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馬鹿踊り

作者: 雉白書屋

『コメ、コメ、コメコメコメ♪ ――よこせ♪』


「……ん?」


 スーパーに向かって歩いていると、どこからともなく妙なリズムと歌声が聞こえてきた。最初は風の音かと思うほど遠くかすかだったが、次第にそれは近づき、はっきりした言葉に変わっていった。


『米よこせ♪』

「米よこせ!」「米よこせ!」「米よこせ!」


『物価が高いぞ♪』

「物価が高いぞ!」「物価が高いぞ!」「物価が高いぞ!」


『税金下げろ♪』

「税金下げろ!」「税金下げろ!」「税金下げろ!」


『現ナマよこせ♪』

「現ナマよこせ!」「現ナマよこせ!」「現ナマよこせ!」


 歩き続けていると、歩調を揃えた一団と出くわした。

 ははあ、なるほど。どうやらデモをやっているらしい。最初は何かのストリートパフォーマンスや、祭りの神輿かと思ったが、違った。プラカードを掲げ、リズムに合わせて主張にも満たない物乞いのようなフレーズを繰り返している。

 マジでクソ馬鹿だと思うが、人に迷惑をかけなければ勝手にやっていればいい。……いや、実際にはうるさいし邪魔ではあるが。

 おれは連中から距離を取り、横目に見ながら歩いた。鬱陶しいから追い抜いてしまいたかったが、ここで体力を使いたくなかった。なにせ、これから何軒スーパーを回ることになるかわからないのだ。

 今日のおれの目的はただ一つ。『米』だ。

 最近は深刻な米不足に加え、普段は米を扱わないような業者までが便乗して販売に参入し、価格は軒並み暴騰している。

 卸業者が裏で値を釣り上げているじゃないかと疑っているが、おれのようなただの消費者には、どうすることもできない。今できるのは、ただ一番安い米を見つけて買うことだけだ。それがまだ残っていればの話だが。


「えっ」


 おれは思わず声を漏らした。あのデモ集団が、おれの目指していたスーパーにずかずかと入っていくではないか。マイクを握った男を先頭に、主に年寄りたちがぞろぞろと後に続く。

 嫌な予感を抱きつつ、おれも足を速めて店の中へ入った。

 まさかと思ったら案の定、連中は米売り場をぐるりと取り囲んでいた。


『米よこせ♪』

「米よこせ!」「米よこせ!」「米よこせ!」


『景気を上げてけ♪』

「景気を上げてけ!」「景気を上げてけ!」「景気を上げてけ!」


『米高くて買えないぞ♪』

「高くて買えないぞ!」「高くて買えないぞ!」「高くて買えないぞ!」


『持ってっちゃおうかな♪』

「持ってちゃおうかな!」「持ってちゃおうかな!」「持ってちゃおうかな!」


 ――え。


『コメ、コメ、コメコメコメコメ、コメコメダンス♪ 米、いただきます♪』

「いただきます!」「いただきます!」「いただきます!」


 いや、は……? 

 おれは目を疑った。連中が一斉に米袋を担ぎ上げ、そのまま出口へと歩き出したのだ。しかも、レジを一切通さずに。しかし、誰も止めようとしない。店員も客も、驚きのあまり呆然と立ち尽くしていた。

 やがて、音楽と声が遠のくと、まるで夢から覚めたかのように周囲の人々がぽつぽつと動き始めた。


「あの、ちょっと!」


「え、はい?」


 突然、店員が駆け寄ってきて、おれの腕を掴んだ。


「お米の代金払ってくださいよ! 全員分!」


「え、は? なんでおれが……」


「だって、一緒に入ってきたじゃないですか! 仲間なんでしょ! さあ、払ってください!」


「い、いや、違うから!」


 本気で言っているのか、それとも混乱して誰かに責任を押しつけたいだけなのかはわからないが、どちらにせよおれに払える金額じゃない。連中が持っていった米の量と今の相場を考えれば、ざっと見積もっても数十万はくだらないだろう。

 絶対に無理だ。おれは店員の手を振り払い、踵を返してスーパーを飛び出した。

 後ろから何か叫ぶ声が聞こえ、おれはさらにスピードを上げた。

 スーパーを離れても、おれはそのまま走り続けた。あの連中に文句の一つでも言わなければ気が済まなかった。

 連中にはほどなく追いついた。老人ばかりだし、あの音楽を辿れば何ら難しいことではない。

 おれは最後尾から列に加わり、マイクを持つ先頭の男を目指し、人の間を縫うように進んでいった。するとその最中、また別のスーパーへたどり着いた。


『米給付♪』

「米給付!」「米給付!」「米給付!」


『米よこせ♪』

「米よこせ!」「米よこせ!」「米よこせ!」


『くれないなら、とるしかないね♪』

「とるしかないね!」「とるしかないね!」「とるしかないね!」


 またも連中は米コーナーに群がり、ためらいもなく米袋を抱え上げると、そのままぞろぞろとスーパーを出ていった。

 店員も客も一種の催眠状態になっているのだろうか、誰一人として止めようとせず、ただ呆然と突っ立っていた。あるいはデモには関わらないほうがいいという本能的な防衛反応や嫌悪感が彼らの体を縛りつけているのかもしれない。

 その後も連中は同じ調子で店を渡り歩き、スーパーというスーパーから米を根こそぎ奪い取っていった。

 おれも連中の仲間のふりをして、米袋を担いだ。こうなったら破れかぶれ。踊らにゃそんそんってやつだ。それに、昨今のふざけた米の高騰にはもともと腹を据えかねていたのだ。

 やがてデモ隊は郊外の巨大な倉庫へたどり着いた。どうやらここが、奪った米の拠点らしい。

 米袋は山のように積み上げられ、その神々しさに、おれは思わず「おお……」と声を漏らした。

 よし、分け前をもらって帰るとしよう。


『いやー、皆さん! 本日はご参加ありがとうございました!』


 マイクを握った男が、晴れやかな笑みを浮かべて言った。参加者たちは一斉に拍手と歓声を上げた。


『では、気をつけてお帰りください! また会いましょう!』

「はーい!」「はーい!」「はーい!」


「え? いや、ちょっと」


 おれは思わず手を挙げた。


『はい? そこのお兄さん、何ですか?』


「いや、集めた米の分配は? しないんですか?」


『ふっ』


 男は鼻で笑い、顎をくいっと上げた。


『お兄さん、自分のことだけ考えちゃダメだよ』


「いや、自分のことだけっていうか、みんなにちゃんと……」


 そう言いながら周囲を見渡したおれは、言葉に詰まった。

 全員が無言でこちらを見ていた。誰も笑っておらず、その目には明確な敵意が宿っている。まるで話が通じない、狂信者の目だ。おれは思わず身震いした。


『いずれ平等に分配しますから、ね。コメコメコメコメ♪』

「コメコメコメコメ!」「コメコメコメコメ!」「コメコメコメコメ!」


「いや、だからそれはいつ――」


『コメコメコメコメ♪』

「コメコメコメコメ!」「コメコメコメコメ!」「コメコメコメコメ!」


「どうやって――」


『コメコメコメコメコメ♪』

「コメコメコメコメコメ!」「コメコメコメコメコメ!」「コメコメコメコメコメ!」


「届けてくれるなら、それにかかる費用とか、だいたい消費期限もある――」


『コメコメコメコメコメコメ♪』

「コメコメコメコメコメコメ!」「コメコメコメコメコメコメ!」「コメコメコメコメコメコメ!」


 視界がぐにゃりと歪んだ。だめだ。話がまるで通じない。不快な声が洪水のように押し寄せ、頭の中をぐしゃぐしゃにかき回していく。

 締めつけるような頭痛がし始め、おれは耐えきれず、倉庫を飛び出した。


「あ……」


 外に出た瞬間、おれは息を呑んだ。遠くの空に、黒い煙が何本も立ち上っているのが見えたのだ。

 デモ隊はここだけじゃなかった。そして連中は火を放ち、奪っている。米だけじゃない。あらゆるものを。


『肉よこせ♪ 魚よこせ♪ 現ナマよこせ♪』 

「現ナマよこせ!」「現ナマよこせ!」「現ナマよこせ!」


 あの奇怪なリズムが、風に乗ってかすかに響いてくる。さらに、どこかでガラガラと何かが崩れ落ちる轟音が聞こえた。

 それはこの国が崩れゆく音なのか、それともおれの中で何かが崩れた音なのか――。


 なんにせよ……なんだ、もう始まっていたのか。

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