006
更に一年の月日が流れた。
この一年でも様々な変化があった。
リンの鍛錬は、相手が現役の冒険者へと変わり、内容はより実践的なものへと進化した。僕も彼女ほどではないが、剣や魔法の腕を着実に磨き続けている。
そして、リンが言葉を発し、自身の考えを述べるようになったことで、学術研究は以前にも増して捗るようになっていた。
その中でも、特筆すべき大きな変化は、リンの体質の改善だろう。
リンの身体から常時発せられていたオーラ。何とこれを、彼女自身の意思で制御出来るようになったのだ。
どうやら体内に自身のとは異なる魔力のようなものが混ざっており、それが悪さをしていたらしい。
リン曰く、それを自身の魔力で覆い尽くして漏れないようにする、とのことだった。自分には分からない感覚なので理解出来ないが、当人は納得しているから、そういうものなのだろう。
混ざっているそれは一体何なのかまだまだ疑問は尽きないが、何はともあれ、これでリンは自在にオーラを出し入れ出来るようになった。
来客時にいちいち隠す手間も煩わしいので、対外的には奇病が治ったということにして、オーラを常時引っ込めるよう指示した。
リンの不気味なオーラが消えて喋り始めたことで、全く喋らず異様な雰囲気を纏っていた彼女は、単なる優秀な使用人に評価が様変わりした。
その結果、周囲の態度もこれまでの冷淡さから幾分も柔和され、彼女に接近しようとする者も現れ始めた。純粋に仲良くしようとする者も居れば、懐柔を図る者も居る。
とはいえ、これまで散々な仕打ちを受けてきた。今になって他人に心を許すことは無いだろう。
煩わしいだけだと、彼女自身も語っていた。
それでも、リンは類稀なる才と高い向上心が合わさった結果なのか、戦闘と魔法の両面で僕以上の成長を見せている。
先生の話によれば、僕も目を見張る成長を遂げているが、それはあくまで常人の範囲内の話だ。一方、リンについては、その成長は常識を逸脱していると評されている。
これまでは閉塞的な環境のお陰で、彼女に好意的に接する者は現れなかった。
しかし、今後外に出して活動させるとなると、間違いなく彼女の実力に目をつけて勧誘する者が現れ始めるだろう。
そうした事態に備えた対策や、反逆されない絶対服従の措置を、そろそろ真剣に練らなければならない。
……そう考えていたのも束の間、僕の懸念は早くも実現してしまっていた。
「魔導師から勧誘されている?」
「はい。魔導師の元で研究に協力するならば、奴隷の身分から解放し、不自由の無い暮らしを保証する、とのお話を頂きました」
「ふーん、成程ね……」
夜分、別館の自室にてリンから報告を受ける。
どうやら僕らに魔法を教えている魔導師が、オーラが消えて接しやすくなったのを良いことに、僕の目を盗んでリンの身柄を引き取ろうとしているらしい。リンの才能や魔力量が研究の進展に大きく寄与する、と考えての行動だろう。
魔導師の怪しい動きは以前から察知しており、どこかで詳細を問い質そうと考えていたが、リンの方から先にその事実を申し出てきた。
リンは奴隷だから、彼女自身の意志だけで引き取るのは不可能で、所有者に話を持ちかける必要がある。僕に話を持ちかけてくれれば良いが……僕は貴族といえども所詮は子供、領主であり親でもある父の決定には逆らえない。
万が一、そんな事情を見越して魔導師が父に話を持ち掛けてしまったら、僕はリンを手離す羽目になってしまう。父は未だに僕を当主に据える気で居るらしく、奴隷と共に鍛錬や研究に没頭している現状を好ましく思っていない。
面倒な事態だ。難しい顔で悩む素振りをするが、その内心ほくそ笑んでいた。
リンがその旨を自ら打ち明けたということは、魔導師のところに行って奴隷の身分から解放されるより、奴隷のままでも僕と一緒に居る方が良いと考えていることに他ならない。
奴隷の首輪も万能ではなく、本人の意思に反することを強いれば、その不自然さは動作に必ず現れる。
しかしこのことを打ち明けるリンの態度には、迷いや躊躇いといった不自然さは一切見られなかった。
僕への依存と忠誠心が着実に根付いていることを実感し、思わず笑みがこぼれそうになる。
「どのように対処いたしましょうか?」
リンは僕に判断を委ねる。
これまでは彼女に余計なことを考えさせないよう、彼女の行動の指針に関する決断は常に僕が下してきた。委ねてくるのは、極めて自然な流れだ。
ただ、そろそろリンの意思を問いてみたい。
今後外に出して単独行動させることを考えると、融通を利かせる為に彼女の判断に委ねる機会は増える。彼女がこの状況で、どのような決断を下すのか興味があった。
「リンならどうする? 君自身の考えを聞かせて欲しいな」
「私、ですか?」
これまでにない展開に驚いてか、目を丸くして聞き返すリン。僕は改めて、深く頷いてやる。
「私は、ご主人様と離れたくありません……」
「ここまで時間を掛けて大切に育てて来たんだ。僕も手放す気は無いよ」
それは相談を受けた時点で分かりきっている。
本題は、魔導師への対応だ。
リンが自ら断りを入れたとしても、それで引き下がるとは限らない。強引に父へ交渉を持ちかける可能性も十分に有り得る。
他にも、リンの優秀さが魔導師から口外されることで、同様に勧誘してくる者が次々と現れる展開も考えられるだろう。
選択肢とそれに伴う結果が多岐に渡るこの状況下で、彼女は一体どのような手段を講じるつもりなのだろうか。
果たしてリンは、長い逡巡の末に、一つの結論を出した。
「――殺しますか?」
「……」
適切な返答が思い浮かばず、思わず黙り込む。
リンもこちらの反応を上目で窺い、静寂が場を包み込む。聞こえるのは二人の僅かな呼吸音のみ。一瞬にも近いその時間が、永遠にも感じられた。
……驚いた。まさか彼女の口から、これほど非道徳的な意見が飛び出すとは。
冗談を言う性格ではないものの、念の為に表情を確認すると、やはり表情は真剣そのものだった。
一応、殺害という手段は僕も真っ先に考えついていた。
死人に口無し。相手を消してしまえば、余計な干渉を受ける心配もなく、確実だからだ。もちろん、露見を防ぐ為に入念な計画を練る必要はあるが、行為そのものは手早く済ませられる。
ただ、相手は僕らに魔法を教えてくれた恩師とも呼べる存在だ。リンが殺すことを嫌がり、命じた僕を疎ましく思うのを危惧して、見送っていたのだ。
それがまさか、彼女の方から提案されるとは。
教育の過程では、将来的に研究の一環として人間に手をかけることを示唆しつつも、一般常識や倫理観について十分に説いたつもりだった。
それが上手くいってなかったのだろうか?
「えっと……殺しが良くないことっていうのは、理解しているよね?」
「はい、よく存じております」
「なら、その結論を出した理由は?」
僕の詰問に、リンは珍しく一瞬言葉に詰まる素振りを見せる。しかし、それも束の間、すぐに落ち着きを取り戻して答えを述べる。
「失礼を承知で申し上げますと……ご主人様なら、そのようになさると考えたからです」
「へぇ……」
警戒心が強まり、自ずと声が冷たくなる。
その言葉は遠慮がちなものの、喋る口調や表情には力強さがあり、確信を抱いている様子だった。
僕が人間に手をかけたのは、リンを迎える前に購入した奴隷を解剖に使った一度きり。それ以降は親の目もあって、非人道的な行為は控えてきた。
にも関わらず、僕の考えを見抜かれていたとは。
リンのことを観察し、推し量っているつもりでいたが、実際にされていたのは僕の方だったのだろう。僕のことをどこまで理解しているのやら。
確かなのは、リンが優れた洞察力を持ち、僕が常人とは異なる存在であることを見抜いていたということ。そして彼女は、その事実を理解した上で、自らの意志で僕に従っている。
脱走を試みる……その可能性は低いだろう。
もし逃げるつもりであれば、無能を装って僕の警戒心を解く方が理に適っている。わざわざ勧誘の話を自ら打ち明け、有能さを示して警戒心を煽る必要など無い。有能さを見せつけて取り入る意図だとしても、これでは警戒心を煽り過ぎて逆効果だ。
「リン、この機会に探索へ出てみようか」
「……よろしいのですか?」
警戒される発言をした直後に探索の許可が下りるとは、流石のリンも予想外だったのか、僕の提案に目を瞬く。
「うん。想定より早いけど、この屋敷に留めた所でリンの成長を阻害するだけだからね。リンは外に出たいかい?」
この屋敷の中で出来ることには限界がある。
指導を任せている冒険者から、実地での経験を積ませるために外へ出したい、という提案を受けていたし、外でしか得られない経験が多くある。
どうせ遅かれ早かれ外に出す日は来るのだ。一定の忠誠心が確認出来た今なら、送り出しても大した問題は無いだろう。
「ご主人様のお役に立てるのであれば、どのようなことでも喜んでお引き受け致します」
やがてリンは恭しく頭を下げる。
やる気も十分あるようで何よりだ。
「よし、それじゃあ、これからは冒険者として活動しようか。研究に使う素材を回収しつつ、人間や魔物を相手にした実践での戦闘経験を積んでいこう」
素材の取り扱いは基本的に、冒険者組合が提示したものに従い、必要量を収集・提出することで規定の価格で買い取られる形だ。
ただし、規定量を超えて集めたものの扱いは明確には定められておらず、追加で買い取ってもらうことも、自分で自由に利用することも出来る。規制もそれほど厳格ではなく、生態系に影響が出ない範囲であれば、自由に素材を回収して問題無い。
「まずは登録だけど……その前に、活動に向けて武器や装備を新調しなくちゃね。何か要望はあるかい? 君の生命線になるものだから、屈託の無い意見を述べて欲しい。勝手に死ぬことは許さないよ」
「承知しました。それでは、ご主人様。装備を、私の普段の装いと同じ外装にして頂くことは可能でしょうか?」
なるほど、普段リンが着ているのはメイド服だ。それと同じ外装、そう頭の中にメモして――。
うん、待てよ?
「え、メイド服? 今着てる?」
「はい、その通りです」
素っ頓狂な発言に思わず聞き直すが、聞き間違いでは無いらしい。眼差しも真剣そのものだ。
意図が読めずに訝しんだ目を向けていると、続けて躊躇いがちに申し出る。
「もし難しいようであれば、せめて装飾品だけでも身に着けさせて頂けないでしょうか……?」
「……理由は?」
「離れている時でも、ご主人様の存在を感じられるものが欲しいのです。それに、メイド服であれば着慣れておりますので、平常心を保ちやすいかと存じます」
淡々と述べるが、その奥からは切実な想い、寂しさが垣間見えた。
思い返せば、僕が家の都合で外出する際には、彼女は常に屋敷で待機させていた。その間、彼女は孤独の時を過ごしていたことになる。
感情表現が控えめな彼女だが、決して感情を持たない訳では無く、普通の子供と何ら変わらない一面も持ち合わせている。
彼女の僕への依存は、想像以上に深かった。離れ離れになった際の寂しさも、僕が思っていた以上に大きなものだったのかもしれない。
「……やはり目立ってしまいますし、難しいでしょうか?」
リンは不安げな表情を浮かべ、じっと僕の顔を見上げた。小さな肩を少しだけ震わせながら、上目遣いで恐る恐る問い掛けてくる。
断るなんてとんでもない。
彼女のモチベーションが上がるだろうし、常に僕を意識させることで、忠誠心を維持する効果も期待出来る。目立つデメリットについても、彼女自身がきちんと理解しているようだ。
何より、これまでほとんど欲求を口にしたことの無い彼女が、どうしてもと願い出たことだ。
ここは一つ、その願いを叶えてやろうじゃないか。
「全然駄目じゃない。むしろ、正直に教えてくれて嬉しい限りだ。僕の存在を感じていたいんだね? なら、僕が直々に丹精込めた専用の装備を作ってやろう」
その言葉に、リンは折れ曲がりそうなほど深く頭を下げた。そして、その状態のまま感極まったような声で言葉を紡ぐ。
「そこまでして頂けるとは、誠に喜悦の至りに存じます。必ずや、ご主人様の役に立ってみせます」
ここまでの感情を彼女から引き出せるとは。
これは、彼女に相応しい上等な装備を用意してやらねばならないな。
「うん、ありがとう。気持ちは伝わったから、顔を上げていいよ」
「申し訳ございません。はしたない振る舞いでした」
言いながらリンは元の直立の姿勢へと戻る。
それにしても、メイド服か。
戦闘に耐えれるものとなると手間は掛かるが、大半は魔法で何とかなるだろう。というのも、魔法は単に実体化して放出するだけでなく、物体に魔法の力を組み込むことも可能なのだ。
組み込んだ力は、微細な魔力を注ぐだけで発動できる仕組みになっている。いわゆる魔法の道具というやつだ。武器から家具まで様々な分野で活用されており、「魔導具」という名称で親しまれている。
そして錬金術は、魔導具の製作にも長けている。それなりに学んできたお陰で、冒険者用の装備を拵えることくらい造作もない。現に僕が今着ている服にも護身の効果が付与されており、いつでも身を守れるようになっている。
この世界のメイド服には、趣向が凝らされて細かいパーツが多いものもある。それら一つ一つに魔法を組み込んで、魔導具で全身を固めるのも面白いだろう。服の下に、小道具を仕込むのも一興だ。
彼女は平常心を保てるからと述べたが、メイド服であれば普段着も兼ねているので、日常生活の中でも危急の事態に対処しやすい利点がある。
良いじゃないか。中々に愉快な創作になりそうだ。
「装備を作るのには少し時間が掛かるから、それまではいつも通りに過ごしつつ、魔導師への対処を考えていこうか。もちろん、殺す方向でね。後は、外での振る舞い方についても教えておかないとな……」
「承知しました。如何様にでもお申し出ください」