夜会
「お嬢様、お茶会や夜会のお誘いの手紙がたくさんきていますよ」
アンジーが大量に手紙を抱えながら問いかけた。
「そろそろ私も婚約者を作った方がいいのかしら…」
まだハルクのことを完全に諦めきれているわけではないものの、そろそろ婚約者を見つけないと家族に迷惑がかかってしまうこともわかっていた。
それでもなかなかその気は起きない。
「ねえ、アンジー、その中から行ったほうがいい夜会ってあるかしら」
アンジーはその問いかけに目を丸くした。
「ど、どど、どうされたのですか…!?まさか行かれるのですか…!?」
必死の形相だ。
「うん…だってそろそろ婚約者を決めないといけないでしょう…?」
「そんなことありません。お嬢様はそのままでいいのです」
「ええ…?よくないのよ…私なんかでももらってくれる人を見つけないとお父様に迷惑がかかるもの」
「私のお嬢様が結婚……???」
なんだか会話が噛み合っていない気がする。
「ちゃんとお嬢様が幸せになれるような人でないと認めません…!!」
アンジーは実は主人のこととなると頑固なのだ。
「いいのよ、私の幸せなんてどうでも…」
だって私は幸せになってはいけないから。
せめてもの罪滅ぼしだ。
前世で彼を不幸にした私が幸せなんて求めてはいけないのだ。
「何をおっしゃってるんですか!私のお嬢様は世界で一番幸せになるべきなんです!」
「ちょっと一回アンジーは黙りましょうか」
堂々巡りのアンジーのそばにいたニックがすかさずつっこんだ。
「お嬢様、もし夜会に行かれるのでしたら俺も行くので安心してください。相手の男の見定めは俺がしますし、お嬢様に近づく獣どもは俺が適切に処分します」
「なんかすごく物騒なことを言ってない…?」
「俺は前より強くなったので。リリーシュア様を守り抜くための覚悟も人一倍あるんです」
「心強いけれど…何があったの…!?」
ニックの今までとは少し違う覚悟の決まり方にアンジーは満足そうに頷いた。
結局二人とも主馬鹿なのだ。
「では、この王女様主催の夜会に行かれてはいかがですか?ほとんどの方が参加されますし、何より国王様も参加されるので、男どもも妙な動きはできないと思います」
「王女殿下…」
「はい、何やら重大な発表もあるとか…あの、お嬢様、どうかされましたか…?」
浮かない表情になってしまっていたのか、心配されてしまった。
私にはこんな表情をすることすら許されないのに。
「ううん、なんでもないの。参加しようかしら」
私も覚悟を決めよう。
彼の幸せをこの目で見届けるのだ。
♢ ♢ ♢
夜会当日。
会場に着くと、大勢の貴族たちが揃っていた。
こちらに視線を向けている男性に、ニックがしっし、と追い払いような仕草をした。
「ちょっと、何してるの!?」
小声でニックを小突くと、ニックは輝かしい笑顔で言った。
「いえ、俺は今は護衛でもあり、リリーシュア様のエスコート役でもあるので、周りの男を牽制しようかと」
「婚約者を見つけようとしてる人の周りの男性を牽制してどうするのよーーー!」
さっと足を出してニックの足を踏む。
「い…っ!」
踏まれたニックは小さく声をあげて必死に耐えている。
「これ訓練でもなかなか経験しない痛みです…!ヒールってめちゃくちゃ痛いんですね…」
そしてなぜか感動していた。
「どうしてちょっとためになっちゃってるの」
不満で口を尖らせると、ニックは楽しそうに笑った。
「そうですよ、お嬢様にはそういう明るい顔の方が似合ってます」
ニックも心配してくれていたのだろうか。
嬉しくなってつい笑みが溢れる。
「うん…!ありがとう、ニック」
「いえ、リリーシュア様の幸せが俺たちの一番の望みですので」
「と言う割には私の婚約者探しに後ろ向きじゃない?」
きりっとした瞳で見つめ返してくれるニックにすかさずつっこむ。
———楽しそうなこのやりとりを寂しそうに見つめる視線があったことなど、私は知らなかった。
♢ ♢ ♢
「この度は集まってくれて感謝する。本日は娘のオリビアから、大切な報告があるのだ」
国王からの挨拶とともに告げられた報告の合図。
その言葉の後に、幸せそうにはにかむ王女オリビアが、後ろに控えていたレインハルクの腕に自身の腕を絡ませながら一歩踏み出した。
「私、王女オリビアと、私の専属騎士を務めている、アリノール・レインハルクが、婚約することになりました」
その言葉に、会場中が大きな歓声で包まれた。
この国の王女の婚約宣言に、これは大きな話題だと囁きあっている。
「ふふ、皆様、ありがとうございます」
オリビアは会場全体をぐるりと見渡す。
そのとき、ふと目線がこちらに向いた。
近い距離ではないのに、目が合った、とわかる。
「そして…こんなことを言うかどうか、本当に迷ったのですが…彼とのこれからの生活のためにもやっぱり不安はなくしておきたくて」
オリビアはレインハルクの腕をきゅっと握りながら続けた。
「私のレインハルクに懸想したある方に暴言を吐かれたことがあって…」
オリビアの目にはだんだんと涙が溢れてくる。
「私、すっごく、怖かったんです…!レインハルクには相応しくないとか、あなたは存在しない方がいいとか…!!」
突然泣き出してしまった王女に会場がさらにざわつきだす。
王女に暴言を吐くなど当然不敬罪だ。
「オリビア…そうだったのか、気づいてやれなくてすまない」
国王は娘に気遣うような視線を向けると、ばっと全体を見回した。
「誰だ…?この国の王女に、そんなことを言ったのは…?」
国王が王女を溺愛しているのは周知のことだ。
もしこの場に犯人がいるのであれば死よりも酷いことをされるのは目に見えていた。
皆は少しの恐怖と好奇心で周りを見渡す。
そのとき、啜り泣きながら王女がか細い声で言った。
「リステンブル伯爵令嬢ですわ……」
「え……?」
「あのお方が、私の心もプライドもズタズタにしたのです…!」
その言葉に、会場内にいるすべての視線が集まった。
「リステンブル……?」
国王は何かを思い出すようにゆっくりと視線を巡らせたあと、やがて笑った。
「ふ、はは、これはいい」
その悪魔の呟きは誰にも聞こえなかった。
そして娘を守る父親の顔をして、国王は言った。
「私の娘であり、この国の王女を侮辱するとは…何をしたか分かっているのか!?」
空気が震えるほどの怒りを露わにしたその視線は、私の目を真っ直ぐに射抜いた。
「これは不敬罪だ。私も大切な娘を泣かされて黙ってはいられない。刑が重くなることはわかっていてやったんだな?」
重い空気の中淡々と責められ、なす術がなかった。そもそも私は王女を侮辱したことなどない。全くの無実だ。
ちらりと王女に目線を向けると、レインハルクに寄り添いながら勝ち誇ったような笑みをこっそりと浮かべているのが見えた。
嵌められたのだ。
王女は自分の父である国王の権力を使って、私の社会的地位を奪おうと考えたのだろう。
「まあしかし、私の言うことに従うと言うなら、罰を軽くしてやらないこともない」
「ちょっと、お父様…?」
突然の言葉にオリビアが戸惑う。
「どういうこと…?あの女は潰してくれるって言ったじゃない…!」
「お前は黙っていなさい」
これまで全面的にオリビアに協力していたはずの国王は、目を血走らせながら私をまじまじと見た。
「お前の『その力』をこの国のために使って欲しい。そのために、王家に仕えてくれないか」
背中が凍りついたように緊張が走った。
なぜこの国王が私の力について知っているのか。
そもそも、私が王家に仕えるというのは、つまり、あの頃のように戦争の計画が進められているということで。
監禁され、何度も何度も鞭で打たれ、死なない程度に首を締められ、痛めつけられた。
助けてくれたハルク様が震える手で抱きしめてくれた。涙を拭った。
絶対に守ると、誓ってくれた。
もう遠い昔の話。
とっくに夢のようで。
だけど彼だけは幸せにしたくて。
今ここで頷くことが、彼の幸せに繋がるのでは?
私がいない方が彼が幸せになれるなら私は喜んでこの身を王家に捧げよう。
一度傷つけられていたとしても。
また傷つけられるとしても。
あなたが幸せに笑ってくれるなら
「ありがたきしあわせ……
深々と頭を下げ、これから服従する国王へ最高位の礼をとろうとしていたときだった。
「そんなの、許すわけないだろ」
懐かしい温もりに包まれる。
それは手を伸ばしたくても伸ばせない場所にあったもので。
「ハルク、様……?」
王家の近衛騎士であるはずの彼は、私を守るようにして、国王に真っ直ぐに剣先を向けていた。