第七話 戦後の余韻
間も無く嵐も弱まり、雨だけが降る中でシュクアは一人馬を走らせていた。特に何を考えるでもなく、ただ目的の地を目指して走るだけ。
あの時、忘れていた感覚が呼び覚まされた。残虐非道だった頃の記憶……しかし、今世もそのままで良いのだろうか。
──否、断じて否だ……
復讐が人生の全てでは無くなった。リリィスを守り、妹を見つけ出し、未だ知らぬ少女を救わねばなぬ。
人を傷つけることをなんとも思わぬ化け物にそんなことは不可能だ。あの悪魔ですらも、他者を手にかけるたびに後悔と懺悔を繰り返した。
必要とあらば躊躇ってはいけない。それが自分、強いては周囲の者達を巻き込まぬ結果にもなりかねないからだ。
──しかしだからと言って、誰から構わぬ殺戮を許していいはずがない。あの時慈悲をかけたことが正解だったかはわからないが、少なくとも何も考えずに殺していたのならもう後戻りは出来なかった。
「……………」
復讐の為なら鬼でもなろうと覚悟を決めていた前世とは違う。人を辞めてしまえば、きっとそれまでだろう。
──だが、もう次はない……
それでもあの女には既に警告を言い渡してある。二度と姿を見せるなと告げてとり、それは裏を返せば次に姿を見せ時は容赦なく命を取ると言うことだ。
これで情けをかけるようならば次こそシュクアや、彼を含めた周囲の人間が被害を被りかねない。再び刺客として現れたのなら、最早容赦するつもりは毛頭ない。
「ルールを決めないとな」
人として、人であるために……獣に成り下がらないために、自分の中に線引きが必要になった。与えられた力に酔って、自らを正気と嘯き、残酷を許容しない為に必要なことだ。
──ああ、そうだな……
馬の足並みを緩めて、ぼんやりと雨上がりの空を見上げる。夜明けに出たはずが、見上げた空は夕焼けに染まっていた。
「……リリィ……?」
ふと振り返った先、嵐の中から鳥のような影が見えた。それが間も無く巨大なドラゴンの姿に見えて、夕空の下でそれは真っ直ぐとシュクアの方へと向かってきている。
「さぁ、行くぞ。彼女が到着する前に出来るだけ距離を稼いでおこう」
再び馬を走らせて、追ってくるドラゴンから逃げるような駆け出す。──そうして間も無く、呆気なく追いつかれたシュクアが馬の足を止め、その前にリリィスが着陸した。
「ガテムの様子は?」
「儂なら問題ない」
リリィスの背中からぎこちない動きで降りてきた老兵が返事をする。思ったよりも元気そうな姿に胸を撫で下ろすと、ガテムの馬を手渡した。
「アレを退けたそうだな」
「仕留め損ねたけど……」
馬に乗りながら、老兵は首を横に振った。
「いいや、よくやった。普通は生まれたばかりの若造では数百年と生きた竜騎兵には敵わん」
「事実、そうだった。ただ、運が良かっただけだよ」
まともに戦えるようになったのも悪魔の声が聞こえてからで、そうでなければかなり厳しい戦いになっていただろう。
「しかし、のう? いい加減聴きたいと思っておったのじゃが……お前さんの裏にいるのはなんだ?」
「……………気がついて、いたのか?」
老兵が言わんしていることに一瞬遅れて気がつき、そうして彼の顔をまじまじと見遣る。
「分からぬほど老いぼれてはおらぬよ。戦闘の最中、あるいはある時ふと…々お前さんの気配が時折り変わる」
最初こそ、戦闘で気持ちを切り替えているのだと思ったと言う。人によっては人が変わるほど変貌する者もいるが……それは、多重人格の人間とは明らかに違う。
シュクアが時折り見せる変化は戦闘中に関わらず、会話の最中、朝起きた時などその時々に渡って一貫性がない。
「まるで別な何かと会話しているようじゃ。リリィスではない、もっと悍ましいものじゃろう?」
「……………」
シュクアは迷っている。悪魔のことを話すべきか、話したとして信じられるのだろうかと……彼の記憶を見たリリィスですら、暫く疑っていた存在だ。
「リリィスは知っておるのか?」
「ああ」
続く老兵の質問にシュクアが一つ頷く。
「あんたが信じるか信じないかは置いておこう。ここまで助けられ続けことにこちらも誠意を見せて、本当のことを言おうと思う。──もしかすれば俺の頭がおかしくなったかもしれないと思うだろが、これから話すことは俺にとっての真実だ」
ガテムがいかに否定しようとも、シュクアはこれから話すことを真実として捉え続けると言う。説得を試みようとも無駄だと、予め前置きした上で重々しく口を開く。
「俺には、前世があった。殺戮と復讐の中に塗れた人生だ」
「…………お前さんの中に蠢いているのは、前世の人格か?」
どうやらガテムは前世の彼と、今世の彼の人格が別れていると思ったのだろう。そう問いかける老人にシュクアは首を振って答える。
「いいや。前世と今世の人格に関してだけど、正直境目は分からないくらいに融合している」
二つの人格が割れていて二重人格のようになっているわけではない。──と、そう言うシュクアを不思議そうにガテムが見つめ返す。
「俺の前世はここではない、別の世界だ。──いや、この話しはまた今度にしよう。あんたが知りたいのは俺の中に潜むもう一つの影だったな」
前世の世界が違うこと、前世の自分がどう言った人間だったのか。そんなことはどうでもいいと、シュクアは話題を戻す。
「俺はこっちの世界に転生する時、悪魔と契約を結んだ。あんたが違和感を感じた時、俺は悪魔の声や記憶を近くに感じていた」
「突拍子もないことだが…………」
何とも言い難い表情を浮かべるガテムに、シュクアも信じてくれとは言わない。それを感じ取ってか、老兵も信じる信じない以前の話しに持ち直す。
「悪魔とはどんな契約を?」
「前世の復讐、その続きを手助けすること。──そして、リリィスを含めた三人の少女の救済」
彼の言葉にガテムはやはり形容し難い表情を見せた。困っているようか、疑っているのか……あるいはそのどれもつかない表情だ。
「前世の、復讐?」
「ああ。恐らくこの帝国……そこの主要人物に俺が殺し損ねたクソ野郎がいる」
「生まれ変わっているのなら、前世で死んでいるのじゃろう?」
「ああ……言い方が悪かったな。俺は前世で死ぬ時、ある結晶体によって身体を細切れにされて死んだんだ」
何ともないように明かされた壮絶な死に方を聞き、ガテムが露骨に顔を顰める。そんな老兵を横目に、シュクアは言葉を続けた。
「多分、その結晶体がこっちの世界と繋がる門で……あの時死んだそいつが、俺と同じようにこっちの世界に転生していると思っている」
「其奴を、お前さんはなんとでも殺すと?」
力強く頷くシュクアを見て、彼の復讐について老兵はそれ以上言及することはなかった。
「俺があんたに教えた魔法の数々、それは悪魔の知識あったものだ。俺の戦い方も、悪魔から教わったもの。──前世でも、悪魔は俺の復讐に手を貸してくれた」
「…………難儀なものよのう」
悪魔の存在を疑ってはいるのだろうが、それを否定し切る材料がないのだろう。ましてや世界の法則を捻じ曲げた禁術、その数々を見てしまえば否が応でも認めざるを得ない。
「そのことについては、また考えるとしよう」
「ああ。そうだな」
一つ頷くと、二人は無言のまま馬を走らせる、
夜の闇の中、魔法によって生み出した灯りを頼りに進む。魔物の犇く森の中で、奴等に襲われないようなリリィスが二人の近くについて歩いた。
流石に危険すぎて野営どころではないと判断した一行は、徹夜を覚悟して森を抜けることにしたのだ。
「そういえば、お前さんが契約を交わしたと言う悪魔に名前はあるのか? よもやすれば、その名前から正体を掴めるかもしれぬぞ」
「確か名前はなかったはず。ただ、『龍王』が『滅びの王』と読んでいた」
シュクアの言葉に、老兵が片方の眉を上げる。
「龍王? 未だかつて聞いたことがないな」
ドラゴンが実在するから、龍王もいたとして不思議ではないと考えていたシュクアにはその言葉は意外だった。
──いや、先日リリィスが龍王の存在を否定はしていたが、いかんせん彼女は若く、他のドラゴンにあっことがない。
隣でシュクアの思考を読んだのか、リリィスが不服そうに唸る。そんな彼女を無視して、シュクアは言葉を続けた。
「こっちの世界にはいないのか?」
「こっちの世界、と言うことはここではない世界の龍王か?」
「ああ。俺が元いた世界でも、ここの世界でもなく……悪魔がいた世界だ」
「その世界は?」
「既に滅びている。どうやら、俺と契約を交わした悪魔が滅ぼしたようだ」
「なんと……!?」
世界を滅ぼした存在がいると、そう言うシュクアの言葉にガテムが声をあげて驚愕する。無論、彼も初めてこの事実に気がついた時は正気を疑ったものだ。
「それで滅びの王か!?」
「いや、それは分からない。彼の記憶では平和な時代から、ずっとそう呼ばれているみたい」
難しい顔をする老人を置いて、シュクアは隣を歩くリリィスへと目を向けた。
「あの悪魔は危険すぎる。悪魔が使う禁術もそう。貴方が彼と契約を交わしたと言うが、果たしてそれは正しいことをだったのか?」
「どうだろうな。あの時は殆ど自暴自棄になっていたから、あまり考えていないかった……。それに、選択肢はあるようでない場面だったし」
あそこで悪魔と契約を交わさないと言う選択肢はなかった。それに思い出してみれば、初めて契約を交わした時も同じような感じだっただろう。
選択肢がない状態で契約を結ぶよう言い寄る。何とも悪魔らしい手口ではないかと自嘲気味に笑う。
「お前さんが要求された代償は?」
「俺が手にかけた者の命だ。あとは俺自身が契約に背いた時、この命が捧げられる」
彼の言葉に老兵もドラゴンも露骨に顔を顰めた。つまるところ彼が殺した命は悪魔への生贄とされると言うことで、それはあまりにも悪趣味極まりないだろう。
「なるほど、な……相当なクソ野郎がいた時は、お前さん自ら手掛けてくれ」
「それはいい。今度あの竜騎兵にあった時、奴の心臓を抉ってその命を悪魔への供物してやろう」
契約の代償を聞いた二人は目を光らせて皮肉を口をにする。それを聞いたシュクアも返す言葉がなく、ガクリと項垂れるのみ。
それからというもの、夜通して走り続けた一行が魔物の犇く森を抜ける。ぼんやりと空は明るくなり始めており、シュクアはリリィスに空からの偵察を引き続き頼む。
「気をつけて」
「お前もな」
背後で飛び立っていく白影を見送って、シュクアが再び手綱をとって馬を走らせた。
「このまま行けば日暮までに次の街につくだろう。大都市リデル、帝国では王都の次に大きな街だ」
そんな彼の言葉通り……いや、想像以上に早く巨大な街が見えてきた。まだ昼過ぎというのにもう到着しそうな光景を見て、ガテムが声を漏らす。
「ふむ、思ったよりも早いな。久方ぶりで少し時間配分を見誤ったかのう」
──とはいえ、早い分にはいいだろうとシュクアも彼に言うことはない。間も無く街の入り口にて門番と一言二言話すと、簡単に中へと入られる。
「儂は宿をとって寝ようと思っておる。この老体には夜を徹しての行動は堪えたものじゃ」
そう言うガテムに頷き、街をもう少し歩いて回ると言うシュクアが馬を彼に渡す。馬達も殆ど休みなく走っていたのだから、十分な休息が必要だろう。
リリィスも街近くに隠れている様子ではあるが、生憎とこの街は門番がいる。
別に街に出入りすることには問題ないが、街を出た旅人がすぐに戻ってきては怪しまれるだけだ。少なくともここに滞在している間は不用意に出入りはできない。
「しかし、そうなると出来ることは限られるか」
街を散策すると言いながら、生憎と行く当てはないまま……ブラブラと当てもなく彷徨うしかなく、そうしてふとある店に目が止まる。
「奴隷市場か」
この国自体が人身売買を禁止していなことは知っていたが、今までの街ではそう言ったものは見かけなかった。──いや、禁止はしていないだけで世間的にはよくないのだろう。
その証拠に目に止まった店もまるで人目を避ける様に裏路地の奥まった場所にあって、どこか人を寄せ付けない雰囲気を放っている。
「まぁ、買わなければとやかく言われることもない」
いかんせん好奇心が勝り、見るだけならと店の扉に手をかける。ジロリとまとわりつく様な複数の視線を感じて思わず足を止めた。
どこか値踏みするような居心地の悪い視線。その一つ一つへと順に目を向けていけば、彼は目が合う前に顔を逸らした。
──既に先客もそれなりにいるか……
シュクアの他、先客だと思わしき人物が複数人。一人二人、こちらへと目を向けたものの殆どがシュクアに関心を示していない。
先程向けられた視線の殆どは従業員からのもので、室内を見渡してみれば外からは想像もつかなかったが、天井は高く壁のない室内はどこまでも広がって見えた。
「…………」
一通り周囲を確認したのち、徐に足を踏み出し進む。気がつければ周りの人間は先程と同様、何事もなかったかのように引き続きそれぞれの会話を進めていく。