第39話 忌まわしき記憶の奔流 File.3
お待たせしました!第三部から本格的にリラが攻勢に出ます!
(駄目よリラ!もっと集中しないとクラリファイイングスパイラルは維持出来ないわ!)
テミスからアクアリウムを授けられたその日から数日間、リラは多摩川の河川敷に出てはクラリファイイングスパイラルを形成、維持する練習に明け暮れていました。
折しも時期は春休み。学校にも行かないで済んだ為、リラにとっては夏休みや冬休みと共に心安らげる貴重な時間となっていました。加えてアクアフィールドを展開する事により、周囲を様々な魚型やその他の水生生物型の水霊達が泳ぎ回り、人々の中から出て来る穢れを浄化して行く光景は、リラの心を躍らせました。今までと世界がまるで違って見えたからです。水霊達が泳ぎ回る街の様子は、さながら海底に沈んだ都市の様。リラの藍色の目には、さぞ幻想的に映った事でしょう。
然し、本当の自由を得る為には虐めに打ち勝たなければなりません。夜中、誰もいない場所でリラはアクアフィールド及びブルーフィールドを展開。周囲の水霊達を集めては、近くの草木にクラリファイイングスパイラルで潤いを与える事により、力を使いこなす修行をしていたのです。
言うまでも無く最初の内は複数の水霊を1度に操るだけで疲れましたし、クラリファイイングスパイラルの螺旋を形成するだけでも一苦労で、満足に癒せる段階では有りませんでした。
「うわぁ、凄い!草がシャキーンって伸びてる!」
それでも練習3日目、道に生えた草が自身の力で生命力全開になって大きく伸びる様子を見て、リラは驚きと同時に嬉しくなりました。少しずつでは有りますが、クラリファイイングスパイラルも形となって来ました。
アクアリウムは水の力であり、生き物に癒しを与える異能ですが、実は副産物として潤いや保湿効果を齎す事も出来るのです。命を育み、支え、生かす水の力ならではの効果と言えるでしょう。
(取り敢えず上手く行きましたね。ですが、人間相手に使えなければ実戦で役に立ちませんよ?)
「うん。そうだけど…でもどうするの?誰に使えば良いの?」
(そうね……近くに手頃な相手は―――――居ました!リラの後ろから20m離れた河川敷に1人!)
「えっ?テミス何で分かるの?」
(私達水霊は世界中を循環している水其の物。だから過去から現在に掛けて何処で何が有ったのか、全て分かるのです。そしてその情報は、現在もリアルタイムで私達の頭の中に流れ込んで来てるのよ。)
「す、凄いねそれ……。」
(感心している場合では無いわリラ。さぁ、人間を癒す初の実戦です!急ぎましょう!)
テミスに促され、リラは早速現場へと向かいました。すると其処には1人の老婆が足を挫いてその場に伏しています。
「大丈夫ですか?」
「痛たたた…あっ、お嬢ちゃん。済まないんだけど、ちょっと手を貸してくれないかしら?散歩してたら足を挫いちゃって……。」
助けを求める老婆に対し、意を決したリラは答えます。
「いいえ、お婆ちゃんの身体は………私が癒しますから!」
そしてリラがブルーフィールドを展開すると、近くを様々な色と形をした魚達が泳ぎ始める光景がその場に広がります。
「えっ?これって何なの…!?」
老婆が戸惑う中、リラは両手に水霊達を集めてコバルトブルーの光の球を形成。其処から2本の光の奔流が宙を流れて老婆を優しく包み込むと、そのまま光の二重螺旋が形成されて彼女の身体はゆっくり揺れます。
“1/f揺らぎ”の原理によって彼女の身体の穢れや歪みを、リラは丹念に取り払って行きます。人間相手に初めて使うアクアリウム。「絶対にこの人を癒す」と言う強い気持ちの下、リラは人生で最も集中して力を行使します。
「あぁ、訳が分からないけど何だか気持ち良い……ってあら?」
痛みも忘れて夢心地になる老婆でしたが、使っている途中でリラの集中力が切た為にクラリファイイングスパイラルは5分で消滅。リラはその場に倒れてしまいました。
(あーあ、何をやってるんですか貴女は……。)
テミスはその様子に呆れていましたが、別段残念とは思っていませんでした。
(まぁ…お婆さん自体は癒せたから及第点ね…。)
それから数分後。
「ちょっと大丈夫、お嬢さん?」
リラが意識を取り戻すと、視界に入って来たのは自身がアクアリウムを施した老婆の顔でした。
「あれ?私、お婆さんを癒して……。」
「貴女、途中で倒れちゃったのよ!心配したわもう……。」
癒す心算の相手から逆に心配されては世話が有りません。施術が失敗したのかと思い、リラには残念さと悔しさがこみ上げて来ます。
ですが次の瞬間、老婆は意外な言葉を彼女に伝えました。
「今のは一体何だったの?まるで魔法みたいだったけど、何時の間にか足の痛みが取れてたわ!」
「えっ……!?」
どうやらアクアリウムの施術は成功だった様です。無事に老婆の足を治してあげられたと分かり、リラは一安心すると同時に嬉しくなりました。
「本当に有難うね。お礼に良い物あげるわ!」
そう言って老婆から差し出されたのは、青い魚のマークがあしらわれたネックレスでした。
「このネックレスには言い伝えがあってね、赤と青をそれぞれ着けた者同士は惹かれ合ってずっと結ばれるそうなの。孫娘には赤い方をあげたから、巡り会えたらどうか仲良くして頂戴!」
結ばれるとは即ち、『永遠の愛』なのでしょうか?然し、愛の形は何も1つでは有りません。恋愛関係と言うのも有りますが、それ以上に親子や親友同士の様な一生の付き合いになる相手にだって成立するでしょう。
そのどちらにせよ、孤独なリラにとってそれは何よりも憧れて、何よりも求めて止まない代物でした。
「えっ?うん、有り難う……お婆ちゃん!」
そう言って老婆と別れたリラですが、彼女は知る由も有りませんでした。この出会いが、高校生になった時に大いなる運命に変わって行く事を―――――。
リラが老婆と別れてから10分後の事です。セミショートでショートパンツ、素足にスニーカー履きと言うボーイッシュな少女が老婆の元に現れました。どうやら彼女が孫娘の様です。
「祖母ちゃん、何処行ってたんだよこんな夜中に!」
「あらあら、迎えに来てくれたの?」
「たりめーだろ!つーか散歩すんのは良いけど遠出すんなよ!」
「御免なさいね。でも有り難う。良い孫を持って幸せだわ。ねぇ――――――“忍”。」
そして春休みが明けて2年生になった時、とうとう戦いの時が訪れました。
教室に入った時、視界に入って来たのは理緒奈率いる虐めっ子のグループでした。
「お早うリラ。未だ生きてたのね?」
「本当だよ。さっさと死ねば良いのに――――。」
「まっ、そんなに私達と遊びたかったら今年も遊んであげる♪」
悪魔の様な笑みを浮かべながら侮蔑の眼差しを向ける理緒奈と、その取り巻きの西堀、磯山、鹿瀬、金森の4人。
気付けば周囲の空気も禍々しいそれになっている事にリラは気付きます。去年自分のクラスメイトだった者達もそうでない者達も、二者二様に分かれていました。
これから起こる凄惨なリラの虐めを、特等席で演劇を眺めるが如く楽しみに傍観する者………。
その場の空気を察し、関わり合いになっては不味いと目を背ける者………。
どう考えてもリラの味方になってくれる者など絶無である事は明らかです。
然し、そんな現実を前にしてももうリラは恐れません。何故ならリラには―――――。
(リラ、アクアヴィジョンで落ち着いて周りを見渡してみなさい。)
そう、彼女にはテミス達水霊と言う目に見えない強力な後ろ盾と、アクアリウムと言う異能が有ったのです!
アクアヴィジョンをこっそり発動すると、理緒奈達虐めっ子のグループからはドス黒い高濃度の煤塵の様な物が立ち上り、周囲にいる生徒達もこれ程酷く無いにしても似た状態。辛うじて内なる水霊が動いているのは日和見、事勿れ主義を決め込まんとする生徒位です。
去年までは只恐怖に怯え、一方的に痛め付けられるだけだったリラ。今でもその恐怖は十分彼女の心にダイオウイカの如く強く絡み付いて離れませんが、テミス達のお陰で何とか逃げずに向き合えていたのでした。
(良いですねリラ?前日に練ったプラン通りに行動するのよ?)
(う…うん……怖いけど、何とかやってみる!)
この日は入学式を経てHRと言う流れで終わった為、普通なら比較的早く帰れそうでしたが、悪魔はそれを許しません。
早速帰ろうとするリラの前に理緒奈達が立ちはだかります。
「ねぇリラァ、一体何処行こうって訳?」
「このまま私等から逃げられるって思ってんのかよ?」
威圧的な態度でマウントを取ろうとする虐めっ子グループに一瞬怯み掛けますが、リラは勇気を出して相手と自分の周りにアクアフィールドを発動させます。
するとどうでしょう?理緒奈達の身に異変が起こりました。
「うッ……!?何…急に苦しく……!?」
「ゴボボッ…!息が……!?」
突如全身に鉄の塊でも付けられた様な重苦しさと、極端に空気の薄い場所に投げ込まれたかの様な息苦しさに襲われ、5人は堪った物ではありません。
こんな状態では、とてもリラを虐める処では無いでしょう。
「あれ?皆どうしたの?」
屈みながらリラが尋ねると、理緒奈は殺気の籠った目で睨み付けて言います。
「リ…リラッ……あんた……一体何したの……!?」
「別に?私は何もしてないよ?皆が勝手に具合悪くなっただけでしょ?」
「てッ…めえぇぇッ………!!」
「ざっけんじゃねぇぞぉ…ゴボッ…!」
「用が無いなら私、このまま帰るね。んじゃ!」
そう言ってリラはその場を逃げる様に足早に去って行きました。教室から出ると同時にアクアフィールドも解除されましたが、その余韻は未だ彼女達に残っており、立ち上がっても足元がおぼつきません。悔しそうに教室の出口を睨み付けるしか出来ませんでした。
(上手く行ったよテミス!)
(取り敢えずこれだけでもあの者達がリラに手出し出来る可能性は大幅に減りました。暫くはこの戦法で只管逃げなさい。良いわね?)
虐めの撃退法として、“逃げる”事が王道として挙げられています。とは言え、会社や学校の様においそれと環境を変えられない場所ではそれも中々難しい物が有るでしょう。
然し、アクアリウムのフィールドを展開すれば、身体に穢れを抱えた者は重くて苦しい感覚に囚われ、思う様に動けなくなるのです。穢れの濃度が濃ければ濃い程、その効果は増大します。これだけでもう虐めっ子は無力化され、手出しはほぼ出来なくなる。これがテミスの第一のプランでした。
休み時間にトイレに行った時に放水されても、アクアリウムの加護によって全く濡れませんので効き目も有りません。襲い掛かられたらまたアクアフィールドを展開すれば相手はまた苦しくなり、何も出来なくなります。
(良いリラ?このプランの要は大っぴらにアクアリウムの力を使わない事!ブルーフィールドを展開して、穢れに苦しむ水霊達を何とかしたい気持ちは分かりますが、目立った使い方をすれば事態は収拾不可能な程拗れるでしょう。下手をしたら元の日常すら失う泥沼に嵌まりますから十分に気を付ける様に!)
(うん。分かってる。漫画とかでもこう言うのって正体斯くしてコソコソやるのが鉄則なんだよね…。)
水霊士としての正体を悟られない様、テミスはリラに釘を差していましたし、更に念には念を入れてテミスは周辺の水霊達に呼び掛け、リラがアクアフィールドを展開した際に彼女の半径50m以内から離れる様にして秘匿性をも高めていたのでした。
こうしてリラは2年生の4月から5月に掛け、このプランで何とか虐めをやり過ごしていました。登下校で待ち伏せての不意打ちも、テミスが事前に教えてくれる為に捕まる事も無かったし、仮に捕まっても事前に展開したアクアフィールドで溺れさせれば良い。然もその絡繰りは理緒奈達には絶対バレる事は無い為、安心して実行し続けられる。
リラが学校でやるべき事は、机の中傷文を消す事位な物。その為に必要な洗剤類も、テミスに言われて買い揃えていた為に簡単に消せました。無論、その最中に横槍を入れて来る輩が現れましたが、それもその都度アクアフィールドの力で溺れさせ、失神させた為に被害は一切被りませんでした。
「悪ぃ、俺等もう抜けるわ……。」
「何よ、あんた達!?裏切る気!?」
「はぁ?自惚れんじゃねーよ、箱入りのお嬢が!俺等はてめーが“汐月虐めんのに協力したら見返りを出す”っつーから言う事聞いてやってただけだ!」
「けど汐月の奴、最近可笑し過ぎんだろ!?あいつの近くに行くと、決まって息が苦しくなって意識まで遠退くしよ……。あいつ、俺等の知らねーとこで人間辞めて化けモンにでもなったんじゃねーのか?何でか知んねーけどもうあいつに手出しなんざ出来ねぇよ!」
「そんな訳無いじゃん!あいつは只の人間よ!」
「だったらあいつ虐めんのはもうお前等だけで勝手にやってろよ!汐月の事は見ててムカつくし気に喰わねーが、だからってお前等みたく積極的に虐めようなんて気自体、そもそも俺等にゃ無ぇんだからよ!」
理緒奈の息の掛かった男子生徒達も、リラのアクアリウムの手によって穢れを癒すとまでは行かずとも、物の1ヶ月間ですっかり彼女への加虐心が萎えて理緒奈から離れて行きました。取り巻きの西堀達4人のみならず、クラスを巻き込んでのリラ虐めは此処から頓挫し始めたのです。
元々、政治家の娘と言う事で権力を笠に着て威張ってる理緒奈は、何でも自分の思い通りに行かないと気が済まない性分。それがリラの所為で自分の忠実な駒が居なくなってしまった事に反比例し、彼女への怒りと憎しみを募らせたのは言うまでも有りません。
「リィィラァァァ~~~~~ッッッ…………!!あのゴミ、絶対に…殺す!!殺してやるんだから……!!」
理緒奈がリラに対して更なる残虐で凄惨な虐めのプランを練り始めていた頃、それを察知していたテミスはリラに次の手を打つ様に仕向けていました。
(良い、リラ?次に貴女が取るべき一手。それは八十島理緒奈の取り巻きを1人ずつ浄化し、彼女を孤立無援に追い遣る事よ!)
そして5月が中旬に差し掛かった某日、リラはとうとうテミスからのセカンドプランを実行に移しました。最初にリラの手で穢れを癒されたのは西堀でした。
放課後、何時もの様にリラがアクアリウムで理緒奈から逃げ出した後の事です。理緒奈のグループから分かれ、1人家路に就く西堀は溜め息と共にこう零していました。
「ハァ~ッ、全く……。理緒奈の奴、自分がリラの事虐められないからって私等に当たり散らす事無いだろっつの。つーか何時も何時も偉そうにしやがって!」
理緒奈の命令の下、他の取り巻き達とリラを虐めていた西堀ですが、内心ではリーダー格である彼女の横暴さ加減に辟易していたのです。ストレスが溜まれば自分達に八つ当たりしたり、口を開けば気に入らない誰かの愚痴や陰口をスプリンクラーの放水の如く拡散させる始末。彼女とは小学6年からの付き合いだった西堀も、2年も付き合う内に何時しか嫌気が差していました。
叶う物なら何とか理緒奈と縁を切りたいが、彼女からの報復で今度は自分が虐められたらどうしよう―――――そんなジレンマの渦に、西堀は囚われていたのでした。
さて、そんな西堀が家の近くの公園に差し掛かった時です。
「西堀さん!」
不意に声がした方を振り返ると、公園の入り口近くに佇むリラの姿が視界に飛び込んで来ました。西堀が身構えたのは言うまでもありません。
「なッ!?リ、リラ!?ど、どうしてあんた此処に居んのよ!?まさか、私に仕返しでもしに来た訳!?」
動揺しつつも敵愾心を隠そうとしない西堀の内なる水霊を、リラはアクアヴィジョンで視認します。すると内側に宿るベラ型の彼女の水霊が、西堀の中に蓄積した心の穢れの中で苦しんでいるのがありありと透けて見えました。
「西堀さん、別に私は貴女に仕返ししたくて来たんじゃないの。」
「じゃあ何だってのよ!?ハッキリ言ってみなさいよ!!」
尚も声を荒げる西堀に対し、リラは周囲に目配せをします。周りに誰もいない事を確認すると、とうとうアクアフィールドを展開しました!
「ゴボボッ…‥!こっ、この感じ………あんたに近付くと起こる…あの……!?」
突然襲い来る息苦しさ―――――それはリラを虐めようと彼女に近付いた時、何度も味わった原因不明の苦しみでした。何の前触れも無く、いきなり水の中に引きずり込まれる様な感覚に、西堀は苦しみと戸惑いを禁じ得ません。
ですが次の瞬間、西堀の視界には更に信じ難い光景が繰り広げられたのです。リラを中心に周囲が青く染まると同時に、只でさえ息苦しかったのが呼吸困難と言わざるを得ない程に深刻化し、西堀は自身の意識が遠退く感覚すら覚えました。思わず首に手を当て、苦しがる西堀の口からは青白い気泡が吐き出されます。
(な…何……?何なの………?あいつの周りに…変な魚みたいなのが!?)
朦朧とし始める意識の中で西堀の視界が捉えたのは、グッピーやプラティを思わせるメダカ科の魚が何処からともなく現れ、リラの周りを泳ぎ回る様子でした。然もその数は見る見る内に増えて行きます。自身の理解を超えた信じ難い光景に、西堀が恐怖を覚えたのは言うまでもありません。妖怪の類と出くわした様な気分でした。
(化け物……リラは………あいつは化け物だったの……?)
リラを前に、西堀は恐怖に慄きました。今まで自分が虐めていた相手が、こんな得体の知れない力を持った化け物だと分かってはそれも無理からぬ話でしょう。人間とは、己の理解出来ない物を恐れ、遠ざけようとする臆病な生き物ですから当然の事です。
そんな人間の例に漏れない西堀を他所に、リラは両手に魚の群れを集約して光の球を生成。やがてそれはコバルトブルーの光の水流となって彼女に殺到。
(こ、殺される!?止めてぇッ………!!!)
死の恐怖を感じた西堀が思わず両目を閉ざしますが、彼女の身体には何の痛みもありません。恐る恐る目を覚ますと、自身の身体がコバルトブルーの二重螺旋の中に優しく包み込まれている様子が分かりました。
「西堀さん、これから貴女の心の穢れ、私がお掃除してあげます!」
(は?心の穢れ?掃除?何言ってんのこいつ……?)
突然告げられたリラの言葉に面食らう西堀ですが、次の瞬間それが真実である事を嫌でも思い知らされる事となります。二重螺旋が光の粒子を放ちながら天に向かって伸びて行くと、それに伴って西堀の身体も宙に浮き上がりました。
意識が更に薄れて行く中、螺旋の中で宙に浮いた西堀の身体は、波間に漂う流木の様にゆったりと揺れ動きながらその場を公転し始めます。
(あぁ…気持ち良い……さっきから訳分かんないけど、心のモヤモヤとかが取り払われるみたい―――――。)
まるで母親から優しく抱かれる様な温もりに心と身体を委ねる西堀の身体からは、黒い穢れが次々と排出されては白く浄化されて行きます。やがて彼女の内なる水霊も活性化し、内側の穢れが無くなった時です。
(リラ、最後の仕上げよ。貴女の中のクラリアを螺旋に乗せて、彼女の水霊に活力を送り込みなさい。)
(クラリアを?)
不意に脳内に響くテミスの声にリラが首を傾げた時、彼女の右胸の辺りから仔犬位の大きさをした青白いグッピーが現れました。リラの内なる水霊であるクラリアです。因みにリラは内なる水霊の存在を、テミスとの修行の過程でクラリアの事も含め知っていたのでした。
(良し、じゃあ行って。クラリア!)
(任せて…。)
リラがそう指示すると同時に、クラリアは他のメダカ型の水霊達と共にクラリファイイングスパイラルの中をなぞって泳ぐと、そのまま2体に分身して新たな二重螺旋となって西堀を貫いたのでした―――――。
「―――さん!西堀さん!」
「う…んんっ……。」
耳元で響くリラの声に西堀が目を覚ますと、視界に飛び込んで来たのは当然ながら虐めのターゲットであるリラの顔。気が付けば自分は何時の間にか公園のベンチで横になっていました。
「え…リラ……!?」
改めてリラと向き合った時、西堀は得体の知れない物を見る様な恐怖の眼差しを彼女に向けていました。無理も有りません。つい去年まで虐めのターゲットでしかなかったリラが、何時の間にかこんな化け物染みた力を使う様になったとあっては恐怖の対象としてしか見れなくなるのは当然です。
「何なのよ……何なのよあんた!?あんな訳の分かんない魔法みたいな力使うなんて聞いて無いわよ私!」
「落ち着いて西堀さん…」
「これが落ち着いてられる訳無いでしょ!?最近あんたに近付いた時に感じる息苦しさも、あの力使ったからなの!?信じらんない!化け物よ…あんたは化け物だわ!!」
「待って西堀さん!」
そう叫んだ西堀は慌ててその場から立ち上がって逃げようとしますが、リラは直ぐ様腕を掴んで訴え掛けます。
「西堀さん、落ち着いて話を聞いて!」
「触るなッ!!あんたみたいな化け物の話なんて聞く耳持たな…」
「聞いてよッ!!!!」
「なッ!?」
リラの放った渾身の一喝に、西堀は戸惑いながらも押し黙らざるを得ませんでした。そもそも、リラが此処まで声を大にして高圧的に相手を制する事自体、西堀にとって想像も出来ない事だったし、当のリラも自分が此処まで高圧的に出たのが信じられない感じでした。
何とか気を落ち着けながら、西堀は再びベンチに腰を下ろします。リラも距離を取る様に同じベンチに腰掛けます。最初に口火を切ったのは西堀でした。
「……んで?何なのよ?」
「何って…?」
「さっきあんたがやって見せた事に決まってんでしょ馬ー鹿!」
「…御免。悪いけど教えられない。皆には秘密なの。」
「フンッ、あっそ!まーそーでしょうね!あんたにとっちゃ企業秘密だろうしね!訊いた私が馬鹿だったわよ!」
投げ遣りにそう返す西堀に対し、今度はリラが話し掛けます。
「西堀さんは、理緒奈ちゃんの事をどう思ってるの?」
「はぁ?何でんな事あんたに言わなきゃなんない訳?他人の質問には答えない癖に自分の質問に答えろとか意味分かんない!」
散々リラの事を理緒奈とつるんで虐めていた癖に、当の虐められっ子からやり返されれば化け物扱いして逃げようとする己の身勝手さを棚上げする西堀ですが、リラは御構い無しに続けます。
「何で理緒奈ちゃんがあんな風になったかなんて分からないけど、あぁやって私の事虐めるなんて、きっと心が荒んでるからだって思う。今の私なら、理緒奈ちゃんの心の穢れを取り払って癒してあげられる筈だから…。」
リラの言葉に、西堀はと口をあんぐりと開けて呆気に取られましたが、直ぐに悪態を吐いてこう返しました。
「…あんた馬ッ鹿じゃない?何時からそんな魔法みたいな力使える様になったか知らないけど理緒奈を……あいつの心をあんたがどうにかなんて出来る訳無いじゃん!あいつは前々から何でも自分の思い通りになんないと気が済まない奴なんだから!」
「前々からって事は、小学生の頃からなんだよね?西堀さんは理緒奈ちゃんの事、『友達』だって思って…」
「は!?友達ィッ!!?んな訳無いじゃんあんな奴!!!政治家の娘だから、つるんでりゃメリットが有ると思って我慢して嫌々取り入ってるだけだっつーの!!!」
“友達”と言う言葉を聞いた瞬間、腫れ物に触られるが如く激昂する西堀に、リラは確信を覚えました。
(朝にテミスから教えられた通りね。西堀さん、本当に嫌々理緒奈ちゃんとつるんでたんだ―――――。)
実はリラは今日の登校前、攻勢に転じるに当たってテミスから理緒奈を孤立させるに当たり、最初のターゲットとして西堀を指定されていました。
西堀小梅は元々、何処にでもいる中流の母子家庭で、友達も出来ず独りぼっちでした。周囲と上手く馴染めず、小学時代は虐めとまでは行かなくても男子にからかわれたり弄られていました。そんな彼女の前に現れたのが理緒奈であり、調布の市議会議員の父を持つ自身の威光によって彼女が男子を一掃してくれたお陰で、西堀は救われていたのでした。
その時は理緒奈に感謝していたし、育ちの良いお嬢様だったと言う事で、西堀は彼女の取り巻きとなったのです。つまり西堀は、リラと同じく理緒奈に孤独から救われた身だったのでした。
然し、最初は嬉しかった西堀も、付き合う度に理緒奈の我が儘振りや横暴振りを嫌と言う程見せられる内に、最初の感謝の気持ちはすっかり何処かへ消えてなくなっていました。残ったのは理緒奈への嫌悪感と、彼女から上手い事遠ざかりたいと言う疎ましさだけ。
リラを虐めていたのも、個人的に彼女がウジウジしていてムカついたからと言うのも無論有りましたが、理緒奈を裏切った後の報復を恐れて仕方無くと言う点も大きかった様です。
理緒奈に対する西堀への嫌悪を確認したリラは、改めて彼女に鎌を掛けてみました。
「……私、こんな性格だからずっと独りぼっちだった。でも、そんな私に理緒奈ちゃんが話し掛けてくれて、嬉しかった!救われたって思った!」
「なッ!?」
そう自身の心情を吐露するリラの姿に、西堀は嘗て独りぼっちだった自分を理緒奈に救われた時の事を思い出しました。それと同時に、何処か後ろめたい気持ちにかられたのです。
「西堀さんは違うの?最初から理緒奈ちゃんが政治家の娘だって分かってて近付いたの?」
「そ…そんな訳無いじゃん。私も……あんたと同じで昔はぼっちだったのよ。でも、小5の頃にあいつに助けられて……独りじゃなくなって、其処に斐子達も加わって………安心出来る様になった。」
尚も鎌を掛けるリラの言葉を受け、西堀はバツが悪そうに答えます。相手が自分と似た境遇だと分かり、虐めていた後ろめたさと罪悪感が湧いて来たが故のリアクションでした。無論、リラに湧いたシンパシーと言うのも多少は有るでしょう。
すると、リラは別の視点から西堀に問いを投げ掛けます。
「政治家の娘だからって……じゃあ他の磯山さん達も?」
「斐子達は知らないわよ!けどまぁ、あいつの身勝手さに正直ウンザリしてるとこが有んのは否定出来ないでしょうね…。」
そう絞り切る様に答える西堀の表情からは、何処か苦しみから逃れたいと言う想いが滲み出ている―――――リラの藍色の瞳は、そんな風に彼女の顔を捉えていました。
「あいつの下にいれば独りぼっちにならなくて済むけど、こんなんだったらまたぼっちになった方がマシよ。正直もう限界……!!理緒奈とつるんでから、行きたくもないとこに付き合わされたり、何か意見すれば否定してマウント取ろうとするし…あんな奴、友達でも何でもない……もう『敵』よ!!」
友達面して近付いて、実はマウントを取って支配しようとする最低の相手――――これを『フレネミー』と言います。リラや西堀にとって、理緒奈と言う人間を此処まで端的に表した言葉は無いでしょう。
最初に西堀が理緒奈に抱いていた感謝と友情の念も、時が経てばもう無くなって残るは相手への嫌悪感や敵意だけ。ジュリアス・シーザーも“始めた時は、それがどれ程善意から発した事であったとしても、時が経てばそうではなくなる”と言っていますが、理緒奈と周囲の人物模様はまさしくこの言葉に近い状況でした。
意を決したリラは不意に立ち上がると、ベンチに座る西堀の正面に歩み寄ります。
「な、何よ……?」
虐められっ子と思ったら得体の知れない力を使う化け物が目の前に立ち塞がり、西堀は再度身構えます。彼女の眼前に佇むリラの表情からは、何も出来ずに自分達から虐げられるだけの弱者だった彼女の面影がすっかり失われていました。
「西堀さん、そんなに理緒奈ちゃんの事が嫌なら、私が何とかして見せる!」
強い決意の籠った藍色の瞳で自身を見つめるリラの姿に、西堀は自身が威圧されているのを感じていました。「これが今まで自分が虐めていた相手なのか?」と、そう思わざるを得ない剣呑な空気に包み込まれる西堀の手を握り、リラは尚も続けます。
「私がこの力を手にしたのはつい最近だけど、使い方も少しずつ覚えて来たわ。この力は、人を癒す為の物!そして本格的に癒したのは貴女が初めてなの!」
「そ…そう……。そりゃ光栄なのかしら?」
「私のアクアリウムに癒されて、もう心のモヤモヤはスッキリしたでしょ?心がクリアになれば、見えなかった物だって見える様になるし、選べなかった選択肢だって選べる様になる!私はそう思うわ。確かに、理緒奈ちゃんの心の穢れは綺麗にするの大変そうだけど、きっと何とかしてあげる!少なくとも他の磯山さん達も、理緒奈ちゃんから離れられる様にする!お願い西堀さん、どうか私を信じて!」
(な…何言ってんのよこいつ?てかそもそも、こいつこんなキャラだったっけ?)
訳の分からない力を使う化け物へと変貌した相手から強い熱意を以て迫られ、西堀はもう言葉も有りません。然し、“理緒奈から離れられる様にする”と言う彼女の言葉だけはダツの如く自身の胸に刺さった様です。加えてリラのアクアリウムによって理緒奈に対して抱いていた、取り留めの無いストレスが嘘の様に晴れた西堀は、リラのその言葉を受けて改めて自分の気持ちと向き合います。
「………まぁ、あいつから逃げられるってんなら別に何だって良いわよ。」
バツの悪い表情でそう答えると、西堀は立ち上がって公園の入り口へと歩いて行きます。そして入り口前で立ち止まると、振り向かずにリラにこう言い放ちました。
「あんたが斐子達もさっきみたいな力で理緒奈から引き離すってんなら、明日手伝ってあげない事も無いわ。」
「西堀さん――――。」
「但し!1回だけよ!?それで3人何とか出来なかったらもう転校してでもあいつから逃げるかんね!?理緒奈やあんたの所為で人生狂わされるなんて冗談じゃないわ!!」
そう強く言い捨てると、そのまま西堀はさっさと帰って行きました。その声音からは『リラの事を信じたいけど信じられない』気持ちと、『理緒奈とこれからも変わらずつるむ事への恐怖』が彼女の中でない交ぜになっているのをリラは強く感じていました。
遠ざかる西堀の後姿を見送りながら、リラは決意します。絶対に他の3人も理緒奈の呪縛から解き放って見せる、と―――――。
然し、リラはこの時、知る由も有りませんでした。
理緒奈がリラを潰すべく、不穏な動きを見せていた事を―――――。
(リラ、本当の試練は此処からよ……?)
全てを知るテミスは…いいえ、『テミスの中に潜む者』はその事実を受け止めた上で、彼女が試練を乗り越えられる様、全力でサポートしようと言う決意を漲らせていました。
次で虐めとの戦いは終わるかな~?う~~ん、分かんないね…。
アクアリウム講座2
クラリファイイングスパイラル
アクアリウムの中で最も基本となる術法。
水の力を両手に集めて相手に放ち、癒しの二重螺旋の中に包み込む事で対象の心身の穢れを浄化出来る。此処での穢れとは、ストレスや体内に蓄積した毒素や放射性物質は勿論、ダイオキシン、アスベストや活性酸素の様な有害物質まで含まれる。更にはDNAのミクロの傷まで修復する等、徹底的に身体を新品同様にメンテナンスする為、術後は極めて爽快且つ生命力に満ち溢れる。
当然ながらRPGの回復魔法と同様、身体に負った怪我も治療が可能で、熟練の水霊士は手術しないと命に係わる程の重傷すら、傷跡も残さず完治させられる。




