10 小悪魔の微笑み
「いい加減にしろ、このクソガキ!」
脇から飛び出した屈強な護衛たちが、少年を容赦なく突き飛ばした。
小さな身体は軽々と宙を舞い、石畳に叩きつけられる。転がった先は──リヒトとルナの足元だった。
「うっ……」
追い討ちのように、人々から冷ややかな視線が送られる。
誰一人、手を差し伸べようとする者はいなかった。
小さな体を震わせ、必死に涙をこらえる少年。
── だが、その中で一人だけ、膝を折って目線を合わせてくる少女がいた。
「……だいじょうぶ?」
赤い瞳が真っ直ぐに彼を見つめる。
その声音には、ただ純粋な心配がにじんでいた。
「……っ」
少年は思わず言葉を詰まらせる。
胸に押し込めていた孤独が、不意に揺さぶられた。
「うっ……うっ……うわあああん!」
気づけば、大粒の涙が少年の頬をつたい始める。
「おい貴様ら! うるさいぞ! 知り合いならさっさとそのガキを連れて失せろ!」
その泣き声に、先ほどの護衛が三人に向かって怒声を浴びせてくる。
「人間の分際で俺に指図するか……。一度、わからせてやる必要がありそうだな」
そう言ってボキボキと拳を鳴らすリヒト。その物騒な気配に、ルナが慌てて袖を引いた。
「かみさま。いらぬトラブル、よくない」
少女は大人と少年の腕を引いて、広場の隅にあるベンチへと歩き出す。
***
「……おちついた?」
やがて、泣き止んだ少年にルナは優しく問いかける。
慈愛の精神は、リヒトの代わりにこの少女が持っている。さしあたり、神の隣に立つ天使のポジションである。
「……グスッ。うっ、うん」
少年はかすれた声で答え、袖で乱暴に目元をこすった。
「なにがあったの?」
少し間を置いてから、ルナは静かに尋ねる。
「俺の母ちゃんが……病気で……動けなくなって……そしたら役所の連中が連れていったんだ……ルールだとか言ってよ……」
少女が眉をくもらせる一方で、リヒトは何も気を使わない様子で口を開いた。
「塔の中で人間から魔力を吸収しているのか? この街の魔導具をまかないきるには、途方もない数が必要だと思うが」
「......塔の中がどうなってるか、知らねーんだ......『塔へ召される』としか教えられてない......」
そう言って、少年はうつむいた。
しばしの沈黙が降りる。
「......悪かったな、迷惑かけちまって」
やがて、少年はそう言って立ち上がろうとする。
だが、左ひざにズキンッと痛みが走った。
「……っう!」
思わずうずくまり、ひざに手を当てる。
赤黒い血がにじんでいた。先ほど突き飛ばされたときにすりむいたのだろう。
「……ケガしてる」
その様子を見て、心配そうにルナはつぶやいた。
「……大したことねー、唾つけときゃ治るだろ」
そう言って再び立ち上がろうとするが、次の瞬間、彼女の指先に小さな炎が灯った。
その炎を、不意に傷口にあてる。
「うわっ! い、いきなりなにすんだ! 熱っ……く、ない……?」
焼ける痛みどころか、むしろ陽だまりのような心地よい温もり。
炎は穏やかに、その傷を癒やしていった。
『不死鳥の加護』──その炎には、傷を癒やす効果もある。
血が止まり、皮膚が塞がった。
少年はぽかんとしたままその箇所をしばらく見つめていたが、やがて思い出したかのように口を開いた。
「……あ、ありがとう。……お前、魔法使いか?」
「ふしちょう」
「どゆこと!?」
戸惑う少年をよそに、ルナは口を開く。
「もう、いたくなくなった?」
「......お、おう」
「なら、よかった」
ルナはそう言って、安心したように微笑みを浮かべる。
白銀の髪が日を受けてきらめいた。
(か、可愛い......)
唐突に、少年は目の前の少女が異性であることを意識してしまった。
そもそも一人だけ自分の心配をしてくれた女神のような人物だ。そこに可憐さも加わってしまえば、好感度ゲージは当然振り切れることとなる。
顔に熱がこみ上げ、どうにも視線を合わせられなくなった。
「な、なあ!」
戸惑いを誤魔化すように声を張り上げる。
その勢いも途中でしぼみ、ゴニョゴニョと口ごもりながら続けた。
「……名前……聞いてなかったな……」
ルナは急な大声に少し驚いた表情を見せたが、すぐに答えた。
「ルナ」
「ルナ……ルナ、か。俺は……ウィルだ」
名を告げたものの、それ以上の言葉が出てこない。
また会いたいと思ったが、言葉にできなかった。
「ウィル、なぜそんなに顔が赤い?」
「......う、うるせえ! 熱があんだよ!」
察することをしないリヒトが口を挟む。少年は慌てて誤魔化した。
「......だいじょうぶ?」
ルナはそう言うと、何でもないことのように自分の額をウィルの額に合わせる。
「ほんとだ、すごいあつい」
「........................................................................ふぇ」
情けない声も漏らしたウィルは、ふらついたかと思うと......バターンッ!
「うお! いきなり倒れたぞ!」
慣れない刺激は、彼の許容量を簡単に超えてしまった。
無自覚に少年をもてあそぶ、ルナの小悪魔的才能が初めて発揮された瞬間だった。




