ぼやける
半崎美子 "明日へ向かう人" (MV Full Ver.) "The One that Heads to Tomorrow"
を聴きながら
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写真のように精密に見たままをかいても、ぼやける画がある。全体的に論点がぼやけるというのか、
焦点がずれる、というのか、なにを描きたいのか(何を訴えたいのかわからず、ぼんやり、なんだか、もやもやするのだ)そういったもの。それらは、技術ではなくて、何に感動したのか、感性の部分、心の部分なのだと思った。
人は心を持ってる。それは、ある一面でひどく雄弁に人に伝える。それは、ある一面で、ひどく簡単に、単純に人の心に訴えかける。それは言外の部分で受け取られていくもの。
絵を描く、文章を書く、人に声で訴えかける、感動して涙を流す、それら全てに通ずるものだと朝焼けをみつめながら思った。
焦点がぶれていれば、その心の部分は人には伝わらない、伝えられない。それは、意識的に無意識的に(本能的に)どちらで心の部分にダイレクトにつながっていたとしても、結果を(心に通ずると)そう目の前に示すのならば、それは、どのような方法論で、どのように自らにアプローチするかでそこに向かおうとしてもよいのだ。その方法は固定されていない。一番自らがそのままをそのまま真っすぐに表出しやすい方法で向かえばそれでよいのだ。
表出の強制など誰も出来ないし、矯正も強要も出来ないのだから。私が、あなたがしたいそのままをそれでよいのだから。なぜなら、その方法論を知っているのも、その表出の根源もあなた自身しか知らないし、あなた自身の内にしか、きっと息づいて、もしくは漂ってはいないのだから。
これが今の私の結論となります。