Memorian
1945年突如として飛来した未確認飛行物体が地上に侵略宣言を表明した。
それまで大陸間での戦争を行なってきた人類はすぐに戦争を止め、空から来る未知なる敵に対処するべく邁進した。
しかし、当時の人類は地球外生命体への有効な兵器が開発されておらず、容易に彼らの侵略を許すことになった。
1948年地球の全面積の三分の一が侵略された時、ある科学者によって作られた兵器が戦場に初めて導入された。
その兵器の名は記憶運用人型兵器・Memorian。
彼らは瞬く間に宇宙人相手に戦功を上げ、人類の存続において無くてはならない存在となった。
これは、Memorianとなり兵器として生きた少女と一人の男の物語である。
ーーー
【記録】
型式兵器番号 B24875
Memorian ニコ
1948年6月25日
地球外生命体との交戦中に右腕を破損。当日、近くの工場へ修理の為移送を行った。
ーーー
その少女は血に塗れていた。
兵士が腕を引っ張り、引き摺られながら俺の工場に入ってきた。
「おい、坊主。ここの工場長はどこだ? 修理を頼みたいんだが」
長い髭を蓄えた強面の兵士が話しかけてきた。
「親方は今、隣国へ出張してます。なんでも人手が足りないとかで」
親方はこの国で一番の機械職人だった。
その腕が買われて三ヶ月ほど隣国へ渡っている。
「チッ、ここは腕が良いと聞いたんだが他を当たるか」
「あの」
俺が話しかけると兵士の大きな目がジロリと動く。
「何を直すんですか?」
見たところ、兵士は故障したような武器を持っていなかった。
「ああ、こいつを治すんだよ」
そう言って兵士は虚な顔をした血まみれの少女を俺の前に出す。
よく見ると少女は右腕が無かった。
致死量の血を流しながらも碌な手当も受けてもらえていないようだった。
「ここは病院じゃないですよ」
ここは機械修理工事だ。
瀕死の女の子を助けられるような道具はここには無い。
「そうか、導入されたばかりだからわかんねぇのか。
良いか坊主、こいつは人間じゃない。人類が作った兵器だ。Memorianって言ってな。
侵略してくるクソったれどもを殺せる唯一の兵器だ」
三年前、宇宙人が地球にやってきて人を殺しまくった。
俺の故郷も母さんも父さんも宇宙人に殺された。
その兵士の話を聞いて自然と胸が高鳴った。
宇宙人を殺せる唯一の兵器。
ここまで俺の心に刺さる言葉は無い。とうとう人類の反撃の時が来たのだ。
「戦争で負傷したこいつを兵器として直してもらおうとしたんだが、親方が居ないんじゃしょうがねぇ。他を当たるか。
悪かったな坊主」
そう言って兵士は帰ろうとした。
「僕が直します」
無意識にそう言っていた。
「はあ、坊主幾つだ」
「15です」
「へっ、ガキに直せるほど単純な物じゃねぇよ」
兵士は嘲笑しながら出て行こうとした。
「直せます。本当です。まだ子供ですけど、親方の留守は任せられています」
実際、腕には自信があった。
小さい頃に拾われてから親方の弟子として多くのことを学んでいる。
機械なら何だって直せる自信がある。
「確かに、この国随一の機械職人の弟子か。試してみる価値はあるな。
よし、坊主。こいつはお前が直せ、これは設計図だ。この通りに元通りに直してくれたらお代を払ってやる。
直せなかったらお代は無しでこいつも死ぬ。良いな」
俺は渡された設計図を見る。
出来るかどうかわからなかったけど期待されたのを裏切りたくなかった。
「わかりました。任せてください」
「取りに来るのは一週間後だ。じゃあな、頼んだぞ」
そう言って兵士は出て行った。
俺はすぐに少女を作業台に乗せ修理を始める。
設計図は義手の作り方が描かれていた。
説明も丁寧でわかりやすい。
腕というよりは銃のような作りをしていたが、深く考えなかった。
俺は師匠の道具を引っ張り出して全身全霊で取り掛かった。
「お、やっと起きたか」
朝食の支度をしていた時、少女は目覚めた。
起き上がりぽけーっとしている。
「よく生きてたなあんた。脈だって何度も止まってたのに」
どうやら彼女は普通の人間より生命力が強かった。
たった三日で目覚めるなんて異常だ。
「あなたは誰?」
翡翠色の瞳を俺に向け少女は訊いてきた。
「俺の名前はレオンだ。兵士のおっさんからあんたの修理を依頼されたんだよ。それで、あんたの名前は?」
「私は、ニコ」
ニコは自分の右腕を見ながらそう言った。
義手になったから違和感があるんだろう。
手を握ったり開いたりしている。
ニコは不思議な奴だった。
喋りかけたら喋るけど、喋りかけないとずっと喋らない。
よくわかんない奴だ。
「そうだニコ。朝食作ったんだよ食べれるか?」
俺はそう言ってさらに盛り付けたパンケーキを見せる。
「まあ、病人だからまずはお粥からの方が……」
視線に気づいた。
ニコが涎を垂らしながらパンケーキを見つめていた。
「ははっ、腹減ってるのか。じゃあ食べようぜ」
「これ、なに」
ニコは物珍しそうにパンケーキを人差し指でつつく。
「なんだよ、知らないのか。
これはパンケーキって言ってな。すっごい美味いんだぜ」
俺はナイフで小さく切り分けてあげる。
その一つを摘んでニコの顔の前に持っていく。
「ほら、食ってみ」
ぱくりとパンケーキを食べるとニコは瞳を輝かせた。
ほんとに、目を見開きながら嬉しそうに食べてた。
「甘くて、美味しい」
「パンケーキ好きか?」
「うんうん」
ニコは大きく何度も頷く。
「じゃあ俺と一緒だな! 俺もパンケーキ大好きなんだよ。
これ全部食べていいぞ」
そう言って俺はニコにパンケーキを渡した。
明日も朝食はパンケーキにしてやろうと俺は心の中で決めた。
一週間はあっという間に過ぎた。
七日目の日に兵士は工場に来た。
「おお、こりゃすげぇ。設計図に忠実に作られてる」
髭の兵士はニコの腕を見てそう言った。
俺は初めて自分の腕を褒められたから嬉しかった。
「大した腕だな坊主。これ報酬だ。
また頼むぜ。ほら、いくぞ」
兵士は俺に金を渡して出て行った。
彼の後をついて行く。
工場を出る前にニコはこっちを振り向いた。
「レオン、ありがとう」
笑顔でそう言ってニコは出て行った。
その日から時々、ニコのことを思い出すようになった。
ーーー
【記録】
型式兵器番号 B24875
Memorian ニコ
1948年8月13日
地球外生命体との戦闘中に負傷。左足を欠損。当日、工場へ移送済み。
ーーー
「おう坊主。久しぶりだな」
二ヶ月後、髭の兵士が来た。
今度は何やらソリのような物を運んできていた。
「お久しぶりです」
俺は作業を一旦やめ挨拶をする。
「まだ親方は帰ってきてねぇか」
兵士は工場を見渡しながら言った。
まだ親方は帰ってきてないのでこの小さな工場にいるのは俺一人だけだ。
「そうですね。隣国の仕事が長引きそうなので帰ってくるのが遅くなるとこの前、手紙が来ました」
親方が隣国で何をしているのか知らないけど、忙しいならしょうがない。
「そうかそうか、じゃあまた坊主に頼もうかな」
「頼むって」
俺はすぐに今回の注文がわかった。
ソリの中には血だらけのニコがいた。
左足は太ももから先が千切れたような断面で無くなっている。
「またこいつを直して欲しいんだ。これが足の設計図だ」
兵士は笑顔で設計図を俺に手渡す。
俺はニコの姿が衝撃的で頭が回らなかった。
「期限はまた一週間後だ。条件もこの前と同じ、直せなかったら報酬は無しだ。じゃあな頼むぜ」
俺の返事を待たず髭の兵士は行ってしまった。
俺は呆然とそこに佇んでいた。
笑顔でお礼を言ってくれたニコはここにはいなかった。
「なあ、どうしたんだよニコ」
俺はソリの中にいるニコに話しかける。
でも、彼女は気を失っているようで返事は無かった。
「くそ、死なせてたまるか」
俺はソリを引っ張り作業台の近くまで移動する。
ニコを持ち上げ台の上に置いた。
ぐちょりとした血の感触は初めてだった。
手が震えていたけど俺は修理を始める。
「死なせてたまるか……死なせてたまるか……」
俺はそう独り言を呟きながら修理に没頭した。
ニコはまた三日後に目覚めた。
目が覚めると彼女は俺に挨拶してきた。
「おはようございます。レオン」
さっきまで死の淵を彷徨ってた奴とは思えないくらい清々しい目覚めだった。
「良かったー。生きてた」
俺はほっと胸を撫で下ろす。
「足の調子はどうだ? ちゃんと動くか?」
俺は布団を捲りニコに義足を見せた。
銀色の義足は両足で見ると違和感があった。
「はい、指先も全て動きます」
そう言ってニコはベットの上で足を動かして見せた。
軋みも一切ない完璧な義足だ。
「良かった。そうだ、今日も朝食でパンケーキを作ったんだよ。
ニコ好きだったろ? 早く食べよう」
俺はワクワクしながらパンケーキを取りに行く。
ニコがもしまた来た時の為にパンケーキ作るのを練習していたんだ。
「パンケーキ……とは何ですか……?」
「え……」
パンケーキを彼女の前に置いた時にニコはそう言った。
「あれだけ好きでよく食べてたじゃないか。ここにいる時は毎朝パンケーキを食べてたろ?」
ニコがあまりにも美味しそうに食べるもんだからニコが目覚めてから四日間朝食はパンケーキだった。
美味しい美味しいと喜んでくれていたのに。
「すみません。思い出せませんが、私はこれを食べるのは初めてだと思います」
「そんなはずは……」
俺はその先を言わなかった。
事故の衝撃で記憶喪失になる話はよく聞く。
俺は医学のことはよくわからないがきっとそういう類の物だろう。
左足が無くなるほどのことがあったのだ。
軽い記憶喪失になるのは仕方がない。
「じゃあ、また食べてみてくれよ。きっと気にいるはずだぜ」
ニコは「はい」と言いながらパンケーキを口に運ぶ。
「すごく美味しい……」
この前と同じリアクションだった。
目を輝かせるって言葉がよく当てはまる表情だ。
俺は彼女のこの顔がまた見れて嬉しくなった。
「そうだろ、ずっと練習してたんだ。牛乳を入れるとすごく柔らかくなるんだよ」
ニコはナイフとフォークを上手に使いながら食べていた。
義手の精度は良いようだ。
「レオンは料理が上手なんですね」
微笑むニコに朝日が差す。
俺は息が止まりそうになった。
自分の中で核心的な何かが変わり出したような気がした。
「そ、そうだ。ニコは何かやりたい事はないか?
兵士のおっさんが来るまであと四日あるし、何だってできるよ」
俺がそう言うとニコは暫くじっと考え込んだ。
「それでは、本を読みたいです」
ニコは部屋の本棚をじっと見つめてそう言った。
「本?」
俺は意外な返事が来て戸惑ったが、すぐに本を取りに行く。
「そうか、本が読みたいのか。本棚の本は全部親方のなんだけど少しだけ俺が買ったやつもあるんだ」
偶然だけど俺も小説が大好きだった。
休日は街に出るか家の中で本を読んで過ごしている。
「ニコは何の本を読んだことがあるんだ?」
「そうですね、言語学や宗教学、理工系の物から数学の本などです」
彼女がそんな難しい本を読むイメージがなかったので驚いた。
「へ、へー、そういう難しい本読むんだな。悪いけど俺は小説しか持ってない」
俺は何冊かおすすめの本をニコの前に置いた。
彼女はそれを手に取りパラパラと捲る。
「すごい、こんなの読んだことない」
「なんだ、物語を読んだことないのか」
珍しい奴と思ったけど、ニコの人生がどんなものだったのか俺は知らない。
それから四日間は俺もニコも本を読んで過ごした。
読んだ本について話したり話さなかったりした。
俺は楽しかった。ニコも楽しそうだった。
もちろん、朝は俺の得意なパンケーキを毎日作ってやった。
「よし、坊主。今回も完璧だな」
一週間後、兵士が来てニコの足を確認した。
義足がちゃんと動くことを確認すると俺に金を渡して出て行く。
「ありがとうレオン。本、面白かったわ」
ニコは少し悲しそうな顔で工場を出て行った。
俺は時々ニコが読んだ本をパラパラと捲りながら一人で過ごした。
ーーー
【記録】
型式兵器番号 B24875
Memorian ニコ
1948年9月28日
三体の地球外生命体に囲まれ戦闘。左顔を損傷。戦闘に影響が出る為、工場へ移送。
ーーー
ニコがまた兵士に連れられてきた。
兵士は俺に何かを言って出て行った。
きっと報酬のこととか期限のことだろう。
あまり聞いてなかった。まあ、一週間後にまた回収しに来るんだろう。
それよりも俺はニコの変わり果てた顔面から目が離せなかった。
「あはは、恥ずかしいです」
今回、ニコは気絶してなかった。
きちんと止血されていたからだろう。
俺はぐるぐると顔に巻かれた包帯をゆっくりと解いていく。
「どうして」
こんな顔に、と言葉を続けようとしたが出来なかった。
女の子が顔に傷を負うなんて男の俺からしたら想像もできないほど辛いことだろう。
それに、ニコの顔には傷と言えるほど生易しい物じゃ無かった。
左目から唇にかけて無くなっていた。
骨が見える。
「そんなに見つめないでよ」
ニコは顔を赤らめながら言う。
怪我の具合と表情が釣り合っていない。
「どうして、こんなことになるの……」
俺は素直な質問を投げかけた。
「どうしてでしょう、私が鈍臭いからかも」
「宇宙人はそんなに強いの?」
ニコは宇宙人と戦ってると聞いた。
遠い土地で何が起こっているのか俺にはわからない。
宇宙人だって見たのは小さい頃だけだ。
「数が多いんです。敵に対して私たちは圧倒的に足りない。
だから、少し忙しいんですよね」
またニコはにへらと笑った。
俺は彼女と一緒に笑えるはずもなくて、黙ってしまった。
「そんな顔しないでください。これが私達の人生なので仕方ないんです」
たったその言葉だけでニコの人生の重みが感じれた。
会ったことのない誰かを守る為に体を無くしながら戦い続ける。
俺は道具を手に取りニコの顔に機械を当てながらまた質問した。
「それは悲しくならないの?」
言ってすぐに申し訳ない気持ちになった。
俺は彼女のことを何も知らない。
知らないくせにニコを哀れむような事を言ってしまった。
でも、本心だ。
こんなにボロボロになってニコはどう思っているんだろう。
「悲しいとは思ったことがないですね。物心ついた頃から兵器として育てられましたから。
それでも、今は楽しみが増えて生きるのが楽しいですよ」
笑顔でそう言った。左側は抉れているので右側だけ表情が変わった。
俺は無意識に持っている機械で彼女の左側を隠した。
「笑顔でいれるなら一番だな」
「それより、今回は大丈夫ですか? 顔ですし目も無くなってしまったから」
ニコは心配そうな顔をした。
俺は励ますように声をかける。
「大丈夫!
俺はこの国一番の機械職人の弟子なんだ。腕には自信があるから任しておいて。大丈夫、大丈夫」
機械で目なんか作った事ないし人の顔に機械を嵌めるなんてやった事ない。
それでも、ニコを直してあげたかった。
根拠の無い自信と大丈夫という言葉を繰り返し言いながら俺は作業を始める。
「今回の修理が終わったら、何をしましょうか」
静寂が消えた。
長いこと作業に没頭していた。
ニコが自分から何かを提案するのは初めてだった。
「そうだね、街に行ってみるのはどう?」
ここから街は歩いて行ける距離だ。
「街ですか」
「行ったことないの?」
「あまり人混みに入ったことがないので」
「じゃあきっと楽しいよ。遊ぶとこだってたくさんあるし、美味しい食べ物も数えきれないくらいあるよ」
俺がそう言うとニコは目を輝かせた。
「すごく面白そう」
「じゃあ決まりだな。俺が案内してあげるよ」
「顔、直りそうです?」
ニコは心配そうに見つめてきた。
「大丈夫だよ、必ず直す。終わったら街に行こう」
俺は頬を叩く。
自分の指先だけに意識を向けニコの修理に集中した。
ニコの修理は丸1日かかったが成功した。
機械の眼球もきちんと作動して、彼女は元通りの視界を取り戻した。
見た目は少しロボットっぽいけど大丈夫。
綺麗なニコの笑顔は変わっていない。
俺とニコはそれから街へ行った。
宿を取ってずっと街で遊んだ。
初めて食べたアイスクリームやケーキ。
動物園にも行ったしピエロにだって会った。
映画を見て、それからそれから……。
とにかくたくさんの事をして過ごした。
だから、約束の一週間後はすぐに来た。
「よし、見えてるな」
兵士はペンを持ちニコの左目の瞳孔を確認しながら言った。
彼は報酬を払い出て行こうとする。
「どうして、毎回ニコはボロボロになってここに来るんですか?」
兵士の眼がジロリと俺を見る。
「どうした、情でも移ったのか?」
「ニコは良いやつだから、情とかじゃなくてニコが傷つくのは……」
自分でも何を言ってるのかわからなかったけど、ニコが傷つくのを見てられなかった。
「坊主、一つ教えてやる。お前はただの機械職人で、それ以上でも以下でも無いはずだ。
客の事情に口を挟むな。ビジネスの鉄則だろ」
俺は他人だと再認識させられたようだった。
そう、俺は他人だ。
それでも俺はニコが大事なんだ。だから
「あんたがニコをわざと危険な場所に行かせてんじゃないのか。
こんなに高頻度で修理に出されるなんておかしいだろ。これ以上、ニコを傷つけるなよ!」
俺は兵士の前に立ちはだかる。
「おい、そこを退け坊主」
「嫌だ。また連れてかれてニコが傷つくなら、どこへも行かせない」
一触即発の雰囲気にニコはおろおろしていた。
「レオン、私は大丈夫だから」
「ほら、こう言ってるだろ。退けよ」
それでも俺は退きたくなかった。
「じゃあ、次にニコが失うのは左腕か? 右足か? それとも頭か?
無くすものばかりで、これじゃああんまりだ!」
「じゃあお前にどうにかできんのかよ!」
兵士は俺を思い切り殴った。
それから俺の胸ぐらを掴んで壁に叩きつけ押し込む。
「平和ボケしたお前に教えてやるよ! 宇宙人はな、もうそこまで来てるんだ。
アイツらに対抗できるのはニコ含めたMemorianしかいねぇんだよ!
こいつらが血を流す代わりにお前らは想像を絶する恐怖と痛みを受けずに平和に生きれるんだ!
誰かがどこかで血を流しているからお前が生きることができるのを忘れるな!!」
そのまま兵士は俺を床に投げた。
「ハァハァ、腕は良かったがもういいさ。二度と修理には来ない。じゃあな坊主」
そう言って兵士は出て行った。
ニコは俺を起こす。
肩を貸して椅子に座らせてくれた。
そして、ニコは扉を開ける。
「レオン、聞いて。
私、この一週間をきっと死ぬまで忘れないわ。楽しい思い出をくれてありがとう」
ニコは出て行く前にそう言った。
体がずきずきと痛むが関係なかった。
それよりもニコを止められなかったのが悔しくて俺は泣いた。
それからはあまりニコのことを考えないようにした。
ーーー
【記録】
型式兵器番号 B24875
Memorian ニコ
1948年12月4日
物資移送中に宇宙人から奇襲を受ける。ニコが殿軍となり大怪我を負う。本人の希望もあり従来の工場へ移送。
ーーー
「こんにちは」
雪の降る静かな夜に訪ねてきたのはニコだった。
「ど、どうして!?」
俺はもう彼女に会えないと思っていたから心底驚いた。
ニコは着ているコートに積もった雪を払いながら中に入る。
「軍に無理を行ってここに来たんです。他の工場なんて行きたくないですから」
ニコはそう言って笑う。
でも、俺にはわかっていた。彼女がここに来たと言うことは。
「ここに来たってことは、そうだよね」
「はい」
ニコは目を閉じながらコートを脱いだ。
「今回は大変な仕事になるかもしれません」
俺の中は驚きより呆れのほうが強かった。
それは、ニコと俺の人生は全く別のものとやっとわかったから。
自分ならニコの人生を何とかできると勘違いしていたことへの呆れ。
今回の彼女の傷は俺を絶句させた。
左腕が消え、右肩から肋骨にかけての欠損、また腹部を貫かれたような丸い穴があった。
「宇宙人から奇襲を受けて私が殿として残ったんです。帰還したら軍は手厚い応急処置をしてくれました」
彼女が言うように、上半身は丁寧に包帯でぐるぐる巻きにされており止血もきちんとされていた。
応急処置は素晴らしいがこの傷で生きているニコが不思議に思えて仕方ない。
やはりMemorianは生命力が人間とは違うのだろうか。
「ここまで一人で来たのか? あの兵士のおっさんは?」
「街まで送ってもらいましたが、そこからは歩いてきました。
兵士の、グラードさんは来づらいらしいですね。行けるなら一人で行けと言われました」
「まあ、あれだけ言い争って別れたんだ。仕方がないよ」
俺はニコを作業台に案内する。
「また一週間後に行くの?」
「今回は重傷なので二週間の休養を頂きました」
「また、パンケーキ食べる?」
俺は恐る恐る訊いた。
またニコがパンケーキのことを忘れてしまったらショックだった。
これだけの重傷だ。記憶障害になってしまったのではと怖かった。
「はい、食べたいです。今度は蜂蜜たっぷりの」
パンケーキを覚えていた。安心する。
「いっぱい食べよう。必ず直すから」
俺は一つ一つ機械を作り上げ彼女の体に埋め込んでいった。
「すごい、元通りです。ありがとうございます」
ニコは直った腹と肩を見ながら言う。
実際、彼女を救いたいと思う気持ちが俺を成長させてくれた。
人体修理に関してはどの部位でもどんとこいと思っている。
「じゃあ、街へ行こうか。残り一週間とはいえ時間が勿体無しね」
ニコの療養には一週間かかった。
回復スピードは異常と言えるが俺は特に驚かなくなってた。
「先に行ってて、顔を洗うから」
「わかりました」
俺は洗面台へ向かう。
手で水を受け顔に当てる。
徹夜続きで修理していた。
それでも疲れとかはなかった。ニコといるのが楽しいからかもしれない。
「よし、行くか」
できる限り身なりを整えて俺は部屋を出る。
外へ出たらニコがぽつんと突っ立っていた。
何か不調があったのかと俺は駆け寄る。
「どうしたんだ?」
ニコはハッと気づいたように表情を取り繕う。
「いえ、何でも無いですよ。一緒に行きませんかレオン」
「良いけど」
俺たちは街に下りて色々なところへ行った。
電車に乗って遠出もした。
そして一週間後には何事も無くニコは出て行った。
ーーー
【記録】
型式兵器番号 B24875
Memorian ニコ
1949年1月14日
左腕を欠損。工場へ移送済み。
ーーー
その日、ニコがまた体の一部を失って工場に来た日。
親方が隣国から帰ってきた。
親方はニコの失くなった左腕をじっと見つめた後、作業に取りかかった。
俺は椅子に座って親方の技を見ていた。
細かく正確に鮮やかな手捌きは俺が憧れる技だ。
俺よりも半分以上短い時間で親方は見事な左腕の義手を作り上げた。
「あれが、Memorianか」
親方は煙草に火をつけながら言う。
「はい、親方が隣国に行ってた時に修理に来て俺が対応しました」
「右腕も左足も腹も顔もお前のか?」
「はい」
勝手にやったことを怒られるかもと思った。
親方の許なしに客の修理をするのは禁止されてる。
「そうか、よくやった。良い具合にできてる」
親方は俺の頭を撫でてくれた。
俺の予想とは反して、認められたことに心が躍った。
初めて親方から誉められたかもしれない。
「随分とあの子と仲良いじゃねぇか。パンケーキを振る舞ってやってたろ」
親方は少し笑う。
この人が笑うとこなんて初めて見た。
それくらい表情の無い人だ。
「ニコはパンケーキが大好きで、この前は街に行ったり一日中本を読んだり……」
ニコとの記憶がどんどん出てきて口が足らないほどだ。
楽しい思い出しかない。
「あまり、心酔しすぎるなよ」
親方は俺が喋ってるのを渇いた目で見てそう言った。
「え」
「兵器のあの子と修理屋の弟子のお前じゃ世界が違う」
思っても考えないようにしていた事を言われた気がした。
腕を失っても笑って帰ってくるニコを見て違和感が無かったわけじゃない。
彼女と俺とでは自分の命の軽さが違った。
「恋をするのは自由だ。でもな……」
「こ、恋なんて」
動揺する俺を見て親方は少し口角を上げた。
「あの子はこの国じゃ兵器として生きている。
直しても直しても壊れて帰ってくる。修理屋としちゃ当然のことだが、好きな子がそうなってたら耐えられるか?
悪いことは言わねぇ。感情を入れ過ぎんなよ」
親方は俺の肩を叩き部屋へ戻っていった。
「わかってます……そんなこと」
見たくも無い現実を無理矢理見させられた気分だった。
ニコが毎回、この工場に修理に来てくれることが奇跡なのだと再認識させられた。
自分の気持ちはわかってた。
ニコに恋をしているのはわかってた。
でも、彼女が兵器だから諦めるべきなのか。
俺は彼女を修理し直すだけの存在だ。
それ以外の感情は要らない。必要ない。
それなのに頭の中ではニコが出てくる。
ボロボロになってここに来るニコに悲しさと無力感を感じながらも、また会えたと高揚する自分もいる。
気持ち悪い。反吐が出る。
それじゃまるでニコが傷つくのを待っているみたいじゃないか。
こんなのは恋じゃない。
ーーー
【記録】
型式兵器番号 B24875
Memorian ニコ
1949年2月3日
右足を欠損。翌日、工場へ移送済み。
ーーー
俺はただ何も考えずに彼女を直した。
ニコに会うたびに僅かに揺れる心に目を背けながら彼女と向き合った。
ーーー
【記録】
型式兵器番号 B24875
Memorian ニコ
1949年2月15日
右肺を損傷。移送済み。
ーーー
ニコがここに来る頻度はどんどん増えている。
戦場の戦火が増していると噂を聞いた。
ニコが戦う戦場はどんな世界なのか予想もつかない。
次第にニコと話すのも減った。
俺はどんな顔で彼女と話せば良いのかわからなかった。
ーーー
【記録】
型式兵器番号 B24875
Memorian ニコ
1949年2月28日
左肩を損傷。移送済み。
ーーー
俺は親方の弟子として、修理屋として、職人として、ただ直すことしかできない。
それが、俺の役目だ。
ニコを死なせない。それだけを考えて直し続けた。
もうあの頃みたいに楽しいことをする余裕も無かった。
ニコの体に機械の部分が増えていくにつれて自分が彼女を減らしていっている気がした。
ーーー
【記録】
型式兵器番号 B24875
Memorian ニコ
1949年3月10日
機械部分の破損を確認。工場へ移送済み。
ーーー
その日、親方がニコを連れて来た兵士と話しているのが見えた。
何気なく息を潜めながら彼らに近づいた。
扉の後ろで隠れながら彼らの話を盗み聞く。
「もうダメだ。上層部でニコを捨てる話が出てる」
声が出そうになったが、必死に堪えた。
「機械部分の不具合か?」
親方が訊く。
その声は低く深刻そうだった。
「いや違う。ある時から戦闘時のニコの動きが著しく悪くなったんだ。
逆算して遡るとあんたの弟子にニコを最初に修理させた時になる」
「俺の弟子が何かしたのか?」
「あんたもわかるだろ。Memorianは人類の生み出した最終兵器だ。宇宙人に唯一対抗できる攻撃力を持っている。
そして、その攻撃力の源は『記憶』だ。
Memorianは海馬にある記憶を消費して攻撃する。
だから、我々政府は彼女達が幼少期からあらゆる物を学ばせ記憶を蓄えてきた」
Memorianがどんな物かなんて聞いたことが無かった。
きっとこの事はこの国の一割も知らないこと。
じゃあ、ニコは……。
「Memorianは簡単に自分の記憶を消して戦う。そう教育してきたからだ。
だが、ニコはお前の弟子に会ってから攻撃に躊躇うようになった。それは何故か……」
「消したくねぇ記憶に出会ったからだろうな」
親方のため息混じりの言葉が聞こえてきた。
「記憶なんて曖昧なもんをエネルギーに使うからだ。
隣国の研究はさらに進んでいたぜ。地球外生命体戦において、隣国はこの国を凌駕するだろうよ」
親方が隣国に呼ばれたのはMemorian以外の宇宙人に有効な兵器を作るためだったのだ。
「ニコはこれまで国の為に戦ってきた。それが最後は役立たずになったから捨てます、なんてあんまりじゃねぇか。
俺はあいつの担当者としてニコを最後までMemorianとして戦わせたい」
「それが、お前のエゴじゃないと言い切れるか?」
「兵器として生まれたんだ。兵器として生きて戦場で死ぬしか運命は無いはずだ」
兵士は毅然とした態度でそう言い放った。
親方は深くため息を吐く。
「それで、俺らに何をしろと?」
「お前の弟子に、俺との記憶を使えとニコに伝えさせてくれ。
そうすればあいつはお前の弟子との記憶を使う筈だ」
俺は息を吐く間も無くその場から飛び出していた。
向かうのはニコがいる部屋だ。
親方はその足音を聞きながら兵士の目を見る。
「だから俺はあの時、忠告しただろ。兵器と呼ばれようが人間なんだ。
心がある限り人は記憶と離れようとはしない。彼女達は人間なんだ! いくら修理して体が機械になろうが、心がある限り人間なんだよ。
まあ、この一年間はMemorianのお陰で宇宙人を食い止めることが出来たのも事実だ。
それに、もうこの話は俺たちだけの話じゃなくなった」
兵士は親方の凄みに何も言えなくなった。
「後は若い二人に任せるしかねぇだろ。
俺の馬鹿弟子がどうするかわからねぇが、もう子供じゃないんだ。自分達のことは自分達で決める」
太陽の光が廊下を照らす。
外は冷えているが、太陽の光で徐々に空気は熱を帯びてくる。
それでも工場の中は寒かった。
俺は白い息を吐きながら走り、扉の前に着く。
ノックをせず急いで扉を開けた。
「ニコ!」
本当に久しぶりに彼女に話しかけた気がする。
ニコは既に意識を戻しており俺の声にびっくりしていた。
「ど、どうしたのレオン」
明らかに俺が避けていてもニコは変わらずに接してくれた。
悩んで距離を離していた。何も解決なんてしないのに、目を背け続けていた。
自分の馬鹿さ加減に笑えてくる。
「どう、足は動く?」
俺が修理した左足に不具合が起こりニコはここに来た。
「ええ、バッチリです。ほら、こうして片足で歩くことだって」
ニコは起き上がりベッドの上で片足で立って見せた。
ヨタヨタとバランスを整えようとしている。
「わかったよ。まだ安静にしてなきゃだから寝てて」
俺は本棚から本を取り出す。
ニコが読んでいた本だ。
「これ、読んでたろ? どうだった?」
ニコは俺の持つ本の表紙をじっと見つめる。
そして思い出しとようにパァと喜色を浮かべる。
「シルバー・ベック著書の【風のそなたに】ですね。
とても面白かったですよ。男の子が母親を探しに海へ旅に出る物語でラストのシーンが
本当に泣けて……」
ニコは嬉しそうにその小説について話していた。
これは俺と一緒に一日中部屋で小説を読んだ時に読んでいた小説だ。
これで、わかってしまった。
「全部覚えてるんだな」
「ええ、勿論ですよ。素晴らしい小説忘れたくないですもの」
俺は彼女の目の前に小説を開いて見せる。
「ここ、読んでみてよ」
ニコは動揺した。
「え、えっと」
目は文を捉えておらずオロオロと行き場をなくす。
「この文だけでも読んでみてよ……」
俺はニコを試しているようで心が痛かったが強行する。
これは証拠になる。俺の憶測の証拠になる。
「レオン。これは……」
「文字も忘れたのか……」
ずっと前から違和感はあった。
以前出来ていたことが出来なくなっている。
ニコにはそんなことが時々あった。
「聞いたよ。Memorianは記憶をエネルギーに変えて戦うんだろ。
戦う度に記憶が消えていくんだろ……!」
ニコは何も言わなかった。
ただ俯いているだけだ。
「違和感があったんだ。パンケーキを食べる時、ナイフとフォークを使わなかったのは、使えなかったんだろ。
使い方の記憶も宇宙人を殺す為に使ってたんだろ」
彼女と過ごした中で幾つもあった。
兵器として戦った跡を、傷を、俺は見ていたはずなのに。
「あんなに好きだったパンケーキを忘れていたのも、先に街へ行っててと言ったのに道で立ちつくしてたのも全部記憶を使ったからだったんだろ……」
ニコは記憶を消して戦っていた。
学んできたことも生きてきた時間も全てを犠牲にして戦っていた。
体の多くが機械になっても戦い続けていた。
それじゃあ、失うばかりであまりに可哀想だ。
「ごめんなさい。隠すつもりはなかったんだけど、レオンには何故か知って欲しくなかったの。
悟らせないようにしてたつもりだったけど、バレちゃったね」
ニコは涙を流していた。
機械になった手で涙を拭く。
違う。
違うんだ。
俺が言いたいのはそういうことじゃない。
「なんで……」
Memorianの構造を聞いた瞬間に思った。
なんでニコは俺のことをいつも覚えていたんだ、と。
「何で俺のことは覚えてるんだよ……!
全部使えばよかっただろ!」
そうすればニコが傷つくことはなかったかもしれない。
こんなにも体が機械に侵食されることはなかったかもしれない。
「俺との思い出も読んだ小説もパンケーキも何で覚えてるんだよ。
全部使って戦えば良かっただろ……死ぬかもしれないんだぞ!」
彼女の行動が理解できなかった。
幾らでも使って戦えば良い。
ニコが死ぬことの方が俺には辛かった。忘れられることなんて怖くもなんともない。
「そうですよね、馬鹿みたいですよね。
私が例え忘れてもレオンが見捨てるわけないのに」
ニコは涙を流しながら笑った。
俺は溢れ出る涙を抑えながら彼女の話を聞く。
「死ぬほどの重傷も負いました。死んだと思った時もありました。
あなたとの記憶を使って戦おうと思った時もありました。
でも、出来なかったんです」
俺は呆然と立ちながら訊く。
「どうして……」
そう訊くとニコはくすりと笑った。
「死ぬよりもレオンを忘れることの方が嫌だったんです。
だってこんなに楽しい思い出を貰ったの初めてなんです」
ふとカーテンが動き太陽の光が差し込んだ。
それは彼女に当たり涙を光らせる。
部屋の埃がキラキラと照らされて舞う。
俺にとってはなによりも幻想的な姿だった。
「親の名前も姿も思い出せません。生まれてからずっと兵器として生きてきました。
難しいことばかり教えられて弾として消費し続ける。
そんな生き方をしているとこの世の何もかもが薄っぺらく感じてしまって、何もしても、何を見ても、何とも思えなくなっていたんです」
ニコの瞳が光り輝いて見えた。
「でも、レオンと会った時から違った。触れる物、見る物全てが綺麗で心が踊った。
きっとレオンが隣にいてくれたからだと思うんです。
あなたとの思い出はもう私にとってかけがえのない物に変わったんです」
俺が胸が張り裂けそうなくらい嬉しかった。
彼女が俺との時間をそんな風に思っていてくれたなんて、思ってもいなかった。
「レオンは私と居て楽しかった?」
「楽しかったよ。でも、最近は避けてたんだ。
俺は修理屋で君はMemorianだろ? 自分が何をすべきかわからなくて逃げていた」
そう言うとニコは笑う。
「それは私も感じていたわ。話しかけてくれないんだもの」
「ごめん、でも、もう逃げないよ」
「本当?」
「本当だよ」
「なんでレオンは私の為に泣いてくれるの?」
そんな当然のことを聞かれるとは思わなかった。
「私がボロボロになって来るのを怒ってくれたし」
言葉にして伝えたことは一度も無かった。
だから、ちゃんと言うよ。
君の記憶に残るように。
「そんなの、当たり前だろ。君が好きだからだよ」
「え」
ニコは口元を抑える。
驚いた表情は次第に緩まりまた瞳に涙を溜めた。
「ニコが好きだから怒ったしニコが好きだから泣いちゃうんだ。
最初に会った時からずっとニコが好きなんだよ」
ニコは頬を赤らめながら訊く。
「こんな機械だらけの私でも良いの?」
「機械なんて関係ないよ。大切なのは心だ。
俺は、ニコと一緒にいるのが楽しくて好きだ」
「私は兵器なんだよ?」
「それも関係ないよ。ニコを好きになったんだから」
俺がそう言うとニコは泣き出した。
「う、うわぁぁーん」
大声を出しながら泣く姿に少し驚いた。
俺も一緒に少し泣いた。
「私、今日のことずっと忘れない。ずっと心に閉まっておきます」
「うん、うん」
それから俺とニコは泣いたり笑ったりしながら夜更かしをした。
現状は何も変わっていないのかもしれない。
ニコはまた傷ついて戻って来るかもしれない。
それでも、俺たちは幸せだった。
ーーー
【記録】
1949年3月15日
地球外生命体により防衛戦線が突破される。これにより15の近隣都市に戦火が広がった。
ーーー
「親方ァ!」
俺は工場から出て街を見て信頼できる大人を呼んでいた。
うちの工場は小高い丘のとこにある。少し歩けば街を見下ろせる。
街は業火に包まれていた。
離れているはずのここにまで煤は飛んできた。
空は真っ黒な雲に支配されて逃げ場の無い牢獄のようだった。
「レオン! お前は外に出るな!」
親方が防火服を着ながら外に出て来る。
その表情は必死だった。
「俺も行けます! 街のみんなが死んじゃうかもしれない!」
「ダメだ。子供のお前が行っても場違いなだけだ。
わかるだろ、今この街に宇宙人どもが攻め込んできてる。
いつどこで奴らに会うかわからないんだ」
一体いつからこうなったのか。
昼間は穏やかで肌寒くも陽光の差し込む優しい世界だったのに。
街の変貌に頭が追いつかない。
始まりは空から降りてきた。
俺はしっかりとその存在を見ていた。
一つの巨大な生物が降りてきた瞬間に街の中心部は炎に包まれたのだ。
地獄の始まりのような光景が瞬きの間に広がったのだ。
「それでも、じっとなんかしてられないよ!」
走り出そうとする俺を親方は強く止める。
肩を掴んで地面に倒される。
「こんなとこで死んだら誰がニコちゃんを看てやるんだ!?
お前が直してやるんじゃなかったのか! お前みたいな未来ある子供たちを死なせないのが大人の役目なんだ!
良いから工場の中にいろ! わかったな!」
親方はそう言って燃える街へ走っていった。
俺はふらつきながら工場へ戻る。
救急箱を引っ張り出して机の上に出す。
他の医療器具もあるだけ乗せて行った。
自分がやれることを頭の中で一つ一つ確認しながら行動していく。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
そう独り言を呟くだけでいくらか不安は取り除かれた。
落ち着いた頭は現状を鑑みて予測を立てていく。
宇宙人が街に来たということは戦場を抜けてきたということだ。
それはつまり政府が宇宙人を抑えられなかったということ。
Memorianが宇宙人と戦ってくれていた。
つまり、宇宙人がここに来たということは……。
「……ニコ」
頭の中で好きな人の姿が出てきた瞬間に俺は衝撃と共に壁に叩きつけられていた。
体のいたるところが熱い。
気温の変化からしてここが外なのはわかった。
ゆっくりと目を開きながら現状を確認する。
「左足が……!」
左足が瓦礫に挟まって抜けなくなっていた。
工場はもはや跡形もない。
全てが吹き飛ばされていた。俺が生きているのは奇跡に等しい。
「一体何が!?」
そう言うと同時に生暖かい息が全身を包んだ。
最悪の気配がして、恐る恐る振り向く。
そこにはきっと宇宙人と呼ばれる生物がいた。
象のような巨体に洞窟みたいに大きな口。
口の中は埋め尽くさんばかりの犬歯が生えている。
ヒュンヒュンと風切り音を出すのは耳のほうから生えている触手だ。
四足歩行の巨大な宇宙人は俺を標的にしていた。
「ハァハァハァハァ!!」
自然と呼吸は荒くなる。
全身の毛が逆立つくらいに恐怖が支配した。
逃げようと必死にもがいた。
痛みも関係無かった。
ヒュンと音がして俺は転がる。
初めは瓦礫から足が抜けたのかと思った。
それは違うと痛みが俺に教える。
太ももから先が無くなっていた。
見たことない量の血が流れて出る。
「あぁ、ああ……」
俺は這いずりながら宇宙人から離れようとする。
殺されるとわかっていながらも生への執着が体を動かした。
「てめぇ、離れろ!」
親方が斧を戻って走って来る。
おおきく振りかぶって宇宙人を斬りつけた。
だが、硬い音が響いて斧が砕かれた。
「ハァ、くそっ」
親方が俺に覆いかぶさる。
俺を持ち上げて放り投げた。
ほんの少しだけ遠くに投げられ、俺の体は地面とぶつかる。
「親方ぁ!」
俺は痛みに震えながら親方の方を見る。
親方は宇宙人の目の前に立ちはだかっていた。
「レオン、お前は逃げろ!」
触手が目の追えぬほど速く動いて親方の腕を刎ねた。
「ぐあぁ!」
宇宙人は弄ぶかのように親方の体を少しずつ削っていく。
親方の絶叫を聞きながら俺は這いずって逃げる。
「やめてくれ、助けてくれ……」
心の底からの恐怖が言葉となる。
誰にも俺の声は届いていなかった。
「レオン!」
爆風と共に俺は抱き抱えられていた。
所々が鉄のように固い少女。
「良かった。間に合った」
ニコが俺を助けてくれた。
「ニコ、何で……」
「戦線が破られてから襲撃を受けた街を一つ一つ助けていたんです。
ここが7つ目。遅くなって、ごめんなさい」
ニコは俺の足を見て悲しそうな顔をした。
「親方は」
俺は宇宙人の方を見る。
無惨な姿の親方がいた。
しかし、体は動いている。まだ死んでいない。
「こいつらは私たち人間を痛めつけようとする癖があるんです。
そんなすぐに命を取ることはしない」
そのせいでニコはこれだけの体の部位を失っていたのかと俺は妙に納得してしまった。
「大丈夫、みんな救います」
ニコはそう言って掌を宇宙人に向けた。
眩い光線が宇宙人に向けて発射された。
悲鳴は次第に威嚇に変わった。
耳をつん裂くような宇宙人の絶叫は怒りと殺意に満ちていた。
「親方さん大丈夫ですか?」
ニコはその隙をついて親方を運び遠くに寝かせていた。
「ハァハァ……ニコちゃん悪いな」
親方の状態はだいぶ酷い。
「もうすぐ兵士さんが来るから耐えて、絶対死んじゃダメですよ」
そう言ってニコは立ち上がり宇宙人の方へ歩いていく。
「ニコちゃん、ダメだ……逃げよう」
親方がそう言ってもニコの歩く足は止まらない。
「逃げませんよ。私は戦うために生まれてきたんですから」
親方は手を伸ばす。
届くはずがないのに精一杯伸ばした。
「それでも……君には……もう使える記憶が、ほとんど……」
ニコはぴたりと足を止めた。
少し考える間があって答えた。
「一つだけあります。大切な記憶ですけど」
笑って返して、また歩き出す。
その目は決意に満ちていた。
宇宙人は羽を広げた。
バタバタと羽を震わせると不協和音のような音を出す。
そして、とてつもない速さでニコに突進した。
「ふぐうぅぅぅ!!」
ニコはその巨大を受け止める。
足の裏は地面にめり込み機械の部分は悲鳴を上げていた。
「おりゃあ!」
空高く宇宙人をぶん投げた。
凄まじい着地音が鳴り響く。
「レオン」
ニコは真剣な顔をしていた。
「もう時間が無いから手短に話すね」
ニコは俺の前で膝をつく。
丁度目線が俺と同じくらいになる。
「私にはもう戦えるだけの記憶が無い」
彼女の目は静かだった。
「あの宇宙人は最近見つかった新種。倒すには相当の記憶が必要なの」
哀しさも恐れも何も感じていないような目をしていた。
ただ俺をじっと見つめていた。
「だから、私はあなたとの記憶を使います」
毅然とした表情でそう言い放つ。
「私にとっては命よりも大切な記憶だけど、レオンの命より大切な物はどこにも無いから」
ニコは俺の肩に手を回し抱いた。
「だから、私が何も覚えていなくてもレオンは私のことを覚えていて。
私はそれだけで充分すぎるほど幸せです」
俺は震えながら彼女の背中に腕を回す。
声が震えてうまく出ない。
でも、伝えることがある。
「覚えてる。当然だ、忘れたりなんかしない。
また一緒にパンケーキ食べたり街へ降りて遊んだり、何だってしよう。
これまで以上の楽しい記憶を作っていこうよ。
俺がこの世界を変えるよ。もう傷つかなくて良い世界に変えてみせるよ」
俺はニコと自分の心に固く誓った。
もう、こんな思いはたくさんだ。
ニコと幸せな世界で生きたかった。
「ありがとう」
ニコは涙を一筋流しながら振り返り掌を宇宙人へ向ける。
宇宙人はまた羽を広げて接近していた。
眩い光線が視界を埋める。
目を細めながらニコの姿を見た。
「それと言い忘れてました。私もレオンのことが大好きです。
今までありがとう。さようなら」
彼女は前を向き手に力を込めた。
光線は徐々に威力を増していき宇宙人を穿つ。
宇宙人の体は蒸発して消えていった。
全てが終わった後、静寂と共にニコは深い眠りについた。
ーーー
それから長い年月が経った。
ーーー
小高い丘の上にある工場をこの街に住む者で知らない者はいないだろう。
何故ならこの工場のオーナーは歴史的に素晴らしい功績を残した開発者として世界中から称賛されているからだ。
その世界に戦争の火は無かった。
宇宙人と呼ばれる地球外生命体は地球を去り、平和と呼べる時代が訪れていた。
技術は進歩し多くの人々がその恩恵を受けた。
この工場のオーナーは今ある恩恵の全てを開発したと言っても過言では無い。
人間を利用した兵器よりも効率的で実用性のある無人人型兵器を作り宇宙人撤退に貢献した。
戦争で失われた身体を再生するために、新種の微生物を見つけそれを培養することで元通りの体に戻す薬も開発した。
「おはよう、親方。腕の調子はどう?」
「ああ、バッチリだ」
親方と呼ばれる彼の師匠は元通りになった肌色の腕を見せて笑う。
それを確認して彼は階段を登る。
左足と右足でしっかりと一段一段上っていく。
「また行くのか」
親方は彼にそう声をかけた。
この世界で彼の秘密を知る者はどれくらいいるどろうか。
きっと両手で数えられるだけの人数だろう。
彼の功績は全て一人の少女を救う為に行ってきたものだったのだ。
その原動力となったのは無償の愛だ。
少女に救われた命を、恩を少女を救う形で返したい。
幼き頃に決意した彼の想いは強かった。
扉を開ける。
朝日がさす。
ベッドに眠る少女はまだ眠ったままだ。
いくつか話しかけた後、彼は作ったパンケーキを机の上に置いた。
いつ目覚めても良いように毎朝作るのが彼の日課だった。
「ん」
奇跡か必然か、少女の瞼が微かに動いた。
彼は高鳴る心臓を抑えながら静かに話しかける。
「ニコ、起きて」
少女の目が開かれる。
願っていた瞬間だった。
ニコはパンケーキの匂いに釣られるように体を起こした。
「やあ、久しぶり」
彼は緊張しつつも笑顔でニコに話しかけた。
「あなたは?」
ニコは首を傾ける。
「俺はレオン。覚えていない?」
「ええ、ごめんなさい。何も覚えていないわ」
ニコは頭を抱えながら苦悶の表情をした。
レオンはその手を取り握る。
「大丈夫、これから少しずつ教えていくよ」
せっかく平和になったのだ。
時間はいくらでもある。
「君はね、俺のことが好きだったんだよ」
彼なりのジョークのつもりだった。
いつも通りニコなら笑ってくれると考えていた。
「え」
普通に引かれたことでレオンは少しガッカリした。
それでも、気を取り直して。
「そ、それよりもどう? パンケーキ食べる?」
レオンはニコの前にパンケーキを差し出す。
彼女が目を輝かせ涎を垂らしているのは言うまでもないだろう。
もう大丈夫。
二人はまた忘れたくない記憶をたくさん作っていく。
これからもずっと。