5 Be your army
──考えるより先に、飛び出してしまっていた。
『外れ者』と蔑まれていた自分に、「それがいい」と言ってくれた人を。
本当は、ずっとずっと憧れていた綺麗な洋服を着せてくれた人を。
死なせたくなかった。
***
小さな体が宙を舞い、地面に転がった。
「ルナ!」
リヒトはすぐに、倒れ伏した少女のもとへ駆け寄る。
ルナはぐったりと横たわっていた。
胸がわずかに上下しているが、呼吸は浅く、赤い瞳は焦点を結ばない。
口元から血がにじみ、吐息とともに地面を濡らしていく。
「おい……ルナ! しっかりしろ!」
リヒトはその肩を必死に揺する。
だが小さな体はぐらりと揺れるだけで、返事はない。
やがて、かすれる声が漏れた。
「……かみさま……ぶじ、で……よかった……」
震える指先が、力なくリヒトの法衣をつかむ。
「バカが……ッ! 俺の心配なんかしてんじゃねえ……!」
喉の奥が熱い。胸のうちが、どうしようもなくかき乱される。
感じたことのない感覚だ。
「隙アリィィィィイ!!」
咆哮とともに、容赦無く大剣がリヒトの頭上に振り下ろされた。
だが、その刃が届くことはなかった。
怒気をはらむ目で一瞬大男を見たリヒトから、拳がただ黙って突き上げられる。
「ぎゃぴっ!」
巨体が宙を舞った。
人形のように地面を転がり、ピクリとも動かなくなる。うめき声すら出ない。
「……ひ、ひいぃぃい!」
その様子を見て、周りの野盗たちも蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
その場に残されたのは、神様と死にかけの少女だけだ。
***
ルナの体は小さく痙攣し、浅い呼吸を繰り返していた。
手のひらに伝わる体温が、徐々に冷たくなっていく。
リヒトが呼びかけても、もう声は返ってこなかった。
「……チッ……」
リヒトは歯を食いしばる。
本来ならば──このまま死なせればいい。人間はただの器。代わりなど、いくらでもいる。
それなのに。胸をかき乱すこの焦りはなんだ。
脳裏に、少女との場面の数々が蘇る。
焚き火に照らされた、笑った顔。
新しい服を抱きしめて、泣きそうに微笑んだ姿。
そして、自分を庇って飛び出した小さな背中。
思い返すほどに、胸の奥が熱くなる。
「……ッ」
拳を握りしめた手が震えた。
ルナを死なせない選択肢はある──それは、『スキル』を与えること。だが、それは『神力』の大幅な消耗を意味する。
天界へ帰る日は、五年、いや十年は遠のくだろう。
それでも──
「……クソが……。火の魔法を使えるなら、アレと相性はいいだろ……」
リヒトの掌から紅蓮の炎が立ち上がる。
やがて、それは深紅の羽のような形を取り、ルナの胸へと吸い込まれていった。
「──『不死鳥の加護』」
その名を告げた瞬間、少女の体が温度のない炎に包まれた。
それは焼き尽くす業火ではなく、癒やしをもたらす炎。
どれほど深い傷であろうと、魔力が続く限りその火は生命を繋ぎとめる。
「……か……みさま……?」
やがて、消えかけていたルナの呼吸が、わずかに深くなった。
焦点を失っていた瞳に、わずかに光が戻っていく。
「喋んな......今は寝てろ」
ぶっきらぼうに言いながらも、彼の心には安堵が広がっていた。
失った『神力』の重みよりも──彼女が再び呼吸を始めたことのほうが、何倍も大きく感じられた。
***
「お、おい。アレ……『外れ者』じゃねえか……?」
不意に、声が届いた。
リヒトが顔を上げると、村人が集まってこちらを眺めている。
「……まさか野盗がここを狙ったのも……『外れ者』が仕向けたんじゃ……」
「……まさか野盗がここを狙ったのも……『外れ者』が仕向けたんじゃ……」
恐怖と疑念が混じった声が広がる。
こんなときでも彼らは、まだ『同じ』にこだわっていた。
やがて一人の子供が石を掴む。
「きっとそうだよ……! これだから違うヤツは……!」
冷静に考えれば、そんなはずがない。
けれど『違う』という理由だけで──理不尽に、容赦なく。
石が放たれる、その瞬間。
──ぼうっ。
目を閉じたままの少女の背から、炎が広がった。
炎は翼の形を取り、まばゆい光を放ちながら、二人を包み込む。
石は触れることもなく、炎に呑まれ、灰となって散った。
──『不死鳥の加護』。
その異能の真骨頂は、絶対の守り。どんな暴力も拒む、完全防御。
リヒトの与える『スキル』の中でも、最高峰の一角である。
「……よぉし、お前ら、そこに並べ。天罰を下してやる」
炎の中からゆっくりと、ボキボキと拳を鳴らしながらリヒトが現れる。
恩を仇で返されたこと。天界に帰るのが大幅に遅れることになったこと。
それら全てのムカつきを晴らすべく、リヒトは村人たちに天罰という名目のゲンコツを振るう。
「村もなくなったし丁度いい機会だ! お前らのくだらねぇ『同調』ポリシーもなくすと言うまで、ぶん殴ってやる!」
……神というより悪魔の宣言。
そして実際、リヒトはちぎっては投げ、ちぎっては投げ……。
もちろん子供にも、容赦なく老若男女平等パンチを繰り出す。
「わ、わかった! もうやめる! だからもう殴らないでくれぇ!」
そこに父親らしき男が割って入り、必死に子を庇った。
……結局、両腕を使ってゲンコツされたのだが。
だが、その姿は、ふと彼にある思いを抱かせる。
本来なら、父親が、村人からルナを守るのが当然だったんじゃないか。
けれど、父親は最初からいない。だから、自分が余計な手を出し、大きな代償を払ってスキルを与える羽目になった。
(……だんだん腹立ってきた)
散り散りに逃げていく村人たちを横目に、リヒトは夜空を仰ぐ。
(どうせ天界にはすぐ帰れねえ……)
空を見上げながら、一つ息を吐く。
(なら──あいつの父親を探し出して、一発ぶん殴ってやる)