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第6話 あなたがいてくれたから


 目の前には私から婚約者を奪ったルナさんがいた。


 なんでこんなところに、とか。どうして話しかけてきたの、とか。そういった言葉が次々に浮かんでは、声にならずに消えていく。


 心臓がバクバクと鳴って、何も話すことができない。


 私が言葉を発することができないのをいいことに、ルナさんはペラペラと言葉を紡いだ。


「あんたって本当にムカつく。自分は何でもできますみたいな顔して、自分一人でできますっていう態度をしていて。それだからカイン様に捨てられたのよ。ねえ、そのこと理解してるのかしら?」

「……」

「まあ、でもあなたからカイン様を奪えたから、もうあなたのムカつくすまし顔なんてどうでもよかったのよ。どうでもよかった。そのはずだったのに……っ」


 彼女はぐっと顔を歪めて、私の肩を掴んだ。


「あんた、カイン様に何をしたのよ!」

「……え?」

「突然、カイン様がソフィアとよりを戻すって言って、私を家から追い出したのよ! あんたが何かしたんでしょ!」

「わ、私、何も知らな……」

「嘘つくんじゃないわよ! そうじゃなきゃカイン様の行動に説明がつかないじゃない!」

「……っ」


 本当に何も知らない。というか、知りようがない。だって、私は2年間の記憶を失っているのだから。


 でも、今更カイン様が私とよりを戻したがってるってどういうことなの……?


「いい加減、話しなさいよ!」

「本当に私何も知らなくて……っ」

「分からないなんてことないでしょう⁈ この、あんたなんて……っ」

「きゃっ……」


 ルナさんが私の髪の毛を引っ張って、拳を振り上げた。

 思わずぎゅっと目を瞑ったが、覚悟していた衝撃はこなかった。


「ソフィアさんに何をしているんだ」


 レオンハルト様が彼女の腕を掴んで止めたからだ。彼は冷たい目つきでルナさんを睨みつけている。いつも笑顔の彼がこんなに怒っているなんて、見たことがない。


「あ、あんた……っ」

「さっさと失せろ」

「く……っ」


 レオンハルト様の迫力に押されたのか、ルナさんはすぐに私達の前から去って行った。


「ソフィアさん、大丈夫で……」

「……ぅ」

「ソフィアさん!」


 怖いくらいに心臓がバクバクと鳴っていて、息が苦しい。うまく息を吸うことができなくて、何回も空気を吸い込んでしまう。


 段々と目の前がチカチカしてきた。


「ソフィアさん……っ、すみません体に触りますね」


 そう言って、レオンハルト様は私を抱き上げた。彼は私を抱えて、馬車のあるところに戻った。


「屋敷まで、早く」

「は、はい。わかりました」


 そうして、私達は屋敷まで戻って行く。


 帰宅してすぐにレオンハルト様はベッドに連れて行ってくれた。


 私は息が苦しくて、ベッドの上でうずくまることしか出来ない。


「レオ……さ、ま……ごめ……っ」

「話さないで。無理しないで下さい。過呼吸になってますから」


 レオンハルト様の言葉に頷く。彼は少し迷ったそぶりを見せた後、申し訳なさそうに口を開いた。


「すみません。少しベッドに入ります。何もしませんので」


 え。


 そう思う間もなく、彼はベッドの上で私を抱き寄せた。そして、小さな子供をあやすように、彼は私の背中を優しく撫でる。


「大丈夫です。ソフィアさんが怖がる必要はありません。僕がついてますから」

「……っ!」

「大丈夫です。ソフィアさんに悪いところなんて何もありませんから」


 彼の言葉に肩の力が抜けて行くのを感じた。


 彼の手が温かくて、安心する。何故だか、ずっとこうしてもらっていた気がする。


 甘い甘い温もりに、徐々に心臓の音が落ち着いった。そのことに安心して、私は浅い眠りに落ちていったのだった。



⭐︎⭐︎⭐︎




「大変ご迷惑をおかけしました……っ」

「いえいえ、大丈夫ですよ」


 目が覚めてすぐに自分の醜態を思い出した私は、隣で手を握ってくれていたレオンハルト様に頭を下げた。


 レオンハルト様は笑顔で許してくれたけれど、私は恥ずかしさでいっぱいだった。


 少しのことで泣いてしまってあやされるなんて、小さな子供じゃないんだから……っ。


 しかも眠っている間ずっとそばにいてもらっていたのも申し訳なくて、私はガクッと項垂れた。


「すみません……」

「本当にソフィアさんが謝ることじゃないんですよ。僕がやりたくてやっただけですし」


 そう言って笑う彼に、私は気になっていたことを聞いてみる。


「もしかして、こういうことって結構あったのですか……?」

「え? どうしてそう思うのですか?」

「何となく、そんな気がして」


 何となく彼の温もりに覚えがあったような気がしたのだ。彼が私の失った記憶なのかどうか分からないけれど……。


 レオンハルト様は逡巡の後、頷いた。


「そうですね。ソフィアさんは婚約破棄された後ひどく傷ついてしまい……。精神的に不安定になることが多かったんです。その度にソフィアさんが眠れるまで僕がそばにいることもありました」

「そうだったのですね……」


 だから、記憶を失って目覚めた日に「添い寝の必要はないか」と聞いてきたのか。私が不安定になっていないかを心配してくれていたということだ。


 そういえば、目覚めてからカイン様のことを思い出はことはあっても、落ち込むことはなかった。私の記憶上では婚約破棄されて翌日なのだからもっと傷ついてもいいはずなのに……すんなり事実を受け入れていた。


 それは目の前のこの人が私をずっと慰めてくれていたからで、記憶を失っても癒えた心は変わらなかったからなのかもしれない。


 記憶を失ってからもそうだ。


 この人はずっと私を励ましてくれていた。


『ゆっくりでいいので、知っていって下さい。僕がどれだけソフィアさんのことを好きなのか』

『今日から一週間休暇を取りましたから。これから毎日一緒に食べられます』

『ソフィアさんが卑下される必要はないんです。もっと自信を持って下さい。僕にとってソフィアさんは最高の女性なんですから』


 婚約破棄されて目覚めたら2年間の記憶を失っていたという、不安で仕方がない状況。そんな中でも穏やかな気持ちで過ごせたのは、この人がずっと優しい言葉で私を励ましてくれたからだ。


 それがどれだけありがたいことか……計り知れない。


「それじゃあ、僕は自室に戻るので、ソフィアさんはゆっくりしていて下さい」

「あ、は、はい!」


 思考に耽っていたら、突然レオンハルト様に話しかけられたので、慌てて頷く。


「何かあったらいつでも呼んでください。ソフィアさんのためなら、すぐに駆けつけますので」


 そう言った彼の笑顔に、ドキンと心臓の跳ねる音がした。


 あら? あらら?


 レオンハルト様に慰められて落ち着いていたはずの心臓の音がうるさい。


 でも、息もできなくなるほどの苦しさはなくて……甘やかな幸福感に包まれていくような、何かが始まった合図のような、そんな感覚がした。


 レオンハルト様が部屋から去って行っても、その感覚は消えなくて……。


『小さな出来事で一瞬で心を持っていかれて、その人のことが頭から離れなくなってしまう……。恋ってそういうものですから』


 最後に思い出したのは、レオンハルト様の言葉だった。

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