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六花の龍騎兵 〜滅びの眷属と白き龍〜  作者: 枝垂桜
第二章 遥かなる旅路への門出
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第二話 悪魔と禁術

「なぁ、聞いていいか?」

「質問にもよるのぉ」


 馬を走らせるシュクアがふと隣の老兵へと疑問を投げかける。彼ははっきりと答えるとは言わないものの、尻目にシュクアを見遣れば彼の質問を待った。


「俺に協力すればあんたも帝国にねらわれふことになる。どうしてそれだけの危険リスクを背負ってまで俺達に付いて来るんだ?」

「儂も帝国に家族を殺された……家族よりも大切な者を奪われた。──許せぬのだ。あれからどれだけの月日が経とうとも、腹の奥で燻る黒き炎は弱まることもない」


 老兵の言葉にさしものシュクアとて黙り込む。彼もまた復讐に障害を費やした男で、憎悪が炎が自らの命すら蝕もうと構うことはなく業火の中に身を投じた。

 どれほどに辛いことか……そして何よりも、決して消えぬ悔恨の念が付きまとうことを知っている。だからこそ、シュクアは黙って次に続く彼の言葉を待つ。


「これは儂の復讐じゃ。儂では到底届かぬとしても、帝国に敵対心も持つお前さんを生かせば、この復讐は為される」


 最早、彼自身ではその復讐は果たせない。老いて弱り、棺桶に片足を突っ込んでいる老兵がどうして国を相手に戦えるというのだろうか。

 だからこそ、彼はドラゴンの卵の目付役を買って出た。誰も動かせなかった白い石を、それが帝国を滅ぼすと願って待ち続けたのだ。


「待ってくれ。リリィスの卵が、動かせなかった?」

「その通りじゃ。逆に聞くが、動かせるのなら帝国の外に持ち出すなりなんなりして、ドラゴンの伴侶を探したほうが利口だと思わんか? 何の得があってあんな辺鄙な遺跡に、ドラゴンの卵が置きっぱなしになっていると思ったのだ?」


 そう言われては返す言葉もないと、シュクアは困ったように眉尻を下げる。


「まぁ、よい。兎にも角にも、儂が出来ることは、帝国がお前さんが捕まらないように補助することじゃ」


 なるほど、と納得する気持ちとは裏腹にシュクアは一つが疑問が浮かぶ。


「あんたは誰に頼まれて、ドラゴンの卵の管理を?」

「帝国が言うところの、反乱分子じゃな。帝国から追われながらも他国へ亡命せず、国の権力が及ばぬ秘境にて来る日を指折り覚える復讐者達の集まり」


 まともな集まりではないなと思うと同時、さもありなんとどこか納得してしまう自分がいた。


「なるほどな……取り敢えず、あんたの経緯いきさつはわかった」


 それだけで言い残すと、その後の一行は特に言葉を貸すこともなく夜まで走り続けた。

 間も無く夜の帳が深い森の中に降りて、シュクアはリリィスにどこか野営できる場所がないか探すように頼む。


 暫くしてリリィスから返事が返って来て、シュクアが先頭に立って彼女の指示された地点に向かった。少しして見えて来たのは少し開けた場所で、丁重に彼女は焚き火に必要な薪まで用意して待っている。


「火の起こし方は知らない」


 申し訳なさそうにいうリリィスに、シュクアは横に振って否定する。偵察に野営の準備までして持ってどこに文句をつけようか。


「いや、薪を用意してくれただけでも助かる」

「有難い、ここまで気の利くドラゴンはそうそういない」


 同調するガテムにシュクアが振り返る。


「そうなのか?」

「ドラゴンと言うのは本能的に己を絶対的に存在だと思っておる。人の伴侶を持つドラゴンでもそれは変わらず、基本的に人族に対して興味も持たない。

 例え人間の近くで生きて来たドラゴンであろうとも、伴侶以外の人間を知ろうともしないから彼等が何を求めているのか考えもせぬ」


 その結果として、気を利かせるということが出来ないのだ。他者を理解しようとしないために、彼等が何を求めているのかも知らない。


「加えて彼等は単純な仕事、地味な役割を嫌う傾向にある。力を誇示できることであれば喜んで勝手出るが、雑用を申し付けた日にはその人間は頭から食われるじゃろうな」

「ドラゴンって言うのは、随分と傲慢なんだな」


 思わず顔を顰めるシュクアに、ガテムは鼻を鳴らして馬から飛び降りる。そうしてリリィスの集めた薪の前に歩み寄ると、それらを改めて重ね直す。


「このように並べると炎が長持ちする」

「興味深い」


 二頭の馬を近くの木に括り付けている間、ガテムがリリィスへと薪の並べ方を伝授する。そんな彼の手元を白いドラゴンは興味深そうに覗き込んでいた。


「────」


 間も無く薪も重ね終えて、老兵が小さく何かを呟く。そうすれば重ねた薪の内側から小さな火花が散り、そのまま炎が上がった。


「それは何を?」

「手っ取り早く火をつけただけじゃ」


 魔法によるものであることは確かだが、ガテムは軽く首を振って外した鞍袋の置かれた場所はと歩いていく。

 遅れてシュクアも自分の鞍袋を広げると、そこから羊皮氏と筆を取り出す。街を出る前、ガテムに何か必要な物があるとかと聞かれた時、真っ先に答えたのがこれらだ。


 そうして必要な物を手に取って立ち上がるも、椅子になりそうな物はなく、致し方なく彼は白いドラゴンの元へと歩いていく。


「失礼」


 地面にうつ伏せで休んでいたリリィスへと近づくと、その前足に腰を下ろす。不思議そうに小首を傾げるリリィスの下、羊皮氏に筆を走らせようとして思わず舌打ちをした。


 膝を立て、腿の上で書こうとするが上手くいかない。流石に困ったと、一度立ち上がって鞍袋の方へと下敷きになるものはないかと漁った。


「儂の鞍袋に厚手の皮が入っておる」


 焚き火の前に陣取ってスープを作るガテムが言う。礼を一つ言って、これの荷物から厚皮を一枚取り出すと再びリリィスの前足に腰掛ける。


 ──やっぱり難しいな……


 さっきよりは描きやすくなったが、いかんせんなりずらい。贅沢を言っても仕方ないが、どうしてもこれだけは譲れなかった。

 地面に伏せて書くことも考えたが、身体が不必要に汚ることは避けたかった。


「悪い、ちょっとそれ貸してくれ」


 そんな中でふと視界に映ったのはリリィスの翼。ダラリと地面に伸ばした翼の一つを掴むとそれを自身の膝の上に敷く。

 ずっしりとした重さが膝の上に乗るが、気になるほどではない。膝の上よりは断然平らになった翼の上に厚皮を乗せ、その上に羊皮氏を広げた。


 ──大分よくなった……


 一人満足げに頷くと、素早く羊皮氏に筆を滑らせていく。


「それは何を?」

「前に魔法を失敗しただろう? その時の魔法陣は欠陥だらけだった」


 それがどうかしたのか、と疑問を重ねるドラゴンにシュクアが説明を続ける。


「その完成形は分かっているから、こうして書き出してみようと思ったんだ」


 彼の言葉にリリィスからは講義の意識が、ガテムからは訝しむような視線が送られてくる。二人ともあの魔法をもう一度使うことはよく思わないようだが、それでも止めろと言わない。


「使える武器は多ければ多いほどいい」

「器用貧乏では逆に自分の首を絞める」


「今の俺は魔法と言う武器をほとんど持っていない状態だ。これでは自分の身を守ることもできない」

「確かにそうだが……」


 流石にこればかりは抗議しきれないのか、歯切れの悪いリリィスが珍しく推し黙る。そんな彼女の下、リリィスの反応など気にした様子もなくシュクアは黙々と羊皮氏二枚分の魔法陣を仕上げた。


「こっちが地上に描かれるもので、こっちが天上に描かれたものだ」


 羊皮紙を覗き込むリリィスに分かるよう、それぞれ指をさして説明する。興味深そうに覗き込むドラゴンからは、それと同じだけの畏敬の念が伝わって来た。


「随分といびなな術式だこと」

「ああ……しかも、それだけじゃない」


 薄い羊皮氏を重ねて焚き火の光に透かして見せる。そうすればリリィスは露骨に嫌がるように鼻を鳴らして、それを覗き込んだシュクアも思わず顔を顰めた。


 そんな羊皮紙越しにガテムがこちらへと目を向けているのに気がつき、シュクアは黙って手に乗った羊皮紙を渡すように差し出した。

 突き出された羊皮紙を見遣り、老兵は一度スープを作る手を止めてシュクアの側まで歩みる。そうして差し出された羊皮紙を受け取ると、彼と同じように二つの紙を重ねて光に透かす。


「これは──!?」


 それを目にした反応は彼も同じで……一度顔を近づけて目を細めたかと思えば、鼻面に皺を寄せて嫌悪するように顔から離す。


「これは、目か……?」

「ああ……多分、中央に描かれているのは眼を意味する紋様だろう」


 いびつゆがんだ幾何学模様。そこに描かれた文字の意味は分からず……しかし、そんなことなどどうでもよくなる程、中央に座するソレの存在感は異質だった。


「…………プロビデンスの目に、似ている?」

「プロビデンスの目?」


 不思議そうに振り返る老兵。思わず前世の知識を口にしてしまったことを不覚に思いながらも、流石に何でもないで見逃してはくれないだろう。


「古い伝説だよ。曰く全能の目だとか、全てを見通す目だとか言われている」


 前世のことは伏せつつも、端的に説明する。幸い老人はそれ以上の追求はせず、また魅入るように羊皮紙に目を落とす。


「本来魔法と言うのは、言葉に言霊を乗せて現象を引き起こす。魔法陣を使用する方法は滅多にない」

「…………一応は、存在しているの?」


「ああ。しかし、あまり効率的ではないから主要ではない」

「どうして?」


 老兵は一度振り返ると、少し黙った後に説明してくれた。


「一つはより多くの知識が必要だからだ。言葉を知っていればいい言霊による発動と違って、魔法陣を使用する場合は文字や印を結ぶための知識が必要なのだ」


 他にも宙に陣を描き出すだけでもまた力を使ってしまうこと、また手で陣を描こうと思えば時間がかかると言う欠陥もそんざしていた。


 それでもしかし、と老兵は説明を続ける。


「いいこともある……例えば、保存が効くことだ。巻物などに予め書き記しておけば、すぐに魔法を発動することが可能だ。

 他にも曖昧な言葉とは違って、魔法陣によるものは事細かく発動する現象を定義出来る。故に誰が使っても同じ結果を出せると言うじゃ」


 そう説明する老兵の言葉に、ふとした疑問が浮かぶ。


「言霊や術式を使わない方法はあるの?」

「あるにはあるが、あまりお勧めはしない」


「危険なの?」

「どちらとも言えぬのだ」


 彼が言うのに、定義が曖昧になる言霊でもある程度は言葉による意味は縛られる。それ故にあまりにも的外れな現象は起こらないが、言霊も術式も用いない方法で魔法を使えば思いも乗らない現象を起こしてしまう可能性もある。


「例えば戦闘中に魔法を発動してようとして……そうじゃ、炎を釣り出そうとするじゃろう? その時、攻撃を受けて集中力が途切れたらどうなる?」

「不発?」


「その可能性もあるし、逆に的を失った炎が四方八方に四散する可能性もあるし……これならまだマシな方で、強烈な痛みの中で訳も分からず出鱈目な魔法を発動することもあり得るのじゃ」

「なるほど」


 少し分かったような、分からないような気がしながらも取り敢えず頷く。この辺のこと聞いても仕方なく、実践ありのみだと割り切って流すことにした。


「……で、その魔法陣はどうなの?」

「これが魔法かどうかと問われると甚だ疑問の余地はあるがのう」


「その理由は?」

「まず、儂の知る術式の法則とは全く違う。それに実際、間近で見て分かったがアレはやはり魔法ではない」


 上手く言葉に出来ないことがもどかしく思っている様子だが、それはにはシュクアも同意見だった。事実としてアレはこの世界の法則にそぐわぬもので、あの時に発動出来たのはその法則を捻じ曲げているからだ。


「まるで血走った目だな」


 放射状に広がった黒電を表した線を指し示して、ガテムが言う。重ね合わせた魔法陣はプロビデンスの目を中心として円を結び、中心から外へ向けて蜘蛛の巣状に細い線が幾重にも伸びていた。


「血走った目……これは、"狂気"を表しているのではないか?」

「血走った眼球の中、狂気の内側……」


 あの時、彼の心を多い尽くしたのは強い破壊衝動。目に映る全てを滅ぼし尽くさんとする狂気的な破壊初動で……もし術式が完成していて、雷が落ちていたらどうなるだろうか。


「こんなものを思いつくなど正気ではない。お前さん、誰からも習った?」

「気がついたら、脳裏に浮かび上がっていたんだ」


 嘘ではない、しかし本当のことは話していない。故に老兵は訝しむようにシュクアを睨み付けていているが、果たして本当の言ったとして信じるだろうか。


「他に思いついた術式はないか? 羊皮紙はいくらでもある、書き出してみろ」


 言われた通り、ガテムがスープを作り終えるまでの間、思いついた限りの魔法陣を描き出していく。一部、立体魔法陣によって構成されるものもあったが、それを言えば省いて描くように言われる。

 間も無くスープが出来上がったと言うガテムの言葉で、シュクアが忙しくなく動かしていた筆を止める。老兵からスープを受け取り、代わりにシュクアは描き出した羊皮紙を手渡す。


「ふむ。やはり、どれもこれも儂の知る法則を無視しておる……と言うより、儂では原理が全く分からん」


 そう言う老兵にシュクアはスープを食しながら、スプーンで羊皮紙を指し示して一つずつどんな魔法が説明していく。


「そっちは前の時みたく、黒雷を呼び出す魔法陣だ。それだけでは本当にただ黒雷を落とすだけだけど、主に他の術式と合わせて使うみたい」

「なるほど、合成用の術式か。基礎的なもののようだが、残念から儂では解読出来ぬ」


 黒雷を生み出す術式と、シュクアが前回使っていた大魔法の術式を照らし合わせる。眉間に皺が寄るほど凝視して、ようやく顔を上げた。


「確かに、こっちの術式にもそれらしきものが刻まれているな。ただこっちの方はより複雑化したものが組み込まれているように見える」


 恐らくはもっと強力な、言ってしまえば上位互換に当たる術式を組み込んでいるようだ。なかなかに興味深い発見だと、内心で感心しているシュクアを他所にガテムは他の術式も吟味していく。


「どう?」

「分からん。出来ることなら保管して、旅の間に解読を進めたいが旅ではなにが起こるか分からぬ。下手な奴の手に渡る可能性を考えれば、このまま処分した方がいいやも知れぬな」


 そう言われて、シュクアは少し考える。誰もでも使えるとは思えないが、それでも扱いを間違えれば大惨事を引き起こす可能性もあるだろう。


「お前さんが持つ知識から、最も簡単そうな術式はなんじゃ。このになければ描き出してくれ」


 そう言われて、シュクアはスプーンで一つ羊皮紙を指差す。


「それだ。黒結晶を生み出す魔法陣」

「少し試していいか?」


 何も許可を取る必要などないだろうと思いつつ、一つ頷くと老人は焚き火から少し離れた位置で魔法陣に手を翳す。


 魔法陣の線が僅かに光だし、その術式が現象を引き起こそうと動き出す。器を傾けてスープを飲みながら、順調そうだなと見ていた直後だ。


「──っ!?」


 大きく魔法陣が歪んだように見えて、老人の身体力無く崩れた。魔法陣に翳した腕を抱えるようして蹲るして、ガテムが苦悶の表情で額を地面に押し付けている。


「ガテムッ!!」


 スープの残っている器もスプーンも投げ出して、駆け出したシュクアが老兵へと駆け寄る。うつ伏せに沈んだガテムの体に触れ、息をしていることを確認するとその顔を覗き込む。


 苦しげに喘いではいるが取り敢えずは無事だと知って胸を撫で下ろす。しかし次に目をやった老兵の手を見て、全身から血の気が引いた


「リリィ! その鞍袋をこっちに!」


 心配そうにこちらへと寄ってきたドラゴンに指示を飛ばせば、彼女は素早く身を翻して鞍袋の一つを鉤爪に引っかかると素早く放る。


「ジッとしてて、落ち着いて」

「しくじった、ものじゃ」


 ガテムがその手を持ち上げて、炎に翳してよく見ようと目を細める。魔法陣に翳した手は、その掌の中央部分から手首にかけて変質していた。


「鞍袋から儂のナイフを」


 中から包帯を取り出そうしたシュクアが、素早くナイフを取り出す。そうして包帯とナイフを持って再びガテムの横に跪く。


「痛みは?」

「強烈、だ……。今までに感じたことのない痛みじゃ」


 今も強烈に痛むのか、苦しげに息を吐く。そんなガテムにナイフを手渡して、シュクアは包帯の準備に取り掛かる。


「タオルを」

「ああ」


 指示に従って、タオルを彼の手に巻き付けようとしてガテムが首を横に振る。


「違う、細く丸めてくれ」

「なんで?」


 思いもよらない要求にシュクアがそう返す。


「いいから言う通りにせぇ」

「分かった」


 素早くタオルを丸めて渡すと彼はそれを口に咥える。何を考えているんだと疑問符を浮かべるシュクアの眼前、ガテムは自身の手首にナイフを押し当てるとそのまま振り抜く。


「何をしているんだ!?」


 思わず怒鳴り、夥しい血が溢れ出す中でシュクアはガテムの腕を掴む。ギュッと力一杯に握って、老兵の動脈を抑えると止血の為の包帯を片手で広げていく。


「腕を心臓より高く、今止血するから。リリィ、ここを押さえておいてくれ」


 驚いたように目を見開くドラゴンにどこを抑えるのか指示をすると、彼女は前後左右に四本ある前足の一つを伸ばして彼の言う通りにガテムの腕を掴む。

 強すぎても腕を折ってしまうと、絶妙な力加減で握るリリィスに一先ずは大丈夫だとシュクアは包帯の準備に取り掛かる。


「シュクア。アレの知識に、傷を治す方法はなかったのか?」

「傷を治す魔法か? いや、すぐには……」


 そう言えば、ガテムはどうして傷を治さないのかと彼を見遣れば、その顔は既に青白く変色している。もう魔法を使う余力がないことは一目瞭然だ。


「……少し、待って」


 包帯を老兵の手首に当てがい、記憶を掘り起こす。幸い彼の怪我は手首から掌にかけて大きく皮膚と肉を抉っただけで、手首を切り落としてはいない。


「よし! あった、あったぞ!」


 巻き途中だった包帯を下ろして、傷口を覗き込むと一つ目を閉じて思い出した術式を構成する。軽く老兵の手首を取り、その肌に魔法陣が浮かび上がった。


「……っ!?」


 苦痛の表情を浮かべるガテムと、それを見て疑念の視線を向けるリリィス。シュクアもまた思いもよらない反応を受けて、確認するように抉れた手を見遣る。

 ──だが、幸いになことに術式は期待通りの現象を引き起こし、失った神経と血管が繋がると肉と皮が戻り、間も無く傷跡は跡形もなく消え去った。


「調子は、どう?」


 幾分かの疲労感を感じて、老兵の手首を解放する。そうすれば彼の肌に浮かび上がっていた魔法陣が失われて、ガテムは手の感覚を確かめるような手首を回したり指を開閉させる。


「感謝する。儂ではここまで綺麗に治せなかっただろう」

「しかしどうして、あんなことをしたんだ?」


 いくはなんでも不自然だ。手の一部が結晶化したくらいで、いきなり周囲の肉諸共抉り出そうとはならない。


「あれを見てみろ」


 そう言われてガテムが顎で指し示すものへと目を向ける。それは結晶化した肉にその周囲の組織がくっついた塊。

 何かおかしいのか、とよく目を凝らして……そうして、悪態をつきそうになった。結晶化した部分は、徐々に周囲の肉や組織を侵食していたのだ。



「あのまま放っておけば、いずれ結晶の彫刻になっておったぞ」

「そんな、どうしてこんなことが……」


 ただ単純に黒結晶を生成する術式だったはずだ。それがどうしてこんな結果になるのだと、彼が使った魔法陣へと目を向けて……瞬間、ゾッとしたように顔を引き攣らせた。


「魔法陣が、変わってる……?」


 描かれた魔法陣が捻れたように渦を巻いていて、既にその原型は止めていない。ふと呆気に取られていた彼の横から手が伸び、ガテムが放り出された羊皮紙を広い上がる。


「これは限定魔法じゃな」

「限定魔法?」


「魔法陣には他者に操作されない為の対策セキュリティが仕込まれたものもある。しかし、これはその類いではない……もしそうなら、悔しいが今ごろ儂は黒結晶の彫刻だった」

「それじゃ、なんで?」


 疑問に思うシュクアを横目で見遣り、彼は歪んだ魔法陣が刻まれた羊皮紙の右上に何かを書き込む。


「限定魔法というのは厳しい条件下でか使用できないものだ。特別適正のある者のみだったり、または特定の環境下でのみだったり……力や技術があれば扱えるような代物ではない、特殊な魔法がそう呼ばれている」


 そんな彼の説明を受うけるシュクアの手中に、先程と同じ魔法陣が浮かび上がる。黒い魔法陣から白い光が漏れたと思えば、そこから星形の黒結晶が現れた。


「やはり、その魔法はお前さんの特権みたいだな」

「そうかも知れない。──でも、どうしてその魔法陣は形を変えたの」


 もう一つの問題は形を変えた魔法陣だ。羊皮紙を裏返してみるが、紙自体は変化がない。


「これは推測の域を出ぬが、おそらく魔法の原則に沿っていないからじゃろう」

「どういうことだ?」


「儂が使おうとした時、一瞬強烈な抵抗を感じた。術式が未完成などという次元ではなく、端っから術式が成り立っていない時に起こる現象じゃ」

「つまり、元々あの魔法陣は魔術法則に従っていないってこと」


 シュクアの言葉に、老兵は目を光らせて頷く。


「その通り。この術式は初めから間違っている……と言うのに、魔法自体は何故だか発動した」


 一瞬の抵抗、魔法は発動出来ないと言う反応が返ったきたにも関わらず現象が起きた。期待した通りの現象ではないが、どんな形であれ黒結晶を生み出したのだ。

 間違っているおかしいなんて口で言っても、ソレは世界の法則を捻じ曲げてまで現象を引き起こした。それがなにを意味するのか、少なくともシュクアには計り知れぬこと。


「魔法陣が歪んだのは、その現象を無理矢理にでも顕現しようとした為じゃ。間違った術式が現象を現す為に、本来の法則に従って正しい形に姿を変えようとした跡だ」


 まるで生き物のようだ、とは言わないまでもシュクアにもその意見は伝わっている。


 破綻した方程式で、それでも魔法陣は己が存在を強烈に主張した。──その結果として、自らの姿を変えてでも顕現しようとしたのだろう。


「故にこの歪んだ魔法陣には、お前さんが編み出した方程式と、本来のあるべき原則に準じた法則が混じり合った別物になっておる」


 それは恐らく……この世界ではない魔法が、こちらの世界の法則に歪まされた姿なのだろう。二つの世界の法則が混ざり合った姿で、故に混沌として見えるのは当然ではないか。


「使えると、思う?」

「さて、な。儂ではまるで想像がつかぬ」


 少し考えたものの、やはり好奇心が勝る。徐に手を伸ばすと、老兵から羊皮紙を渡すように言う。


「貸して」

「シュクア」


 しかしそれを止めたのは他でもないリリィス。彼女も先ほどの結果を見てしまえば、流石に看過できない様子だ。


「その魔法は貴方の手に余る。原型であるのならともかく、どちらの物でもなくなったそれは最早得体の知れない危険物。

 どちらの法則に従わない現象を掌握し切れるのか? その老人のようになるならまだしも、もしかすれば跡形も残らない」


 リリィスの静止を聞いてと、シュクアは止めようと思えなかった。これはまた新たな発見、もしかすれば今後の役に立つかも知れないのだ。


「…………いや、やる。このままでは、得体知れない何かで終わってしまう」


 ここで諦めればその正体を知らないままになる。幸いとと言うべきか、シュクアは悪魔の魔法にもこちらの世界の魔法も行使できる。

 ──であれば、両方が混ざった代物でも扱えなければおかしい。これが使えるかどうか分かれば、彼が立てた推測の是非も分かるだろう。


「儂もお勧めはせぬぞ」


 老兵もそうは言うが、リリィスよりは心配してない様子だ。魔法の知識があるからこそ、双方の魔法が使えるシュクアなら大丈夫だと思っているのかも知れない。


「一応、離れておいた方がいい」


 彼の言葉に従ってガテムは一歩引くが、リリィスは離れる様子がない。重ねて頼もうかと思ったが、彼女の瞳が有無を言わせぬ意思を持っているのを見てやめた。


「よし、やるぞ……」


 身体の芯から熱が奪われる感覚と共に、魔法陣が淡く光り出す。しかし何かしらの現象が起こるでもなく……直後、魔法陣に変化が訪れる。

 まさかこうくるとは思っていなかったシュクアが目を見開き……次の瞬間、現れたのは先程と同じ星形の黒結晶だ。


「まさか、こうなるとはのう」


 黒結晶を左手に持ち、羊皮紙を老兵へと渡す。それを受け取って興味深そうに魔法陣を覗き込む、そうして彼は確信を得たように頷く。


「魔法陣が戻っとる。──となるとこの魔法陣が持つ性質は、従来の魔法法則には属さないと言うわけじゃな」


 ガテムが使用した時はこちらの法則に近づこうと変化したが、シュクアが再度使用すればそれは従来の魔法法則から再び外れた。

 従来持つ法則を捻じ曲げて、魔法陣は現象を起こした。本来であれば既に破綻している筈の術式だと言うのに、それは当然のように世の理を超える。


「更に言うのなら、その黒結晶……よもやすれば、それも本来なら存在せぬ物なのだろう」


 手の中の黒結晶を見下ろして、それを隣に立つドラゴンに突き出す。さすれば彼女は今日に爪先で掴み上げると赤い瞳の前に持ち上げる。


「興味深い。どこまでも深い黒かとも思ったが、結晶の奥には底無しの闇が見える」


 リリィスは次に老兵とそれを差し出すと、渡された黒結晶をガテムは炎に近づけて観察する。そうして数度回して、注意深く覗き込んで軽く首を横に振った。


「なるほど、な。──光に当ててみれば白い輪郭を纏うのに、その本質はどこまでも光を飲み込む闇だ。透けて見えるように見えるのに、まるで底が見えぬではないか」


 再びそれをリリィスに手渡すと、彼女は軽く放って口の中へと入れてしまう。


「リリィ!?」


 何をしているんだと思ったのも束の間、ゴリッと音を立てて上下の牙が黒結晶を挟み込む。しかしリリィスは顔を顰めると、もう一度ガチンと音を立てて顎を閉じる。


「噛み砕けない」


 爪を口に入れて黒結晶を取り出したドラゴンを見て、なんとも言えない表情を浮かべるシュクア。そんな彼を無視して、リリィスは開いた方の前足で手頃な石を持ち上げる。

 するとなんと、今度はそれを口に放り込んだのだ。シュクアの頭よりは一回りほど小さな石が、今度はリリィスの牙が噛み合うと呆気なく砕け散る。


「これは一体何でできるのか?」


 ボロボロと砕かれた石が口の間からこぼれ落ちて出る。まさかそう簡単に石を噛み砕けるとは夢にも思っていなかったシュクアが、目だけではなく口まで開けて呆気に取られる。


「よく調べる必要があるだろう」


 そう言って再びシュクアの元へと戻ってきた黒結晶を無意識に掴む。そうして当たり前のように唾液で濡れた結晶体を受け取り、思わず顔を顰めた。


「待て待て待て!! 何当たり前のように濡れたまま渡してんだよ!? 唾液でベトベトじゃないか!!」


 さも当然のように唾液で濡れた黒結晶を戻してくるドラゴンに苦情を呈すも、彼女はよく分かっていない様子でゆっくりと瞬きを一度返すのみ。

 流石に唾液で濡れた黒結晶を持つ趣味はない為、シュクアは一度それ焚き火の近くに置いて乾かすことにした。


「取り敢えず、お前さんが描いた羊皮紙は捨てずに済みそうだな。少し研究してみたかったから好都合じゃ」


 珍しく興奮気味にそう言う老兵が、地面に散らばった羊皮紙を回収して蔵袋に押し込む。シュクアと言えば、飯も途中だったことを思い出して肩を落とす。


「スープ、余ってる?」

「ああ。おかわりはいるか?」


 地面に放り出した器を軽く洗って、手渡すとそこへとスープを入れてもらう。礼を言って器を受けると、今度は何事もないよう祈りながら食事を続けた。

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