を越すのが怖くなくなったよ。ありがとうねぇ」
井戸端で出会った村のおばさんから、そんな感謝の言葉をかけられる。その度に、俺の脳内には心地よい電子音が響いた。
【称号『リーフ村の救世主』の効果により、村人からの強い感謝を検知しました。ボーナスとして、10ポイントを獲得しました。】
村人たちの希望が、俺の力になる。その好循環は、ハウスが完成してから、より強く、確かなものになっていた。
そして、芽吹きから一週間が経ったその日、俺の所持ポイントは、ついに目標としていた数字に到達した。
【現在の所持ポイント:1,028 pt】
「……よし」
俺は、ハウスの中で誰にも聞こえないように、小さく呟いた。そして、意識を集中させ、ポイントシステムのアイテムリストを呼び出す。狙いは、ただ一つ。
【『化学肥料の粒』と交換しますか? 1,000ptを消費します】
【YES / NO】
迷わず【YES】を選択する。
俺の手の中に、ふわりと小さな革袋が現れた。中には、土の色によく似た、茶色い小さな粒が詰まっている。これが、この世界の植物がまだ知らない、科学の力だ。
「ルークス、それは何だい?」
ちょうど様子を見に来た父さんが、俺の手の中の袋に気づき、不思議そうに尋ねた。
「これはね、森の奥深くにある、すごく栄養のある土を固めたものなんだ。旅の薬師さんから、昔もらったんだよ。これを土に混ぜると、野菜がもっともっと元気になるんだって」
俺の子供らしい(と自分では思っている)言い訳に、父さんは特に疑う様子もなく、「そうか」とだけ言って深く頷いた。彼は、俺がもたらす「奇跡」に、もはや驚かなくなっていた。ただ、静かな信頼の眼差しで、俺のやることを見守ってくれている。
俺は、父さんが見ていてくれる安心感の中、一粒一粒、丁寧に、栄養の粒を緑の芽の根元に埋めていった。
(もっと大きくなれ。そして、みんなを笑顔にしてくれ)
それは、ポイントのためでも、効率のためでもない。俺の、心からの願いだった。
◇
その日の午後。俺はフェンのための食料を探しに、一人と一匹で森に入っていた。
「よし、この辺りで探してみようか」
俺がそう言うと、フェンは心得たというように、茂みの中に駆け込んでいく。その動きは、うちに来たばかりの頃とは比べ物にならないほど、力強く、そして俊敏になっていた。
俺は、薬草や食べられる木の実を探しながら、ゆっくりとフェンの後を追う。冬の森は静かだが、澄んだ空気が心地よかった。
しばらくして、少し開けた場所に出た。そこは、昔、村の子供たちが的当ての練習に使っていた場所だ。ふと、その広場の奥の木陰に、見覚えのある人影があるのに気がついた。
(……ゲルト)
彼は、一人で、黙々とスリングショットの練習をしていた。だが、その姿は、以前の彼とはどこか違って見えた。
以前の彼の練習には、常に焦燥感と、誰にも負けないという刺々しいプライドが滲んでいた。だが、今の彼から感じるのは、ただ、何かを確かめるような、途方に暮れたような、静かな動きだけだった。
ピュン、と乾いた音を立てて放たれた小石は、木の幹に当たり、力なく地面に落ちる。彼は、それを見ても悔しがる様子もなく、ただぼんやりと、自分の手の中のスリングショットを見つめていた。
あの日、俺が彼のプライドを砕き、彼の「努力」を無価値だと断じてから、彼はきっと、道に迷っているのだ。
俺は、声をかけるべきか迷った。だが、今の彼に、俺の言葉は届かないだろう。そう判断し、気づかれないように、その場を離れようとした、その時だった。
獲物を追って茂みに入っていたフェンが、ひょっこりと、ゲルトのいる広場に姿を現したのだ。
「!」
ゲルトは、突然現れた黒い獣に気づき、びくりと肩を震わせた。その手は、反射的に次の小石を掴み、スリングショットを構える。その瞳に、一瞬、鋭い警戒の色が宿った。
(まずい……!フェン、警戒しろ!)
俺は咄嗟に声をかけようとして、寸前で思いとどまった。**フェンが、ゲルトに対して唸り声を上げない。それどころか、わずかに首を傾げ、戸惑うような、あるいは何かを探るような目で、じっとゲルトを見つめているのだ。**
(まさか……こいつ、ゲルトから明確な敵意は感じていないのか?いや、それだけじゃない。何か、別の感情…戸惑いとか、諦めみたいなものを感じ取っているのか……?フェンの能力は、単純な善意探知だけじゃないのかも…?)
俺が思考を巡らせている間にも、フェンは**ゲルトの構えを警戒しつつも、ゆっくりと**彼の方へ歩いていく。そして、彼が的を外した小石が落ちている地面の匂いを、くんくんと嗅ぎ始めた。
まるで「なんだ、これ?」とでも言うように、ころりと転がった小石を前足でちょいとつつくと、今度はゲルトの方を振り向き、小さく「クゥン?」と首を傾げた。
その、あまりにも無防備で、無垢な仕草に、ゲルトは完全に虚を突かれていた。スリングショットを構えたまま、身動き一つできずに、目の前の小さな黒い生き物を見つめている。
警戒、戸惑い、そして、ほんの少しの、理解できないものに対する興味。彼の顔には、そんな複雑な感情が渦巻いていた。
「フェン!そっちはダメだ!」
俺は、慌てて声をかけた。俺の声に、フェンははっとしたように振り返ると、嬉しそうに尻尾を振りながら、俺のもとへ駆け寄ってくる。
ゲルトは、俺の存在に気づくと、バツが悪そうに顔を伏せ、何も言わずにスリングショットを懐にしまい込んだ。そして、俺と、俺の足元でじゃれつくフェンを一瞥すると、踵を返し、森の奥へと足早に去っていった。
その背中は、まだ小さく、そして迷いに満ちていた。
俺は、彼の後ろ姿が見えなくなるまで、黙ってそれを見送った。
家に戻り、陽だまりの家の様子を覗くと、俺は自分の目を疑った。朝、栄養の粒を与えた緑の芽が、半日で、目に見えて力強く、そして葉の色を濃くしている。
科学の力は、絶大だ。
この小さな命が、やがて大きな実りとなり、村人たちの笑顔に繋がる。その光景を思い浮かべ、俺は一人、満足げに微笑んだ。
冬の革命は、まだ始まったばかりだ。
【読者へのメッセージ】
第十九話、お読みいただきありがとうございました!
今回は、ハウスの中で育っていく小さな命と、少しずつ変化していくゲルトの心を中心に描いてみました。派手な出来事はありませんが、こういう穏やかな時間も、この物語の大切な一部です。
「お父さんの優しさに泣ける」「フェンとゲルトの遭遇シーン、ドキドキした!」など、皆さんの感想が執筆の励みになります。下の評価(☆)やブックマークで、野菜の成長を応援してください!
ついに投入された「化学肥料」。野菜たちの成長は、ここからさらに加速するのか?そして、ゲルトの次の一手は……?次回も、どうぞお楽しみに!




