今度こそ二人で
会場内の全員から信頼を失った国王は、青白い顔で俯いたまま、そっと席を外した。
そのことに苦言を呈す人は誰一人としていなかった。
一方オリビアは、未だ現実を受け入れられないのか、呆然としたまま宙を見つめていた。
「そ、んな…でも、じゃあ私は……?」
涙でぐしゃぐしゃの顔で、オリビアは縋るような目線をレインハルクに向ける。
「あなたは、俺のリリーを貶したでしょう」
「だって、その女が私にマウントをとってきたのよ!」
オリビアは、この日のために綺麗に整えられた髪をぐしゃぐしゃに掻き乱しながら叫んだ。
「レイのことを『ハルク』って呼んでいいのは、あなたの妻になる人だけの特権で…!なのにその女が!勝手にそう呼んだの!」
「俺がいつそんなことを言いましたか?」
「私があなたを『ハルク』って呼ぼうとしたとき、あなたは『家族が使うから恥ずかしい』って!でも私調べさせたの。そしたら誰も使ってなかったわ、その呼び名。だから、あなたは自分の家族になる人だけに呼んで欲しかったってことでしょう?」
「少し解釈が違うな。俺を『ハルク』と呼んでいいのは、この世界でリリーただ一人だ」
レインハルクの声に明らかに熱がこもったのを感じたオリビアは、さらにヒステリックに叫んだ。
「そんなの、あっていいはずがないわ…!私の、私のレイがその女のものだなんて…!私にはあなたしかいないのに……!」
ぼろぼろと涙を流しながら、鬼のような形相でこちらを睨むオリビアには、美しく可憐な王女の姿などどこにも見当たらなかった。
「私の病気を支えてくれるのは、あなたしかいないの!だって、あなたといるだけでこんなに気持ちが楽になって…あなたといることが私にとって唯一病気を忘れられる幸せな時間なのに!」
レインハルクは、そんなこと自分には関係ないと心から思っていたが、オリビアは真剣に彼に訴えていた。
病気のことを持ち出されると、これはまた難しい問題であった。
オリビア専属の近衛騎士であるレインハルクが、これまでオリビアを一番近くで支えていたことは確かだ。
たとえレインハルクにその気が全くなくとも、オリビアはレインハルクに恋をしていて、彼との時間が病気を忘れさせてくえる癒しでもあったのだ。
「王女殿下…」
そこに、透明感のある優しい声が響いた。
これまでレインハルクの後ろで彼の辛い境遇を聞き、涙を流していたリリーシュアだ。
「私が、王女殿下の病気を治します」
その言葉に、周りはしん…と静まり返った。
しかし、レインハルクだけは違った。
「でも…っ、君がその力を使えば、今度は君が危険に晒されてしまう。一度力を使ってしまえば、なぜあの時は救ったのに、と責められるのは君の方だ……」
レインハルクは、リリーシュアがその力を使うことで、この先もその力を使わなければならないことを危惧していた。
「せっかく、その力を使わずに、幸せな生活が送れる人生だったのに……」
「私には幸せな人生を送る資格なんてないわ…」
それは違う、と反論しかけたレインハルクを制し、リリーシュアはオリビアに真っ直ぐな視線を向けて言った。
「私が治す、なんて言ってしまいましたが、私には対象のものの力を大きくすることしかできません。しかし、この力は魔術にも使うことができます」
ちらり、と視線を向けた先には、王女の容態が悪くなったときのために控えている治癒魔法士の姿があった。
「どんな病気や怪我でも治せると言われている聖魔法士と、治癒魔法士の違いは、魔力量なのですよね。幸い、治癒魔法士の方は複数いらっしゃるようですので、私が彼らの魔力の力を強めましょう」
ふんわりと微笑んだまま、リリーシュアは続ける。
「そうしたら王女殿下は病気に囚われずに生きることができます。本当はこのような手段があったにも関わらず、長い間口を閉ざしていたこと、お許しください」
聖女様だ、と会場内で誰かがつぶやいた。
それは広がっていき、聖女様の誕生だ、と会場内は大きく盛り上がり始めた。
「それでは、リリーがあなたの治療をすることと引き換えに、金輪際王家はリステンブル伯爵令嬢と関わることはない、と約束してくださいますね?」
レインハルクは、席を外した国王の代わりに、王女へ返答を求めた。
「え、ええ…分かったわ…」
レインハルクの圧に負け、オリビアはこくこくと震えながら頷いた。
自分の父親である国王が、レインハルクに容赦なく魔法で脅されているのを目の当たりにしたからかもしれない。
「あ、あなたは…?」
未だ希望を捨てられないオリビアに、レインハルクは貼り付けた笑顔で答えた。
「俺は、雇い主である陛下に剣を向けてしまったので、もう王家に仕えることはできないでしょう。俺を再び雇えば、それは王家の信用問題に繋がってしまう」
今の現状、信用問題も何もあったものではないが。
「これまでお世話になりました。婚約破棄についてのお話は、また後ほど」
そう言って最後にオリビアへ礼をとると、リリーシュアの肩を優しく抱き寄せ、後ろに控えていたニックへ視線を送り、二人はそのまま転移魔法で会場から姿を消した。
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二人は、花が咲き並ぶ道へと転移していた。
そこは会場に入るまでの道であるが、きた時とはまた違う雰囲気が醸し出されている。
「あの、ハルク様…」
リリーシュアは遠慮したような声色で話しかけた。
「ごめんなさい…っ、私、あのときの茶会で、何も覚えてなくて…!」
リリーシュアとして参加した幼い頃の茶会で、すでに彼を傷つけていたことに悲しさが募る。
「いいんだよ、俺はあのときの幸せそうな君の笑顔に救われたんだ」
本当に大丈夫だよ、と微笑んだ彼の瞳は、その言葉とは裏腹に寂しげに揺れていた。
「でも、私…っ、あなたを傷つけてしまったわ…せっかく、会いにきてくれていたのに…」
騎士団の練習場で精一杯の勇気を振り絞ってレインハルクに話しかけたときが思い出された。
あのとき、確かに拒絶されて悲しかったが、彼が同じような思いをしたのは今よりずうっと前のことだ。
「ハルク様は、私のことをずっと守ってくれていたのに……私は、あなたは約束を覚えていないんだと思って、勝手に悲しんで…」
流れる涙が止まらなかった。
自分を責め続けて、それでもなおリリーシュアを守ろうと自分の人生までかけるなど、どれほど大変だろうか。
「ああ、泣かないで…」
レインハルクはリリーシュアの頬を優しくなぞった。
そして、そのまま彼女をぎゅうと抱きしめた。
「今だけでいい、から…」
これまでの寂しさを埋めるような彼の抱擁に、リリーシュアも精一杯抱きしめ返した。
「ごめんね、俺にはこんなことする権利なんてないのに…」
そう言いながらも、力はどんどんこもっていく。
「ああ、離れ難いな……」
リリーシュアの体温があることを確かめるように、顔を彼女の肩に埋めた。
彼のさらさらとした髪が肩をくすぐる。
たまらなくなって、リリーシュアは口を開いた。
「ハルク様、私…っ、」
しかし、
その言葉の先は、彼には届かなかった。
「お迎えが来たね」
突然彼のぬくもりが離れ、先ほどよりずっと寂しそうな顔をしたレインハルクが、そう言ったからだ。
彼の視線の先の遠くには、ニックの姿があった。
二人の話が終わるまで待機してくれているのだろう。
そこからこちらへ向かうことなく、気を遣ってくれているのがわかった。
「さっきニックに伝えておいたんだ。これからの護衛の指揮は全体的に彼がとる」
「え…それは、どういう…?」
「お別れだよ、リリー」
名残惜しそうに彼女の名前をこぼしたレインハルクは、切なげに微笑んだ。
「君と一緒にいれば、きっと俺は君を不幸にしてしまう。だから……」
「…や、いや、ハルク様…!」
その表情に、リリーシュアは、彼がこれからしようとしていることがわかった。
分かってしまった。
そして、そんなのは嫌だと涙をこぼした。
「あなたがいない世界で生きるなんて、耐えられない…!ハルク様がいない世界で生きても、なんの意味もないのに…!」
いつかと同じ言葉を、泣きじゃくりながら叫ぶ。
「私が死んだのはあなたのせいじゃない…!私は、あなたの腕の中で死ぬことができて幸せだったの……最期まで、あなたのぬくもりを感じていられたから…」
思わず、彼の服の裾をぎゅっと掴んだ。
どうしたら、この誰よりも大切な存在を繋ぎ止められるだろうか。
「あなたを不幸にしてしまったのは、私の方なんです…私と一緒になったから、あのときあなたは死んでしまった。私と生きなければ、もっと誰かに賞賛されて、英雄と崇められて、ずっと続く幸せな家庭を築けたかもしれなかったのに…!」
あのときのあなたの、子どものような泣き顔が頭から離れない。
「今の人生だって!私を守るために、人生全部を懸けてくれてる…!せっかく自由になれたのに。新しい職で活躍して、新しく愛する人を見つけて、自分がされなかった分まで、子どもをめいっぱい大切にする、そんな人生だってあったのに…!」
「そんな人生なんていらない…っ!」
たまらずレインハルクが叫んだ。
「いらないんだ、そんなの。俺にとっては、君の幸せが全てだ。他に何も、いらないんだよ…」
初めて好きになった人だから。
初めて、守りたいと思った人だから。
「そう言ってくれるなら、私をおいて死なないで…!」
今度はリリーシュアからレインハルクを抱きしめる。
レインハルクは姿を消すつもりなのだ。
リリーシュアがこの先、自分のことで惑わされて、新しい幸せを見つけられなくなることがないように。
「いやです…っ、そんなの、いや…」
ぎゅうとさらに力を込める。
リリーシュアはいらないのだ。
ハルクのことをこの先考えることがない人生なんて。
新しい幸せなんていらない。
「ひとりに、しないで…っ」
ひっく、としゃくりあげたぐしゃぐしゃの顔のまま、思いを伝える。
「あなたが生きて、幸せでいることが、それだけが私の幸せなの…生きる、理由なんです…っ」
レインハルクの震えた手が、恐る恐るリリーシュアの髪に触れた。
「好きなの…ずっと、ずっと好きなんです…!あの人生で私を孤児院から連れ出してくれたときから、ずっと…!」
リリーシュアは、恥ずかしさも忘れて髪に触れていたレインハルクの手をとって頬擦りをする。
ぽろぽろと流れた涙が、彼の手を濡らしていった。
「いまも、あなただけ…っ」
「ああ…っ、俺も、リリーだけだ」
我慢ができずに、レインハルクはリリーシュアをかき抱いた。
「好きだよ。ごめん…っ、好きなんだ。ずっと隣で、リリーの笑顔を見たい。君を守るのは、いつだって俺でいたい」
「私も、す、き…っ」
しゃくりあげてうまく言葉を紡げないリリーシュアを、レインハルクはさらに強く抱きしめた。
「本当に、これでいい…?もう、駄目だと言われても離してあげられる自信がない。でも…俺といることで、リリーがまた辛い目に遭うかもしれないんだ」
は、と漏れた吐息には、苦しみが混じった熱がこもっていた。
「そんなこと、私だって同じです…!あなたを幸せにできる確証がない、のに、こんな…あなたを再び私に縛りつけようとしてしまってる…」
「君を縛りつけるのは俺のほうだよ、リリー」
それでも、
「それでも、俺と一緒に、生きてくれる…?」
未だ不安そうなその泣き顔を見て、リリーシュアはこくこくと何度も頷いた。
「ハルク様と一緒にいられるだけで、私は世界一の幸せ者です…っ」
あと1話で完結予定です!