第108.6話:海への道標
王都での滞在最終日。
朝霧がまだ街を覆う早朝、俺たちは宿の前で荷物を積み込んでいた。
冷やりとした空気が心地よい。石畳が朝露で濡れ、馬の蹄の音がカツカツと小気味よく響く。
「ルークス様、本当に行かれるのですか……?」
見送りに来てくれたエレナ様が、寂しげに眉を寄せる。
朝露に濡れた彼女のドレスの裾が、微風に揺れている。その瞳には、不安と、それ以上の寂寥感が宿っていた。
今回の事件を通じて、彼女との距離は縮まった気がする。だが、俺にはまだやるべきことがある。
「はい。獣人国への陸路は、例の『山崩れ』で塞がれたままですからね」
俺は馬の鞍を調整しながら答えた。
宰相オルコの残党による最後の嫌がらせか、あるいは自然災害か。
獣人国へ向かうための主要街道が、大規模な土砂崩れで通行不能になってしまったのだ。復旧には数ヶ月かかるという。
だが、俺には待っている時間はない。
夢で見た「世界の捕食者」の予兆。赤い空、崩れ落ちるビル群。あのノイズ混じりのSOS。
そして、獣人国で起きているという「奇妙な病」の噂。
一刻も早く現地へ向かう必要がある。
「となると、ルートは一つ。南の港町から船で海を渡り、獣人国の沿岸部へ上陸するしかありません」
海路。
それは、山育ちのリーフ村出身の俺にとって、完全に未知の領域だ。
泳ぎは……まあ、前世の市民プールレベルだ。船酔いするかどうかも分からない。
だが、不安よりも期待の方が大きかった。なぜなら、俺には昨日手に入れた大量の「ポイント」があるからだ。
「さあ、最後の仕上げといくか」
俺は、購入したばかりの旅用馬車に向き合った。
中古だが骨組みはしっかりした箱馬車だ。だが、このままでは長旅で尻が割れるのは目に見えているし、夏の暑さで干からびてしまう。
俺はウィンドウを開き、惜しみなくポイントを投入した。
**【アイテム『ミスリル合金製サスペンション』を購入しました (20,000pt)】**
**【アイテム『衝撃吸収ゲルマット』を購入しました (5,000pt)】**
**【アイテム『簡易冷房魔道具(氷結石利用)』を購入しました (15,000pt)】**
**【アイテム『全天候型・撥水コーティング剤』を購入しました (3,000pt)】**
「よし、やるぞ!」
ガガガッ!
俺は「錬金術の知識」と「工作スキル」をフル稼働させ、馬車の車軸を改造していく。
錆びついた板バネを取り外し、代わりにしなやかなミスリル合金とゲルマットを組み込む。これで、砂利道だろうが岩場だろうが、雲の上を走るような乗り心地になるはずだ。
さらに、車内には氷結石を利用したファンを取り付け、冷房も完備。幌にはコーティング剤を塗り込み、雨も泥も弾く仕様に。
仕上げに、車内の座席をフラットに倒せばベッドになるように改造。これで車中泊も完璧だ。
「……ルークス殿。それは本当に馬車なのか? 王族の寝室より快適そうに見えるが」
護衛として同行してくれるギデオンさんが、呆れたように、しかし口元を緩めて笑う。
彼もまた、オルコ一派の残党狩りという任務を帯びて、途中まで獣人国方面へ向かうことになったのだ。王国最強の騎士が一緒なら、道中の安全は保証されたも同然だ。
「エレナ様。必ず、良い報告を持ち帰ります。……それと、お土産も」
「……はい。信じてお待ちしておりますわ。ルークスさん。どうか、ご無事で」
エレナ様は、俺の手をぎゅっと握りしめた。その温もりと、少し潤んだ瞳が、俺の胸に強く刻まれる。
ゴードンさんは工房が忙しくて来られなかったが、朝一番に使いの者が「名刀・疾風(改)」を届けてくれた。柄には、俺の手に馴染むよう、新しい革が丁寧に巻かれていた。
みんなの想いを乗せて、俺は行く。
「よし、出発だ!」
俺は御者台に飛び乗り、手綱を握った。
フェンが「ワオーン!」と高らかに吠え、朝の空気に声を響かせる。
馬車は、石畳の道を滑るように走り出した。サスペンションの効果は絶大だ。振動がほとんどない。
背後に遠ざかる王都の城壁。そこで得た信頼と、仲間との絆を胸に、俺たちは南へと進路を取った。
◇
旅は順調そのものだった。
王都を出て三日。風景は牧歌的な田園地帯から、徐々に鬱蒼とした森へと変わっていく。
改造馬車の乗り心地は最高で、道中の野営も、前世のキャンプ趣味を持つ俺にとっては「楽しみ」でしかなかった。
「今日の夕飯は、『特製厚切りベーコンのBLTサンド』だ!」
街道沿いの広場で、俺はポイント交換した『ポータブルコンロ』を展開した。
夕日が森を茜色に染める中、ジュウウウッ! という食欲をそそる音が響く。
フライパンの上で、厚さ1センチはあるベーコンが脂を弾かせて踊る。香ばしい匂いが森に漂い、フェンが尻尾をプロペラのように回して、コンロの前で「お座り」をして待機している。その目は真剣そのものだ。
ポイントで取り寄せた、ふわふわの『高級食パン(4枚切り)』を軽く炙り、そこに採れたてのみずみずしいレタスと完熟トマト、そしてカリカリに焼いたベーコンを挟む。
仕上げは、異世界の住人がまだ知らない禁断のソース、『マヨネーズ』と『マスタード』の黄金比ブレンドだ。
「さあ、召し上がれ」
「こ、これは……パンに肉と野菜を挟んだだけに見えるが……」
ギデオンさんが、半信半疑でサンドイッチを受け取る。
そして、一口かじりついた瞬間。カサッ、というパンの音と、ジュワッという肉汁の音が重なる。
彼の目が、カッと見開かれた。
「う、美味いッ! なんだこのパンの柔らかさは! それにこの白いソース……酸味とコクが絶妙に絡み合って、脂っこさを完全に消している! いくらでも食えるぞ!」
「マヨネーズっていうんです。卵と酢と油で作れるんですよ」
「マヨネーズ……恐ろしい調味料だ……!」
騎士団長が口の端にマヨネーズをつけて夢中で食べる姿は、なんだか微笑ましい。
フェンも自分の分の特大サンドをペロリと平らげ、「おかわり!」と吠えている。
道中、山賊が出たりもしたが、満腹で機嫌の良いフェンの索敵と、ギデオンさんの剣、そして俺の『閃光玉(目くらまし)』の前には、ただのボーナスポイントでしかなかった。
そして、数日後。
険しい山道を越え、馬車が峠の頂上に差し掛かった時だった。
ふわり、と。
風の匂いが変わった。
土と草の匂いの中に混じる、独特の湿り気と、鼻腔をくすぐる塩辛い香り。
耳を澄ませば、ザザァ……ザザァ……という、規則的で、大地が呼吸するような音が聞こえてくる。
「……おい、ルークス。あれを見ろ」
御者台の隣で、ギデオンさんが前方を指差す。
眼下に広がる森の切れ目。その向こうに、強烈な日差しを反射して煌めく、果てしない青が広がっていた。
「……海だ」
前世でも見たことのない、どこまでも澄んだコバルトブルー。
水平線が空と溶け合い、白い入道雲が湧き上がっている。太陽の光を受けて、水面が無数の宝石のように輝いていた。
遠くには、白い帆を張った船が小さく見える。
「でっけぇ……」
思わず呟いていた。
山育ちのリーフ村出身の俺にとって、この圧倒的な開放感、世界の広さを突きつけられるような光景は、衝撃以外の何物でもなかった。自分の悩みがちっぽけに思えるほどの、圧倒的な青。
「クゥ~ン!」
フェンも初めて見る海に興奮したのか、身を乗り出して尻尾を振っている。
「広いな、フェン。あそこには、見たこともない魚がいっぱいいるぞ」
「ワフッ!」
あの海の向こうに、獣人たちの国がある。
そして、まだ見ぬ「人魚族」や、世界の謎に関わる何かが待っているはずだ。
俺は懐のポケットに手を当てた。
そこには、森で拾ったあの謎めいた「黒い石」が入っている。
心なしか、石が微かに温かい。まるで、海に近づいたことを喜んでいるかのように、小さく脈打っている気がした。
予感がある。この海で、俺の運命を大きく変える出会いが待っていると。
「行こう、フェン、ギデオンさん! 新しい冒険の始まりだ!」
俺は手綱を振るった。
馬車は、潮風の吹く坂道を、活気に満ちた港町へ向かって軽快に駆け下りていった。
風が、俺たちの未来を祝福するように吹き抜けていった。
待ってろよ、スローライフ。
海の幸も、ポイントも、全部俺が頂いてやる!
(第2章 王都編 完/第3章へ続く)
【読者へのメッセージ】
第108.6話、最後までお読みいただきありがとうございました!
これにて王都編は完結。いよいよ舞台は海へ、そして獣人国へと移ります。
「馬車改造、楽しそう!」「飯テロだ!」「海が見えた時の開放感が最高!」とワクワクしていただけたら、ぜひ評価やブクマをお願いします!
ルークスたちの旅はまだまだ終わりません。
次話からは、港町での出会い、そして波乱の船旅が始まります。
第112話「港町の出会いと、深海の歌」でお会いしましょう!




