第六話 歪な影と竜
昼も過ぎ、そろそろ夕暮れになろうかという頃、家についたシュクアを義父が気怠そうに見遣る。そんな義父に軽く目配せをして、家の中へと入ろうとした直前──思わず顔を上げ、山の方へと目を向けた。
──なんだ……?
──何の声だ……?
巨大な獣の咆哮のような、それでいながら痛みに悶えるような耳障りな声。小さく、思わず聞き逃してしまいそうになるような……そうでなくとも気のせいではないかとすぐに忘れてしまう。
「ごめん義父さん、帰ったばかりだけどまた出てくる!」
「待て……」
駆け出そうしたシュクアの背中へ、義父が待ったをかける声が響く。低くも有無を言わせぬ圧を感じて、足を止めたシュクアへと義父が言葉を重ねた。
「前の刀はまだ持ってるか?」
「ああ、うん。寝具の下にあるけど……」
何を言われているのか理解できないまでも、反射的にそう答えれば義父は少し悩んだ後に付け加える。
「一応、持って行っておけ」
「……分かった」
素早く自分の部屋に戻ると刀に加えて、いくつか荷物を持って家を飛び出す。目指すのは彼がいつも狩りにいく曰くつきの山で、森の中を駆け抜けてひたすらに走り出す。
間もなく辿り着いたのはリリィスの卵を拾った場所。巨大な遺跡跡地が浮かび上がり、その前にいくつかの影が見えた。
──どういうことだ……
素早く身を低くして隠れると、茂みの影から遺跡の周りに立つそれを観察する。見たところ人影は二つ、それらは人の形をしながらどこか歪に見えた。
距離があってイマイチわからないが、恐らく人間ではないのだろう。そして何よりも、巨大な影は他でもない竜そのものだ。
更によく観察すれば竜の上には鎧を着込んだ男が跨っている。彼等はしきりに何かを話している様子で、何を話しているのか聞き取れないかと少しずつ距離を縮めていく。
しかしそれもすぐに異変に気がついた。異形の人影が発する言葉は人間のものではなく、まるで虫の羽音のように不快感を伴う音を奏でている。
恐らくは話しをしているのだろうが、その言葉の意味をシュクアは知らない。ただ不快な音が聞こえるだけで、何も得るものはないかと思った直後。
「──っ!?」
異形の二人がゆるりと振り返る。異変を感じたというよりは、何かしらの確信を得てこちらを見ている様子だ。
半身で振り返る人影が纏う外套、その背中部分が膨れ上がっているように見えた。何か詰め物がされているのか、あるいは本当に人ではないのか。
ジジっと虫の羽音のような言葉をそれぞれ一度ずつ……その背後でも竜と竜騎士がこちらへと目を向けた。
──バレた……!
まだ相当に距離があるはずだ。気配も完璧に消していて……だと言うのに、彼等の超感覚は誤魔化せなかったのだろう。
相手の脅威を見誤ったシュクアの失態だ。
素早く身を翻すと脇目も振らずに駆け出す。その背後で歪んだ人影が追いかけているのを感じた。
──クソ、マジかよ……
一分もしないうちに後ろの刺客かなりの距離を詰めてきている。森の中を縫いようにかける人影はほぼ四つん這いで、もはや人間でないことは疑いようもない。
足では勝てないと悟り、素早く身を翻すとその勢いのまま刀を引く抜く。既に眼前に迫る銀閃を弾き上げ、火花の向こう側で人影の正体へと視線を鋭くした。
──やっぱり、人間じゃない……
外套から除く黒い肌。前世で見た褐色肌などではなく、重油のような深みのある黒い肌だった。
腕は胸と脇腹から二対四本生えていて、足の関節は一つ多い。
返す刀でその胴を薙ぎ払ってやろうと振り抜くも、これまた目を疑う光景に思わずたじろぐ。なんと彼の横薙ぎは受けるでも潜り抜けるでもなく、シュクアの一人半分の高さまで跳躍して避けたのだ。
──なんだその動きッ……!?
その直後、横方向から迫る影が視界の端に映る。刹那、耳元から脳髄にまで響くような聲。──前世の時、何度となく頭の横で囁くような美しい声色。
悪魔の囁きが男の脳裏に蘇る。
眼前に映り出された無数の白い線。その一つをなぞるように刀を振り……と同時、凄まじい衝撃が腕から肩にまで響く。
どうにか人影のナイフを受けたと思ったのも束の間。再び脳髄に悪魔の声が響き、それと同時に地面に浮かび上がるのは淡く光る足跡。
無意識のうちにその足跡に合わせるようにして足を踏み出し、また次の足跡へと反対の足を伸ばす。──直後、シュクアの頬を掠めて上から落ちてきた人影の一つが振り下ろした刃物が過ぎる。
周りの音がどこか遠ざかっていくのとは裏腹に、悪魔の声はより鮮明に聞こえてきた。相変わらず何を言っているのか分からないが、その意思はしっかりと彼の中へ伝わってくる。
白い線が眼前に広がる。それを規則的になぞれば、人影が振るう刃の一つをうち払い、その反動を活かして身を翻すと示された足跡の一つに足を乗せる。
うなじに伝わる冷気を振り払うように身を低く、頭上をすぎる刃の風切り音を耳元に感じながら肘鉄を人影の鳩尾へと打ち込む。
常人であれば胃液を吐き出して動けなくなるような一撃であったはずなのに、その人影からはまるで鉄の胸当てを殴りつけたような硬い感触が伝わる。
──まさか、甲殻か……?
よく見れば奴らの体は硬い外骨格で覆われているように見えた。リリィスに似て脊椎動物と節足動物を合わせたような作り、人間離れした身体能力。
彼女と違うのは外骨格が剥き出しであることで、特に関節部分も綺麗に皮膚に囲まれた彼女とは違って奴等のは甲殻類を彷彿とさせる。
生まれ持った基礎能力がまるで違う。
驚愕に目を見開くシュクアの眼前、四本の腕を振り翳し、無数の刃が襲いくる。──しかし刹那、シュクアの脳裏に悪魔の声が響いた。
刀を僅かに上げ、半歩踏み込む。どこをどうすればいいのかまるで手に取るようにわかって、皮肉なほどの全能感に包まれながら然るべき動きを見せる。
刀の柄頭が刃を一つを弾き上げる。膂力で敵わない相手の刃を側面から叩きつけるように、相手の力すらも利用するようにその力を逸らす。
思いもよらない動きに腕に流されて、更に一つの刃が狙いを外してシュクアの身体を掠めるに止まる。それと同時にシュクアの左手が相手の手首を押さえて、更に踏み込めばもう一つの刃は敵を失ってその腕がシュクアの身体に当たるに止まる。
──取ったぞ、化け物風情が……
身を低くして人影を担ぐようにして持ち上げ、黒い身体を片割れへと投げつける。しかし驚愕に目を開いたのはシュクアの方で、その人影は飛んでくる片割れの身体を軽々と飛び越えて向かってきた。
普通の人間であれば到底避けられるようなものではないが、奴等にそんな常識は通用しないらしい。上から飛び込むようにして四本の刃を構えた黒い怪物を迫り来る中、シュクアはほぼ無意識のうちに足を踏み込んでいた。
右手に持った刀を自身の身体に隠すようにして半身に構えて、降りかかる刃を一つを躱す。更に一つを、左手で受け流し……しかしもう一つは受け切れずにシュクアの頬をハスる。
「うらぁ……!!」
それでも大きく踏み込んだシュクアは既に剣の間合いにはいない。それはなお深く内側へと潜り込み、身を反転させて打ち出すのは柄石での刺突。
強烈な手応えともに刀の柄頭は甲殻とも胸骨とも言えぬ骨格を打ち砕いて、その胸を陥没させた。耳障りな音を立てて硬いものが砕ける音が腕から伝わり、それと同時に人影は濁ったようなドス黒い血を吐き出す。
醜い人影が倒れ伏せる直前、瞼のない瞳が忌々しげにシュクアを睨みつけていた。捕食者とも猛禽類とは違う……鋭い殺意や敵意ではなく、それはねっとりとまとわりつくような害意や悪意だった。
それも一瞬のことで、地に伏せた人影にとどめを刺そうと刀を振りかぶり……その直前、近くから竜の方向が聞こえた。
思わず顔を顰めて周囲へと目を向ければ、先ほど投げた人影が立ち上がって向かってくるところだ。しかもその向こう側、森の樹木に阻まれて思うように進めないでいた巨竜が木々を薙ぎ倒して向かってくるではないか。
──時間をかけ過ぎた……
いや、むしろ身体能力で遥かに勝る敵を二人も相手に一人を無力化したと考えれば健闘した方だろう。
逃げるべきか……しかし、もう一人の刺客を無力化しなければ逃げきれない。シュクアの足では到底奴らを振り切れないだろう。
向かってくる人影を迎え撃とうと構え直すシュクアの脳髄にまたあの声が響く。素早く身を低く、そうすれば逃げ遅れた髪が数本、切り裂かれて視界の中を舞う。
考えることも疑うこともなく、素早く身体を回して刀を背後にいるであろう何かへと向けて振るった。その直後、シュクアの手首を何かが強烈に掴み上げる。
骨が軋むような痛みの中、彼の視界に映るのは胸を陥没させた人影。口の端から濁った血を流しながら、しかし奴は自力で立っていたのだ。
明らかな致命傷を受けていながら、シュクアは自身の腕を掴む細椀から逃げ出せずにいる。これだけの傷を負いながら、なおも彼を上回る身体能力は健在と言うことなのだろう。
──まったく、嫌になる……
前世でも大型の熊は心臓を撃ち抜かれても簡単には死なないと聞いたことがある。強靭な肉体を持つのならその分打たれ強く、例え致命傷を受けようともすぐに動けなくなる訳ではないだろう。
──ならば……
僅かに身を落とし、シュクアの腕を掴む人影の手首を逆に掴み上げた。疑問符を浮かべる人影を他所に軽く力を加えれば、奴の表情が苦悶に満ちて腕が解放される。
肩を外されて肩の甲殻が僅かに捲れ上がっている。不幸中の幸いか、関節技は効くようで自由になったシュクアは即座に身を翻してもう一体の追撃を避ける。
肩を外された個体も素早く関節をはめ直した様子で、二体の人影は一瞬の目配せの後、同時にシュクアへと飛びかかる。
「──っ!?」
その直後だった。木々の隙間から飛び出した一人の男が人影の一つへと斬り込む。
無論、それで殺れているようならシュクアもここまで追い込まれていない。男の打ち込みに対して、人影は超反射で斬撃を受け止めると、男の腹目掛けて空いた腕で刃を振り抜く。
しかし飛び出してきた男も相当の猛者なのだろう。愚鈍な動きながらも、まるで分かり切っているよう後ろへ飛んで人影の斬撃を外すと、逆にその腕へと反撃を見舞う。
しかし下がりながら切った弊害か、それなりの血を流しながらもその腕を断つまでには至らなかった。
それでも怯んだ人影の身体を蹴り付け、その反動を活かして更に後ろへと飛ぶ。大きく敵との距離を空けて、素早くシュクアの横へと着地する男の横顔には見覚えがあった
「ガテムさんッ!?」
「これでよく生き延びたものじゃな、坊主」
いきなり現れたもう一人の男を警戒してか、片割れの人影は追撃には出ない。それを確認して、シュクアは老兵へと言葉を投げる。
「早くしないとドラゴンが来る」
「ああ。たが、儂やお前さんの足じゃ奴等は振り切れん」
それは既にシュクアが出した結論と同じだ。
「だが、それでも逃げるぞ」
駆け出した老兵に一瞬遅れて、シュクアもまた走る。後ろでは忌々しそうに唸る人影の声が聞こえて、間もなく二人の後ろへとピッタリと張り付いた。
振り抜く刃をシュクアは反転しながら受け流す。肩を外した方の腕は動きが鈍く、胸が陥没しているせいか全ての腕が動かしづらそうだ。
加えて先程とは違って今は一対一という好条件。間もなくシュクアの刀が人影の胸を捉えると同時、視界の端ではガテムが片割れの腹に剣を刺し込んでいた。
「急げ! あっちに小川がある!」
「森から出るのは不味いんじゃ……」
「いいからいう通りにせぇ!」
「ああ、わかった!」
怯んだ人影を蹴り付けるようにして再び距離を取ると二人は駆け出す。その奥から響く竜の雄叫び、木々を破壊する音が嫌に大きく聞こえた。
振り返った見ればもう人影は満足に動くこともできないのか、先程の軽快さは失われてフラフラと頼りない足取りで追いかけてくるだけだ。
しかし問題はそれではなく、最も恐ろしいのは彼等を追い越すようして迫り来る巨大な竜だ。リリィの数倍はあろうかという体躯で、彼女と違うのは前足はなく、翼と前足が一体になっている体型だということ。
「あれはワイバーンだ。ドラゴンほどの知能はないが、それなりに知的で相応に獰猛じゃ」
「小川まで行けば逃げ切れ──」
そこで言葉が切れる。またしても脳裏に響く声……しかし悪魔のそれとは打って変わって優しい響きを持ち、何よりも焦燥に駆られた感情が伝わってくる。
「──来るな!!」
間もなく脳裏に浮かぶのは眼下の森が次々に後ろへと消えていく光景。それはリリィスの視界に映る光景で、彼女がこちらへと向かっているのだと気がつい時には無意識に叫んでいた。
──それと同時だ。彼女の声に重なって悪魔の声が響いてきて、無数の情景と鼻の奥に血生臭い匂いが充満する。
思わずあずきそうになる中で、無数の記憶が脳裏を駆け抜けた。二つの声と光景、記憶がぐちゃ混ぜになって気持ち悪さが止めどなく押し寄せる。
「ぐぁ……」
その時だ、両手を投げ出すようにして地面に転がる。何かに躓いたのかと思ったが、すぐに違うことに気がつく。
足に絡まった蔦に引き摺られて、そのまま逆さまにに吊るされる。リリィスの焦る感情とは裏腹に、その全てを覆い尽くさんとする悪魔のドス黒い感情が込み上げてきた。
「…………」
焼けつくように熱く、赤く染まった右の視界を足に絡む蔦へと向ける。身体の中から熱を奪われるような感覚と共に、触れてもいない蔦が弾けるように切り裂かれた。
「はぁ……」
──魔法か……
蔦を操る魔法を、悪魔の記憶から手繰り寄せた魔法にして相殺したのだろう。厳密には敵の方術を解いたのではなく、蔦を切っただけだがそう違いはない。
「クソ……」
地面に打ち付けられながらも刀を握り直して立ち上がる。その直前、彼の身体に何か重いものがのしかかり、地面に縫い付けた。
ザンッと頭の横に太い何かが突き刺さると同時、身体が軋むような悲鳴を上げて、痛みと苦しみに視界がちらつく。
──今度は、なんだ……?
仰向けの姿勢で身体の上にのし掛かるもの。その正体を確かめようと離れそうになる意識を縫い止めて、霞む視界で見上げた。
「ぁ……」
そして、弱々しい吐息が溢れる。巨大な鉤爪の下に敷かれて、シュクアが見上げるのは巨大なワイバーン。
獰猛で凶悪な顔が目の前にまで降りてきて、まるで値踏みするように猛禽類を思わせる瞳が彼を見下ろしていた。
低く唸るような、手を焼かせたことに苛つくような、聞く者達の不安を煽るような響きを持ってワイバーンが唸った。
恐怖が心を覆い尽くさんとする直前、悪魔の持つドス黒い感情が流れ込む。それはかつて自分が持っていた激情だ。
ワイバーンの上に乗る竜騎士が身につけた鎧。その胸元に見える帝国の紋様はどこか見覚えがあって、それに気がついた時、喉が避けんばかりに叫んだ
何を叫んだかなど覚えていなくて、ただ恐怖をも上回る激情の中でただ求めたのだ。
地面の一角が持ち上がると、それは硬質な槍と化してワイバーンの胸を突き上げる。巨体がそのまま跳ね上げられるようにして吹き飛び、背中から地面へと投げ出された。
ワイバーンの背中に乗った竜騎士が無事かどうかなど考える間もなく、自由になったシュクアは素早く立ち上がると振り返って左右上下へと視線を彷徨わせる。
「こっちじゃ」
間も無く弱々しい声が響き、足首を蔦に取られて逆さ吊りにされた老兵の姿が映る。それを確認すると、先程と同様に強く意識した。
間もなく彼の足に絡みついた蔦が切れると、受け身を取って着地する老兵が駆け寄ってくる。
「動けるか?」
「……ああ、なんとか」
異様に気怠い身体に鞭打ち、ふらつきながらも立ち上がって先を行く老兵を追いかける。
──なるほど、な……
先程の魔法を思い出して、その軽率な行為に内心悪態をつく。彼の前世でいうエネルギー保存の法則……つまるところエネルギーというのは消えることも、何もないところから生まれてくることもないのだ。
魔法で何かしらの現象を起こしたければ、どこからかそれだけのエネルギーが補填する必要があるのだろう。
蔦を切るだけなら大したエネルギーは必要ないが、ワイバーンの巨大を吹き飛ばそうと思えば大量のエネルギーが必要だ。
魔法はそのエネルギーを術者の体力で補うようだ。それ故にシュクアは大量に体力を失い、ワイバーンの鉤爪から解放された直後もガテムの手助けなしに自力では立ち上がれないほどに弱っていた。
「はぁ……はぁ……」
すぐに息も上がって、感覚が遠のく足がもつれそうになる。リリィスからの交信も途切れていて、彼女こちらへと向かっているのか、シュクアの言葉に従って距離を取って待機しているかもわからない。
「頑張れ、あと少しじゃ」
そういうガテムの声を掻き消すように、背後からけたたましい咆哮が響く。無数の木々が破壊される音が迫り来る中、二人の視界が晴れる。
「小川、じゃないのか……?」
息も途切れ途切れにそう聞き返すシュクアの眼前。広がるのは小川というには少々……否、とても小川と言えないような大河が轟々とながれていた。
「雪解けの季節はいつもこんなもんじゃ」
その川を下るようにして間もなく辿り着いたのは巨大な滝。下を覗き込むも、白く染まってどうしても底が見えない。
もはや八方塞がり、逃げ道などないと振り返った時。
「はぁ……はぁ……」
もう悪態をつく余裕もなく、森の中から現れるワイバーンをぼんやりと見上げる。苛立ちげに唸るワイバーンの上、剣を抜いた竜騎兵が目に映る。
ワイバーンの下敷きになっているかと思ったが、その鎧には傷一つとして付いていない。──それに何より、土槍に貫かれたはずのワイバーンの胸も無傷だ。
──結界か……?
土槍が胸を貫いたのなら吹き飛ぶことはない。それよりもシュクアは土槍の先がワイバーンの胸に当たる直前、透明の何かに阻まれたのを見ている。
素早く弓をつがえ、言葉を交わす間もなく竜騎兵へと矢を射る。しかしその男は剣で打ち払うでもなく、鎧で弾かれるでもなく、その身体に当たる直前に矢は尚ずとそれで言った。
「強力な結界じゃ、儂らの攻撃では突破できん」
「…………で、どうする?」
ジリジリと下がる二人の頬に熱気が降りかかる。冬が過ぎたと言え、まだまだ凍えるような寒さに覆われた山の中で、強烈な熱気を帯びた風が頬を焦がす。
チリチリとワイバーンの口元から火の粉が散って、嫌な予感が脳裏によぎる。ドラゴンやワイバーンが持つ攻撃手段と言えば、その口から吐き出す息吹だ。
「何を……?」
疑問を口にする老兵を無視して、方術を練り上げる。下げた刀の切先が地面に触れて、そこから広がるのは蜘蛛の巣状の黒電。
悪魔の記憶から引っ張り出した最大級の攻撃手段。失ったはずの力が……否、それ以上の力がどこからか流れ込む。
赤い視界の中に浮かび上がる光景がいつかの景色に重なって、下げた刀が光を飲み込む。間も無く現れたのは漆黒よりも尚深い闇色の刃で、それは黒き電を帯びて迸る。
地面に広がるのは放射状に伸びた蜘蛛の巣状の幾何学模様。そこから刀を引き剥がすようにして持ち上げ、掲げた黒刀から伸びた黒電が間もなく天へと伸びた。
ただ力の解放だけで周囲の木々は吹き飛び、ワイバーンや竜騎士が持つ結界すらも引き剥がす。
雷柱を中心として黒電が山の上に広がる空を暗く染め上げ、天を覆い尽くすほどに魔法陣が広がる。間もなく浮かび上がるのは天地の双方に刻む歪に歪んだ幾何学模様。
「裁定式罰十字──」
瞬間、ワイバーンを挟み込むようにその四方向から黒結晶の大槍が出現。地面を突き破って現れた四本の結晶槍がワイバーンを食い破り、交差するようにして衝突した。
耳を劈くような絶叫すらも審判の雷鳴に掻き消されて、哀れな羊の鳴き声は審判者に届かない。
魔法陣を形成する黒電の細線は白い光を輪郭に纏い、その魔法陣が脈打つ度に耳を劈く雷鳴が轟き、それは不協和音を奏でて遥か彼方まで響き渡る。
「──磔刑」
「よせッ!!」
老兵の制止の声すらも雷鳴の中にかき消されて、それがどんな結果を生み出すのかも考えることなく、シュクアは記憶になぞって術式を完成させた。
雷剣が傾き、大太刀が振り下ろされる。──傾く雷刃はしかし、糸がほつれるようにしてボロボロと崩れ始めた。
光を失った世界が元に戻り、天地に刻まれた幾何学模様がどこにも見当たらない。それでも黒結晶の拘束から逃れられないのか、ワイバーンはなおも磔にされたまま。
「…………?」
何が起きたのかわからないまま口な目鼻から止めも
なく血を流して、シュクアが膝を下ろす。
──何故……?
耳からも血が流れているのか周りの音が聞こえない。ただ遠のく意識の中でわかるのは術式が失敗したということで、間もなく大口を開けたワイバーンが決死の力を振り絞って息吹を放つ。
ほぼ無意識にシュクアはそれを成した。無数の土砂が爆ぜるように吹き上がり、夥しい量の土石がワイバーンの息吹を防ぐように殺到する。
願わくばそのままワイバーンを圧死させてしまおうと、霞む意識の中で執念とも言えるような執拗さで魔法を維持した。
身体の奥底から熱を引っ張り出されるような、命そのものを搾り出されているような感覚に襲われる。寒気をも通り越して怖気にも近しい感覚の中、ここまで助けられたガテムだけでも逃さねばならないと魔法を続けた。
強烈な熱気と爆風、凄まじいまでの質量すらも吹き飛ばして、息吹は土砂や土石を四散させて大きく爆ぜた。
もはや踏ん張る力もなく、そんな中で老兵がシュクアの盾になるような彼へと覆い被さると、なんの抵抗もできずに二人はそのまま宙へと投げ出される。
爆風に耐えかねて滝の方に方へと吹き飛ばされたのだろうと知ったと同時、そこでシュクアの意識が途切れた。
最後の瞬間、脳裏に響くのは悪魔の声ではなく……リリィスの悲痛を帯びた叫びだった。




