第33話 廻る水が育む物~3年生編~
では前章同様、第三章の最後も交流三部作で締めたいと思います。今回は3年生との交流から。ではどうぞ!
リラが4月に蒼國に来てから早い物でもう3ヶ月になろうとしています。
嘗て彼女は中学時代、虐めを苦に自殺を図ろうとした所を水霊・テミスに救われ、人々の穢れを癒す水の異能である『アクアリウム』を授かり、その力で虐めの苦難を乗り越えました。
そして高校生になり、独り暮らしの為に進学先の霧船女子学園の在る蒼國市に来たリラは1年生の葵達と出会い、やがて水泳部の3年生の先輩達の穢れを癒すと共に同部活動へと入部。その中で同級生や先輩達と、一般人の到底知り得ない水霊の世界を共有する水霊仲間としての繋がりを築いて来たのです。
今回は、そんな彼女とその周囲を取り巻く水霊仲間との人間ドラマの一端をお伝えしましょう。先ずは3年生の先輩との触れ合いをどうぞ。
◇File.01:日浦忍との師弟愛
それは忍を癒した直後の事でした。
「みちる、あたしまた泳ぐよ。国体処か全国も怪しいだろうけど、それでも泳ぎたいんだ!」
「忍……。」
再び水泳と向き合う様になった忍に対し、リラが言いました。
「でしたら先輩、私が練習の後に日浦先輩の身体をアクアリウムで癒します!故障する前に1日でも早く戻れる様に、そのお手伝いをさせて下さい!」
「……そう言や未だちゃんと名乗ってなかったな。改めて名乗るがあたしは日浦忍だ。お前は?」
「私は汐月リラ。水の力で皆を癒す水霊士で今年入った1年生です。」
「汐月リラ…か。良い名前してんな。」
すると葵と深優と更紗もつられて自己紹介します。
「私、リラと同じ1年でクラスメイトの五十嵐葵って言います!」
「私も同じくクラスメイトの吉池深優です!」
「長瀞更紗って言います。私も皆と一緒です。」
幼さの残る初々しい顔付きの3人を見て、忍は朝焼けの海に反射する光の如き眩しさを覚えました。自分にもこんな時期が有った事を思い出していたのです。
「そうか。最初会った時は御免な。みっともねぇとこ見せちまって…。それとお前等も有り難うよ……。」
今年の水泳部の新入部員になってくれる4人の顔と名前を改めて記憶に刻むと、改めて忍はリラに向き合って言います。
「それで汐月、部に入ってくれんのと癒してくれんのは良いが、何でお前はそんな魔法みたいな力が使えるんだ?それだけ気になって仕方無ぇよ。」
「私もそれ気になってた。ねぇ汐月さん、改めて話してくれるかしら?」
するとリラは首を振って答えます。
「御免なさい日浦先輩、前橋先輩、今は未だ答えたくないんです。嫌な事思い出すから………。」
そう言って表情を暗くするリラの様子を見て、2人は言いました。
「…仕方無ぇな。言いたくねぇ事なら無理して言わなくても良いぜ。あたしも訊かねぇから。」
「でも答えたくなったらその時は是非教えて頂戴。同じ学校の生徒としてだけじゃなく、これからは部の一員としても一緒の秘密を共有する仲間なんだから!」
リラの様子から並々ならぬ事情を察した2人は、そう微笑みながら返します。
「有り難うございます……それで日浦先輩、1つお願いが有るんです。」
「お願い?」
安堵の表情と共にリラが発した「お願い」と言うワードに、忍は首を傾げます。
「はい!どうか私の泳ぎのコーチになって下さい!」
「何っ?」
その言葉に忍は眼を見開きました。まさかこんな自分に教えを請う相手が現れるとは思ってもみなかったからです。
「先輩、1年半も水泳離れてましたけどそれでもエースだったんですよね?そんな人から泳ぎを教わりたいって思うのは当たり前じゃないですか。私は先輩と一緒に上達して行くし、先輩もそんな私に負けまいと頑張って自分の泳ぎを磨いて、然もどんなに泳いでもアクアリウムで身体の故障も無くせる訳ですから、お互いにとってプラスになるって思います!」
藍色の澄んだ目を輝かせながら言うリラの言葉に、忍の心は大きく揺れました。水に触れて泳ぐのが好きで仕方無かったあの頃の自分と、同じ輝きを放つリラ。そんな彼女の姿を他人とは思えません。何より此処まで言われたらもう反対する理由も有りません。
自身の肩を癒す程のリラの力が有れば、昔の自分に追い付く為に多少無理はしても大丈夫でしょう。尤も、先程のヴァルナとの言葉の下、勝ち負けに拘らず楽しく泳げれば良いと言う気持ちを覆す気は有りませんが、それでもやっぱりこんな可愛い後輩の見本である為にも昔の自分位は超える必要が有るでしょう。そうすれば、きっと水泳もこれまで以上に楽しく想える様になる筈!
「良かったわね忍。早速良い教え子が出来て♪」
「からかうんじゃねぇよ、みちる……分かったよ。じゃあ…これから宜しくな、汐月!」
「はい、こちらこそ宜しくお願いします!」
みちるが微笑みながら見守る中、お互いに握手を交わすリラと忍。これが2人の師弟関係の始まりでした。
「下手糞!お前は五十嵐達と比べて基本姿勢からなってねぇんだよ!!」
プール開きまでの間、適当な川で泳ぎの練習をしていた時、リラは基本のストリームラインが覚束ない事を叱咤された事も有りました。
シンクロや古式泳法は兎も角、競泳で大事なのは抵抗の少ない姿勢で如何に推進力を上げるかです。如何に基礎的な筋力が鍛えられていても、基本の姿勢がなっていなければ満足に活かせず意味が有りません。
「良いか?さっきのお前はこうだったけどよ、こうすりゃもっと抵抗が減って泳ぎ易くなるぜ!」
自身も相手の身体に実際に触れて姿勢の矯正に掛かる等、忍が出来る範囲で指導をしてくれたお陰で、リラはプール開きの前にどうにか泳ぎの上での基礎中の基礎をキッチリ固められました。
無論、此処からバタフライ等の泳ぎも一通り教わっています。
「ホラどうした汐月?息が上がってんぞ?」
水泳部の練習は何も泳ぐだけではありません。陸上トレーニングだって大事です。今まで言及して来ませんでしたが、リラと忍と2人で一緒にジャージに身を包んでのランニングも日課で行っていました。朝にやる事も有りますが、健康面から考えると夜にやる事の方が多いです。朝に走る際は副交感神経が交感神経に切り替わる様に起床時間を調整したり、事前のストレッチもしますし水分補給もします。無論、朝食のタイミングも抜かりません。どのコースを走るかにも因りますが、他の学校の選手と鉢合わせする事も有るし、他の霧船女子の生徒と遭遇する事もあります。
無論、体幹や僧帽筋等の泳ぎに必要な筋肉の鍛錬も欠かしません。
更に泳ぎに慣れて来ればスタミナ増強の為、リラは忍と1万mの泳ぎ込みをする事も有りました。無論、身体に負荷を掛けない様にしっかり身体を労わりながらです。因みに最初は他のメンバーと比べて体力の少なかった葵も、7月になる頃には辛くも1万m泳ぎ切れる様になっていました。
「おい!今のフォームじゃお前、腰痛めるぞ!?」
リラと忍が得意とするバタフライは腰を痛め易い泳法です。当然ながら忍も選手生命を長く維持する為、速く泳ぐだけでなく故障のリスクを小さくする泳ぎ方の追求に余念が有りません。
そんな彼女の指導の下、リラは短い期間でありながらメキメキと実力を付けて行ったのでした。
「汐月もだいぶ仕上がって来たな。これからが楽しみだよ♪」
夏が近付くにつれて堂に入った泳ぎをする様になり、肉体的にも鍛えられて来たリラに対し、忍はそんな労いの言葉と共にスポーツドリンクを差し入れる事も有りました。
然し、当然ながら2人の関係は何も部活動だけに留まりません。プライベートでも大事な隣人同士であり、姉貴分と妹分です。
家が近所であるだけ有り、リラは足繁く忍の家に通う様になり、勉強を教わったり他愛も無いガールズトークに花を咲かせたりもしました。
これも或るテスト勉強の時の出来事です。何時もの様にリラが忍の家に上がって、彼女に勉強で分からない所を教わっていた時でした。
「そっからこの公式使うと良いんだよ。分かったか?」
「はい、大丈夫です!」
漸く今日の分の勉強が終わり、肩の力の抜けるリラ。机に置かれたミネラルウォーターを飲んで一息吐くと、部屋に掛けてあったカレンダーを一瞥した後で忍の顔を見て言いました。
「…先輩、いきなり変な事訊くみたいですけど、ご家族の事どう思ってるんですか?」
「家族の事?何だよ急に……?んな事お前が聞いてどうすんだよ?」
「私、お父さんとお母さんも仕事で殆ど家に居なくって、蒼國にも東京から独り暮らしの為に引っ越して来たんです。2人に甘えた記憶が私には余り無くって…一緒に居てくれたお祖母ちゃんは10歳の頃に死んじゃって、それからずっと1人ぼっちで寂しくって………。先輩はそう言う事無くって羨ましいって思って……!!」
昔の辛い過去を思い出したのか、リラの目には薄らと涙が滲んでおり、声も何時しか涙声に変わり掛けていました。
「汐月…お前………。」
リラのその姿に、忍は憐憫の情を禁じ得ませんでした。彼女の知られざる一面を知ると同時に、その想いを汲み取るかの様に答えました。
「そうだな。母さんはずっとあたしの事、気に掛けてくれてたし、何か有った時に一緒に泣いたり笑ったりしてくれたよ。父さんだって口数は少ないけど、あたしや兄貴が進学や就職した時にはプレゼントみたいな粋な計らいをする人だぜ。兄貴もあんま頭は良くねぇし時々暑苦しいのにハートだけはタフで、男らしい奴だって思うよ。まっ、3人ともあたしは嫌いじゃない……って、汐月?」
気付くとリラは俯いたまま、静かに震えていました。その目に大粒の涙を浮かべながら――――。
「おっ、おい汐月!?家族の事思い出してそんなに辛かったのかよ?」
「先輩、私…この前更紗ちゃんとお祖母ちゃんのお墓参りに行って来たんです。あの時からずっと…昔のトラウマが何かに付けてフラッシュバックして辛いんです………。」
「昔のトラウマだと?」
一体何の事か見当の付かない忍ですが、其処へテミスが現れて言いました。
「忍さん、リラを抱いてあげて下さい。」
「うおっ、テミス!?」
突如現れたテミスに驚かされる忍ですが、そんな相手の様子など御構い無しにテミスは頭を下げ、忍に要請します。
「この子は昔、この時期に心に深い傷が残る様な辛い出来事を経験したのです。と言ってもそれはリラが自分から話す機会が来るまで訊かないでいて欲しいのですが、どうか今だけは、この子の中に溜まった涙を吐き出させてあげて下さい。」
「辛い過去ねぇ……。」
テミスからそう告げられた上、頭まで下げられたとあっては無碍にする訳には行きません。忍は溜め息を吐きながらも目の前で今にも泣きそうなリラの顔を真っ直ぐ見据えると、優しい眼差しでリラに声を掛けます。
「……分かったよ。汐月、昔何が有ったか知らねぇが、泣きたきゃ泣いたって良いんだぜ?ずっと我慢してたんだろ?今此処で全部吐き出せよ。」
忍のその言葉が、今のリラにとって福音以外の何物でも無いのは火を見るよりも明らかでした。既に頬を伝う程の量の涙を両目に湛えたリラは、忍を真っ直ぐ見据えます。そして彼女の懐に、勢い良く飛び込んで行きました。
「忍先輩………ありがっ……うっ、あぁぁっ………!!」
みちる程では無い物の、十分豊満な先輩の両胸に顔を埋めて泣くリラ。その様子を見つめる忍の顔は、女らしく慈愛に満ちた物となっていました。
「全く…これがこの前あたしの肩治した奴とは思えねぇな。つーか、妹のあたしが言うのも何だけど、“姉”ってのはこう言うモンなのかよ?」
忍が優しく見守る中、リラは声を上げて泣き続けました。本来甘えるべき両親にも心配を掛けまいとして甘えられず、ずっと心に悲しみを溜め込んでいたリラですが、漸くそれを吐き出せる相手と廻り会えた。それこそが他でも無い忍だったのです。
リラにとって忍はただの師弟に非ず、両親以上に心から甘えられる初めての年長者となっていたのでした。
◇File02:前橋みちるは母の様に
6月の或る日曜日の事です。その日は梅雨の中休みらしく、この時期にしては貴重な晴れの日でした。
そんな蒼國の街に1人、みちるは繰り出します。白いオフショルダーのワンピースに身を包み、素足にサンダル履きと言う瀟洒な出で立ちをしており、お洒落な鞄を肩から提げて今日は趣味の書店巡りです。
「有った、今日発売のレイチェルの小説!」
手に取ったのは海外の新進気鋭の若手作家であるレイチェル・N・フェノロサの小説でした。19歳で国際的な賞を受賞する程の天才作家で、みちるは作品込みでそんな彼女のファンだったのです。
会計を済ませて店を出ると、他の目新しい書物との出会いを求めて次の書店へと足を運びます。
「あれ?みちる先輩?」
すると店内で偶然リラとパッタリ出くわしました。因みにリラは青いセーラー服を思わせる上着に白いミニスカート、そして素足にサンダル履きと言うガーリィな服装をしています。
「えっ?汐月?どうして貴女が此処に?」
思わぬ相手との出会いに驚くみちるでしたが、直ぐに気を取り直してリラに尋ねます。
「どうしてって、久し振りに晴れたから街を散歩してたんですよ?部長はどうなんですか?」
「私も貴女と同じよ。此処最近雨ばっかりだったのが久し振りに晴れたから書店巡りでもしようかなって思ったの。」
「へぇ、部長って書店巡りが好きなんですね!」
「好きって言うか、趣味って言った方が良いかしら?」
2人でそうした遣り取りをすると、みちるは店内を歩きながら自身の趣味について説明します。
「今の時代、電子書籍の台頭でペーパーレス化が進んでるけど、私はアナログな書店が好きなの。こう言う店の中の雰囲気とか空気とか、後どんな本が陳列されてるかとか、そう言う人間らしさが味わえるからね。まるで宝探しでもしてるみたいな楽しみだって有るし、意外とハマる趣味だって思うわよ?まぁ斯く言う私もその1人だけど♪」
一通り店内を散策すると、そのまま店を出て次の店へと渡り歩くみちる。リラも特に行く宛てが無い為、彼女に同行していました。
蒼國の街は海に面した港町である為、異国から数多くの船がやって来ます。それは交易品の1つとして、様々な本が海を越えてやって来ると言う事である為、何処の書店も奇抜なデザインや内容が盛り込まれた海外の書籍が並んでいました。日本語訳の本も有れば、外国語の原文のままのそれも有り、まさしく千差万別です。
「本当に面白いですね先輩!お店の雰囲気も1軒1軒違ってて素敵ですけど、ちょっとした世界旅行みたいで楽しいです♪」
「読書ってね、それだけで心の旅行なのよ。本に書かれた世界へと、意識が身体を離れて旅をする空想旅行とでも言うのかしら?最後のページまで読み終えて閉じる頃、旅を終えて一回り価値観が磨かれてる――――そう言う物だって私は思うわ。そうした本を廻って街を探検するって意味じゃ、書店巡りもちょっとした旅行ね。どっちにしても、本は人を旅に誘う素敵なツール。そうは思わない?」
「はい。言われてみれば確かにそうですよね。」
口ではそうとだけ返しましたが、リラは内心みちるに感心していました。趣味と言えばそれまでの事でも、此処まで深い考えで当たっていたのですから――――。
気付けば街の時計は既に正午を回っており、そろそろ昼食の時間が近付いていました。蒼國総合文化センター同様、街のランドマークである港の蒼國クロックタワーの鐘が高らかに街に鳴り響きます。
「あっ、もうお昼ね。何処かでご飯にしないと……。」
「そうですね。でも何処で…」
「それなら良い場所へ案内しましょうか?」
すると突然2人の背後にテミスが現れて言いました。何故か両手にはクロッシュが乗った皿を持っています。
「テ、テミス!?」
「どうして此処へ!?って言うかそのお皿は何なの?」
何時もながら突然現れるテミスの神出鬼没さには、やっぱり何時も驚かされます。悪い相手ではないと分かっていても、テミスのこう言う所は慣れた物ではありません。
「今日はねリラ、貴女に新しいアクアリウムでも教えてあげようと思って来たの。」
「新しいアクアリウム?」
「そう。出て来なさい『メリテ』。貴女の力をリラに見せてあげるの。」
テミスがそう言うと、彼女の横に近くに無数の泡が発生。それはやがてリラとの身長の半分位のサイズまで膨れ上がったかと思うと、突如吹いた風で剥がれ飛びます。
すると其処に立っていたのは、臙脂色の大きな蟹でした。外見的にはタスマニアキングクラブに近いですが、本物がシオマネキ同様に両の鋏が左右非対称の大きさなのに対し、こちらの水霊はどちらも同じ位巨大な鋏でした。
「えっ?蟹?」
アクアフィールドを展開し、その姿を捉えたリラとみちるは呆気に取られました。まさか蟹型の水霊を紹介されるなんて思わなかったからです。
(おっ、何や何や?この幸薄そうなんがあんたの言うてた水霊士かい、テミス?)
「幸薄そうって……。」
「この水霊、意外と毒舌ね…って言うかドリスって言う鯰と一緒で関西人なの?」
ごつい外見に違わずドリス同様ノリの関西弁を話す物の、毒舌な一面を持つ蟹――――それが2人のメリテに抱いた第一印象でした。
するとテミスは不敵に笑って言います。
「侮るって貰っては困るわよメリテ。この子は命を投げ出す様な辛い過去を乗り越え、何人もの穢れを癒して来た水霊士なの。貴女も知ってるでしょう?」
(そら知っとるよ。せやけど、情報で知っとるんと実際に見るんとじゃ大違いやろ?アタイは自分の目で確かめたモンしか信用せんさかいな。)
毒舌かと思いきや、実際に自分の目で確かめない事には納得しない――――案外抜け目の無い印象を受けるリラですが、みちるだけは違いました。先程テミスの口にした、リラの“命を投げ出す程の辛い過去”と言うワードが気になっていたのです。
(どう言う事なの?汐月が命を投げ出す?それって自殺って事?)
ですが、それをリラに尋ねる訳には行きません。本人が話そうと思わない限り、決して訊かないのがリラとの約束だからです。
「じゃあリラ、この子を身体に宿してみなさい。」
「う、うん!」
みちるの中で疑問が置き去りにされたまま、テミスに促されたリラはメリテを光の球に変えると、そのまま体内に宿します。
「良いわ。次は大きなシャボン玉を膨らませるイメージを思い浮かべながら両手を翳すの!」
「シャボン玉?良く分かんないけどやってみるね。」
言われるままにリラが両手を翳し、頭の中で自分がシャボン玉をストローで吹いて大きく膨らませるイメージを浮かべるとどうでしょう。彼女の翳した両腕に人が入りそうな程巨大な泡の球が生成されます。
みちるが息を呑んで見守る中、リラが作り出した泡の球は本人と傍に居たみちるの2人を包み込んだのです!
「えっ?私達、シャボン玉みたいなのに包まれちゃった!」
「これが新しいアクアリウムの術なの、テミス?」
思わぬ事態にみちるが戸惑う中でリラがテミスに質問すると、当人は本来の水霊の姿に戻って言います。
(そう、これが新しいアクアリウムの術法で『ワンダリングバブル』。さぁ、2人を楽しい海底ピクニックにご招待♪)
「海底ピクニックって……キャアァ――――――――――――ッッッ!!!」
テミスはそう告げると同時に、念動力で2人の入った泡を持ち上げ、そのまま近くの蒼國の海底へと運び込むのでした。悲鳴を上げる2人の事などまるで御構い無し。全く…こう言う強引な所が有るのもまたテミスの困った所です。
「何よこれ?私達、泡に包まれたまま海底に来ちゃったんだけど!」
「お昼ご飯にしたいのに海底ピクニックって何なのテミス?訳分かんないわよ!」
自分達は只昼ご飯にしたいだけなのに、アクアリウムの術法の伝授の為にこんな訳の分からない海底に連れて来られ、2人は困惑するばかりです。
すると人間態のテミスが泡の中にクロッシュの乗った皿を持って再び現れます。
「お昼なら私が用意しました。どうぞ召し上がれ。」
右手の皿のクロッシュを開けると、中から出て来たのはロブスターやサーモン、ツナサラダやレタスの様な厳選された具材を挟んだシーフードサンドでした。
然も彼女の使いと思われる水霊達がティーポットとティーカップまで用意しては、摘み立てのダージリンを注いでくれます。
気付けば2人の足元には何処からか用意した絨毯まで敷かれており、至れり尽くせりです。
「あ、有り難う……。」
サンダルを脱いで絨毯に腰を下ろした2人は、テミスの用意したシーフードサンドに舌鼓を打ちます。更にテミスが持っている左の皿のクロッシュの中身は、瑞々しい果実をふんだんに使ったフルーツタルトでした。こちらもかなりの絶品です。
「サンドイッチもそうだけど、このタルト凄っごく美味しい!これもやっぱり全部テミスが作ったの?」
「そうだけどそれが?」
「本当に凄いね。帰ったら何時もテミスが私の食事用意してくれてたから、本当に感謝しか無いわ。」
「と言うより汐月の夕飯って、何時もテミスが用意してたんだ…。水霊が料理するとこ自体、想像が付かないから意外過ぎるわね。」
まさかテミスがリラの食事を作ってあげてたとは、余りにも意外過ぎる真実です。改めてテミスがリラにとって保護者的な存在である事が分かる瞬間が其処には有りましたが、それが信じられないみちるのコメントに対し、テミスは少し不機嫌そうな顔で抗弁しました。
「失礼ね。料理と言う概念だって水霊は持ち合わせてるわよ。まぁ、確かに率先してやろうとする子はそうそう居ないのは事実ですけどね。因みにそのタルトのフルーツは海洋深層水で育ててあるからミネラル分もたっぷり入ってるわ。」
「素材にまで拘るなんて大した物だわ……。って汐月、口元汚れてるわよ。ホラ、拭いてあげるからジッとしてて……。」
「あ、有り難うございます……。」
そうして食事を終えると、2人は改めて連れて来られた海の底を見回します。緑色の海藻が青々と生い茂り、様々な魚達が泳ぎ回っていました。
「綺麗……。私達が住んでる蒼國の海って、魚達の楽園なのね。」
「本当ですね。こんなに綺麗な世界、汚して駄目にするのは勿体無いし哀しい事だって思います……。私も守らなきゃ……って、うっ!」
「どうしたの汐月?」
美しい海の原風景を眺めながらそう2人で言葉を交わしていると、不意にリラを奇妙な感覚が襲います。少し離れた場所に、さながらテミスの様な上級水霊の存在を思わせる何かを感じるのです。その正体は分かりませんが、それが放つ波導の影響からか、リラは軽い目眩を覚えました。
(何なの…?あの遠くの岩場の向こうから何か大きな力を感じる……!)
その存在を確かめずにはいられないリラが思わず立ち上がった時でした。
「キャッ!」
「あぁっ!!」
目眩を覚えた中で無理して立ち上がった為、そのままリラはみちるの方へ横転してしまったのです。
「痛たぁ…もう、汐月………って何処触ってんのよ!?」
「ご、御免なさ~~~い!!」
その場に押し倒されたみちるは痛がると同時に、自身の左胸が同じく倒れたリラの左手に圧迫されているのに気付き、顔を赤らめて声を張り上げました。その声に反応したリラは瞬時に立ち上がってみちるから離れて謝罪します。
「本ッ当に御免なさい部長!ワザとじゃないんです!!」
「私も分かってるから良いわよ。今回は不可抗力って事で目を瞑るわ。」
(でも部長のおっぱい、凄く柔らかかったな…。ずっと触ってても飽きない位―――――。)
何とかその場は許して貰えましたが、偶発的とは言え触ったみちるの胸の感触はリラの左手に強く記憶として焼き付いていました。まるで雲かマシュマロの様に柔らかく、それでいて蛸か烏賊の吸盤の様に吸い付いて来る感触――――乳揉み魔の深優の気持ちを、リラは少しだけ理解出来ました。世界一硬いと言えば皆は「ダイヤモンド」と答えるでしょうが、逆に世界一柔らかい物が何かは定義が曖昧の為に良く分かっておらず、ハッキリと答えられる者はいません。然し、今のリラなら「女性のおっぱい」と迷わず答えてしまいそうな境地でした。
(食事は済んだみたいやな。)
すると突然現れたのは先程の中級水霊のメリテでした。リラは早速メリテに遠くに感じる力の正体についてを尋ねます。
「ねぇ、1つ訊きたいんだけど、向こうに何か強い力を感じるの。それって一体何か分かる?」
「変な力?」
「はい、その力がこっちにも伝わって来て、それでさっき目眩を起こしたんです。」
「そう言う事…じゃやっぱり今のは不可抗力ね。」
事情を説明して納得した所で、改めてリラはメリテからの回答を待ちます。するとメリテは答えました。
(そっか……ヒヨッ子やと思ってたけど、向こうの“あれ”を感じるちゅう事はどうやら本物の水霊士なんやな………。)
自身の中で得心が行った事を呟くと同時に、メリテは続けます。
(せやけど済まん。“あれ”に関してはまだあんたに説明する事は出来ん。テミスからも箝口令が出とるからな…。そん時が来たら教えたるさかい、今は海中散歩でも楽しみや!)
「そう……分かった。でもこの泡、どうやって動くの?」
(この泡はあんたがイメージした通り動くんや。「上行け」思うたら上に行くし、右でも左でも「行きたい」と思うたらそっちに進む。試しにやってみぃ!)
「有り難う!」
(但し、力の波動感じたとこには行くなよ?あんたが行くには未だ早過ぎるで。)
早速教えられた通り、浮くイメージを浮かべると確かに2人の入った泡は浮きました。直進しようと思えば真っ直ぐ進むし、本当に自由自在です。
「あぁっ、本当に動いた!」
「確かにこれなら海の中も散歩出来るわね。」
すっかり気を良くしたリラとみちるの2人は、この新たな術法である『ワンダリングバブル』の力で蒼國近海の海を散策しました。魚の巣になっている沈没船や、時折遭遇するイルカに鯨。真上を航行する船の様子等、陸上で生活する分には先ず見られない光景が広がり、リラとみちるの心を打ちます。
「凄い…凄いわ!潜水具も付けない生身で海の底を散歩する日が来るなんて夢みたい!ねぇ汐月、海の底って本当に広くて素敵な場所ね!」
「そ、そうですね……。って言うか先輩、苦しいです……。」
興奮気味にみちるから抱き着かれた挙句、バスト90の巨乳を顔に押し付けられてリラは困惑していました。それでなくともこの術法は維持するのに並々ならぬ精神力が要るのか、2時間程散歩する頃にはリラにも疲れが見え始めました。
(どうやらこの辺が潮時みたいやな。)
「メリテ……。」
(あんたはもうヘトヘトや。これ以上此処いたら力尽きて仲良う水死体になってまうで。アタイが近くまで送り飛ばしたるから今日はもう帰りぃ。ほなさいなら!)
そう言うなりメリテは自身の念動力によって2人の入った泡を動かし、そのまま蒼國海岸の近くの岬に有る公園へと移送します。
「あれ?先輩、此処って…?」
「汐月は初めて?此処は『海風岬公園』って言って、蒼國でも指折りの癒しのスポットよ。」
「へぇ、此処が―――――。」
その公園は緑の木々と芝生に覆われており、蒼國の海や遠くの港町まで幅広く一望出来る場所でした。これだけでも十分絶景スポットとして機能していますが、更にこうした穏やかな日には心地良い海風が吹き、優しい波の音が聞こえる為、絶好の癒しのスポットと言う訳です。
「私は前に来た事有るけど、それも小学校の遠足以来だから10年振りかしら?昔と変わってなくて懐かしいわね……。」
「でも良かった。公園には私達以外誰も人が来てないみたいで………。」
確かに、アクアリウムの力は一般人に見られるのは余り好ましい事ではありません。相手に披露するにしても、それは第三者の目の無い場所限定であり、言っても誰も信じない状況を作り出してリラは行使しています。何処かで動画撮影等を行う者が居たら目も当てられないでしょうからね。
ともあれみちるは公園の芝生に座ると、海から吹く6月の心地良い風を浴びながら今日の出来事を思い返していました。
読みたかったシリーズの小説が買えた事―――――。
色んな書店の雰囲気を可愛い後輩と一緒に廻って共有出来た事―――――。
そして彼女と一緒に非日常の海底散歩―――――。
そうした経験のお陰で、今日は何時もより素敵な1日になった!みちるはそう実感していたのです。同時に、それを図らずも実現させてくれたリラに対して感謝せずにはいられませんでした。
一方、そうとは知らないリラはと言いますと……。
「ふわあぁ~~っ……先輩、初めてのアクアリウムで力使い過ぎた所為で眠くなっちゃいました。」
するとみちるはフッと笑みを浮かべて言います。
「あらあら、じゃあ横になれば良いじゃない。こんなに風も気持ち良いからきっと良く寝れるわ。」
「はい、じゃあそうしま……」
「でもちょっと待って!」
言われるがままに芝生に寝そべろうとするリラを制止すると、みちるは何と自身のその太ももの上に彼女の頭を乗せたのです。そう、俗に言う“膝枕”と言う物でした!
「あの…みちる先輩?」
突然の事に戸惑うリラですが、御構い無しにみちるは鞄から更に耳掻きを取り出します。
「1度こう言うの、やって見たかったのよね♪汐月、貴女幸せよ?忍にさえこんな事した事無いんだから―――――。」
「そ、そうですか?」
「ホラ、横を向きなさい。あぁっ、やっぱり結構溜まってるわね。これは掃除のし甲斐が有りそうだわ!」
「…部長って、まるでお母さんみたい。」
「お母さんだなんてそんな、持ち上げても何も出ないわよ♪」
そんな会話のキャッチボールを繰り広げた後、みちるはリラの耳の中に溜まった耳垢をゆっくり優しく取り除いていきました。
昼下がりに吹く、心地良い6月の風がみちるの髪を揺らし、頬を撫ぜます。気付けばリラはすっかり眠りに就いてました。エース級の水泳選手であるみちるの鍛え抜かれた太ももは、余程気持ちが良かったのでしょう。
「全く……貴女が来てから毎日が退屈しないわね―――――。」
自身の膝枕で眠るリラを見つめるみちるの表情は、まさしく姉処か実母の様に優しく、慈しみ深いそれだったのでした。
今回は此処まで。次は2年生編です。
キャラクターファイル34
メリテ
年齢 無し
誕生日 無し
血液型 無し
種族 水霊
趣味 料理
好きな物 食道楽
臙脂色のタスマニアキングクラブに似た姿をした蟹型の水霊。普段は東南アジアからオーストラリア近海を巡回しているが、テミス達上級水霊の呼び掛けが有れば何処にでも駆け付ける。
ドリスと動揺に関西弁を話すが毒舌気味。蟹型の水霊は泡を飛ばす能力を使う者が多いが、彼女の泡は穢れの浄化は勿論、頑丈で様々な用途に使える優れ物。取り分け任意の物体を包んで動かす乗り物として重宝される。また、防御力もその外見に違わず相当高い為、外部からのストレス要因をシャットアウトする事も可能。




