第7話 忘れてしまったことは、2年間の記憶ではない
「おはようございます。ソフィアさん」
「お、おはようございます……」
朝起きて、食堂に向かうとすぐにレオンハルト様と会った。
その瞬間、バクバクと心臓が勢いよく鳴り始めた。
この間から私の心臓がおかしい。レオンハルト様を見ると、ドキンと心臓が跳ねるようになったのだ。
ふとした瞬間に彼が笑顔を見せた時なんか大変だ。心臓が暴走したようにずっとドキドキと音が鳴り止まないのだ。
私の様子がおかしいことに気づいたのか、レオンハルト様が顔を覗き込んできた。
「ソフィアさん? 大丈夫ですか、どこか具合でも悪いのですか?」
「だ、だ、だ、大丈夫です!」
だめだわ。顔が近づくと更に心臓が破裂しそうになる……っ。
「わ、私、先に食堂に行きますね……!」
「……」
私はすぐにレオンハルト様から距離を取って、駆け足で食堂へと向かった。
こんな感じで微妙にレオンハルト様と顔を合わせるのを避ける日々が続いていた時のこと。
「ソフィアさん」
「は、はいっ⁈」
朝食を食べ終わったところで、レオンハルト様が私の名前を呼んできた。私は動揺が悟られないように冷静を保ちつつ答える。
レオンハルト様は私の様子に気づいているのかいないのか……いつも通りの笑顔で私に手紙を差し出してきた。
「ソフィアさんの友人から手紙が届いていましたよ。どうやら今日会いたいみたいです」
「友人?」
私が手紙を受け取って、宛名を見る。そこに書かれていたのは、幼なじみの名前だった。
「レティア姉さんから……! わ、嬉しい!」
レティア姉さんは、三つ年上の女性で幼なじみだ。領地が隣同士で歳が近いこともあり、よく遊んでもらうことが多かった。
彼女からの手紙には「久しぶりに会いたい」という旨が書かれていた。
「あの、彼女と会ってきてもいいですか? 今日会いたいみたいで、ここに迎えに来るって言ってるんですけど……」
「もちろんです。ソフィアさんの大切なご友人ですからね。楽しんできて下さい」
「ありがとうございます!」
ということで、久しぶりに友人に会うことが決定した。
⭐︎⭐︎⭐︎
その後、すぐにレティア姉さんは私を迎えに屋敷にやって来た。
「ソフィア、久しぶり!」
「レティア姉さん、久しぶり……!」
錆色の髪に瞳、大きな瞳から快活な印象を受ける彼女は、私の憧れのお姉さんだったりする。
私が久しぶりの再会にもじもじしてると、レティア姉さんがニコッと笑ってこちらに手を伸ばした。
「相変わらず可愛いわねぇ、私のソフィアは〜〜!」
レティア姉さんは私の頭をぐりぐりと撫でる。くすぐったい。
「も〜、やめてよ。レティア姉さん」
「ごめんごめん。それじゃあ、今日はこの辺で流行りのスイーツ屋さんに行こっか。気になってるところがあるんだよね!」
「うん。一緒に行こう」
「はーい。それじゃあ、レオンハルト様、ソフィアを借りますねー!」
「はい。気をつけて行ってきて下さい」
そうして、私とレティア姉さんは領地のフルーツタルト屋さんに行った。それぞれ好きなタルトを注文して、一息つく。
そして、さっそくレティア姉さんが話を切り出した。
「それにしても大変だったみたいだね。記憶喪失なんだって?」
「あ、うん。そうなの。2年間分の記憶を失っちゃって……」
レティア姉さんには、レオンハルト様があらかじめ事情を説明していてくれたらしい。
出かける前にレオンハルト様は「レティアさんは信用できる人ですし、会話に齟齬があっては困りますから」と言っていた。私のことを考えてくれて、本当にありがたい限りだ。
「2年って、あのクソ男と別れた後じゃない。つまりレオンハルト様のことも忘れちゃったってこと?」
「うん。実はそうなの……」
「じゃあ、大変だったんじゃない? 急に知らない男の人と結婚していたっていう状況でしょ? 混乱しなかった?」
「うん。実はそのことなんだけど……」
私は記憶を失ってからの1週間ほどの生活について彼女にかいつまんで話した。レオンハルト様がどれだけ私に尽くしてくれているか、どれだけ優しくしてくれたか……。
そして、最近の私の不整脈のことも話したんだけど……その瞬間、レティア姉さんがずいっと身を乗り出した。
「それは恋でしょ」
「こ、恋⁈」
「恋に決まってるわ。だって、レオンハルト様に優しくしてもらって、ある日突然、ドキドキするようになったんでしょう? 恋以外あり得ないから」
「で、でも……私にとって婚約破棄はたった1週間前のことなのよ。それなのに、もう心変わりするって……」
「あはは」
「な、なんで笑うの?」
レティア姉さんはクスクスと笑っている。
「それ、記憶喪失前のソフィアも言ってたなって思って」
「え?」
「婚約破棄から数ヶ月経ったくらいの時かな? レオンハルト様に惹かれているけれど、婚約破棄して間もないのに不誠実なんじゃないかって相談されたの。あっちが婚約破棄してきたんだから、自由なのにね」
「え、えぇ……。でも、その時は数ヶ月経ってるんでしょう? 今は1週間かそこらで……」
「記憶を失っても、二人の積み重ねは消えなかったってことでしょ。だって、ソフィアが“いいな”って感じた部分って、レオンハルト様が2年間優しくしてくれたっていう実感でしょ?」
「た、確かにそうだけど……」
確かに彼女の言う通りだ。レオンハルト様が婚約破棄された私の傷を癒してくれたんだと気づいてから、私の心臓は高鳴り始めた。
記憶を失っても、確かに積み重ねたものは失わなかったということだ。
私が難しい表情で考え込んでいると、レティア姉さんはクスッと笑った。
「じゃあ、後はレオンハルト様に好きだーって伝えるだけね」
「そ、それはまだ恥ずかしいというか……!」
「あはは。ソフィアは恥ずかしがり屋さんだなぁ」
レティア姉さんは私の頭を優しく撫でる。彼女には敵わないなぁ。
「私の話ばっかり聞いてもらっちゃったね。レティア姉さんの話をしようよ」
「えぇ、そんなに気にしなくてもいいのに」
「ううん。私だって、レティア姉さんの話聞きたいもの」
そういえば、レティア姉さんに最後に会った時は何を話したっけ?
そうだ。最後に会った時は、レティア姉さんは結婚したばかりでラブラブの時期だったはずだ。記憶がところどころ朧げだけど……惚気話をたくさんしてくれた覚えがある。
私は記憶を2年間失っているから、あれから2年経っているはずだ。旦那さんは元気だろうか。もしかして、もう子供も生まれていたりするのだろうか。
「レティア姉さんは、結婚生活はどう?」
「もうラブラブよーっ! だって、まだまだ新婚だもの」
新婚?、と疑問に思いつつも話を続ける。
「レティア姉さんが幸せそうなら嬉しいな。もしかして、もう子供も生まれたりしてるの?」
「子供は、まだね。まあ、結婚してから半年も経ってないし」
「え?」
「え?」
半年も経っていない?
でもレティア姉さんと最後に会った時に結婚の報告を受けたのだ。それから2年以上は経過してるはずなのに……。
その時、真剣な表情でレティア姉さんが口を開いた。
「ねえ、私、2年前には結婚してないわ」
「え?」
「結婚したのはほんの数ヶ月前。そのことをソフィアに報告したのも数ヶ月前なのに……なんでソフィアはそのことを知ってるの?」
「え、え?」
「ソフィア、本当に記憶喪失なの……?」
2年間の記憶は何も覚えていないはずだ。はずだったのに……。
これは一体、どういうことなの……?




