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第一話:燃焼

 夢を見ていた。

 思い出せるのは激しい後悔の炎に身を焼かれる感覚だけ。

 おそらくその途中で耐えきれなくなり目を醒ましたのだろう。


 地鳴りは言わば死の象徴だ。地下水道では地鳴りのような音が聞こえてしばらくすると濁流が襲い掛かる。

 濁流には鋭くとがった廃材や金属片のゴミが混ざっているし、なによりゴミの中には動物の死骸も含まれるため衛生的ではない。その流れに飲まれればひとたまりもないだろう。

 だから俺は息を殺して耳を澄ませる。危険を察知した小動物が騒がしくなったり、いつもと違う土の匂いがしたり他にもいくらか兆候はある。なにひとつ聞き逃してはならない。

 これらの警戒をおろそかにした一部の地下の住人は、ことごとく濁流に飲まれ姿を消した。


 あたりは暗かった。夜だからではない。地下水道はいつだって平等な暗闇に包まれている。乾いた音を立てながら目の前を大きな鼠が走り抜けていく。頬がひんやりと冷たい。

 ここでようやく自分が倒れていることに気付いた。いつの間にか通路で寝てしまっていたようだ。どれくらいの時間が経ったのだろう。身体が強張り、どうにもうまく起き上がれない。

 俺は諦めて冷たい石造りの地面に身をゆだねる。


 水の流れる音。しずくが落ちる音。そうした環境音に交じって、昆虫の這う音、小動物の駆ける音、擦るような地下の住人の足音も聞こえる。

 地下には地鳴り以外にも様々な音で満たされている。

 すべてが絶妙なバランスで調和して今の地下水道は成り立っているのだろう。小さな生命の灯も、横たわる俺も、平等にその一部だ。


 目の前で影が動く。先ほどの鼠が自身よりも大きい黒パンの塊を咥えて、もと来た方向へと駆け抜けていった。

 おそらくその先に巣穴があるのだろう。それは崩れた壁のなかか金属パイプの隙間に違いない。この地下水道で幾度となく見てきた光景だ。

 廃材によって外敵から姿を隠すように作られた巣穴では、小さな鼠が身を寄せ合いながら餌を待っているはずだ。


 その拍子にしばらく何も口にしていないことを思い出した。意識した途端、胃の奥のほうが熱を帯びてひどく苦しくなる。それから人としての様々な感覚が戻ってくる。我慢しようと思っても、臓腑の奥からじわじわと精神を締めあげる。

 その感覚から逃げることは出来ない。払い落すことも、洗い流すことも出来ない。望むと望まざると、いつの間にか抱えさせられた呪いのようなものを身体の中で死ぬまで飼い続けなければならない。

 俺はふらつきながらも何とか立ち上がり、闇に吸い込まれた鼠のあとを追って地下水道の角を曲がる。


「あ゛が゛っ!」


 俺の惨めな呻き声が響く。突然だった。その場に踏み留まることも出来ず、俺は軽々と突き飛ばされる。石壁に後頭をしたたか打って視界に星が飛んだ。苦痛のあまり俺の意識は光の粒になって消えてしまうところだったが、その痛みよりも戸惑いのほうが上回った。


 おおよそ薄汚い地下水道に相応しくない光景だ。気品あふれる朱色を基調としたローブを頭からすっぽりと着込んだ少女が、俺にぶつかってからすぐに立ち上がり、恐る恐るといった様子でこちらを覗き込んでいた。

 自然体で眠たげな表情にそこはかとない色気を見出してしまい、どうにも後ろめたい気持ちになる。フードの隙間から煌く黄金の髪がのぞき、そこはかとなく花の香りもする。昔読んだ童話の淡い光をまとった妖精というものが実際にいるとしたら、このような姿なのかもしれない。とにかく予想外な光景にうまく反応することができなかった。


「ふぎゃあっ、し、死んでる……!」


 俺の状態があまりに酷かったのだろうか、勘違いした少女はわなわなと手を震わせ狼狽えはじめる。

 その背後には、まるで影から生み出されたような黒衣の礼服を着こなした女性が音もなく佇んでいた。

 装飾のついた華々しい細身の剣と、袖口には巡神フォルトゥナに仕える神官の紋様をかたどったカフスボタン。どうも身分のある人物らしい。それでいて他に護衛も付けずに地下水道にいるというのだから、かなりキナ臭い。


 女性は美人な顔つきで、それでいてどこか上っ面だけ取り繕った仮面のような印象を受ける。暗くて分かりづらいものの、その髪色は人の目を惹く雪のような銀。そこに薄く朱が差したような不思議な色合いだ。

 彼女は世界を小馬鹿に見下したような目つきでこちらを一瞥する。そして役者のような持って回った口ぶりで吐き捨てる。


「たかが地下の民ひとりです。殺したからといって気にする必要など苔の一片ほどもありませんよ。

 ……彼はそうですね、物語の冒頭でオーディエンスの興味を惹くためだけに散っていく命なのでしょう。それが彼の役割。妨げられぬ運命。そんな彼の晴れ舞台を誰が憐れむことなどできましょう? いいえ、できませんとも。

 彼はこの下水の片隅で産声をあげた瞬間から『おはよう! そして会えない時のために、こんにちはとこんばんは!』が口癖となり、国中の誰もが彼を見て泣いたり笑ったりする未来を想って今日まで生きてきたのです。悲しみの深い一生でしたね。

 たしかに彼のロウソクは冗談めいた短さだったのかもしれませんが、それならせめて笑って送り出しましょう。それが手向けというもの。彼はそう、他人を笑わせハイになるタイプ」


「俺の知ってるセオリーでは序盤に喋り過ぎるやつが真っ先に灰になるんだがな。まあ、あんたはイロモノ枠として長生きするだろうよ」


 急に喋った俺を見てびくっと身体を震わせた金髪の少女は、あわてて助けを求めるかのように黒礼服に隠れた。一方で、黒礼服の女は他人をおちょくるような含みのある笑みを浮かべる。俺に息があることなど何もかもすべてお見通しといった態度だ。


「へえ。ただの地下民かと思ったら寝起きにずいぶん口が回るじゃないですか。いえ、人って予想外のことが起こるとつい笑っちゃうんですよね。フフッ。あなた、いつもみたいにハイになって白目剥きながら踊り出してもいいですよ」


 二回目にして発言量を控えたあたり、まだ死にたくないんだろうなあ。

 まるで旧知のような態度でぐいぐいと踏み込んだコミュニケーションをけしかけてくるが、記憶を手繰ってもなにも思い出せない。

 エキセントリックな振る舞いは純粋に性格の問題か、あるいは計算づくか。宮廷や政治の場なんかでよく見る俺の嫌いな手合いだ。会話を続ければ続けるだけ相手はつけあがってくるだろう。そう思い直して意識をもうひとりの少女の方に向ける。


「いや、まあ、生きてて良かったけど、キミ大丈夫なの?」


 落ち着きを取り戻したらしい少女が俺に手を差し伸べる。しかし俺のことを手負いの猛獣かなにかと思い込んでいるらしく、その軽い口調とは裏腹におっかなびっくりといった風に腰が引けている。


 最近の子供は他人にぶつかっておいて謝罪もないらしいな。でも俺はそんなことでいちいち腹を立てたりはしない。上から目線で説教したり、陰口をたたいたり、みっともなく意地悪するようなこともない。

 もし何らかの振る舞いを相手に学んでほしいと思ったら、自分がその振る舞いを魅力的に示した方がいい。誰もが真似したくなるくらい魅力的に。

 これはそういう話なんだ。


「ぶつかって悪かったよ、俺の吸引力が凄すぎたんだ」


「それはその、ごめんて。ほら、ここって暗いし、臭いし、じめじめしているし、寝てる間に額に水滴がぽつぽつ落ちてきて気が狂いそうになるし、あとはなんか頭のおかしな人が追いかけてくるし……」


「おい!! 声がする! てめえら逃がすんじゃねえぞ!!」


 突然、地下水道に怒号が走った。声に続いて大人数の足音がまるで地鳴りのように響き渡る。反響してくる声がどこから聞こえてくるのかは分からないが、声量からしてそれほど遠くではないはずだ。どうにも話が通じる相手ではない雰囲気を感じる。

 俺は痛みを堪えながら立ち上がり周囲を警戒するが、今すぐ何かが起こるわけではなさそうだ。


「彼らは追い剥ぎか野盗のたぐいのようです。先ほどからずっと追われているのですが、逃げ場はありますか?」


 黒礼服の女が事務的に告げて、この時になってようやく面倒なことに巻き込まれたと気付いた。

 ひとりであればやり過ごすことも出来るが、目立つ二人を連れていてはそれも難しい。まして俺は剣術や体術の達人ではない。数の暴力には敵わないだろう。

 どのみち巻き添えを食らうならば何か引き出しておかないと割に合わない。


「それは知らん。あんたらで勝手に踊ってろ。俺には鼠を狩るという大事な使命があるんだ」


「ああ、領主の組合で常に募集が出てるやつですよね。最低ランクから受託できて報酬も子供のお小遣い程度の」


「そうだ。それに手を貸す理由がひとつもない」


「交渉ときましたか。いいでしょう、魔法のランプは欲しくないですか?」


 手にしたものの願いを叶えるという宮廷の童話に出てくる話だ。出自や教養を試しているのかもしれないが、情報を明かして良いこともないので俺は知らないふりをする。もしかしたら何かを疑っているのかもしれない。少し粗野な口調に寄せて印象をずらすことにした。


「魔法のランプっつうのはなんだ? 骨董品なんか興味ねえぞ」


「そうですね。詳しくは話せませんが、我々はしかるべき場所においてある程度の権力が保証されています。あなたのちっぽけな煩悩のひとつやふたつ叶えて差し上げましょう、ということです」


「信用ならんがこのまま巻き込まれるのも癪だからな。今言ったことを忘れるなよ」


 と格好つけて言ったはいいが、そもそも逃げ場はない。

 見たところここは無数にある支流のひとつで、本流との出口をふさがれてしまえば隠れてやり過ごすことも出来ない。一方で、逃げ道の多い本流側に出てしまえば迷路のような地下水道ではいくらでも姿をくらますことは出来る。

 しかるべき場所、と言っていたのも忘れてはいけない。十中八九、地上に出なければ彼女らの権力とやらに預かることも出来ないだろう。

 目指す場所は決まった。地上出口だ。


 約束を反故にされるかどうかはさておいて、相手の話にはある程度信頼を置いていた。というのも袖口のカフスボタンだ。記憶が正しければあの紋様は本物で、現職の神官関係者の持つ権力ならそこそこ無茶ができる。


「声の反響具合を踏まえると、奴らは水道の本流側にいるはずだ。下手に近づくと囲まれるだろうな」


 というのは支流の奥に進むためのでっちあげ。特にこういった緊急時では、人が納得に足る理由を示せれば真実なんてどうでもいい。


「ほう、それで?」


「支流の奥には地上と繋がる蓋がある。あるいは別の支流に繋がる通路、あるいは行き止まりだ。本流側に戻れない以上、ここの支流が当たりであることをせいぜい祈るんだな」


 少女は不安げな顔でこちらを見ているが、そこは問題ない。当たりは引ける。運命、出会い、選択を司る巡神フォルトゥナの神官であれば、祈りの加護によって正しい選択へと運命を捻じ曲げることができる。ずっと昔にそんなことを聞いた気がする。多分な。行き止まりだったらそのとき考えればいい。

 俺は足音だけを引き連れて地下の暗闇を縫うように歩く。怒声はときおり近くから聞こえたり遠くから聞こえたりして、そのたび俺たちの心臓を凍らせた。


 しばらく歩き続け、一角が魔法のように光り輝いている場所を見つける。

 蓋の隙間からわずかに漏れる光が、出口の存在を強く主張していた。


「やっと出口だ……もうここ嫌、早くうちに帰りたい……」


 少女は疲労と安堵が入り混じったようなため息をついた。

 そのとき、背後から人の足音がまるで地鳴りのように響く。


「急いで登れ、俺が最後でいい」


 小声で指示を出す。蓋は大人二人分くらいの高さの位置にあり、そこまでは梯子が続いていた。

 苔まみれで得体のしれないぬめりのついた鉄の梯子を登らせる。


「ちょっと! これ、蓋が開かないんだけど……!」


 少女が泣きそうな声をあげて梯子から降りてくる。苔まみれでずいぶんひどい格好になっていた。


「私も腕力ではお役に立てませんね。なにぶん可憐なもので」


 俺が何か言う前に先手を打ってくる。何もないなら主張をやめろ。

 代わりに俺が登り、手探りで蓋の裏側を確認した。地上側から太い鉄線のようなものが巻き付いているようだ。わずかな隙間から地上を覗くと、どうやら枯れた古井戸の底に繋がっているらしい。

 力任せにこじ開けようとしたがびくともしない。試しに手持ちのナイフを鉄線の隙間にねじ込んでみたが、逆に刃先が曲がってしまった。

 だめだ、開かねえ。


「おい、別の道を……」


 振り返ると、少女はうつぶせに倒れて血を流していた。黒礼服の女も何者かに口を押えられ、腹を串刺しにされている。

 強烈な吐き気に耐えられなくなりその場にうずくまった。何物かは下卑た笑い声をあげて、仕上げとばかりに出来立ての死体へ火を放つ。鼻につく嫌な臭いと煙が立ち上り、やがて何もかもが炎に巻かれて苦しみの果てに俺は目を醒ます。


「ずいぶん長いこと寝ていたみたいね」


俺は、いつ目を醒ますんだ?

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