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第1話.死んでしまいました

 




『――――ナターニア。君は死んでしまったんだ』




 目の前に、一匹の子猫がふよふよと浮いている。


 顔はとても小さくて、青色の目はアーモンドの形をしていて。

 黒い毛はもふもふと、もふもふーと生え揃っている。


 きっと柔らかくて、手触りがいいに違いない。

 一目見て、触ってみたい……とナターニアは、唾を呑みながら思う。

 今まで、動物に触れる機会はほとんどなかったからだ。


 勇気を出してナターニアは、手を伸ばしてみる。

 心の中でどうか逃げないでと祈りながら、そぅっと、そぅっと。


(……あら?)


 けれど、うまくいかない。

 右手と左手。どちらを動かそうとしても、駄目だった。


(あらら?)


 その理由を考える前に、子猫が口を開いた。

 口の間から鋭い牙が覗く。



『よく聞いて、ナターニア。君はね、死んでしまったんだよ』



 そう繰り返すのは幼い少年のように、可愛らしい声。


 そこでようやくナターニアは、この声を発しているのが目の前の子猫なのだと気がついた。

 拙い声で喋りかけてきたのは、姿を見せていない誰かではなく子猫自身。


(人の言葉を喋る猫さまが、いらっしゃるなんて)


 世界は広いのだ、としみじみと思う。

 他にもナターニアの知らないたくさんの神秘が眠っているのかもしれない。


 ナターニアは、弾む声で返事をする。


「まぁ、さようでございましたか」


 手が動かせずとも、唇は動かせたものだから、ナターニアは胸を撫で下ろす。

 そもそも死んだということは、手だけでなく胸もないかもしれないが。


『ショックなのは分かる。でも気力を奮い立たせて、現実を直視してほ……えっ!?』


 子猫が大袈裟に仰け反る。

 よっぽど驚いたのか、瞳孔が縦に大きく開いている。


『そ、それだけかい?』

「もちろん驚きはしましたが、生まれつき身体の弱いものですから覚悟はしておりました」


 むしろ、よく保ったほうだといえる。


(お医者様は、成人を迎えることはできないだろうと仰っていましたし)


 エルフの秘薬でもあれば、いつまでも健康に長生きできたでしょうね――そんな決まり文句を、何度となく耳にした。


 万能の薬はおとぎ話だけの代物。

 もしそんなものが実在したならば助かっただろうと、途方に暮れたような顔で言われたものだった。


 しかしナターニアは昨年成人を迎え、十七歳まで生きられた。

 医者も投げた匙を一度だけ拾ってしまう程度には、びっくりの奇跡と幸運に恵まれたのだ。


「それにいつか人の命は尽きるもの。わたくしの場合は、それがちょっぴり早かっただけかと」

『それにしたって、アッサリしすぎだろう? 泣いたりとか、叫んだりとか、そういうのないの?』

「わたくし、侯爵夫人ですもの。そのように感情を露わにして、取り乱したりはしませんわ」


 えへん、と胸を張ろうとして――やっぱり身体が見つからなくて、ナターニアは苦笑する。

 おかしなものだ。今、動かしている唇の感覚もないのだから。


(そういえば、こんなにたくさん喋って息が上がらないのも初めてです)


 死んだということは、今のナターニアは魂だけの状態なのだろうか。

 身体がないから、息が苦しくなったりもしないのだろうか。


(……そもそも、ここはどこなのでしょう?)


 見渡す限り白いだけの空間が延々と続いている、なんだか寂しい場所。


『ここは地上じゃない。後悔を持って死んだ人間が迷い込んでしまう場所だよ』

「まぁ、ご親切にありがとうございます」


 ナターニアの疑問を察してか、子猫が答えをくれる。

 撫でて愛でたいのに、相変わらず手が見つからないのが歯痒いナターニアだ。


「では、あなたが神さまなのですか?」


 ナターニアの生まれた家は、イザヴェラという名の美と健康の女神の信者一族である。

 両親は病弱なナターニアを哀れみ、十七年前、彼女が生まれた日にイザヴェラ教徒になったのだ。


 だからナターニアも、敬虔深くイザヴェラ神を信じるひとりということになっている。

 しかし神に祈ったところで、身体を苛む苦痛は消えないし、寿命だって延びたりしない。


 それを十七年ぽっちの人生で、ナターニアは誰よりも深く理解している。


『……神ではないよ』

「では、天使さま?」

『天使とも厳密には違うんだけど……うーん、なんていったらいいかなぁ』


 神でもなく天使でもない、美しい子猫。


「お名前は、なんとおっしゃるのですか?」

『その、名前もないんだよねぇ』


 子猫が少し困った様子だったので、ナターニアは両手を合わせる。

 無論、手は見つからないままなのだが。


「なら、わたくしはあなたをお猫さまと呼ばせていただきますわ」


 子猫――お猫さまは答えなかったが、ナターニアの真意を推し量るように目を細めている。

 その硝子玉のような美しい瞳を、じぃっと真っ向から見つめ返してみるが、その中にはどんなに探してもナターニアの姿は映し出されていなかった。


『ナターニアは、すごく落ち着いてるね』

「そうでしょうか?」

『そうだよ。とても十七歳の若さで死んだとは思えない』

「うふふ。褒めていただいて光栄です」

『まったく褒めてはないけど……違うなこれ。落ち着いてるんじゃなくて、この子、アホっぽい……』

「え? なんでしょう?」


 小声すぎてよく聞こえなかった。

 お猫さまがゆっくりと首を横に振る。


『なんでもないよ。それよりナターニア、君の望みはなんだい?』


 ぱちくり、と瞳をしばたたかせるナターニア。

 今さら言うまでもなく、両目も見つからないから、お猫さまの姿はずっと見えていたのだが。


『言っただろう。ここに来る人間には後悔があるんだ。ぼくはその後悔を消すために、君に付き合ってあげるのさ』

「あらまぁ! そうなのですか?」


 なんて素敵な話なのか。

 それならと、もじもじしながらナターニアは口を開く。


「……実はひとつ、思い残したことがありますの」


 呟くと、お猫さまはそうだろうというように小さく頷いた。

 可愛らしい猫の姿形をしているのに、その表情は老成しているようでもあった。

 ナターニアが何を言い出すのか、すでに予想しているように。


『なんだい? なんでもいいから、言ってごらん』


 促されたナターニアは、意気揚々と伝える。

 彼女がやり残したことは、たったひとつだけ。



「わたくし、旦那さまに再婚してほしいのです!」




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