星の花屋と研究者と研究所
「次も五日後にくるよ」
「ではカレンダーに予定を書いておきますね」
白紙が少しずつ予定でうまっていく。予定を書き込むということが、こんなにうれしいものだとは思わなかった。ギルさんがこうして積極的に来てくれるのはうれしいけれど、お仕事の方は大丈夫なのかしら?
「研究所のほうは大丈夫ですか?」
「ああ。まもなく交流期間が終わるから報告書を提出して残務処理をするくらいだな」
「ちょっとさみしいですね、素敵な場所でしたから!」
ギルさんの職場である研究所は、白い壁に魔道具の青や薄緑の灯りがついた美しい建物だった。買い物のついでに連れて行ってもらったのだけれど、施設内を見せてもらうだけで十分に面白かった。そしてお昼になったので一般の人も利用できるという研究所内のカフェで食事をしていると、ギルさんと同室だというハリソンさんと偶然出会ったのだ。
『あれ、ギルじゃないか。来客か?』
『ハリソンか。彼女はライラだ』
『は、はじめまして……』
『へー、もしかしてギルの彼女?』
私の顔を見た瞬間、ハリソンさんはパカっと大きな口を開けて固まった。このときの私の髪色は焦茶色だったし、驚かせる要素はなかったはず。だがハリソンさんは、いきなり私の両肩を掴んで震えながらこう言ったのだ。
『こんな若くて、こんなかわいい子をギルが連れているなんて……現時点で軽く見積もっても犯罪だ! だ、大丈夫か? この魔獣のような男に何かよからぬことをされた記憶はないか?』
『よからぬこと? 頭をなでてくれたり、その……抱きしめてもらったくらいで』
『うわあああああーーーー! 警備員さん、こいつ犯罪者です!』
周囲がザワっとした。
『うるさいハリソン、彼女がおびえる。しかもどさくさに紛れて触るな、減るだろう』
『だいじょうぶですよ、そのくらいでは減りません』
『その反応、本物の天使なの? 貴重な天然素材で、しかもかわいい! 教えてくれ、君の生息地は?』
『ええと、生息地?』
『教えなくていい。気をつけろよ、研究者は頭のおかしい奴が多いんだ』
『ギル、おまえに言われたくないわ!』
ぺしりと手を叩き落としたギルさんが私を背中にかばう。なんだか守ってもらっているようでうれしい。頬を赤らめて見上げると、ギルさんがほんの少しだけ微笑んだ。視線の先にある彼の耳の端が少しだけ赤い。
やがて何を思ったのか、うっすらと微笑みを浮かべたギルさんがハリソンさんの耳元で何事かを囁く。するとハリソンさんは膝から崩れ落ちた。そしてまがまがしいとしか言いようのない何かが口から漏れ聞こえたのだ。
『……滅んでしまえ、滅んでしまえ、滅んでしまえええ、あああああなんでおまえばっかり!』
『どどうしたのですか、もしやこれは体調が悪いせい⁉︎』
『ライラ、気にしちゃダメだよ? うらやましいだけだから』
ハリソンさんはその場に崩れ落ち、地面にこぶしを叩きつけながら泣き崩れる。これではハリソンさんが不審者だ。警備員さんは慣れているようで、またかーという顔をして駆けつけてくる。ギルさんは何事もなかったかのように私を連れ出した。
あのあとハリソンさんは本当に大丈夫だったのだろうか?
研究所を出ると、今度は簡素な外装のこじんまりとした建物に連れて行ってくれた。建物内は蔦のような紋様の描かれた壁紙に覆われており、格調高く華やかだ。観光施設かと思えば、そこはなんと太陽の神を祀る神殿だという。余所者にもかかわらず、神官様はライラを丁寧にもてなしてくれた。しかも神官様自ら祝福というものまで授けてくれたのだ。
祝福を受けると、体の周囲をキラキラとした光が舞う。清浄な光の粒だ。すると神官様は驚いた顔でギルさんに何事かを囁いた。
『やはりね』
『何がやはりなんです?』
『時期がきたら教えてあげよう』
今はまだ内緒だということらしい。そして神官様は特別に支部の奥にある貴重な品まで見せてくれたのだ。親切にしてもらったうえに、貴重な経験までさせてもらって大満足だ。
そして最後は誘われるままに丘に登って薄く闇に染まった景色を眺めた。十八年もニクスに住んでいながら、こうして街の景色を眺めたのははじめてだ。静寂に包まれた夜の国は、どこまでも清らかで街の明かりがキラキラと輝いている。繋いだギルさんの手を、そっと握り返した。
『きれいですね。まるで夢の世界のようです』
『たしかにきれいだが、これは現実だ』
『ふふ、情緒がないですね』
『目が覚めて、君が隣にいなかったら寂しいじゃないか』
率直な物言いが、なんだかとてもギルさんらしい。音も光も消え、いつしか彼の温かい腕の中に閉じ込められていたのだと気がついた。
『好きだ、ライラ。こんなふうに自分が誰かを求める日がくるなんて思わなかった』
『私もです。認めるのがこわくて、ずっと気づかないふりをしていました』
いつのまにか、こんなにも好きになっていたなんて。
彼が誰よりも愛おしく、誰よりもそばにいて欲しい。目をひらけば、満天の星空に太陽の目が浮かぶ。欲張りになってしまったライラは、いつしか夜の国の闇に包まれながら太陽の訪れを心待ちにするようになっていた。
そして今日も、少しだけ特別な日が訪れる。
彼はお菓子の代わりに可愛らしい小箱を携えていた。中に入っていたのは花の意匠が彫られた可愛らしい指輪だ。かたどった花の意匠がサレチュリアだと気がついて、余計にうれしくなる。
「出会った記念に贈りたい」
「こんな素敵なものをいいのですか?」
「値段を気にするといけないから手作りだ」
「そ、それは逆に値段がつかないじゃないですか!」
「それから迷子札はついていないよ。魔力過多によるダメージを軽減する治癒だけだ」
「それは……ふふ、お気遣いありがとうございます」
シエルさんのネックレスについた効果のことを指しているのだろう。たしかにニクスは広いから、ライラ一人で放り出されたらきっと迷子になってしまう。でも迷子になるほど出歩かないから、私には必要ない。
ただ心配性なだけなのだ、シエルさんが。
そういえばギルさんの住む研究所から私の家はずいぶんと離れていたわよね。ライラが簡単に行き来できるような場所になかったことを思い出した。いまさらだとは思うけれど、ギルさんの負担になっていないだろうか?
「研究所からここまで通うのは大変ですよね? 部屋も余っていますし、泊まっていきます?」
ふと思いついたので、そう提案してみた。以前同居していた女性の住んでいた部屋が、今は空いている。きれいに掃除したばかりだし、すぐに使っても問題ないはずだ。私としては手助けになればいいと、単純にそう思っただけなのに、なぜかギルさんがその場で固まった。呆然とした表情が、やがて赤く染まる。
「本気で言っているのか?」
「どうしたのです、顔が赤いですよ? 疲れているなら、やはり休んだほうが」
私が不安に駆られ慌てて駆け寄ると彼は片手を上げ、私をその場に押し留める。それから赤らんだ目元を覆って、深々とため息をついた。
「そうか、君の知識はその分野も欠落しているのだな。これは大問題、いや早急に指導が必要だから最優先事項か?」
「どういうことです?」
「それはだな……っともういい、ただいろいろと手応えがない理由がわかった気がする」
ギルさんは意味不明な単語を吐き出して、どっと疲れた様子を見せる。
「ひどい、自分ばっかり」
彼だけが理解しているような態度が不満で、ぷいっと横を向いた。ギルさんは表情をゆるめて苦笑いを浮かべる。笑顔なんかで誤魔化されないわ、私は怒っているのよ。負けじと横を向いていたら、ふわりと空気が動いた。横を向いたままの私の頬を彼の指がなでる。
「今のは君が悪い」
「どうしてですか?」
「君の台詞は、事情を知らない男が聞けば、君が誘っていると短絡的に解釈する類のものだからだよ。そうなるといくら君が誤解だと言い張っても彼らは君の望まない状況へと強引に追い込むだろう。だから男性には誤解を受けることのないよう、冷たく突き放すことも大事だ」
男を誘う態度、そこまで言われて気がついた。
私の頬がぶわりと熱を帯び、あわてて自分の頬に手を当てた。ギルさんはほんの少しだけ口角を上げた。からかうような表情が憎らしい。上目遣いで恨みがましく見上げると、ギルさんの顔がなぜか赤くなった。そして朱を帯びた目元を隠すように片手で覆いながら深く息を吐いた。
「ライラ、そんな仕草をどこで覚えてきたんだ?」
「どんな表情ですか?」
「無意識か、恐ろしい。これで蹂躙されれば骨すら残らないだろう」
疲れたような顔で、ギルさんは私の手を握った。視線を合わせ、まるで子供に言い聞かせるように言葉を選ぶ。
「約束してほしい。ひとつはその顔を他の男に見せないように」
「どうしてですか?」
「できれば人の命を奪うのは避けたいからだ。ふたつめに男性を家に泊めてはいけないよ。商人だろうが同業者だろうが絶対にダメだ。植物だろうと、人間だろうと命は大切にしないとね」
ライラの手を握り、言って聞かせるような態度。からかっているのではなく彼の目は真剣だ。
「返事を聞いていないよ、約束できるね?」
「はいもちろん……」
「うん、いい子だ。君はそうして私だけを見ていてほしい」
約束の印だと、ギルさんが頬に顔を寄せ軽く触れる。落とされた温もりが彼の唇だと言うことに気がついて、一気に心拍数が上がった。彼の手は逃がさないとばかりに、私の顔を上向かせる。困り果てたような私の顔を覗き込んだ彼は、どこか満足そうな表情を浮かべていた。
「その表情、やっぱり気がついていなかったみたいだね。私が提案したことも結果的には大差はないということに」
「提案? どう大差がないのですか?」
「君をさらって自分の国に連れて帰ることだよ。異国に君を一人で放置するような無責任な男に思われていたのなら不本意だ。連れて帰るのだから、責任はちゃんと取る」
一緒に太陽の国へ行くことは、どうやら彼に同行するだけということではないらしい。帰って、その先があるということは……友人としてだけではなく、私とサレチュリアのように家族としてということかな?
「その顔は、やっぱりわかっていないな?」
「え?」
目の前が一瞬暗くなってギルさんの唇が私の唇に重なった。
「こういうことを友人にはしないよ」
「……!」
「君が気持ちを受け入れてくれるのなら、私の婚約者として連れて帰りたい」
婚約者……本で習ったのは、婚約した相手とは将来結婚するということ。私がギルさんの奥様になるということだ。どうしよう、想像がつかない。
「だけどもし、君が友人であることを望むのなら……君には瑕疵のないように取り計らうことを約束する」
「そんな、嫌いになるなんて……。ですが今の私は自分の未来が想像できなくて、とまどっているのです」
「もちろん、待つよ。まだ時間はあるからね。その代わり、君には選んでもらいたい。君はこれまで自分の生き方を選べるような立場になかった。だからこそ、そんな君に選んでほしいんだ」
――――ライラの隣に立つのはギルバートか、彼以外かを。
口調は強気なのに、彼の瞳はほんの少しばかり不安の色を浮かべている。
彼の瞳は語る言葉よりも本音に近い気がする。どうしてここまで彼を信じられるのか、彼に騙されると欠片も疑っていないのはなぜか。すべてはこの太陽の目のせいだった。
彼の目は私に嘘がつけない。
どれだけ言葉を飾っても太陽の目が通用しない私は彼の瞳から本心を知ることができるのだ。たぶんこのことは本人も知らないだろう、そしてこの瞳に弾かれてしまう人はこの秘密を知ることはできない。
この秘密だけは誰にも教えない、私だけのもの――――まっさらだったライラの心が色づいた。
「ようやく……いろいろと理解できました」
「その言い方だと不安だな。微妙に私の予想した回答とずれているような気がするが?」
「たぶん誤差の範囲です、それにちゃんと約束は守ります」
「当然だ、君みたいな世間知らずの子羊は油断していると呆気なく喰われてしまうぞ?」
困ったような顔で彼の親指が私の唇をなぞった。じんとした甘い痺れが体の芯に響く。そっと瞳を伏せると沈黙した彼の指先が煽られたように熱をはらんだ。どことなく強引で野生を感じさせる仕草にシエルさんの言葉が重なった。
「ギルさんは魔獣……なんですよね?」
「何度も言うが、私は正真正銘の人種だ。ただ愛らしい君が獲物なら私が魔獣と呼ばれてしまうのも時間の問題かもしれないな」
「なっ!」
「だが一番は、こうして私が触れることを君が嫌がらなくなったことがうれしい」
次はどこへ触れようか? ギルさんは追い打ちをかけるように甘く微笑み、私の手をすくい上げると指先に彼の唇を寄せた。熱が皮膚の奥深くまで侵食する。
……どうしよう、この感情が行き着く先を知るのがこわい。
絶賛混乱中の私をギルさんが笑った。慣れたからこそ気づくくらいにささやかな微笑み。けれど、それは彼にとって愛おしくてたまらないという顔だ。それがわかるからこそ私は本気で怒ることができない。
「冗談だよ、君は私にとって特別な存在だ。ちゃんと気持ちが追いつくまで待っている。ただ私は狭量な男だから別の男が君に手を出すのは許容できない」
「私が特別なのは太陽の目のことがあるからですよね」
「それだけじゃない。能力とは関係なく君自身が素晴らしい女性であることを賞賛したつもりなのだが?」
「で、でも今の私には自信がなくて……それにまだ理解が追いついていないのです」
「なんだったら、もう一度、君が理解できるように順序立てて説明しようか? 職業柄、説明は得意なんだ」
「っ、いいです! なんかもう、十分ですから!」
「ならばよく考えて。ささやかなアドバイスだけれど、大事なのは君がどうしたいかということだ」
大事なのは私がどうしたいか。
そう思った瞬間、まるで励ますかのようにサレチュリアが揺れる。そうだ、今後のことを考えて少しずつサレチュリアの植え付け面積を減らしていこう。
自分の一部が、家族である彼らも連れて行きたいと熱望している。違う土地でも新しい命を芽吹かせるように種を回収しなくては。植え付け面積が減るから排出量が減ってしまうだろう。心配を掛けないようにシエルさんにも話してそれとも、話してしまったら引っ越すことを反対されるだろうか?
「ギルさん、この国を出て行くことをシエルさんに話してもいいですか?」
「そうだな、いいと思うよ。黙っていなくなれば番犬である彼女も心配だろう」
一瞬考え込む仕草を見せたギルさんだったが、思いのほかあっさりとうなずいた。
「もしかして、ギルさんの名前を出さないほうがいいですか?」
「言わずとも察するだろうが聞かれたら話していい。彼女にとって一番重要なのは、君が決めたということだから」
問い合わせがあったら上手く調整しておくよ、そう答えたギルさんが優しく私の頭をなでた。そして手早く帰り支度を始める。優しい温もりが遠のいて急に寂しくなった。
「そんな顔をしないで、ライラ。離れるのが寂しいのは同じだ」
「……ごめんなさい」
「君があやまることじゃない。むしろうれしいよ。それだけ君が私を受け入れてくれたという証だから」
翻弄されて、鼓動が激しく高鳴る。これだけ情熱的に追い上げられたら、私の心がもたないわ。
「なんか、私だけがドキドキしているみたい」
それがちょっとだけくやしい。軽くにらむと、赤らんだ目元を隠すようにギルさんが視線をそらした。
「またそんな可愛い顔をして……君だけじゃないよ、ほら。翻弄されているのは私も同じだ」
彼は私の手をひき、胸の上に当てる。手のひらから伝わるのは彼の心臓が刻む鼓動の早さだった。それが何を意味しているのか理解した途端に、私の顔も赤くなる。こんなことをされたら必要以上に意識してしまうじゃないの。そのままの勢いで抱き寄せられギルさんの胸元にすっぽりと包まれる。温もりを肌で感じ、そっと目を閉じた。
こうしてギルさんと触れ合うたびに、懐かしいと思うのはなぜだろう?
忌み子である私に誰かが触れてくれたことはないはずなのに。まあいいか、必要なことならいつか思い出すだろう。ライラは居心地の良い温もりに包まれて、子どものようにうっとりと目を細めた。
「今後のことは、整理するのでもう少しだけ時間をください」
慎重に言葉を選んだけれど、心はもう決まっている。忌み子だと隔離されていたから人間関係が希薄で、それが逆にしがらみとなるような複雑な人間関係を生むこともなかった。
喜ばしいことに、私をこの国に縛り付けるような心残りは何一つない。
出国する準備を進めながら、シエルさんにだけ連絡をとってお別れをして……準備が整ったら静かに国を去ろう。いないものとして扱われた私が、この国を捨てたって誰も気がつきはしない。
そう思うと単純なもので、今は愛されなくてよかったとさえ思うようになっていた。




