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【書籍発売中】幽霊になった侯爵夫人の最後の七日間  作者: 榛名丼
6日目

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第20話.幸せだったナターニア

 


「そんなわけないわ」


 スーザンが固まった。

 言葉を続ける間もなくナターニアが否定してくるとは、思わなかったのだろう。


 しかし舐めないでほしい、とナターニアは思う。

 岩の上でふんぞり返るように腕組みをしたナターニアの声は、確信に満ちていた。


「スーザンほど、わたくしのことを想ってくれている人は居ない。あなたがわたくしを殺すわけないじゃない」

「……っ」


 スーザンの目に水が盛り上がる。

 重さに耐えられず、次から次へとこぼれ落ちる涙に、スーザンは溺れるようにして泣いている。


「ごめんなさい。ごめんなさい、奥様……っ」


 スーザンの喉が引きつる。

 苦しげな嗚咽を繰り返しながらも、スーザンは言葉を続けた。


「……奥様は小魚を食べるのが苦手だと、おっしゃっていましたよね」


 急な話題に、ナターニアは不思議に思いつつ頷く。


「ええ。子どもの頃、吐いてしまったことがあったの……でも頑張って食べたじゃない。魚は妊婦に良いってスーザンが教えてくれたから」


 スーザンには助産婦としての経験がある。

 子どもを授かったのが分かったとき、ナターニアはすぐにスーザンを頼ることにした。

 結婚に契約条件がある以上、表立って産婆を呼ぶこともできなかったからだ。


 ――そう。

 あの夜もそうだった、とナターニアは思い返す。


(夕食に、スーザンが小魚を出してくれて……他にも乳製品や鶏卵も良いって勧めてくれたのよね)


「そのせい、なんです」

「え?」

「覚えてらっしゃいますか。あの日、小魚を食べたとたんに、奥様の呼吸がおかしくなって……」


(そういえば……)


 ナターニアは自身の喉元に触れて、思い出す。


 苦しくて、辛くて、あまりよく覚えてはないけれど。

 夕食を口に含んですぐ、気道が塞がったような感じがした。

 苦しくて、うまく呼吸ができなかった。血を吐くほどに咳をしたが苦しいままで。

 生まれつき気管支の弱いナターニアだが、想像を絶するほどの苦痛の中、意識が薄れていったのだ。




『アレルギー症状……過敏症って言うんだって』




 そんな声がして、ナターニアは目を向ける。

 ナターニアとスーザンの間に浮かんだお猫さまが、静かな表情で言う。


 お猫さまの声は、子どもの無邪気なそれに似ていて、どこまでも淡々としている。


『小魚だけじゃなくて、いろんな食べ物とかに、身体が過敏な反応をしちゃう人が居るんだって』

「まぁ、お猫さま。また難しい言葉をご存じでいらっしゃいますね」


 だが、これで原因が分かった。


(わたくしは、妊娠したから死んだわけじゃなかった)


 そのアレルギー症状というのが出て、死に至ったのだ。

 スーザンが耐えかねたように唇を噛み締める。噛み千切った口元には血がにじんでいる。


「わ、私は――っ、気がついたときには、もうどうしようもなくて。でも、他の人に……侯爵様に自分の過ちを知られてしまうのが、怖くて……っ」

「だから、旦那さまを外に行かせたのね?」

「……っっ」


 スーザンが鼻をすすりながら頷く。


 その震えるばかりの肩を、ナターニアは手のひらで撫でた。

 やっぱり触れられないのが、なんとも口惜しい。けれどきっと、スーザンには伝わっているはずだ。


「辛かったでしょう、スーザン」

「…………え?」


 呆然と顔を上げるスーザンに、ナターニアは優しく微笑みかける。


「幽霊になったわたくしが現れたとき、あなた、どんなに怖かったでしょうね。この幽霊、自分を責めに来たんじゃないかって思ったのでしょう?」

「…………」

「でも大丈夫よ。あなたは悪くないの。誰も、なんにも悪くないわ」

「奥様は、どうしてそんなに優しいんですか?」


 ふう、とナターニアは長くゆっくりと息を吐く。


 以前にも、スーザンは言った。ナターニアが優しすぎて怖いのだ、と。

 だが、それは買いかぶりすぎだとナターニアは思う。


「わたくし、誰にも優しいわけじゃないわ」


 それこそ、聖人君子のようにはなれない。

 誰かにうんざりしたり、呆れたり、失望したりすることがある。

 にこにこと笑っていても、本当は泣きたいくらい辛い瞬間がある。


「スーザン。わたくしの侍女。あなたがわたくしの傍に居ると言ってくれたとき、どんなに嬉しかったか分かるかしら?」


 医者は誰もが、ナターニアは助からないと口々に言った。

 そんな中、スーザンだけが諦めないと言った。


 両親はいつも悲しげな目でナターニアを眺めていたが、スーザンは違った。

 彼女はナターニアと一緒に生きることを選んでくれた。苦しみに喘ぐナターニアから目を背けずに居てくれた。


 どれほど支えだったろうか。

 凍りつくほどに冷たい手を擦り、惜しげもなく温度を分けてくれた人。


「人々の奇異の目に晒されると、知っていながら……エルフの秘薬なんて作れないと知りながら、辺境にもついてきてくれたわね」


 お前がエルフの秘薬を持っていれば、と理不尽に責め立てられることもあった。

 そんなときもスーザンは言い返さなかった。たくさん傷ついたはずなのに、ナターニアのことを慮ってばかりだった。


「もうこれ以上、自分を責めないで。むしろ胸を張ってちょうだい。わたくし、幸せだったもの」


 ナターニアはにっこりと笑う。

 強がりではない。虚勢でもない。本心から、そう伝える。


「わたくし、不幸じゃなかったもの。そうでしょう?」

「…………はい」


 くしゃくしゃに顔を歪めながらも、スーザンは答えてくれた。


「不幸、っなんかじゃありませんでした。奥様は、不幸じゃない。きれいで、優しくて、誰よりもずっと……っ」


 目と目が合う。

 わずかに首を傾げて、ナターニアは問うた。


「解毒薬を、旦那さまに飲ませてくれる?」



 スーザンがゆっくりと頷く。

 長い夜がようやく明けたような、そんな顔をしていた。




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