009
当主になるのを諦めさせたことで、研究の一環としての冒険者の活動も認められ、昼間から堂々と外を歩けるようになるなど、自由度が増した。
最初はリンと二人きりで活動することに、僕の身を案じた母から護衛をつける提案を受けたが、僕がその護衛を打ち倒せば、何も言わずに見送るようになった。
しかし、僕の目的を果たすには避けられない人体実験を公然と行えば、家族がどのように反応するか分からない。
特に母は厄介だ。一度奴隷を解剖に使っただけで、僕の動向を気にするするようになった。世間から見れば尊敬に値する人格者なのだろうが、僕にとっては目的を阻む障害でしかない。
「リン、今日も行こうか。いつものやり方でね」
「承知致しました」
なので、家の者に怪しい動きを悟られないよう、昼間はリンの首輪に掛けられた隷属の魔法の解明など、目立たない範囲で勉強や研究を続けたり、冒険者として腕を磨いたりして過ごし、深夜に屋敷を抜け出して研究を行うことにした。
貴族の屋敷とはいえ、深夜に目を覚ましている者は少なく、衛兵も平和ボケしている。リンから教わった隠密や索敵の技術を活かせば、夜な夜な屋敷を抜け出すのは容易だった。直感が鋭い魔物を相手に用いる技術なのだから、そこらの人間を欺けないはずが無い。
別館は勉強に集中する名目で人を入れないようにしているし、管理も全てリンに任せているので、夜中に誰かが確認に来ることはほぼ無いだろう。
以前はリンが人避けのオーラを放っていたから、その名残もある。
少なくとも、この数年で誰かが入ってきたことは無かった。
その夜も、暗がりの都市を抜けて森の奥地にある洞窟へ向かう。
リンには、冒険者の活動の合間を縫って、人が寄りつかない場所を探してもらっていた。
この森はめぼしい素材が見当たらず、訪れる者が少ない。更に、奥地まで踏み込む実力者も周囲には存在しない。
その上、洞窟の入り口を周囲に違和感なく溶け込むよう巧妙にカモフラージュを施せば、その存在が露見する可能性は限りなく低いだろう。
僕は魔法を用いて、岩のように擬態させて隠した床扉を開ける。
「うぅ……」
洞窟の中から男の呻き声が響く。少し奥に踏み入って明かりを灯すと、手術台に拘束され、猿轡をされている痩せ細った男の奴隷が目に入る。
弱りきった様子で、僕たちの存在に気付いても猿轡越しに僅かに呻くばかりで、抵抗することもない。
「さて、今日も実験を進めよう」
奴隷の生存を確認すると、早速実験の準備に取り掛かる。
やることは至って単純だ。脳を弄り回して、その後の変化を観察し、記録する。そうして脳の構造や弄ることで起こる影響を把握するのだ。
単純と言っても、無作為に脳機構を破壊すると廃人になりかねないので、注意が必要だ。使い物にならなくなり、新たな奴隷を調達する手間が生じる。
十分な食事を与えているにも関わらず、奴隷はすっかり衰弱しきっている。拘束されたままで運動できないせいなのか、精神的に追い詰められているのか、それとも脳を弄りすぎた影響なのか……原因は今の所分からない。
「それにしても、効率が悪いねぇ……。人体の構造を詳しく書いた本があれば良いのに」
「似た研究をしている方は居るかもしれませんが、本に出すのは難しいかと」
「そうだねぇ……。全く、この世界の魔法主義にも困ったものだ」
脳を弄り終えて、傷を塞ぐなどの後処理をしながら、リンと雑談をする。
この世界では、魔法が余りに便利だからか魔法学が重要視され、科学や人体に関する学問は、医療に必要と認識されていてもなお軽視されている。特に解剖や人体構造の研究は、神への冒涜と見なされ、忌み嫌われる始末だ。もし人体実験している事実が露見すれば、教会が即座に事情聴取にすっ飛んでくることだろう。
その為、効率が悪いと分かっていても、地道な試行錯誤を重ねるしか方法は無い。前世でこの分野を学んでおかなかったことを、今更ながらに後悔するばかりだ。
「まぁ、焦っても仕方が無い。着実に進めるしかないね」
自らに言い聞かせるように呟く。
まずは感情や思考を司る部位を特定することを目指す。次に、反逆の意志を生み出す要因を探り、適切な処置を施す計画だ。
計画自体は現地点では順調だが、どうしても時間が掛かるし、何かあった時の備えとして人手も欲しい。
リンが独り立ちした今、新たな手駒を確保することも視野に入れ、並行して進める必要があるだろう。
最も手軽なのは奴隷の購入だが、リンのような例外を除けば、質の低い者が多い。
かといって質の高い奴隷を購入し、鍛え上げようとしても、心が折れるか、逆にその力を反逆に利用しようとしてくるなどして、被験者の仲間入りとなっており、得策とは思えない。
質の良い平民を、強引に奴隷にする方法を模索する方が合理的だろうか?
丁度、リンが有力な冒険者たちと接点を持っていたな……。
* * *
リンは州都フェルシアの冒険者組合を訪れていた。
最近ではご主人様が同行することも多くなり、戦いの心得などをリンから教える機会も増えた。
最下層の身分である自分が、貴族のご主人様に指導するというのは、常識からすれば奇妙な話だ。しかし、ご主人様がそれを良しとするのであれば、その意に従うまでである。
ご主人様が奴隷を伴って組合に顔を出すことで、貴族らしからぬ奔放な振る舞いをする者が伯爵家に居る、との噂が巷で広まっている。
そして、その噂はやがて屋敷にまで届き、当主である父が頭を抱えている、という話も耳にする。そこまで織り込んでの行動だろうか。
とはいえ、今日はご主人様は同行していないのだが。
かつての私なら、ご主人様と離れることに耐えられず、胸を締め付けられる思いをしていたことだろう。
だが、今の私は平静を保っていられる。
その理由の一つが、この身に纏うメイド服だ。
この服が、ご主人様の存在を常に身近に感じさせ、己がどうあるべきなのかを明確にしてくれる。
もう一つの理由は、新しく生まれ変わった隷属の首輪だ。
ご主人様が隷属の魔法を解明したことで、それを自在に付与出来るようになり、ご主人様が行使する錬金術によって生み出された首輪へと交換してくれた。それは、以前とは比べものにならないほど、私を強くご主人様へと結び付ける。
それに、こうして別行動を任されることは、ご主人様に信頼されている証でもある。それならば、決して悪いことではない。
手持ち無沙汰だったので、周辺で変化が起きてないかと掲示板に目を通し、情報収集を行う。
ふと、背後から複数の視線を感じた。
その視線の主たちは、密かに観察しているつもりなのだろうが、隠密の技量が足りておらず容易に察知出来る。
そのまま足音を忍ばせつつ、じりじりと近寄ってくる気配がする。
「私に何か御用でしょうか?」
先んじて振り返り、要件を伺う。
内容は大体見当がついていたが、それでも相手をぞんざいに扱う訳にはいかない。ご主人様と共に行動しているとつい忘れそうになるが、自分は平民より下の身分だ。偉そうに振る舞えば、余計な諍いを引き起こす。
相手にもプライドというものがある。冒険者にとって、他者から軽んじられることは稼業に大きな支障をきたすこともある為、特にこの傾向が強い。
自分が奴隷として存在することに不満はないが、それを理由に一方的に下に見られるのは煩わしいと思う。
意表を突くようにしてこちらから先に話しかけるのが、せめてもの抵抗だ。
近寄っていたのは三人の男たちだった。
彼らは気付かれたことに驚いたのか目を丸くしており、その程度かと顔に出さずに落胆する。
やがて、その中の一人が口を開いた。
「僕らの接近に気付くとは……。君が噂のメイド服の冒険者だね。単刀直入に言う。奴隷の身分から解放するから、我々の仲間にならないか?」
要件は、やはり勧誘だった。
これまで何度も経験してきた展開に、リンは心中で溜息をつく。そして、定型の返答を口にした。
「申し訳ありませんが、丁重にお断りさせて頂きます」
そう言って、深々と頭を下げる。
流石に貴族であるご主人様が同行する際に声を掛けてくる者は居ないのだが、一人で居ると直ぐにこうだ。州都一の冒険者が奴隷で、更に単独で活動しているという噂を聞きつけた者が、引き抜きを狙ってやって来る。
男は断られると思ってもいなかったのか、心底から不思議そうな声を上げる。
「奴隷から解放することはもちろん、君の望む条件は最大限叶えるつもりだ。それでも断る理由があるのか?」
話し相手の男は、王都に拠点を置く新進気鋭のチームのようで、辺鄙な州都で名を売っている奴隷を引き抜こうと、わざわざここまで勧誘しに来たらしい。
その努力には感心するが、受ける気はさらさら無いので、徒労に終わるのだろう。
「不満はございません。ただ、私は主人に仕えることを望んでいますので、その意志を――」
「主人には話を通す!」
尊重して頂ければ、と最後までは言い切ることは叶わなかった。その態度に軽蔑を覚える。
話の通じない人間だ。強制されているのではなく、自ら望んで従っているのだと伝えているのに、まるで聞く耳を持たない。奴隷であれば解放されたいに決まっている――そんな短絡的な思い込みを微塵も疑わず、一方的に話を進めてくる。
その思考の狭さに呆れ果て、評価はさらに下降する。もはや地の底に落ちてもおかしくないほどに。
黙ったリンを見て、押せば行けるとでも考えたのか、男は捲し立ててきた。
「金も十分にある! 女遊びをせず、コツコツと貯めてきたから、好きな武器だって買ってやれる!」
リンは早く諦めてくれることを切に願う。
やはり奴隷という身分は面倒だ。貴族であるご主人様に話を通せば、こうした問題はすんなり解決するのだろうが、こんな些細なことに手を煩わせるのは申し訳なさ過ぎる。
それにしても、貴族の子飼いを相手にお金を引き合いに出すのは如何なものか。領主の血を引く貴族様と比べれば、たかが一冒険者の持つ金など端金に過ぎない。間違いなくご主人様の方が豊かだ。
これほど短慮では、今は冒険者の活動が順調に見えていても、いずれ自ら破滅を招くことになるだろう。
しかし、研究資金としてお金が必要なのは確かな訳で。本当にリンのことを大切に想っているならば、有り金を全て置いて帰って欲しい。
これまでのやり取りから窺える自己中心的な態度からして、頼めば逆上するのは目に見えているが。
男は仲間が宥めているにも関わらず、未だ一人で勝手に話を続けている。
本当に諦めが悪い男だ。反対する仲間を押し切ってまで引き込む価値が私にあるとは思えない。
私程度の実力者であれば、王都にごまんと居るはずだ。何が彼をそう必死に駆り立てるのか。
そして、朝早くから冒険者ギルドで大声で話す者が居れば、当然目立つ。見慣れない人間というのも相まって、周りから注目され始めていた。
「何の騒ぎだ?」
「また来たんだよ、例のメイド服の冒険者を仲間にしたいって輩が。どうせ断られるに決まってんのにな」
「はっ、あいつのどこが良いんだか。見た目に騙されやがって。本性も知らねぇ癖によ……」
「おい、その辺にしておけ。殺されるぞ」
ギルドに屯する冒険者の話し声が聞こえてくる。
当人は声量を抑えているつもりだろうが、野伏の心得として聴力を鍛えたリンには丸聞こえである。
会話の内容は心地好いものでは無いが、一々反応するのも良くない。無視が安定だ。過去にしてしまった失敗を、二度繰り返さない為にも。
諦めてもらうまで適当に聞き流すのが、今後のお決まりの流れだ。諦めの悪い相手だと一時間以上の足止めを強いられることもある。
が、今回はそう待たされることは無さそうだ。
「おっと、その子は私達が目をつけている子でね。横槍を入れるのは辞めてもらおうか」
唐突に横からした凛々しい声と共に、男は襟を掴まれ、そのまま壁まで投げ飛ばさる。
投げ飛ばしたのは一人の女性。華奢な腕だが、壁に衝突した際の音から、そこに込められた力は如何程か。
「な、何するんだ!?」
飛ばされた男の仲間が声を荒らげる。
すかさず女に食ってかかり、一触即発の空気が漂う。しかし、女の背後にはさらに四人の女性が控えていた。人数的には劣勢だ。女性だからと侮る者も少なくないが、この男は違うらしく、不利な状況を冷静に受け止めている。
「あ、暁の戦姫……」
成り行きを見守っていると、やがて男は震える声で、ある冒険者のチーム名を呟いた。どうやら女五人という珍しい構成とその力量から、相手の正体を見抜いたらしい。
その推測は正しかった。そして、そのチームのランクはBだ。いくら新進気鋭とはいえ、勢いだけで勝てる相手ではない。男は飛ばされた仲間を抱え、何も言わずにその場を去っていった。
「ありがとうございます。そして、お待ちしておりました……暁の戦姫の皆様」
「いえいえ! 待たせちゃってごめんね、リンちゃん。じゃあ、行こうか!」
男を吹き飛ばしたリーダーである女性が、朗らかな笑みを浮かべる。
その茜色の髪はチーム名の由来ともなり、風になびく様は目を奪われるほど印象的だ。瞳には強い意志が宿り、その圧倒的な存在感は、数多の冒険者や頼れる仲間たちに囲まれてなお際立っている。
暁の戦姫は、強い女性だけを集めて結成されたチームだ。この地に強い女性がいるという噂を聞きつけて、勧誘するためにやって来た。
だが、リンが仕えるべき主はただ一人。仲間になるつもりなど毛頭ない。
とはいえ、彼女たちの実力は目を見張るものがあり、手駒としての適性を感じ、すぐさま主様に提案を持ちかけた。
そして、新たな手駒の候補として認められ、時期を見て行動に移さんと準備を進めている。その間、チームに仮加入という形で関係を維持しているのだ。
領土の南部には、国を跨ぐほど広大な未開拓の森がある。大密林とも呼ばれるそれは、高ランクの冒険者でも苦戦を強いられる危険な場所だ。
暁の戦姫は、リンの勧誘も兼ねて、この森を新たな活動拠点としていた。
本来なら、これからリンは彼女らと大密林へ同行する手筈だ。
しかし……ようやく撒いた種を回収するべき時が来たのだ。
「その前に、寄り道をしてもよろしいでしょうか? 少々気になるものを見つけまして――」
当作品もブックマークを頂きました。
評価をあまり意識せず、自分の書きたいものを書くスタイルで進めていますが、それでも誰かに読んで貰い、評価してくれるのは嬉しいものです。
励みになります。ありがとうございます。