【第二話/Little Miss Weakend】
その一閃は紫電の如く。
振り上げ、斬り上げられた刃……もとい、傘は風を、雨粒を巻き上げていった。
一瞬の静寂、一拍の間。再び聞こえてくる室外機の鈍音や雨音と共に、金髪の男が小さく唸る。
「貴様……俺に血を流させたか」
唸りは苛立ちを、苛立ちを怒りに変えて男は後方へと大きく飛び退いた。ブーツの底が音を立て、アスファルトに着地する男。男の額には一筋の赤、裂傷が走っていた。
「にんじゃ、ニンジャ、忍者……サムライと同じ類いか。
この俺に、高貴なるこの俺に血を流させた事は万死に値するぞ、クソザルが……!!」
怒りを露わに男は声を上げ、その右手を再び夜刀の方へと向ける。指先には再度の光。
撃ち出される雷光は先程と同じく夜刀へと迫る。しかし、夜刀は足元に転がっていた空き缶を蹴り上げ、宙に浮くソレへと光が激突。雷光は易々と空き缶を貫くも、その先に夜刀の姿は無い。
雷光が空き缶に着雷し光が瞬く。それに紛れて夜刀は既に駆け出していた。初動は先と同じく前方への自由落下、踏み込むと同時に自重を推力へと変換してからの疾走。男の放つ雷光と遜色ない程の速度で路地裏の細道を疾け抜け、勢いの乗った刺突を繰り出す。
しかし、男もまたそれを予測しており、右手とは逆、左手で腰裏から拳銃を抜きは放っており、引き金を絞った。乾いた音、発砲音は複数回。
雷光よりは遅いものの常人なら避けれない速度で撃ち込まれる弾丸を前に、夜刀は咄嗟に傘を開くも銃弾はビニール傘をいとも簡単に貫いていく。
しかし、夜刀は単に傘を開いた訳では無く、手首を捻って取っ手を中心に開いた傘を回して弾丸の軌道を僅かに……ほんの僅かに反らし、致命傷に至る射線から逃れると同時に跳躍した。
刺突へのカウンター、銃撃を避けて着着したのは細道を作る壁、男の右斜め上の壁面へと着壁し、その反動を利用して再度の突撃。
「やはりサルだな!!」
金髪の男の声を耳にしながら夜刀は空中で縦回転、右足で踵落としを繰り出す。だが、男は伸ばしていた右腕蹴りを受け止める。同時に空薬莢がアスファルトに落ちて乾音、と共に男の右腕がミシリと音を立てた。
一瞬の膠着、一拍の間を破る夜刀の声。
「アンタは誰だ」
薬莢にやや遅れて着地した夜刀は再び問うた。警戒の色に染まる黒瞳は眼前の男から離れない。男との距離は1mも離れておらず、その手が握る拳銃も此方へ向けられたまま。男が引き金を絞れば、鈍く光る銃口から吐き出された弾丸が夜刀を貫くだろう。
互いに動かず、室外機の鈍音だけが響く。
「クソザルに名乗る程、俺の名は安く無い」
指先から光を放つ金髪の男と驚異的な身体能力を見せた夜刀、一連の攻防から互いに只の人間ではない事を二人は察している。だからこそ、傷付けられた事による怒りをゆっくりと納め、男は続けた。
「……この国の言葉で表すならば、俺は魔術師だ」
夜刀は忍者と、金髪の男は魔術師と名乗る。現代社会において創作物の中でしか名の上がらないであろう、それこそゲームで言うなればジョブとして表される単語を口にする男。
男の言葉に夜刀は眉根を寄せるも、それは互いに同じであった。
忍者と魔術師、一般人からすれば冗談の様な名乗りを上げる二人共に、“本物”であると両者共に理解しているからだ。だからこそ警戒心は深まり、動けない、否、動かない。
金髪の男が放つ雷光と夜刀の身体能力、互いに人を殺す事の出来る能力を持つが故の様子見。
先の攻防から、両者共に全力では無いが全力を出せばどうなるかは予想出来ている。だからこそ、次の一手を決めあぐねているのだが……
「サルを消し炭にする事などいとも容易い……が、魔力が切れそうではある。退いてやろう」
金髪の男は不意に、戦いの終わりを口にした。継戦可能かつ、勝てる事を表しながらの撤退の意。
それに対して夜刀は目を細めるつつも、頷く。
未知なる者同士の邂逅と接触、不意の戦闘で殺し合うのは得手か不得手か。
男は夜刀へと向けていた指先を上へ向け、指を鳴らすと同時に閃光。
「貴様、顔は憶えたぞ」
目が眩む程の光が路地裏を走り抜け、一拍の間を過ぎた頃には金髪の男の姿は消えていた。
そして、血塗れの少女の姿もまた、同じく消えていた。
「……魔術師、か」
微かに残る血の臭いと雨音、そして室外機の鈍音が響く狭い一本道の中、夜刀は一人呟く。ビルと隙間から見える灰色の曇天には、漆黒の烏が飛んでいた。
ーーーーー
「で、どうするの?上への報告もない戦闘行為、いくら金の位を持ってるとは言え拙いと思うけど?」
昨日の雨とは打って変わっての青空。エアポケットの様な晴天の下、校舎屋上の欄干に背を預けて少年が言う。
少年……空羅は夜刀と同じく新雷寺家の出、分家の出身で同じ高校に通っていた。
「戦国時代から続く忍びの家系、暗殺者の一族として現代でも生き残るシンライジの中で三番目に高い位の金将と言えど、一人で処理して事後報告するには面倒な案件だと思うけど」
新雷寺家。それは遥か古、戦国時代で将軍に使えた忍び、風魔を源流にする暗殺者集団である。表向きは貿易会社を経営しつつも、裏では政府関係者、要人警護やそれこそ政敵の暗殺、ここ数年では海外へと傭兵を派遣する“影”の一大勢力であった。
「……烏で“視てた”んだろ、銀将のお前が報告すれば良い」
午前九時、一限目の真っ只中で校舎の屋上には夜刀と空羅の二人だけ。少し湿度を感じる風に黒髪を靡かせ、空羅の隣に並ぶ夜刀は続ける。
「クウラ、お前も分かってるんだろ。売られた喧嘩は買い逃すな、徹底的に潰せ……ってニュアンスな新雷寺家の家訓。
だからと言って今回は魔術師とか冗談みたいな奴が相手……ちょっと考えさせろよ。動くには下準備が要る」
「何より、敵の正体も勢力も不明。玉将の不在が幸か不幸か、ねぇ?」
政府公認の暗殺家業を成り立たせているのは圧倒的な力であり、それを示威する事により新雷寺家は地位を確立している。ヤクザ者、ハンパ者、日陰に生きる者達にとって絶対に敵対してはいけない存在なのだ。
件の男、魔術師と名乗った者は“ソレ”を知らないのだろう。見るからに異国の人間、しかし人外の力を持つ者。単なる外国人勢力ではなく、それこそ国家単位での事案となる可能性は非常に高い。
本来ならば空羅の言葉通り、一族の長やその副官の二人に報告すべきなのだが……
「勝手にやって勝手に死ぬなら自分は万々歳だけど、“あの時”みたいに偶然だけで武勲を上げられるのは止めて欲しいね」
最適解は決まっている。迷う事すら間違いである現状での逡巡に発破を掛ける空羅の声。
「俺が死ねば銀将のお前は金将に位が上がる、でもわかってんだろ。
成り上がれんのはそれだけじゃねーって事。
……殺意、ダダ漏れだぞ?」
声と共に感じる明確な、暗く濁った黒紫の殺意。青空の下、欄干から背を離した夜刀は空羅の姿を見据える。
真白のノースリーブパーカーの下には黒のタンクトップ、見える両腕は細い。身長も夜刀より低く、男子高校生としては小柄。学校指定のスラックスではなくカーキ色をしたカーゴパンツの裾から続くミリタリーブーツの爪先が、不意に消えた。
「ワザとに決まってるでしょ」
声に重なる風切り音。湿り気のある空気を吹き飛ばす程の上段蹴り。
会話の途中で空羅が放つその蹴りは
、夜刀の眼前で停まっていた。否、停められていた。
「……めんどくせぇんだよ」
常人ならば反応出来るかどうかの速度と、人を簡単に昏倒させれる程の威力を秘めた空羅の蹴りを左手で掴み、夜刀は一拍の間を置いてその爪先を払い捨てる。
「お前が俺を嫌ってんのは知ってるし、今のも“何時でも寝首を掛ける”ってアピールなのもわかる。
だけど今日は嫌味を言いに来た訳じゃねーんだろ?」
一限目をサボっている夜刀の制服姿に対し、空羅は完全な私服。服装から今日は丸一日授業を受けない事が見て取れた。
「俺は金将、お前は銀将。一応は俺の副幹であるなら、“そう言う事”で伝わるよな?」
払い捨てられた爪先を屋上のコンクリートに打ち付け、空羅は答えた。
「……今日中には情報収集しておくけど、それだけ。後は知らないし手を出さない。掟に則り徹底的に潰すか、逆に潰されるか」
そして、先程と同じ様に濁った殺意を紫の瞳に宿したまま一枚の紙片を指先で摘まみだした。長方形の和紙には紋様……呪紋が刻まれており、空羅が“氣”を込めると呪符からすぐさま紫色の炎が噴き出した。
燃え上がる紫炎は瞬く間に空羅を包み、膨張からの一転。僅か数秒で炎は消え、同じく空羅の姿も焼失していた。
「……面倒くせぇヤツ」
屋上で一人残された夜刀。僅かに残った呪符の燃え滓は夏風に吹かれ、呟きと共に青空へ舞っていく。
ーーーーー
フルフェイスのヘルメットを被り、グローブをしかと締める。初夏前の太陽に熱せられたタンクを指先でなぞり、シートに跨がる。キーを差し込んで一捻り、エンジンの鼓動、振動を全身で感じながら空羅はアクセルをゆっくりと捻った。
ドラッグスター250、中型アメリカンバイクの低い車体が動き出す。紫色のタンクに描かれた白抜きの星が尾を引いて校門へと続く一本道を走り抜ける。本来ならば敷地内の走行は禁止されているものの、授業中である為に注意の声は聞こえない。尤も、注意された所で止まる事も無い。
校門から車道へ、大通りへと進む二輪車は速度を上げていく。スピードメーターの針が動き、同じ様に空羅の思考も加速していく。
新雷寺家当主の実弟である夜刀は、忍術を全く使えない。
忍術とは龍脈・龍穴と呼ばれるパワースポットから溢れる“氣”を取り込み、自身を媒介にして発現させる異能の力。その適性は瞳の色で決まっており、火なら赤、水なら青と分かりやすい。最高峰の暗殺技術と異能力を以て、新雷寺家は古来より続く最強の暗殺一族として名を知らしめているのだ。
しかし、そんな中で夜刀は異能の力を全く持たない。夜刀の瞳は黒、無能力を表す漆黒だ。
だがしかし、異能を持たずとも夜刀は金将の位を持ち、その事実が空羅にとっては腹立たしかった。
(無能力の黒、血筋と運だけの位……俺は認めない)
法定速度を遥かに超えるスピードで大通りを走り抜ける紫紺の車体。己の忍術、呪符の力によって周囲の時空間を歪める空羅に迫るモノは無く。
思考とアメリカンバイクだけが加速して行く。
ーーーーー
結局、夜刀が自身の席に着いたのは午後の授業からだった。
昼休みを終えても止まないクラスメート達の会話、ざわめきを耳に夜刀は机の上に教科書とノート、筆記具を広げる。窓際の一番奥。開けた窓から吹き込む風は意外にも涼しく、眠気を誘う。
「眠い」
ぼんやりと呟く夜刀。考えなければならない事はあるが、空羅からの報告を待ってからでも良いだろう。
担任である英語の教師が入って来るのを横目に、夜刀は机に伏せようとした……その時だった。
「授業の前に留学生を紹介します」
担任の声に夜刀は、夜刀だけでなくクラスメート達が一斉に視線を教室の入り口へと向ける。イギリスからの留学生が来るのは昨日、大神から聞いてはいたがすっかり忘れていた。
視線の集中砲火、実際の銃火器によるモノならば木っ葉微塵になるであろう教室の扉から姿を現す小柄な影。
指定の制服に身を包んだその人物はゆっくりと教壇の前へと歩み、静かに頭を下げた。
「ルナ・プルトーン……デス。よろしくお願いシマス」
一礼に続く声、訛りはあるが流暢な日本語。揺れるサイドテールは桃色、長い睫毛の下で開かれた瞳の色は吸い込まれるかの様な黒。
その姿に歓声を上げる者、ざわめきを大きくする者、拍手をする者。様々な反応を見せるクラスメート達。
その中で一人、夜刀は目を見開き絶句していた。
(……嘘、だろ)
教室の端、窓際から吹き込む湿り気を帯びた風。揺れる髪と、黒き瞳。
雨降りの夜、死に瀕していたであろう少女は予想外の場所に現れ、真っ直ぐに夜刀を見詰めて薄く微笑んだ。




