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第15話.募るばかりの未練

 


 ひとつのベッドに、二人で横たわっている。


 夫婦が迎える初夜なのだから、当然のことだ。

 だが、自分たちの結婚には契約条件がある。一般的な夫婦のように、お互いの肌が触れ合うことはない。


 そう分かっているのに……目が冴えていて、いつまでも眠れない。

 緊張する。騒がしい鼓動の音で、すぐ隣で眠るその人を起こしてしまわないかと不安で仕方がない。


 自分に、こんなに人間らしい感覚が備わっていたことを、初めて知った。


 くるりと、その人が頭を動かす。

 身体ごと向きを変えたのを見て、眠れなかったのは自分だけではないことに気がついた。


 青白い月光に照らし出されたその姿は、どんな芸術品よりも美しかった。

 見惚れていると、形の良い唇がゆっくりと開いていく。


 そして。

 その夜、二人だけの、約束を交わした。



 ◇◇◇



『――ナターニア、顔が赤いよ』


 お猫さまに指摘されて。


 今朝も植木鉢の影に隠れていたナターニアは、「はわっ」と頬を押さえる。

 指摘された通り、そこはとんでもなく熱かった。発熱しているようだ。


 それに心拍数のほうも大変なことになっている。

 胸のドキドキが治まらない。挙動不審なナターニアのことを、お猫さまは不審げに見ている。


(でもでも、まさか、式のあとのことまで夢に出てくるなんてっ)


 あのとき、アシェルも起きていたなんて、いったい誰が想像できただろう?

 恥ずかしくて、幸せで、ナターニアの顔からは湯気が出そうになる。


 アシェルは今日も今日とて格好良い。

 新聞をめくる彼の表情が、どことなく穏やかに見えるのは、きっとナターニアの気のせいではない。


 昨日、二人で声を上げてずっと笑っていた。

 笑うアシェルは普段よりも幼げで、可愛かった。

 死んでからも、ナターニアはアシェルのことがどんどん好きになるばかりだ。


「ど、どうしましょうお猫さま。わたくし、風邪を引いてしまったのやも」

『幽霊は風邪引きませーん』


 お猫さまはいつだって冷静に突っ込む。


『ていうか風邪引くならぼくのほうでーす』


 しかし今日はいつもと異なりいやみったらしい。

 昨日、マヤに向かって投げつけられた挙げ句、小川の中に落ちた件について、お猫さまは根に持っていた。


「そ、その件については申し開きのしようもございませんんんっ」


 ナターニアはその場に膝をついて土下座する。

 あのときは他に方法がなかったとはいえ、恩人であるお猫さまを投げつけてしまったのは事実なのだ。


 反省しているのが伝わったのか、そっぽを向いていたお猫さまはちらりと視線を投げてくると。


『……ま、いいけどね。でも二度とぼくに触っちゃだめだから』

「えー」

『えーじゃない』


 ぴくぴく動く耳やヒゲは、いつだってナターニアを誘惑する。

 それにお猫さまはたいていの場合、宙に浮いているので、ぷにぷにとした小豆色の肉球も見え隠れするのだ。


「これでは、生殺しというやつです……!」

『生殺しじゃなくて、もう死んでるけどね』


 じたばたするナターニアは、ダイニングルームをこっそりと覗く影に気がついた。


「あ、スーザン」


 呼びかけると、スーザンがびくりと震える。

 午前中はいつもアシェルの傍に居ると伝えてはいるが、びっくりさせてしまったようだ。


 慌てて頭を引っ込めるのは、アシェルに気づかれるのを恐れたからだろう。

 廊下に出たナターニアは、朗らかに話しかける。


「スーザン、どうしたの? 旦那さまに何か用事?」

「あ、いえ……」


 お仕着せ姿のスーザンがぎこちなく首を傾げる。

 その目線がゆっくりと泳いだ。ナターニアの居ないほうを見ている。


「あの、奥様は、いつまで現世に留まることができるのですか?」


 そういえば、スーザンには協力をお願いするばかりできちんと説明していなかった。


「ええとね。ここに居られるのは七日間だけだから……今日を入れてあと三日だけなの」


 言葉にすると、急に心許ない気がする。


 自分でも現金だとは思う。最初、七日間と聞いたときは、またアシェルに会える奇跡に感謝していたのに。

 今は七日間では足りないと思ってしまっている。もっとアシェルの傍に居たいと、執着せずに居られない。


 スーザンは黙ったままだ。

 怒っているのかもしれない。ナターニアは両手を振りながら付け加えた。


「伝えるのが遅くなって、ごめんなさい。最初に言うべきだったわよね!」


 ナターニアが居なくなってから、泣いてばかりいたスーザンだ。

 きっと別れを惜しんでくれているのだろう。そう思うと、ナターニアまで涙ぐみそうになったが。


(あら?)


 スーザンは、怒っていなかった。

 それに悲しんでもいないようだった。


 注視してようやく分かるほどの微笑みが、口元に浮かんでいる。

 しかしスーザンは、すぐに唇を引き締めた。笑みは、表情が変化する過程に過ぎなかったのだろうか。


「再婚相手については、引き続き探されますか?」

「……ごめんなさい、スーザン。それはもういいの」


 すでにナターニアは、アシェルの再婚相手を見繕う気をなくしていた。

 アシェルは両親に向かってそれを否定したし、マヤのことも振り払った。


(わたくしは、旦那さまに、幸せになってほしかった)


 やり残した、大切なこと。

 でも死んだ以上、ナターニアには果たせない。

 そのために短絡的に考えたのが、彼の再婚相手を見つけるということだった。


 でも、違う。

 本当の願いは、そんな他人任せのものではなかった。

 アシェルを誰かに譲りたいなんて、思ったこともない。


(他の誰でもない――わたくしが、旦那さまを、幸せにしたかったの)


「……どうしてわたくしは、死んじゃったのかしら」


 ぼそり、とナターニアは独り言をこぼす。


 医者が下した、成人を迎えられないという診断を、ナターニアは乗り越えた。

 だからこそ――その先の未来を、アシェルと共に生きていこうと決意していた。


「部屋の中を歩いて、苦手な食べ物もたくさん食べて、がんばったのにね」


(神様なんて、居ないけれど)


 もし居るのだとしたら、とんでもなく意地悪だと思う。

 生きる希望も何も、見出せなかったときに、ナターニアの命を奪ってくれれば良かったのだ。

 アシェルに出会っていなければ、ナターニアは後悔なんてしなかっただろう。


 ナターニアはおかしくなって、微笑む。


(あと三日間で、後悔を振り切ることなんてできるのかしら?)


 むしろ未練は募るばかりだというのに。

 だから、アシェルのことを考えるナターニアは最後まで気がつかなかった。


 小さな独り言を耳にしたスーザンの顔が、蒼白になっていることに。




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