ハンスと言う男の話
マッチ売りの少女?の前日譚の様なもの。
「お前の娘を嫁にくれ」
幼なじみのハンスは、小さい頃からことある毎にそう口にしていた。
魔力を持つ人間は、お互いの陰陽を補い合う「番」と呼ばれる存在がいる事はこの国に生まれた者であれば誰でも知っている事ではあるが物心ついたばかりの幼子が第一声に「パパ」でも「ママ」でもなく言う言葉ではないのはハンスより5歳歳上のエミリアにも分かる。
孤児であるハンスの親代わりである神父も困った様な顔をして、「まだ、結婚するのかも、子どもが生まれるかも分からないでしょう?」と窘めていた。
目の前の3歳児は「絶対に、お前の娘でないと嫌だ」と神父の発言もスルーして舌っ足らずな口調で言った。
嫁発言以外は至ってまともな、魔術に興味のある子どものハンスは分厚い魔導書を絵本代わりに読んでいた。
その魔導書は国で知らない者はいない大賢人クリスチャンが描きあげたもので、宮廷魔道士すら読み解くのが難しいと言われているものだったから、「もう少し易しい魔導書にしたらどうかしら?」と言えば「そんなものはとうの昔に読み解いた」と返ってきた。
「エミリアは、精霊をご存知でしょうか?」
「ふるい御伽噺や、聖書に出てくる賢人達でしょう?魔術が人の手に渡り人の時代になった時から世界から姿を消したと習ったわ」
「ええ、その精霊です。この国の大賢人クリスチャンも精霊の血を引いていた、と言われていますね」
魔王と、魔王率いる魔族に立ち向かう術として精霊は人に魔術を齎した。
精霊が鍛えた聖剣を持った勇者が魔王と魔族を討伐した事で世界は平和になり、いつしか精霊は物語の中だけの存在になった、と伝わっている。
「彼等は長い寿命と優れた知識を持つ為に繁殖能力が大きく欠落していて緩やかに滅んだとも言われています。
そんな彼等が、次代に技術を繋ぐ為の術として生み出した概念が番であり、精霊の生まれ変わりだと考えられている大きな魔力を持つ魔術師同士に番が発生し易い理由だと言われています」
そんな御伽噺なものではないのだがな、とふたりの会話を聞きながらハンスは思う。
そもそも、番と言う結び付きを持つのは魔王と恐れられた自分と、1000年掛けて凍てついた心を溶かしたエミリアが産む予定の娘だけの筈なのだが、自分達が死んで長い長い時間が経った結果拡大解釈されたみたいだと思うのだった。
『クリスー!!あーそーぼー!!』
『帰れ』
その娘、ルツは精霊には珍しく人間に近い好奇心を持っていて、魔王の居城に散歩感覚で入り込み、毎日飽きもせずに遊んでくれとねだって来た。
絶氷の城をぺたぺたと素足で駆け回り、朝の早くから太陽が地平に沈むまで後ろを着いて回り、―――最初は鬱陶しいと思っている様だったが、いつしかほんの数日でも姿が見えないと城の温度がグンと下がる程機嫌が悪かった、と仕えていた魔族達は口を揃えて言っていた。
『毎日、よくも飽きもせず話しかけてくるな』
『だって、クリスはお返事してくれるもん』
「あたし、生まれて直ぐ人間に捕まって180年くらい人間のお屋敷で奴隷をしてたんだよー」とあっけらかんと言うルツの体を良く見れば、あちらこちらに旧い傷跡があった。
鞭で打たれた跡、剣で切りつけられた跡、―――そして、ぽっかりと空いている左目があるべき筈の空洞。
腹の底から煮えくり返る程の怒りと、―――魔族に堕ちてもおかしくはないルツがどうしてこんな風に笑っていられるのかと言う疑問。
そんな表情を読み取ったのか、ルツはにっこりと笑って言った。
『クリスは覚えてないかもしれないけどね、奴隷だったあたしを助けてくれたのはクリスなんだよ』
それは、遠いむかし。
聖書や御伽噺には「魔王に攻め込まれた」と記されているとある「敬虔な神の信徒の街」を魔力の暴走で滅ぼしてしまった事がある。
その街で「敬虔な神の信徒」である時の教皇の奴隷として、教皇の顔色を伺いながらいつ暴力を振るわれるのかと怯えて暮らす日々が終わりを迎えますように、と願っていたルツは一瞬で廃墟と化した街で感謝していたらしい。
『だから、一方的でもお礼がしたかったの。だって、精霊も魔族も、元は同じだし。お話ししたら分かってくれると思ったの!』
―――その笑顔に心を射抜かれた魔王はこの娘を生涯かけて、否、来世に渡るまで幸せにしてやろう、と考えて番の契りを結んだのだった。
来世の母体と種馬となる魂を見付けだし、生まれ変わったら必ずキミを嫁にしようと言うふたりだけの約束が番の契りなのだが。
「まあ、わざわざ夢を壊す理由もないな」
ハンスはそう呟いて、別の世界に迷子になっているルツの魂をこちらの世界に呼び寄せる為にクリスチャンが遺した魔導書を読み込むのだった。
「や、家族構成もっとまともに出来なかったの?」
「ただの平民のまともな夫婦は26も歳の離れた男に娘を差し出したりはしないだろうが」