4 厄日は続く
「……っ!?」
ルナが目を丸くする。焚き火のはぜる音に混じり、もう一度悲鳴が届いた。
リヒトは眉をひそめ、立ち上がる。
「……あっちからだな」
彼が指さした方角。木々の隙間から覗く闇に、煙が立ち昇っている。
ルナの顔が青ざめる。
「……村、だ……」
***
森を抜けて開けた瞬間、二人の視界に『赤』が飛び込んできた。
村が──火の海に包まれていた。
炎が、家々を舐めるように燃え広がる。
逃げ惑う人々。泣き叫ぶ声。怒号。
「……みんな……」
ルナは震えながら両手を胸に抱きしめた。
炎のとどろきの合間に、耳障りな声が飛び込んでくる。
「ギャハハ! 男は殺せ! 女は犯せ! ガキはさらえぇ!」
剣を振りかざす影が、村の中で住人たちを追い立てていた。
── 野盗。その背後では、倒れ伏す男の亡骸、泣き叫ぶ母子が火に照らされている。
ルナの村は、どうやら野盗の襲撃にあったらしい。
リヒトが横目でちらりと少女を見る。
「ざまあみろって感じだな、ルナ」
彼が問いかけても、彼女はなにも答えない。口元がわずかに動くが、声にはならない。
うつむいたまま、唇を噛みしめていた。
しばらくの沈黙のあと、小さく首を横に振り──そして、泣きそうな顔を上げる。
「……かみさま……たすけて、あげられない?」
「…………は?」
リヒトは予想もしなかった言葉に、思わず目を瞬かせる。
「ど、どういうことだ? お前、散々あいつらにいじめられてたんじゃないのか」
「でも、だからって……こんなの、ダメだよ」
彼女の声は震えている。
『汝の敵を愛せよ』どこかの神様が説いたその精神は、リヒトではなく少女の方に宿っていたようだ。
「はぁ? ルナ、お前どうかしてるぞ。それに、なんで俺が人間ごときを助けなきゃならん」
「おねがい……」
今にも泣き出しそうな瞳を見て、リヒトは思わず言葉に詰まる。
いつの間にか、神様はその少女にちょっぴり情が移ってしまっていた。大きくため息をつきながら、頭をかく。
「…………あーくそ。わかった、わかった、やればいいんでしょやれば……めんどくせえ……」
***
「終わるまで隠れてろ」とルナに指示し、ゆっくりと村の入り口で暴れている野盗の群れの前へ歩み出た。
燃えさかる炎、影が地面に伸びる。
「おい、なんだあいつ……」
「エルフみたいな野郎だな……売ったら金になるんじゃねえか?」
野盗たちが武器を構え、リヒトを取り囲む。
その瞬間、リヒトの姿がふっと揺らいだ。次の刹那、最前列の男の顔面に拳がめり込む。
──ドシンッ!
巨体の男が地面に沈んだ。
あまりの速さに、誰も反応できなかった。
「……あー『神通力』の雷とかで一気に全員焦がしたいのに……いちいち殴るのめんどくせえ……」
つぶやくと同時に、リヒトの膝が別の男の腹を突き上げた。
野盗が折り畳まれたように崩れ落ちる。
「こ、この化け物が──!」
後方から剣を振り下ろそうとした男に、リヒトは振り返りもせず肘を打ち込んだ。
「ひ、ひいい……」
恐怖に駆られた野盗たちは、次々と後退する。
そのとき。
村の奥から、ずしりと重い足音が響いた。
「──何を騒いでやがる」
大男が、肩に大剣を担いで現れる。
筋肉の塊のような腕。片目には傷跡が走り、ただ立っているだけで周囲の空気が圧されるようだった。
「親分が来たぞ!」
残っていた野盗たちの目に、希望の光が差す。
大男はリヒトを値踏みするように見下ろし、口の端を吊り上げた。
「多少はやるようだが......俺を相手にして無事でいられると思うなよ」
リヒトはその姿を見て、場違いにも昔暇つぶしに読んでいた『マンガ』を思い出す。
「……北○の拳出てたか?」
「ああ? なに訳のわからねえこと言ってやがる」
言葉の終わりとともに、大剣がリヒトの頭上に振り下ろされた。
すんでのところで横へ飛ぶ。刃が地面をえぐる轟音。
次の瞬間には、頭目は間合いを詰め、巨腕を振るう。
リヒトは正面から拳を合わせた。
「おらぁッ!」
大男は余った腕で、再び大剣を振り下ろす。
だが、彼は一歩踏み込んだ。
刃の軌道をすれ違うように潜り込み、力を込めて顎を突き上げる。
ゴッ、と鈍い音が響き、頭目がふらつく。
「がっ、ぐぅ……!」
その隙に追加で繰り出されたリヒトの拳が、真っ直ぐ鼻っ柱を砕き、巨体を後方へ吹き飛ばした。
「……こんなもんか」
余裕綽々とした様子で告げ、彼は背を向けた。
だが、その瞬間。
「舐めるな小僧ォ!」
大男は立ち上がる。砕けた鼻から血を噴きながら、怒りを拳に込めて振りかぶった。
気配に気づいたのは、リヒトよりも早く──
「かみさま! あぶない!」
近くに隠れていたルナが飛び出した。
小さな体が迷いなく、二人の間に滑り込む。
「──バカッ!」
振り返った声が、鋭く響いた。