5月5日 パソコン
受験まで残り8ヶ月程度となっていたが、私は、受験勉強は全くしていなかった。私が大学進学を断念しようとしていることを知っているのは、真波と颯希の二人だけ。父や弟たちにもまだ言えてない。言えば必ず、止められることをわかっていたからだ。
父に言えば、必ず説得される。それだけは、わかりきっていたことだ。母が亡くなってから、父は別人のように変わってしまった。父は、弟よりも私のことを気にしている様に見えた。まだ、幼かった弟二人よりも思春期真っ盛りの私の方が気になっているからだろうなのか?それとも、、、。
母が亡くなったと聞かされたのは、今から約5年ほど前の中学1年生のこと。当時、担任の先生から連絡を聞かされた私は、急いで病院に行った。でも、私が病院に着いた頃には、すでに息をひきとっていた。何がなんなのかわからなかった私は、ただひたらすら、お母さんを見つめていた。
その後、母が交通事故で亡くなったのを聞かされた私は、泣き崩れた。あんなに涙が止まらないことを経験したことはなかった。拭いても拭いても、私の目からは、涙が溢れてくる。1時間、3時間、5時間、10時間と経っても私が動こうとしなかったのを見かねた父は、私をなだめた。
私と同じように辛かったはずの父と弟二人が普通にしているのがよくわからなかった。今、思えば、私のために耐えてくれていたのかもしれない。あれからだ、父が私を心配するようになったのは。あの日までは、仕事一つで、私をどこか連れて行ってくれることなんてほとんどなかった。父と会って話すことと言えば、いつも仕事の話。よくわからない仕事の話を聞いていた覚えがある。
いつも、パソコンをタイピングする後ろ姿を見つめていた。その頃からなのだろうか?私がパソコンできる仕事に就きたいと思ったのは。私は、プログラミングの本を見ながら、コードを書き続けていた。このパソコンは、3月に父から譲り受けたものだ。画面に傷が入っていたり、Enterのボタンが上手く反応しない時もあったが、父の想いが入ったこのパソコンを触ることは、とても嬉しかった。
このBGMは、妙に作業がはかどる。ただ、今の自分がしていることは、作業ではないのだろうか?これが、どういう意味があるのか?自分自身でわからなくなっていた。作業を進めているうちは、やっている感はある。でも、それは、集中しているからだけではないのか。自問自答を続けながら、パソコンと向き合っていた。




