第十三話:金色の瞳と、命の選択
森の静寂を破る、か細い鳴き声。その声に導かれて俺が見つけたのは、絶望の縁に立つ、一つの小さな命だった。
漆黒の毛皮を持つ、子犬ほどの大きさの獣。その右前足は、密猟者が仕掛けたであろう無慈悲な鉄の牙に、深く、深く食い込まれていた。生々しい血の匂いが、ツンと鼻をつく。
俺の存在に気づいた子犬は、最後の力を振り絞って唸り声を上げたが、その体はもはや威嚇のポーズを維持することすらできないようだった。金色の瞳が、恐怖と痛み、そして諦観に揺れている。
俺は、腰に下げていた小さな手斧を握りしめ、罠と、そして、瀕死の子犬へと、一歩、踏み出した。
(見捨てることなんて、できるもんか……!)
感情が、思考よりも先に体を動かそうとする。だが、俺はぐっと唇を噛んでその衝動を抑え込んだ。そして、冷静に、冷徹に、状況を分析する。
(落ち着け、俺。佐藤拓也。納期目前でサーバーが飛んだあの絶望的なプロジェクトに比べれば、まだマシだ。まず、問題を分解しろ。ボトルネックはどこだ?今、最優先で対処すべきタスクは……出血だ!)
俺は、すぐさま思考を切り替えた。スキル『薬草知識』を発動させる。脳内の植物図鑑が、高速でページをめくっていく。
(あった!あれだ!)
数メートル先の木の根元に、目的の薬草が生えているのを見つけた。
【鑑定】→【止血草】
【薬草知識】→【葉を揉んで傷口に湿布することで、優れた止血効果を発揮する。】
俺は、急いでその葉を数枚摘み取ると、近くの平たい石の上で、手斧の柄を使って粘り気が出るまで念入りにすり潰した。そして、それを手に、ゆっくりと子犬に近づく。
「……大丈夫だ。助けに来た。何もしないから」
俺がそう囁くと、子犬は弱々しく唸ったが、もう俺に噛み付く力も残っていないようだった。俺は、その金色の瞳をじっと見つめ、ゆっくり、ゆっくりと手を伸ばす。
そして、罠が食い込んでいる傷口の周りに、すり潰した止血草を、そっと塗りつけていった。子犬の体が、びくりと震える。だが、不思議と暴れることはなかった。
やがて、じわじわと溢れ出ていた出血が、少しずつ止まっていく。
(……よし。これで、少しだけ時間は稼げた)
だが、根本的な解決にはなっていない。このままでは、いずれ力尽きてしまう。
(ポイントだ。ポイントを使うしかない……!)
俺は、ステータスウィンドウを開き、自分の全財産を確認する。日々の手伝いと村人からの感謝ボーナスで、ポイントは少しずつ回復していた。
【現在の所持ポイント:526 pt】
マンドラゴラ採取と、日々の手伝いで貯めた、けして少なくはないポイント。だが、俺が求めるものには、全く届かなかった。
(『救急セット』は1,500pt……。『鉄のバール』ですら800pt……。ダメだ、足りない……!)
スキルリストにも、この状況を打開できるような安価なスキルはない。万策尽きたか。俺が絶望に打ちひしれかけた、その時。
(……待てよ。ポイントで『買う』じゃない。俺は、もう持っているじゃないか)
俺の脳裏に、家の戸棚に大事にしまってある、あの救急セットが浮かび上がった。母さんの指を治すために手に入れた、あのポーチ。あの中には、消毒薬や包帯だけでなく、小さな金属製のピンセットやハサミも入っていた。あれを使えば、この罠の細かい機構部分を、破壊できるかもしれない。
問題は、どうやってそれを持ってくるかだ。家と、この森の奥とでは、往復すれば三十分はかかる。この子犬が、それまで持つか……?
いや、考えるな。今は、動くしかない。
「……待ってろ。必ず、戻ってくるから」
俺は、子犬にそう言い聞かせると、踵を返し、人生で最も速く、森を駆け抜けた。
木の枝が容赦なく顔を打ち、足がもつれて何度も転びそうになる。肺が張り裂けそうに痛み、心臓が喉から飛び出しそうだ。だが、俺は足を止めなかった。
(もう、間に合わないなんて、ごめんだ……!)
あの時と同じ、無力感に焼かれるのは、もうたくさんだ!
息も絶え絶えに家に駆け込むと、夕食の準備をしていた母さんが、俺の鬼気迫る形相に驚いて振り返った。
「ルークス!?どうしたんだい、そんなに慌てて……泥だらけじゃないか!」
俺は、母さんの言葉に答える余裕もなく、戸棚から救急セットを鷲掴みにした。そして、一言だけ叫んだ。
「ごめん、母さん!後で、全部話すから!」
再び家を飛び出し、森へと引き返す。母さんの、心配そうな声が背中に突き刺さった。
森に戻った時、子犬は、まだかろうじて息をしていた。俺は、その小さな命の灯火に感謝しながら、救急セットを開いた。
俺が狙うのは、罠のバネを固定している、小さな留め金の部品だ。セットに入っていた金属製のピンセットと、小さなハサミの先端を、その隙間にねじ込んでいく。
硬い。八歳の子供の力では、びくともしない。
「……くそっ!」
だが、諦めるという選択肢は、俺の頭にはなかった。俺は、手斧の柄尻を使い、ピンセットの端を狙点とし、金槌のように力任せに叩いた。カン!カン!と、森に甲高い音が響く。一打ごとに、手のひらに痺れるような衝撃が走り、ピンセットが明後日の方向に弾かれそうになるのを、必死で押さえつけた。
そして、何十回目かの打撃が、ついに奇跡を起こした。
**バキンッ!**
甲高い音と共に、留め金が砕け散る。そして、次の瞬間、凄まじい力でバネが解放され、鉄の牙が、ついに開いた。
「……やった……!」
俺は、その場にへたり込んだ。全身の力が抜けていく。
解放された子犬は、力なく地面に横たわっていた。その前足は、見るも無惨に折れ曲がり、血に濡れている。俺は、救急セットの消毒薬で傷口を洗い、綺麗な包帯で、できるだけ丁寧に固定した。
子犬は、もう威嚇しなかった。ただ、じっと、その金色の瞳で、俺の顔を見つめている。その瞳には、もう恐怖の色はなかった。
治療を終えると、俺はそっと、その小さな体を抱き上げた。驚くほど軽く、そして、か細い鼓動が伝わってきた。
(……生きてる)
その事実が、たまらなく嬉しかった。
この子を、このまま森に置いていくわけにはいかない。俺は、黒い毛皮の塊を胸に抱き、ゆっくりと家路についた。
夕闇が迫る村の入り口。家の前では、母さんが、心配そうに佇んでいた。俺の姿を認めると、母さんは駆け寄ってくる。そして、俺が腕に抱えているものを見て、息を飲んだ。
「ルークス……その子は……?」
母さんの驚いた顔を前に、俺は、どう説明すればいいのか、全く分からなかった。ただ、腕の中の小さな命の温もりだけが、確かな現実として、俺の手のひらに伝わってきていた。
【読者へのメッセージ】
第十三話、お読みいただきありがとうございました!
緊迫の救出劇、いかがでしたでしょうか?ルークスの必死の想いが、小さな命を繋ぎました。
「よくやった、ルークス!」「お母さん、許してあげて!」など、皆さんの応援コメントや評価(☆)、ブックマークが、次の物語への力になります!
謎の子犬を連れ帰ったルークス。家族の反応は?そして、子犬の正体とは?次回、新たな家族(?)の物語が始まります。ご期待ください!




