003
購入した奴隷を連れ帰ると、案の定、屋敷は大騒ぎとなった。
奴隷の発するオーラは想像以上に強力だったらしく、帰路の馬車では同席していたメイドが終始震えていた。馬車の御者や屋敷の門番に至っては、一目見ただけで腰を抜かしてしまう始末である。
騒ぎを聞きつけて駆けつけた父も、奴隷を見た瞬間に怒鳴り散らした。
近付かせるな、縁起が悪い、今すぐ捨てろ、いっそ殺してしまえ……。感情的に喚き立て、次第に話が通じなくなってきた為、一旦引き下がることにした。
母には、事前に考えていた弁明を伝えたところ、従者として大切にする気持ちがあるのなら問題無いと許しを得られた。
しかし、それでも困惑した様子を隠せなかったようで、顔が引きつっていた。普段は気品を纏い動じることのない母が、あれほど困惑する姿を見せるのは初めてだった。
一方で兄は、何も言わず、不審者を見るような目でただ遠巻きに僕らを眺めるだけだった。
その後、奴隷を別館に置いて父の元に戻ると、やや冷静さを取り戻していた。
そして、もう少し道理や常識を考えろ、貴族たるもの侍らせる者にも品位が求められる、などと中身も説得力も無い説教を始めた。
もちろん、僕は適当に聞き流していた訳だが、最終的に奴隷は別館から出さないのであれば、置いても構わないという結論に至った。
これにより、屋敷の横にある使われていなかった別館全体を、自室として自由に使う権利を得られた。
これは嬉しい誤算だった。
* * *
「お待たせ。荷物はある程度こっちに運び終わったから、早速色々始めていこうか」
ここからは別館で、奴隷との時間に入る。
……とは言ったものの、衝動的に買ってしまった彼女をどう扱うべきか、未だ決めかねていた。
幼く、悪目立ちするオーラを発しているから、器具の手入れくらいは務まるだろうが、外へ使い走りをさせるのは難しいだろう。一人で外に出せば、何かしらのトラブルに巻き込まれそうだ。
なかなか死なないと言わしめる強い生命力にも興味はあるが、研究しようと腑分けして死んでしまっては、今後こそ親から見放される恐れがある。
となると、幼いうちから色々と仕込んで、助手に育てるべきだろうか? 上手いこと育成出来れば、立派な助手として研究の発展に大いに寄与してくれそうだ。
しかし、膨大な時間と手間が掛かり、その分僕の研究は停滞してしまう。
果たして、それだけの手間をかけて元が取れるのだろうか。多くを注ぎ込んだのに、大したものが得られず、限られた時間を無駄にするだけの結果に終わってしまったら――。
「ぐっ……」
そう思うだに、死の気配が背筋を這い寄り、吐き気が込み上げてくる。
……不安は残るが、他に良い使い道が思い浮かばない。助手として育てる方向で動いて、経過を観察するとしよう。
まずは、彼女の傷だらけの身体を何とかすることから始める。傷口自体はどれも塞がっているが、深い傷痕が多く刻まれている。
今後、長い時間を共に過ごすことになるだろうから、見た目は最低限整えておきたい。事あるごとに傷痕を目にするのは、僕の精神衛生上好ましくない。
無抵抗な奴隷をベッドに寝かしつけて、一つ一つの傷痕を検分する。傷を与えた者に強い殺意はなかったようで、数こそ多いものの、身体機能に影響を及ぼすほど深いものはなかった。この程度ならば、今の僕でも十分に治すことが出来る。
身体に触れていると、強い生命力というのが一体どんなものなのか、実際に傷を付けてこの目で確かめてみたい好奇心に駆られる。しかし、今やっては不信感を与えるだけなので抑える。
僕は不老不死の実現の為に、幼い頃から人体に関する様々な勉強を行ってきた。その成果を存分に発揮して、元の綺麗な肉体に戻してやろうじゃあないか。
僕がこれまで学んできたことは主に三つ。薬学、錬金術、そして回復魔法だ。
薬学はその名の通り、調合の仕方から扱い方や効力まで、薬に関するあらゆることを学ぶ。
今後行うであろう人体実験に備えて、主に麻酔周りの致死量や効果をきちんと把握しなくては。痛みで暴れられては困るし、不用意に被検体を死なせては勿体ない。
レスト王国には原料となる薬草が多く自生しているので、調達も容易で学ぶのに適している。力が求められる場面が薬草をすり潰す時だけなので、子供の身体でも無理なく扱える点が素晴らしいところだ。
錬金術は、卑金属から貴金属を錬成するように、物質をより高度なものに変換するものだ。前世では実現不可能とされていたが、今世は魔法を用いる事で可能となっている。
そしてこの世界の錬金術は、高度なものに変換するだけに限らず、皮膚の培養など人体への介入も可能だった。極めれば、魂を錬成して無から人を生み出せるようになり、不老不死の実現も……という噂がある。
眉唾物の話ではあるが、不老不死の実現を願う僕が見逃せるはずもなく、勉強することになった。複雑な人体や臓器はまだ無理だが、皮膚や血管程度の単体の部位ならば生み出せる。
回復魔法は、傷を塞ぐ魔法だ。
魔法で怪我を治せるとは流石はファンタジーの世界……と言いたいところだが、案外融通が利かない。治癒を促すのではなく、魔法で皮膚などを精製して傷口を無理に塞ぐのだ。やっていることは、錬金術に近い。
その為、行使するには人体の構造に対する理解が不可欠であり、必要となる魔力量も馬鹿にならない。
切り傷を塞ぐ程度ならば簡単だが、捻挫や骨折といった体内の損傷を治療するには、深い知識と膨大な魔力が求められる。半端な知識や魔力で無理に傷を塞いでしまえば、骨格が歪むなどして後遺症が残ることもある。
とはいえ、衛生面に不安の残るこの世界では、傷口を塞ぐだけでも需要は高い。ウイルスや細菌なんて概念はこの世界には無いものの、傷口から良くないものが入るという価値観は存在しているらしい。
大した魔力を要さずに、自然治癒を促し体内の損傷まで癒す、真の回復魔法と呼べるものも存在する。
しかし、この世界の諸事情により、今の僕には習得が難しい。外傷での死を避ける為にいずれは習得したいが、それは当分先の話になりそうだ。
話を戻す。僕は今からこれら三つの分野を活かして奴隷の傷痕を治してやる。薬や魔法の効能は、以前解剖に使った奴隷で確認してあるので、失敗する可能性は低いはずだ。
「――という流れで君の傷痕を治そうと思うけど、問題無いよね?」
善意からの行いとはいえ、無理やり眠らせて身体を好き勝手弄るのだ。無断で行う訳にはいかないし、彼女の持つ生命力が何らかの拒絶反応を起こす可能性もあるので、懇切丁寧に説明してやる。
心を開いてもらう為に、これまで傷を与えてきた者共とは違う、親切な人間だと分かって貰わねばならない。
しかし、相変わらず反応が無い。
話している間も、ただ黙ってぼんやりと僕を見ているだけだ。朧気ながらも僕を目で追うようになったという、僅かな進展を喜ぶべきなのか。
服従の魔法を行使して歩け、などと命じれば、認識して従うので、言葉は理解出来ているはずだが……。
「まぁ、僕に任せて頂戴よ」
翌日、傷一つ無い綺麗な肢体を持つ少女が目を覚ました。
これまで学んできた知識を活かした施術が上手くいって、非常に喜ばしい限りである。簡単なものではあるが、不老不死に一歩近付けた手応えを感じる。
これを機に、少しでも心を開いてくれればと期待したが、残念なことに彼女は自身の状態を確認する素振りすら見せなかった。
実は購入時に商人から、食事から排泄まで全ての行為を命じた方が良い、との忠告を受けていたのだが、実際その通りだった。生きるのに必要なことさえ、彼女は自主的に行おうとしない。
……やはり彼女は全てを諦めてしまっている。
その原因は、商人から聞かされた境遇、身体に刻まれた数多の傷、忌み嫌われるオーラ……それらから何となく想像はつく。
きっと、周囲から存在を否定され続けてきたのだろう。出会い頭に心無い言葉を投げつけていた父のように。
同情はするが、だからといって生を放棄してしまうのは余りに馬鹿馬鹿しい。彼女は知らないだろうが、死んでしまっては今以上の苦しみを味わうことになるのだ。
まずは、彼女に生きる理由を見出してもらうのが第一の目標となるだろう。それが僕の為であれば尚良しだ。
ただ、未だに彼女は僕を一人の人間として認識していないので、どうにかして意識させる切っ掛けを掴みたいところだ。このまま手を煩わせて、時間を浪費している場合では無い。
そこで早速、彼女に話しかけてみたり、貴族用の豪華な食事を分け与えたり、一緒に庭を散歩させたりと、心を開かせようと様々な試みを行った。
――しかし、その努力も虚しく成果は上がらなかった。
「そういえば君、何て名前なの?」
購入して一週間ほどが経過したが、一向に進展が無いことから心を通わせるのを諦め掛けていた頃、ふと彼女の名前を知らないことを思い出した。
これまでずっと二人で行動していたので、適当な代名詞で呼んでも支障は無かったが、よくよく考えればきちんとした呼び名が無いのは何かと不便だ。
そんな軽い気持ちからの問い掛けだ。返事は無いだろうと高を括っていたのだが――。
今まで何をしても動じなかった彼女の身体が、ピクリと僅かに震わせる挙動を見せた。
「名前……名前が無いの?」
瞳の焦点が、初めて僕に合う。しかし、返答が一向に返ってこないので、そう推察してみた。
名前に思うところがあるのか、彼女は初めて反応を見せた。この偶然得られた絶好の機会を逃す訳にはいかない。
やがて彼女は、小さくコクリと首を縦に振った。
「なら、僕が名前を付けてあげよう」
* * *
瞳に微かな光を取り戻した少女を連れて、父の居る執務室に入る。父は僕の背中に侍る者を見るなり、僕を見る目は鋭くなった。
「シリウスよ、二度と目の前に連れてくるなと言ったはずだが?」
「えぇ、仰る通りです。ですが、彼女に関して父上に一つお願いがございまして……」
「……言ってみろ」
父は不機嫌ながらも許しを出す。
「彼女に礼儀や作法を学ばせたく思いまして、屋敷の侍女に助力を願おうかと。宜しいですかね?」
「駄目に決まっているだろう。こんな気味の悪い奴に屋敷を歩かせるなど、家名に傷が付いてしまうではないか。追加の金をやるから、そいつは捨てて別の奴隷を買ってこい」
度重なる散財で、現在進行形で家名に傷をつけている人が何を言うのだろうか。
さておき、断られるのは分かりきっていたので、事前に考えた説得を試みる。
「父上のお気持ちも理解しております。しかし、彼女の身体には、見ての通りの不気味な雰囲気だけでなく、他にも興味深い点が多々ございます。どれも非常に稀有なもので、時間をかけて調査する価値があるかと。とはいえ、ただの被検体として別館に置いておくだけでは勿体ない。元々は従者として迎えるつもりで購入したのですから、相応の教育を施すのも一案ではないでしょうか? ほら、父上も彼女の身体をご覧になってください」
父は嫌悪の色を隠そうともせず、慎重に視線を横に滑らせる。
「……確かに、身体の傷が消えているな。お前が何か施したのか?」
「えぇ、日々研鑽を積んできた成果が、こうして形となったのです。この調子で研究を進めれば、いずれ彼女の存在が大きな発見へと繋がるやもしれません。そうなれば、家の名声も更に高まることでしょう!」
「むっ……」
表情が揺らぐ。地位やら名誉やら、貴族かぶれの父には魅力的な提言だろう。
「基本的に別館と使用人用の区域に置きますので、まず父上の目に触れることはないかと。それに、来客の際には必ず隠すよう徹底いたします。万が一、人前に姿を現してしまった場合には、素直に父上のご命令に従いますよ。不意の来客には対応しきれないかもしれませんが……」
揺らいでいる所に、更に言葉を付け加える。
父はそれっぽいことを言うだけで簡単に納得してくれるから楽で良い。それに、彼女のオーラを浴びてか冷や汗をかいている。
冷静さを欠いた判断が期待出来ることだろう。今後、交渉時には彼女を連れて来るのも手かもしれない。
来客への対処もあのように豪語してみせたが、父が家の評判を落としているお陰で訪れる機会は少なく、隠すのはさほど難しくない。
無論、露見して捨てるよう促されても、捨てるつもりは毛頭無い。その時はその時で何かしら理由をつけてごねるつもりだ。
奴隷の少女はずっと父の方を見つめている。父が不安げに一瞥すると、目が合ってビクリと肩を震わせた。
「……そこまで言うなら良いだろう、許可する。早急に退室せい」
「ありがとうございます」
会話を終えると、言われた通りに僕らは足早にこの場を去る。去り際にさりげなく父を伺い見れば、決断を後悔しているのか頭を抱えていた。
言質は既に取った。哀れな父は放っておいて、視線をこちらを見る奴隷の少女に移す。
「よし、父からの許可が降りた。話は聞いていたね? 早速今日から頑張ってもらうよ、リン」
リンと呼ばれた少女は、頭をこくこくと何度も頷かせる。
彼女はまだ幼いが、前世でよく目にした外見の影響か、凛とした美しさが感じられる。なので、そのままリンと名付けた。
安直ではあるが、変に長く凝った名前にしても、咄嗟の時に呼びづらくなるだけだ。そう考えれば、これくらいが丁度いい。
そして名付けたのをきっかけに、彼女は僕を視認し、言うことを聞くようになっていた。
未だに喋る様子は無く、まだまだ隔たりはあるが、そこは時間を掛けて徐々に詰めていけば良いだろう。彼女は真正面から僕を見ているから、もう焦る必要は無いはずだ。
これから彼女には、従者としての振る舞いを身に付けさせる。便利な助手として育てるのもあるが、一番の目的は人格面の形成だ。
彼女はまだまだ子供で、精神が成熟していない段階だ。その時期から人に従う生き方を覚えさせれば、成熟する頃には従順な人格に育ってる……と思う。幼少期の経験が、人格の大半を形成するという話を聞いたことがある。
それに伴って、彼女が屋敷から出ないようにしなくては。
今は彼女に優しく接するのが自分しか居ないが、オーラによって孤立する彼女に対して、同情から優しく接する者が他に居ないとは限らない。他に優しい人が居ては、心移りをしてしまうかもしれない。そこまでは行かなくとも、僕に対する感情が薄れるのは確実だ。
それは好ましくない。ずっと手元に置いて、彼女に優しく接するのは自分だけと思わせなければ。そしてあわよくば、逆らうという考えが浮かばなくなるほどに、僕に依存させたい。
逆らわない確信が得られる手駒が一人いるだけで、動きの幅は格段に広がる。
……だが、いずれは彼女を外に出す日が来る。それに、成長するにつれて様々な知識を身に付けて、自分で物事の道理を考えるようになるだろう。
彼女が僕に忠誠心を抱くよう、出来る限りの努力をするつもりだが、いつまでも彼女が僕に付き従ってくれる保証はどこにも無い。恩義や恐怖、親愛といった感情による支配が、裏切りを防げなかった例は数え切れないほどある。上手く行かないから、隷属の魔法なんてものが存在するのだ。
その隷属の魔法も不完全だ。悪用出来ないよう両者の同意が必要になっているし、魔法に秀でた者は自力で解除すると聞く。
完全に支配するには、環境や教育による洗脳では不十分だ。より隙の無い高度な服従の魔法か、脳への施術のような直接的な手段が必要になってくるだろう。
この世界では魔法のお陰で、子供でも前世の医者並みの、下手したらそれ以上の施術が行えるようになっている。脳を弄ることだって不可能では無い。
そのことを踏まえて、逆らうことのできない、絶対服従を実現する方法についても検討していこう。
僕は健気に頷くリンに向けて、努めて優しく微笑んだ。笑顔の裏に、密かなる企みを忍ばせて。