未来装置
暗闇に覆われた広大な空間に、無数の箱型の機械が置かれている。箱の上部は透明になっているが、暗闇のために中身を窺うことはできない。しかし、明かりがつけられれば、そこには眠っているかのような人間が入っているのが、わかるだろう。
そんな空間の一角に、かすかな明かりが灯っていた。一人は、白衣を着た女。もう一人は、こちらもまた白衣を身に着け、電気式のランタンを片手につるしており、二人は一つの箱を挟むように立っていた。
「なあ、私たちがやっていることは、必要で正しいことだと思うかい?」
「なに言ってるんですか、主任。死が迫っている人の身体の状態を止めて、未来に託す。今の絶望しかない世界を生きる人には、主任の働きは希望となっているんです。そんなこと言わないでくださいよ」
女の自嘲気味な問いに、男が励ましつつ答える。助手と呼ばれた男の言葉が、箱の中の人々の現状を表す。
「ははっ、そうだな。私たちは希望なんだ。一度始めたからには、役割をこなさないとな」
男の上司である女は、そう言って手慣れた様子で出口のほうへと、暗闇を歩いていく。
「君は先に研究室に戻っていてくれ。私は上と話がある」
「了解です」
男は、部屋を出ていった女を見送ると、箱の中の人間を一瞥すると、すぐにその部屋から出ていった。
「にしても、主任のあの技術は一体どうなってるんだ?」
研究室に戻った男は、ふと疑問を口にする。
人々には、命を未来に託す装置、「未来装置」もしくは単に、「延命装置」と呼ばれている先ほどの箱は、先ほどの女が開発、実用化まで手がけたものだ。しかし、その仕組みは助手にすら伝えられておらず、国の上層部しか知らない。男も共に延命作業に携わる傍ら調べてはいるが、主に女が行うため詳しいことは分からずにいた。
「そろそろ教えてくれたっていいと思うんだよな」
現在、助手は男一人のみ。その男が手順を知らないのだから、女が作業不可の状態になれば、延命措置が滞る。
男は、この仕事に誇りを持っている。人々の希望となるのは、悪い気はしない。それに、生来の責任感から「未来装置」が使えなくなる状況を不安に思っていた。
「戻ったぞ」
「あ、主任。おかえりなさい」
先ほどまでの思考を振りほどき、主任を出迎える。
「君にいい知らせがある」
「いい知らせ?なんですか?」
「明日から君に『未来装置』の使い方を伝授することになった」
「ほんとですか!」
先ほどまでの望みが叶うことを告げられ、男は喜びの声をあげる。微笑ましそうに、しかしどこか申し訳なさそうな顔で女はそれを眺めていた。男は、喜びに満ちており、女の視線に込められた感情には気付かない。
「明日からは忙しくなるぞ。なにせ『未来装置』は人々の希望だからな」
「どんとこいですよ」
なぜか得意げな顔をして、胸を張っている男の頭に、女が手刀を落とす。
「いたっ!なにするんですか!」
「あまり調子に乗るなよ。とにかく今日は部屋に戻ってさっさと寝ろ。ゆっくり寝られるのは、今日が最後かもしれないからな」
「わかりましたよ」
男はあまりない荷物を手早くまとめると、まだ少し落ち着きがない様子で、部屋を出ていく。
「お疲れ様でしたー。やっぱ教えるのやめた、とかはなしですよ」
「そんなことするわけないだろう。上の許可も取ってある」
「ならよかったです。では」
「ああ、また明日」
部屋の扉が閉じられると同時に、女の顔から笑みが失われる。
「すまんな……」
それは一体なにに向けられた言葉なのだろうか。その言葉を口にして以降、女はなにも言うことはなく、明日とその先に向けた作業を進めていった。
翌日、男は普段は入室を禁止されている延命措置を行う部屋に呼ばれていた。思わず鼻歌を歌ってしまうほどに高揚している。「未来装置」を自分の手で使う。人々の希望になる。それは人によっては重荷となってしまうかもしれない。けれども、この男はそのようなことは気にしなかった。
「お、来たな。そこに座りたまえ」
先に部屋で待っていた女は、男の到着に気がつくと、椅子に座るように促し、自身は立ち上がり扉に鍵をかけた。部屋には上部が透明な箱、「未来装置」が一台と椅子が二脚置かれている。
「最後に一応確認しておこう。『未来装置』の詳細を知ったら後戻りはできない。今ならまだやめられるが、どうする?私としては、ここでこの部屋から出ていくことを勧めるが」
「やるに決まってるじゃないですか。なんでそんなことを聞くんですか?あ、もしかしてその立場を独占したいからとか?」
「ああ、そうかもしれんな」
少しふざけてそう言いつつも男は疑問に思う。女は男が言うような保身のための言葉を述べる人物ではない。しかし、その疑問は希望となる興奮に勝るものではない。
「さて、確認も取ったところで説明を始めよう」
女が男の向かいに座り、男は背筋を伸ばして話を聞く態勢をとる。
「まず始めに、『未来装置』は延命措置ではない」
「はい?」
「『未来装置』は殺した人間の死体を綺麗な状態で保管しておくだけのものでしかない。よって、装置の中に入っている人間が未来に再び動き出すことは決してない」
「ちょっと待ってください。何を言ってるんですか?」
男は思わずといった様子で、女に疑問をぶつける。
「死体を保管してるだけ?未来で動くこともない?それに、殺したってどう言うことですか?」
「なにもそのままの意味だ。我々の技術では死に瀕した人間を救うことはできなかった、というだけの話だ。健康な人間ならば、身体活動を抑制して、その後に目覚めさせるということはできたのだが、死にかけの人間では、抑制したとしてもすぐに死んでしまうのだよ」
取り乱した男とは対照的に、女は淡々と、ひどく冷酷に、残酷な事実を男に告げていく。「未来装置」は人々が求めた未来へ繋ぐ希望の装置ではない。むしろ、「未来装置」を使うときに殺されるのならば、死が早まっているとさえ言える。
「どうした、そんな暗い顔をして。ああ、自分が人の死に加担してたと心配でもしてるのか。安心するといい。どうせすぐに死ぬ命だったし、直接殺したのは全て私だ。君は誰も殺していなかった。まあ、これから君も人間を殺すことになるが、気に病むことはない。先ほども言ったが、なにもしなくとも死ぬのだからな」
女のあんまりな言葉に、男は声を出すことすら出来なかった。尊敬する主任が人殺しである。自分もこれから人殺しになる。そのことを受け入れられない、受け入れたくない。
「それに、実情がどうであれ、人々の希望になっているのは事実だ。殺した人間を保管しているのは、綺麗な姿を見せて、生きていると安心させるためなのだから。君も言ってくれたではないか。私がやってきたことは正しいことだ。そして、君がこれからやることも正しいことなのだ」
女は、懐から透明な液体が入った注射器を取り出して、男の手に握らせる。
「これは……?」
「これを私に打つのだよ」
袖を捲り、注射器の針と腕を近づける。
「残念ながら、私も長くなくてね。君の被害者第一号は私というわけだ」
男はなにもついていけなかった。主任は突然なにを言い出すんだ。自分が誇りに思っていた「未来装置」はパチモンで、主任は人殺しで、自分はそれを受け継がねばならぬといい、果てには主任を殺せと。そんなもの到底受け入れられない。
「いい加減にしてください!ふざけてるんですか?訳がわからないですよ。なにか病気になって、頭にまで影響が出たんですか?貴女は偉大な科学者のはずだ。人々の希望を創り出した人だ。それが全て嘘?そんなはずがない!」
「……すまない」
激昂した男に、女は先ほどまでの酷薄な顔をやめ、男を諭す。
「けれど、これは必要なことなんだ。今の人々には希望が必要。自分たちには未来があると思わせねば、生きていけない。だから、君に私の役目を受け継いでほしい。もちろん無茶苦茶なことくらいはわかってるつもりだ。だか、私は皆を救わねばならない」
主任の気迫に押され、男の怒りが引っ込んでいく。女は男に微笑むと、今となっては化けの皮が剥がれてしまった「未来装置」の蓋を開けると、他の人間がしていたように、中に入って横になる。
「君はそれを私に打ったら、蓋を閉める。そして、この装置を起動させる。やり方は簡単だ。横についてる赤いボタンを押すだけ。細かいことについては、研究室の私の机に置いてある」
女を殺す手順を男に説明すると、女は最後の願いを男に告げる。
「どうか、綺麗に殺してくれよ」