第21話 蒼きハルモニア
今エピソードでアクアリウムの可能性の幅が広がります。
総体まで残り1週間を切り、霧船の水泳部もより一層奮起して練習に励んでいました。
勿論この練習に最終調整と言う意味が込められているのは言うまでも有りません。
バタフライのリラと忍─────。
背泳ぎの葵と潤─────。
自由形の深優、更紗、瑠々、真理愛─────。
平泳ぎの水夏─────。
個人メドレーのみちる─────。
個人戦に於ける自分達の得意な泳法に徹底的に磨きを掛けるのに加え、団体戦であるメドレーリレーに参加する1、2年それぞれの幼馴染みコンビである葵&深優、瑠々&水夏の4人はリレーで泳ぐ順番と、自分の前に泳ぐ相手の速さを考慮した上で、如何にバトンタッチのリズムとタイミングを見極めて飛び込むかを模索していました。
特に葵と深優は瑠々と水夏の足を引っ張らぬ様に、自分達の泳法以上に基礎となる体力を付ける事に最も力を注いでいました。
然し、忘れては行けません。蒼國に有る高校は何も霧船だけでは無い事を―――――。
この水の都“蒼國”に所在地のある高校は、水泳に関して何処も並み居る強敵揃い!
葵の中学時代の同級生だった陸奥の進学した龍洋高校を始め、蒼國学園、春湊高校、蒼國女子学園、希望ヶ浜高校、水月高校、海燕大学付属高校、蟹淵学園、北静湖女学院他14校が存在しており、強豪とまでは行かない学園でも水の都である蒼國の環境に揉まれた手前、一筋縄では行かない学校ばかり。
蒼國以外にも県の各地区に存在する学校の水泳部の数を合わせれば、競争相手は決して少なくありません。寧ろ多いと言った方が良いでしょう。それこそ“レッドオーシャン”と呼ぶに相応しい位に……。
龍洋を始めとした各校のライバル選手達も当然、リラ達霧船女子と同じ市民プールを練習の場として利用する事だって有ります。そして彼女達の間で台風の目となっているのがエースの日浦忍と、中学時代に有名選手だった飯岡潤と漣真理愛でした。
然し真理愛は兎も角、忍は肩を壊して2年近く泳げずにいましたし、潤も嘗てはエースだったのに胸がデカくなった恥ずかしさから2年余り水泳から逃げてブランクの有る身。
それを知っているとなれば彼女達は当然思うでしょう。そう―――――「日浦忍は終わった」、「2年も水泳から逃げて、今更ノコノコ戻って来た腰抜けの飯岡潤など敵では無い」と……。そうやって本選に出ても恐るるに足らないと高を括っていたのでした。
だが、他校の選手達は知る由もありませんでした。リラの日々のアクアリウムによる癒しと、自身の努力によって、忍がこの頃には完全復活していた事を―――――。
そして潤も、持って生まれた水泳選手としての勘を取り戻し、真理愛と言う共に切磋琢磨し合う相手を得て、この数週間で嘗てよりも進化している事を―――――。
同時に周りのライバルの存在を知っているからこそ、エースの忍は未だブランクが響いている振りをして実力の半分程度でしか泳いでおらず、潤もなるだけ力をセーブして泳いでいたのでした。諺に在る『能ある鷹は爪を隠す』と言う訳です。勿論、練習自体は決して手を抜いていませんがね。
(来週はいよいよ地区総体かぁ……緊張するなぁ……。)
その日の帰り道の事です。来たるべき総体へ向け、リラは想いを馳せながら歩いていました。家が近所に在る為、当然ながら忍も一緒です。
「何だお前?総体もう直ぐなモンだから緊張してんのか?」
忍が苦笑いしながらそう言うと、リラは答えます。
「だって人生初めての大会ですよ?私、1度もそう言うの出た事無いからドキドキが止まりません!」
そう返すリラの言葉に対し、忍は溜め息を吐くとこう助言します。
「ならイメージしろよ。自分が選手として大会に出て見事1位の泳ぎをして優勝する姿をよ!」
「優勝?私が水泳の大会で!?」
「自分が勝つ姿をイメージ出来りゃ、後はそれを目指して行動有るのみだろ?」
彼女の言葉に促され、リラは早速色々とこれからの総体と次の関東大会、そしてそれを制した後の全国大会で活躍する姿を夢想します。
鍛え上げたバタフライで並み居る強豪達を下し、見事表彰台に立って金メダルを授与され、周囲から称賛の声を浴びる自分―――――。
「うへへぇ~……恥ずかしいけど素敵かもぉ~~♥」
妄想力全開で自分が活躍する姿をあれこれ夢想すると、リラは顔がこれでもかと言わんばかりにニヤけ、涎すら口元からじゅるりと覗かせます。
(………あたし間違った事言ったかな?つーか何気に妄想力逞しいなこいつ……。)
リラの妄想癖を侮った忍は若干ドン引きしましたが、直ぐにリラは忍の手を握って言います。
「忍先輩!私、総体が楽しみになって来ました!絶対予選突破して関東大会一緒に出ましょうね!」
「あ、あぁ……そうだな……。」
その気迫に圧され、忍はそう返すしか出来ませんでした。普段は大人しくて内向的な癖に、水霊士の使命と妄想してる時だけは妙に活き活きし出すなんて、我ながら変な後輩を持った物だと忍は実感していました。
「良し、テミス!これから残りの練習で私、何を鍛えたら良い?」
「何を鍛えたら良いかですって?そうですね――――――。」
テミスの名を呼ぶと、人間態となったテミスが突然現れてリラにあれこれ助言をし出します。
(ま、良っか……。どうせこいつは1年だ。結果はどう在れ、今はそうやって思いっ切り頑張りゃ良いさ。)
その姿を背中に見ながら忍は苦笑しつつも、先輩として生温かい目でリラの後姿を見守るだけでした―――――。
さて、総体前の最後の日曜日の事です。
「あっ、潤先輩……。」
「リラちゃん!」
リラが行く先も決めずに水霊達と街を散歩していると、潤と偶然出くわしました。因みにリラが散歩のお供に連れているのは自身の内なる水霊であるクラリア以外、お決まりのグッピーやプラティ、モーリーと言ったメダカ型の下級水霊達です。
「それでねリラちゃん、昨日の昼休みに真理愛と―――――」
「葵ちゃんと深優ちゃんなんて―――――」
クラスでの日常と言う他愛の無い四方山話を交わしながら街を歩く2人は、気が付いたら海水浴場の有る蒼國海岸から少し離れた磯場にまで来ていました。
岩場に周囲を囲まれ、所々に海水の溜まった大小様々な窪み。
そしてその窪みには蟹や海老やヤドカリ、海星やウミウシ、カメノテにフジツボ等、種類も様々な水生生物が豊富に生息しており、それが目当てと思しき親子や大学のサークルの学生達の姿まで有ります。
「先輩、蒼國って海開きは未だなんですよね?」
「うん。7月にならないと海開きしないけど、この辺の海には色んな魚が泳いでるから、海釣りに来る人もシーズン通して一杯居るよ?」
成る程、潤が指差した先の岩場の玄関では青年、壮年、老年問わず何人もの太公望が竿から糸を垂らし、眼下の野生との戦いに興じていました。
決して底の見通せない、蒼き海の世界に蠢く魚を針に掛けて捕らえる為に―――――。
「蒼國の海じゃね、キスやメジナ、カワハギに黒鯛、鱸やアオリイカが年中釣れるの。冬にはカサゴやメバルだって釣れるのよ?それに凄っごく稀だけど、エイが釣れたなんて言う話まで有るわ!」
「エイまで!?凄いですね。色んな魚が釣れるなんて流石、水の都!って言うか、そう言うのに詳しい潤先輩はもっと凄いですけど。」
地元民である先輩の説明に対し、リラが感心しながらそう返すと当人は得意になってこう返しました。
「えへへ、小さい頃は良くお兄ちゃんと一緒に釣りでこの辺に来てたから♪って言うか、この街じゃ釣りやウォータースポーツ、マリンスポーツなんて皆やってて珍しく無いしね。あっ、そうだ!リラちゃんに取って置きの地元情報教えちゃうよ♪」
「取って置きの地元情報?」
リラが首を傾げる中、潤がスマホを取り出して弄り始めます。
「じゃーん♪これよ!」
数秒後、彼女がそう言って高らかに見せ付けたスマホの画面には、青いドラゴンを思わせる謎の軟体生物の画像が映っていました。
形状的にはアオミノウミウシに近いですがこの生物は一体―――――?
「何ですか先輩?アオミノウミウシにも似てるけど全然違うこの青い生き物って―――――。」
「これはねリラちゃん、『ソウリュウウミウシ』って言う蒼國で最近発見された新種のウミウシなの!」
その言葉にリラは驚きました。青くて何処か神秘的な印象すら受けるこの龍に似たフォルムのウミウシが、この街の磯場で発見されていたなんて―――――。
だけど街の名産品売り場では、これに良く似た縫いぐるみや玩具、絵に描かれたタペストリーやスリッパと言ったグッズが売られているのを良く見掛けていた為、リラはそれで得心が行きました。
あのグッズの数々が、このウミウシに因んで作られた物なのだと言う事を―――――。
尤も、幾等新種の生き物が地元で発見されたからって此処までするかと言う気がしないでも有りませんでしたが………。
「水夏ちゃんから聞いたんだけど、あの子ってこう言う水の中の生き物が大好きなんだって。だから生き物の観察や新種探しに良く此処に来るみたいよ?」
「観察は兎も角、新種探しって……。」
水夏の意外な趣味に、リラは苦笑いするしか出来ませんでした。そうして時折、窪みの海水溜まりに蠢く蟹やヤドカリ等の生き物達を観察しながら海の岩場を歩いていた時です。
「あれ先輩、何か聞こえませんか?」
「えっ?」
潮風に乗って聴き慣れない音が、寄せては返す波音とは別に2人の鼓膜へと流れ込んで来ました。
「♪~~~~~~♪♪~~~~~~♪♪♪~~~~~♪~~~~~♪♪~~~~~~~~~………」
「先輩、これって……この音って………。」
決して大きくなく、寧ろ小さい音量─────。
それでいて音域が高い為に耳に残り易く、まるで鳥の鳴き声を思わせる音色─────。
これは――――――。
「フルート……?でも、一体何処から………。」
何処からとも無く聴こえて来たフルートの音色。注意深く耳を澄まして音のする方へと向かってみると、意外な人物が2人の視界に飛び込んで来ました。
「えっ―――――!?」
「真理愛!?」
何と、フルートを吹いていたのは真理愛だったのです。海の方を向け、多くのカモメが飛び交う中、彼女はその旋律を海へと奏でていたのでした。
アクアリウムを展開させるとツノダシやクマノミ、スズメダイや鮫、河豚、烏賊、蛸、海月、海亀にイルカ―――――実に多くの海洋生物型の水霊達が真理愛の旋律に耳を傾けていました!
「―――――――あら潤、汐月さん?」
リラと潤の声に気付いて演奏を止めると、真理愛は2人の方を向きます。
「珍しいわね。2人がこんな海岸の岩場に来るなんて。」
「私も驚きました。まさか漣先輩がこんな所でフルート吹いてるなんて……。」
リラのその言葉は、フルートを海へ向かって吹く真理愛の姿に対して当然の反応でしょう。無論、同じ事は潤も思っていたらしく、彼女も真理愛に尋ねます。
「真理愛ってフルート吹けたのね……初めて知ったわ。凄く上手だったけど、何時もこんな所で吹いてるの?」
水泳が好きで、小学時代から金メダルや銀メダル、トロフィーを良く受賞し、去年は国体でも見事に活躍した高校女子水泳の期待の星である真理愛。
そんな彼女の意外な特技がまさかフルートだったとは、これには潤も驚きを隠せませんでした。
「―――――毎週日曜日は何時も私、此処でフルート吹いてるの。お父さんの安全を祈ってね。」
お父さんの安全?一体何の事でしょう?その単語を受けてリラの脳裏を、何時ぞやの深優の父の航のガン騒ぎが過ぎりました。
「お父さんの安全って……漣先輩のお父さんって何してる人なんですか?」
リラがそう質問をすると、真理愛は目を閉じて2人に背を向けました。そして蒼國の海岸から遠く、太平洋まで広がる蒼い海を見て答えます。
「私のお父さんはね、自衛隊員なの。海上自衛隊に務めてるわ。」
「海上自衛隊?」
その言葉にリラと潤は大きく目を見開きます。まさか真理愛のお父さんがそんな仕事に就いていたなんて―――――。
「お父さんね、『いずも』って言う艦に乗ってるの。私も詳しくは良く分かんないけどお父さんの乗ってる「いずも」はね、護衛艦って言う戦う為の軍艦だったのが改造されて、空母って言う戦闘機が離着陸出来る艦にこれからなるみたい。戦後初の空母なんて言われても私にはピンと来ないけど、そんな凄いのに乗って日本の海の平和を守るお父さんは立派だって思う。」
「へぇ……先輩のお父さんって凄いんですね。日本の平和を海から守る為に頑張ってるなんて!」
「えぇ!本当にね。って言うか真理愛、そんなお父さんの為に海に向かってフルート吹いて無事を祈ってるんだ……。」
得心の行った潤の言葉に対してコクリ相槌を打つと、真理愛は何処までも蒼く澄み渡る空と海を遠い目で見つめて続けます。
「海自の人って、普段艦の上で生活してて滅多に陸に戻らないの。お父さんも偶にしか家に帰って来ないのよ。だから私、お父さんがまた家に戻って来れる様に無事を祈って、休みの晴れた日にこうやって海辺でフルート吹いているの。お父さんが『凄く上手だ』って褒めてくれたフルートの音が届く様にって―――――。」
真理愛の言葉に、リラ潤は思わず微笑ましさに顔を綻ばせました。普段の水泳選手として水泳にストイックに打ち込む以外の、真理愛の新たな一面を知る事が出来たのだから―――――。
深優と一緒で、真理愛も父親の事を尊敬して大事に想っている。そうでなければこんな風に、遠い海に浮かぶ艦の上で仕事に励む父の為にフルートを海に響かせるなんて事が出来る筈も有りません。
「真理愛、アクアヴィジョンで海の方を見てみてよ。」
「えっ?」
フッと微笑んだ潤に促され、アクアヴィジョンで真理愛が蒼國の海を見ると、様々な海洋生物の姿をした水霊達が大勢集まって彼女を見つめています。
「うわっ!?こ、こんなに一杯水霊が!?」
「フフッ♪皆、先輩のフルートの音色が凄く綺麗だから気に入ったんですよ。」
改めてリラがアクアリウムを展開すると、彼女達の声が聴こえて来ます。
(素敵な音色だったわ!)
(ねぇ、もっと聴かせてよ?貴女の音色を―――――。)
(何時も何時もこの海辺で素敵な音楽を聴かせてくれて有り難う!)
(人の子よ、今一度その音色を聴かせておくれ。然すれば遠い海で戦う貴女の父へその想い、届けてあげよう!)
「皆―――――。」
まさかこれだけ大勢の水の精霊達に自分のフルートを絶賛されるなんて、真理愛は夢にも思いませんでした。
本当に美しい音色は、人間も精霊も問わず魅了する――――――真理愛と同じく、リラと潤もその事を実感していたのです。
大海原を行く水霊達のお墨付きを貰い、改めて真理愛がフルートを吹こうとした………その時でした。
「ちょっと待って皆!」
突然リラが海の水霊達に制止の言葉を投げ掛けます。これには潤と真理愛も呆気に取られました。
「リラちゃん?」
「いきなりどうしたの汐月さん?」
「潤先輩、漣先輩、あれを見て下さい。」
リラが指差した先を見ると、近くの浜辺に遠目でも分かる程に出来た人だかりが2人の視界に飛び込んで来ました。
「おい、海辺に何かデカいのが打ち上がってるぞ!」
「何だありゃ!?鯨か!?」
「他にもイルカまで流れ着いてるけど……。」
「これって死んでんのか?」
何事かと思って砂浜へ行ってみると、其処には浜辺に打ち上げられたマッコウクジラ1頭と、4頭のバンドウイルカ達の姿が有りました。この珍事件を受け、当然ながら地元TVの取材班が既に蒼國海岸へと駆け付けていました。更に周囲にも多くの野次馬達が集まっています。
「何あれ……?」
「マッコウクジラとバンドウイルカが浜辺に打ち上げられてるなんて………。」
「バンドウイルカは蒼國の沖合でも良く見掛けるけど、マッコウクジラなんて珍しいわね。」
リラと潤と真理愛が目の前の光景に唖然となりながら立ち尽くしていると、不意に葵の声が耳に飛んで来ました。
「リラ!」
咄嗟に声のした方を向くと、其処には葵と深優と更紗の何時もの3人が立っていました。どうやら彼女達も、行き掛けにこの珍事件を間近で一目見ようと浜辺にやって来た様でした。
「葵ちゃん、深優ちゃん、更紗ちゃん……。」
「あれリラっち、飯岡先輩と漣先輩の2人と一緒なんて珍しいじゃん!」
「え?いや、ちょっとね……。」
そう困惑するリラを横目に葵は浜辺に打ち上げられ、ピクリとも動かないマッコウクジラ達を見て言いました。
「あの鯨達可哀想……どうしてあんなになっちゃったんだろう?」
葵の疑問に対して答えたのは深優でした。
「鯨があんな風になるのは色々説が有るけど、1番有力なのは地震説ね。」
「地震?」
更紗が首を傾げると、深優は説明します。
「うん、鯨やイルカって身体に磁場を探知して道筋を知るカーナビみたいなの持ってて、人間が地図を持って歩く様に鯨達も磁場を見て泳いでるって言われてるの。だからどんなに海が広くても迷子にならないで同じ場所を回遊出来るみたい。でも、それが地震の所為で狂っちゃって、そのまま変な方向へ進んで陸に乗り上げちゃうって言うのが有力な説らしいよ?」
「へぇ、そうなんだ……。」
「鯨ってそんな便利な能力が身体に有るのね。知らなかった……。」
「1年の中じゃ1番優等生って聞いてたけど、吉池さんやっぱ凄いわね。」
理路整然とした深優の説明には、更紗も潤も真理愛も感心して舌を巻くばかりでした。彼女の説明はまだまだ続きます。
「葵、リラっち、サラサラ、磁場が狂う原因は、他にも太陽から吹く強力なプラズマの嵐って言われてるんだって。後はイルカやゴンドウクジラみたいに群れで暮らす鯨達に当て嵌る説で、方向音痴の仲間を追っ掛けてる内に一緒に陸に上がっちゃうって言うのや、鯱みたいな天敵に襲われて逃げてる内に打ち上げられる説も有るみたいですよ先輩。」
深優の説明について少し補足しますと、マッコウクジラの中で今回の様に座礁するリスクが高いのは雄の方だとされています。
現に北海で起こるマッコウクジラの大量死ですが、犠牲となるのは決まって雄ばかり。そしてその理由は雌雄の生態の違いに在るそうです。
マッコウクジラは赤道の海で繁殖し、子供は母親と数年其処で暮らします。やがて独り立ちした雄はグループを形成して故郷の海から遠く離れ、イカを求めて北上するのですが、問題は南へと戻る途中に北海で迷子になり易い点です。
通常、雄の群れはスコットランドとアイルランドの辺りを通過して大西洋へと戻ります。然し途中で南下を早め過ぎたり、急な方向転換で曲がり過ぎてそのまま北海へと進入してしまうのです。そして北海周辺の海域には砂が堆積した入江があり、潮汐も激しく、深い海で暮らすマッコウクジラが生活するには全く不適切な環境。
まるで人が山の中で遭難するかの様に混乱し、右も左も分からずパニックを起こした挙句座礁してしまうと言う訳です。
今回のマッコウクジラが北海では無く日本の海に座礁してしまった理由は定かではありませんが、恐らく方向音痴の個体が北上している途中で右も左も分からずパニックを起こしてこうなってしまったからでしょうか?
イルカ達も、恐らく方向音痴の個体1頭を追って残る3頭まで道連れになってしまったからなのでしょうか?
「後は――――人間の所為って言うのも有ります。アメリカ海軍が海で演習やった時の爆音やソナーの影響で鯨やイルカ達が方向感覚を狂わされて、怪我して脳出血まで起こして、そのまま陸に打ち上げられて大量死したなんて話も有りますし、ドイツじゃ胃袋がプラスチックのゴミや自動車部品で一杯になって打ち上げられた鯨まで居たみたいですしね………。」
最後にそう説明する深優ですが、その表情は当然と言うべきか悲し気なそれでした。
「そうなんだ……。人間の所為で鯨達がそんな迷惑を………。」
深優の言葉を受け、リラは彼女以上に心を痛めました。水霊士が浄化する穢れは、何時だって人間の内から出て来る物。ですがその人間は、同じ人間のみならず海に生きる鯨達まで海洋汚染で不幸にしてしまう。
自分や周りの命を己のエゴで穢して不幸にし続ける人間の未来に、一体何が待っていると言うのでしょう?破滅の二文字しか見えないと言うのなら、余りに悲し過ぎます………。
「ねぇリラ、深優、話してるとこ悪いんだけどさ、原因が分かんないならテミスに訊けば良いんじゃない?」
「あ………。」
葵から至極真っ当な指摘をされ、リラ達は思わずポカンと口を開けて黙り込んでしまいます。
そうこうしている間に浜辺では既に警察や市役所に連絡が行き、対策チームが結成されて事に当たろうとしていました。
「だ、駄目よ……訊いてる暇なんて無いわ。あんな市役所や警察の人達に任せててあの子達が助かるなんてわたしには思えないよ!」
先程から鯨達を眺めていた潤が若干とは言え、狼狽気味にそう言うものだからリラ達も考えを改めました。
「そうですね。あの子達がどうして陸に上がったのかなんてこの際どうでも良いです。兎に角今はあの鯨達の身体を癒さないと!」
そう言うとリラと潤はアクアリウムを発動し、クラリファイイングスパイラルの準備をしようとします。
「ちょっと待って下さい飯岡先輩!リラも待って!」
「えっ?」
「五十嵐さん?」
突然の葵の言葉を受け、咄嗟に能力を解除するリラと潤。すると真理愛が葵の言葉を代弁して言いました。
「確かに、今此処でアクアリウムを使ったら皆に正体がバレて色々と大変な事になるわね。先ずはあの人達をこの場所からどかさなきゃ。」
真理愛がそう言うと同時に、深優も心配そうにマッコウクジラとバンドウイルカ達を眺めてこう漏らします。
「でもその前にあの鯨とイルカ達、生きてるのかな?さっきから全然ピクリとも動かないけど死んじゃってるんじゃ………。」
確かにそれも問題です。幾等クラリファイイングスパイラルで癒した所で、肉体が既に死んでいてはそれは無駄な徒労で終わるだけ。“癒し”とは、未だ命を失っていない生有る者に施してこそ意味の有る物なのですから……。
一体どうしたら良いのか分からないまま、大人の人達が晴れた日差しの中で鯨の体力が低下しない様、水を掛けたり日陰を作ろうとしたりと行った懸命の活動を、手を拱いて見ているだけしかリラ達には出来ませんでした。
「皆さんお困りの様ね。」
すると其処へ助け船が現れました。言わずと知れたテミスの人間態です。
「テミス!?」
「何時の間に!?」
「この子がテミスなの?」
相変わらず神出鬼没のテミスに対して驚く葵と潤、そして初めて人間態のテミスを見る真理愛。
そんな彼女達を横目に、テミスはリラにこう進言します。
「私の知り合いの上級水霊に頼んでとびっきりの大雨を降らせてあげましょう。あの子なら、この辺の砂浜を水で満たせるだけの雨を一瞬で降らせられますからね。そうすればあの人間達は撤退せざるを得なくなるでしょう。」
「テミス以外の上級水霊!?」
「何よリラ?もしかしてテミス以外にそう言うの会った事無いの?」
葵の率直な問いにリラは首を縦に振って頷きました。
「リラっちも会った事の無い上級水霊かぁ……それは私達も会ってみたいかも♪」
「って言うか雨を降らせるなんて、如何にも水の精霊って感じで凄いわね。」
深優と真理愛が感心する中、テミスは本来の姿に戻ると、身体をコバルトブルーに光らせて蒼國の海から遠くの太平洋へと呼び掛けます。
彼女が元の姿に戻る所作を受け、リラと潤は再びアクアリウムを展開して葵達に水霊達の声が聴こえる様にしていました。
(『セドナ』、貴女に頼みたい事が有るの。私以上に強力な貴女の水霊力で蒼國の海岸を水で満たして頂戴!)
「セドナ?」
「それがテミスと知り合いだって言う上級水霊の名前?」
葵と深優がそう言葉を発した数秒後、突然それまで晴れていた空が嘘の様に分厚い雲に覆われ、瞬く間に激しい雨が地上に降り注ぎました。
その日の降水確率は5%程度と天気予報で報じられていた事も有り、多くの人間が傘やレインコートなど用意して居なかった為、予想外のゲリラ豪雨を前に蜘蛛の子を散らす様に野次馬や市役所の職員達はその場から走り去りました。
雨は更に激しさを増し、浜辺に押し寄せる波も次第に成長しながら、マッコウクジラ達の身体を揺り動かして海へ攫おうとさえします。
「うわぁ、あっと言う前に凄い大雨になっちゃった……。」
「波もあんなに穏やかだったのに、もう砂浜すっぽり覆っちゃう程大きくなってる……。」
その一部始終を呆然と佇みながら深優と更紗がそう漏らす横では、リラと潤がアクアリウムの結界によって押し寄せる波とその飛沫や、降り注ぐ雨から水霊仲間達を守っていました。
「でもアクアリウムの能力って本当に凄いわね……。水の精霊達の力を借りて魔法みたいな事が出来る他にも、こうやって濡れない様に出来るし濡れても直ぐ乾かせるから……。」
リラと潤の使う水の異能力であるアクアリウム。最初は興味を示さなかった真理愛ですが、練習で疲れた身体を癒して貰ったり濡れた身体と競泳水着を乾かして貰ったり、果てはアクアヴィジョンで水霊を見える様にして貰ったりしている内に、その凄さを認めて感心すらする様になっていました。
「そう言ってくれるとくすぐったいな。でも、わたし未だ目覚めたばっかりでリラちゃん程上手には使えないけど……ってあれ?遠くの海が光ってる!?」
「えっ?」
潤の叫びを受けてリラ達が蒼國の海に目を向けると、浜辺に押し寄せる荒波の向こうの方の海が瑠璃紺の光を放っています。
「潤先輩の言った通りだわ。もしかして、あれって……。」
リラが大きく目を見開いて漆黒の嵐の海の中で瑠璃紺に光る水域を葵達と共に見つめていると、突然同色の巨大な水柱が起こりました。
(来たわね……。)
テミスが内心そう呟いていると、まるでバベルの塔の様に上空の雲の上まで高く聳え立つ水柱の中を泳ぎ昇る、1つの大きな影が現れます。
リラ達の見守る前でその影を内包した瑠璃紺の水柱が一際眩い光を放つと、次の瞬間水柱は一瞬で消滅。そして現れたのは濃藍の巨大な鯱に似た姿の水霊でした。
「あれがセドナ……テミス以外の上級水霊………。」
「あの姿、まるで鯱ね……。」
リラと潤の水霊士コンビが呆然としながらそう呟くと、セドナはテミスの方を向いて言いました。
(久しいなテミス。まさかお前が私に頼み事をして来るとは思わなかったぞ?)
(私は今貴女がした様に、大きな波と集中豪雨を操って海岸を水没させるだけの力は有りませんからね。)
(フッ、良く言う。“ブルースパイラルビーム”などと強大且つ精緻極まる技を持つお前が私より劣る訳が無いだろう?それより―――――)
そうしてリラ達の方を向いてセドナは続けます。
(あの娘か?お前の育てている水霊士――――汐月リラと新米水霊士の飯岡潤と言うのは?)
「わ、わたし達の事、知ってるんですか?」
初対面の筈なのに自分の名前まで知っているセドナの口振りに、潤が驚いて尋ねたのに対してリラが説明します。
「潤先輩、水霊達は地球全体を流れる水其の物だから色んな情報を知ってるんです。私達の事だって、もう水霊達には皆知られてるって考えるのが妥当ですよ。」
「そ、そっか。そうだったっけ……。」
リラに諭されてバツが悪そうに顔を赤らめて潤がそう返すのを横目に、当の本人は改めて周囲にメダカ型の下級水霊達を集めてクラリファイイングスパイラルの準備を始めます。
(待ってリラ。あれだけ巨大な鯨達を包んで癒すのは時間が掛かるし、貴女にとってもかなり負荷が掛かるでしょう。もっと良いアイディアが有るわ。)
「えっ?良いアイディアって――――――――」
リラがそう尋ねるが早いが、テミスは不意に真理愛の持っているフルートを見て意外な発言をしました。
(真理愛さんの持っているフルートに水霊を宿し、その音色を奏でてあの鯨とイルカの子達を癒すのです!)
「えぇっ!?」
「フルートに水霊を――――?」
「アクアリウムってそんな事まで出来るの!?」
「信じられない……。」
テミスの発言にリラと真理愛と葵と更紗は唖然とした調子でそう反応を返すばかりです。
するとセドナがテミスに対して怪訝そうな口調で言いました。
(本気で言ってるのかテミス?水霊を人間が無生物と定義する物体に宿すなど、並の水霊士には難しい高等技術だぞ?2年余りの経験の有る汐月リラでも出来るかどうか疑わしい。)
けれどテミスはそう指摘されるのを想定していたのか、落ち着き払った調子でセドナに言い返します。
(あら?その点は何も問題有りませんわ。媒介に使うのは真理愛の魂の籠もった彼女のフルート。そしてそれへ宿すのは彼女の内なる水霊であるシュトラーセと、真理愛と繋がりの強い水霊士である潤のステラ。これならば未だ稚魚同然の水霊士でも成功確率は大幅に上がる。そうでしょう?だからあの鯨とイルカの子達を癒す役目は潤と真理愛に任せます!)
テミスの理屈に周囲―――――特に潤と真理愛は驚嘆するしか有りません。それは自分達があの鯨達を癒す大役を与えられたからである事もそうですが、まさか互いの魂の結び付きを水霊から強いと認められた事もそう。
「わ、わたしと真理愛の水霊を…真理愛のフルートに……?」
「それなら初心者の潤でも上手く行き易いって………。」
ともすれば暴論とも言うべきテミスの言い分に、2人は返す言葉も有りません。然しそんな中、リラが先ず潤の顔を見て言いました。
「潤先輩────私は未だ正直、先輩の事を水霊士として完全には認めてません。本当に水霊士としてこの先やって行きたいなら、それ位の事は出来なくってどうするんですか?」
「リラちゃん………。」
何時に無く真剣な表情でそう言うリラの調子に、潤は気圧されるばかりです。
「厳しい言い方だけど、リラが言うと説得力有るわね……。」
「リラっち、パパを助ける為にテミスの力を10%だけでも借りて何とか癒したもんね。」
「水霊士としての限界を超えたリラだから言える事なんだろうね……。」
葵と深優と更紗が納得と言わんばかりにそう呟くのを横目に、リラは次いで真理愛の方を向いて言います。
「漣先輩、これは潤先輩の水霊士としての成長の試練なんです。どうか協力お願いします。もしも出来ない様でしたら、私がテミスのブルースパイラルビームで何とかあの子達を癒しますから心配しないで下さい!」
「汐月さん……。」
(やれやれ、リラも随分と生意気な口を利く様になったじゃない……。)
(お前も下級時代はそうだっただろうが。)
(そんな超大昔の事なんて忘れました~!)
リラと真理愛の様子を見て、テミスとセドナがそんな掛け合いを行っていると、意を決した様に潤がプレコに似た内なる水霊のステラを顕現させて真理愛の元へと歩み寄ります。
気が付くと浜辺は既に海水ですっぽりと沈み、マッコウクジラ達の身体の4分の1が水に浸かっていました。
「真理愛、わたしやってみる!だからお願い、力を貸して!」
すると真理愛の中からロリカリアに似た内なる水霊のシュトラーセが現れます。
「………分かった。私の水霊とフルート、貴女に預けるわ……潤!」
そうしてステラとシュトラーセを2つの光球に変えると、潤はそれ等を合成して白と藍色の輝きを交互に放つ1つの光球にしました。
(ほほう、もし2体の波長が合わなければ拒否反応を起こして合成など出来ない所だが、これはもしや―――――?)
ステラとシュトラーセが合わさった光球を真理愛のフルートに込めると、フルートは白い光を放ち、藍色の螺旋に包まれたでは有りませんか!
「これって……成功したの?」
葵がそう零した直後、フルートの光は次第に弱まり、螺旋も消え掛け始めます。
失敗の気色が強まっているのは誰の目にも明らかです。
「あぁ、やっぱり駄目そう……。」
更紗がそう言い出した時、不意に真理愛はフルートを口に当て、徐に演奏を始めました。
「♪~~~~~♪♪♪~~~~♪♪~~~~~~♪♪♪♪~~♪~~~~~♪♪~~~~~~~………」
真理愛が演奏し始めるとどうでしょう。それまで消え掛かっていたシュトラーセの白い輝きが強まり始めたでは有りませんか。
宿主自身の魂がシュトラーセに力を与えたからこそ、弱まり始めた輝きが戻ったと見て間違いは無いでしょう。
そしてそれは真理愛と結び付きの強い潤の魂にも影響を与えたのか、ステラのと思しき藍色の光の螺旋も強さを取り戻し、大きく鮮明に輝き始めました。
「やった……成功した!」
「でも先輩、どうして急に吹こうなんて……?」
深優がそう感嘆の声を上げる横で、リラは咄嗟の真理愛の行動に疑問を呈します。
演奏を中断して真理愛が答えました。
「さぁ、どうしてかしら?多分それはこのフルートが、私にとって魂の宝物だからかな?」
「魂の宝物?」
抽象的な答えを発する真理愛に対し、潤が尋ねます。
「このフルート、私が8歳の頃にお父さんに買って貰って、10歳の頃に県のコンクールで金賞を取った私の大切な宝物なの。水霊の事は良く分かんないけど、内なる水霊ってつまりは、その人の中の魂と一緒な存在なんでしょ?私の想いが籠もった宝物に私の水霊=私の魂が宿らないなんて、自分の今までを否定されたみたいで嫌だって思って……それで気付いたら吹いてた。上手く言えないけどそんな感じかしら?」
その言葉に真理愛以外の全員は呆気に取られました。然し、リラと潤は妙に得心が行った気がしました。
神道の九十九神思想や19世紀後半、イギリスの人類学者であるE・B・タイラーが提唱したアニミズムに在る様に、万物には遍く魂が宿る物とされています。
尤も、人間の使う道具に関して言えば、宿るのは使い手の魂なのか或いは別のそれなのかは分かりません。
然し、少なくとも真理愛にとって父の無事を祈るフルートは、まさに彼女の魂の強く籠った代物。そして真理愛の魂を内包した内なる水霊であるシュトラーセがそれに宿れない筈は無い。
「成る程、シュトラーセの宿主である漣先輩自身が心を込めて演奏したからこそ、フルートに宿った先輩の魂はシュトラーセを受け入れたんですね。」
「じゃあ、わたしのステラが一緒に真理愛のフルートに宿れたのってどうして……」
(それは真理愛が貴女を心から友と認め、受け入れたからこそでしょうね。)
間髪入れずにテミスが潤の疑問に答えるます。
「テミス……そっか………真理愛はわたしの事、受け入れてくれてたんだね。私の魂を………。」
瞳を涙で潤ませながら、ステラとシュトラーセの宿るフルートを持った真理愛の顔を潤は真っ直ぐ見つめます。
依然降り注いでいる雨は止む気色を見せず、更なる水嵩を増して蒼國海岸をマッコウクジラとイルカ達共々水の底へと沈めていました。
(さぁ真理愛!ステラとシュトラーセの癒しの力を旋律に乗せて、あの鯨の子達に届けなさい。)
「えっ?はっ、はい!」
テミスの声に促され、真理愛は直ぐ様フルートを口に当てて再び演奏を始めます。
「♪♪♪~~~~~~~♪~~~~~♪♪~~~~~~………」
するとどうでしょう。フルートを吹く真理愛の身体を中心に、青白い波紋が見る見るうちに周囲へと広がって行きます。
それと同時にテミスは徐に蒼國の海岸を満たす海水を、まるでモーセの海割りの様に2つに分けてリラ達の居る岩場とマッコウクジラ達の居る場所とを繋ぐ道を作りました。
(真理愛、演奏しながらで良いからその道を通って来なさい。鯨達の傍で貴女の癒しの旋律―――――『リップルメロディー』を聴かせてあげるの。)
突然テミスの起こした現象にリラ達と共に真理愛は目を見開きましたが、水の精霊のやる事なので今更特に驚くに値しないと思ったのか、只コクリと1度頷いただけでした。
そうしてテミスに促されるまま、真理愛は割れた水の道を真っ直ぐ歩いて鯨達の前へと躍り出ます。
(凄い。漣先輩、水霊には興味無いって言ってたのにもうテミス達が何をやっても動じない処か、あっさり順応してる………。)
葵とは別な意味でどんな器にも馴染む水の様な柔軟さを持つ真理愛の適応力に、リラは只管感心するしか出来ずにいました。
フルートの旋律と共に真理愛から広がる癒しの波紋は、瞬く間に鯨達の身体を癒し、生命力を回復させて行きました。マッコウクジラもバンドウイルカ達も、身体を激しく揺すって何とか海へ戻ろうともがき始めます。
(頃合いね、セドナ。)
(あぁ、では仕上げと行こう。)
そう言葉を交わすと、テミスとセドナの2大上級水霊は力を合わせて何と鯨達の真下から巨大な水柱を発生させ、その力で勢い良く彼等を海へと押し飛ばしたのです!
激しい水飛沫と共に着水すると、1頭のマッコウクジラと4頭のバンドウイルカ達は悠然と沖へと泳ぎ帰って行きました。
「凄いね……テミスもセドナも雨を降らせたり、あんな水柱まで起こして鯨達を海まで飛ばすなんて………。」
「これが上級水霊……テミスってこれだけの力を持ってたんだ………。」
深優とリラが唖然となる中、葵が的を射た疑問を投げ掛けます。
「でも、あの子達無事に元の仲間の場所に帰れるの?方向が分からなくなってこんなとこに座礁したんだし心配だよ……。」
するとその問い掛けに答えたのはセドナでした。
(案ずるな。彼等の脳内にはこの周辺の海域の情報と共に、仲間達の居所も己の帰る場所もバッチリ流し込んである。もう迷って座礁する事も有るまいよ。)
「そっか、良かった………。」
セドナの答えに対して更紗がそう安堵の声を漏らします。気が付けば空の雨は既に止んで元の快晴となっており、蒼國の海岸は元の白い砂浜へと戻っていました。
浜辺の砂は、波の寄せて返す場所を除いて一切の水分を含んでおらず、まるで最初から何事も無かったかの様な装いを見せていました。
こうして、蒼國の海岸で起きた鯨の座礁騒ぎは海から来た水の精霊と、その使い手達の活躍によって人知れず解決したのでした―――――。
「あぁ、良かった!あの鯨とイルカの子達が無事に海に帰れて!真理愛のフルートも素敵だったわ!」
「そう?気に入ってくれて嬉しいわ潤。」
無事元気に海へと帰って行く鯨達を見送って一安心した潤は、真理愛のフルートの演奏に改めて賛辞を送りました。
するとリラが徐に潤の方を向いて話し掛けて来ます。
「潤先輩……。」
「どうしたのリラちゃん?」
リラは真剣な表情で潤の顔を数秒見つめていましたが、直ぐに口を開いて言いました。
「漣先輩の魂が籠ってたから難易度低めだったみたいですけど、それでも物に水霊を宿すなんて事をやって見せるなんて、私も驚きました。未だ経験は浅いですけど、潤先輩も水霊士としての素質は充分に有るんですね。」
「リラちゃん……。」
その言葉は潤の水霊士としての素質をリラが認めた証でした。すると真理愛がリラに対して言いました。
「何言ってるのよ汐月さん。潤は水霊士として目覚めてから、あの光の螺旋を腕に纏い付かせて何時も私達の事マッサージしてくれるじゃない!貴女でもやらない事がやれるんだから充分凄いと思うけど?」
「えっ、いや……それ位私だってやろうと思えば出来ますけど………。」
そう言ってリラはクラリファイイングスパイラルを腕所か、右手の5本の指先に纏い付かせてアピールして見せます。
「へぇ、凄いじゃんリラ!じゃあ今度それでマッサージしてよ!」
「葵ちゃん!?何言って……」
「もう、リラっちったら相変わらず水霊士の事になると堅いんだから!私からしたらリラっちも潤先輩、どっちも私達に必要な立派な水霊士!それで良いでしょ?」
「もしかしてリラ、『水霊士は自分1人だけで充分だ』なんて思ってるの?それって傲慢じゃない?」
「そ、それは……。」
深優と更紗からの言葉を受け、リラは言葉に詰まってしまいます。
(リラ、良い加減認めなさい。潤も充分な素質を秘めた水霊士。経験を積めば未だ未だ伸びて行くわ。一緒に手を取って頑張りなさい!)
「テミス……分かったわ。認めるわよ、潤先輩の事―――――。」
真剣な眼差しでそう言い放つテミスに気圧され、不承不承リラは頷きました。
そんな人間の彼女達の様子を遠目に見ながら、セドナはテミスに尋ねます。
(お前の選んだ水霊士の子達だが、今回は潤のポテンシャルしか見れなかったな。まぁリラの活躍は以前から知っているから別に良いが、どっちも潜在的に充分な力を秘めているな。)
セドナの問い掛けに対し、テミスは答えました。
(当然ですわ。あの子達にはこれからやって貰わなきゃならない事が有るの。この星で最近多くなって来た穢れ―――その大元を正す為にも―――――。)
リラと潤を一瞥し、テミスは続けます。
(例え“海の瞳”の持ち主でも、素質の無い者にアクアリウムを与える程、私の選定は甘くないもの―――――。)
(フッ、そうだったよな。そうした意味ではお前の目に間違いは無い。)
そう言ってセドナは遠くの海を見遣って言います。
(だが分かっているだろう?時間は決して多くは無い。一刻も早く“あいつ”を救ってやらなければこの世界に生きる人は―――――。)
(大丈夫です。それまでには何が何でも間に合わせます。彼女を癒し救う為にも―――――。)
一方、そんな上級水霊達の遣り取りなど何処吹く風なリラ達はと言いますと―――――。
「あっ、もう12時だわ。ねぇ、皆でお昼一緒しない?先輩達も一緒にどうですか?」
スマホの画面を見て現時刻を知った葵は、昼食に潤と真理愛を誘います。
「良いの?それじゃあ私達も一緒に――――」
(待て!)
葵の誘いに真理愛が答えようとした時、不意にセドナがリラ達を呼び止めました。
「セドナ?一体どうしたの?」
リラが恐る恐る尋ねると、セドナは答えます。
(漣真理愛……と言ったな。)
「は、はい。」
先程凄まじい雨を降らせ、巨大な水柱でマッコウクジラ達を海へと押し飛ばす程の力を持った水の精霊に自分の名を指名され、真理愛は恐怖と緊張の感情を内包しながら前へ出ます。
寄せては返す波の音が海岸に響く中、気まずい沈黙の空気が数秒流れた後でセドナは言います。
(お前の奏でていたリップルメロディー……実に素晴らしかったぞ。上級水霊であるこの私の心にすら響く程に―――――。)
「えっ?そ、そうですか?それはどうも有難うございます……。」
「真理愛……。」
他人行儀に畏まってセドナにそう返す真理愛を、潤はその後ろから心配しながら見つめるしか出来ません。
するとその時です。不意に人間の少女達の耳に、潮騒とは別にさざめく無数の声が聴こえて来ました。
(素敵だったよ、貴女のメロディー!)
(ねぇもっと聴かせてよ!)
(私達未だもう少しだけ聴いてたいの!)
(アンコール!アンコール!………)
そう、真理愛の演奏に聴き惚れた無数の海の水霊達がセドナの周囲に集まって来たのです!
「ア、水霊達がこんなに沢山……!!」
「そんなに漣先輩のフルートって水霊達に好評だったの?」
「あぁ、葵ちゃん達は知らなかったわね。」
リラは友人3名に説明しました。先程磯の岩場で海へ向かって真理愛が父の無事を祈ってフルートを吹いていた事を―――――。
そしてその旋律が海で活動する数多の水霊達に大受けだった事を―――――。
「へぇ、漣先輩のフルートってそんなに凄いんだ……。」
「って言うかお父さんの為にフルート吹いてるなんて私、漣先輩への好感度ドアップだよ。」
「深優はお父さん大好きっ子だもんね。」
真理愛の真実を知り、深優は徐に彼女へと歩み寄って言いました。
「漣先輩、先輩の事名前で呼んで良いですか?私の事も深優で良いですので!」
「先輩、良い機会ですし私達もお互い名前で呼び合いましょうよ。良いでしょう?」
リラからもそう進言され、真理愛は数秒黙っていましたが、直ぐにこれを快諾しました。
「………そうね。お互いもう知らない仲でも遠い関係でも無いしね。良いわよリラ、葵、深優、更紗!」
「有り難うございます!」
そう言って頭を下げるリラ達の姿を見てフッと微笑むと、真理愛は改めてセドナ達の方へと向き直ります。
(お前が何時も遠い海で艦に乗って仕事に明け暮れる父を案じ、その旋律を届けている事はとうに知っている。どうだ?お前が演奏してくれるのなら、私はお前の父へとその想いを旋律と共に届けてやろう。悪い話ではないと思うが?)
「えぇっ!?」
話の流れからこの展開は予想していましたが、まさか父に自分の想いをセドナが届けてくれると言う取引を持ち掛けられた事は真理愛にとって驚くべき事柄でした。
然し、これは彼女にとっても願っても無い事です。答えは真理愛の中で一瞬で出ていました。
「………分かりました。それが出来るって言うなら私、演奏します!」
セドナからの申し出を快諾した真理愛は、潤に頼んで再度ステラとシュトラーセをフルートに宿すと、改めて蒼い波紋を描くリップルメロディーを奏でました。
美しい旋律を聴きながら、セドナは身体を瑠璃紺に光らせます。
一方、海上自衛隊の護衛艦いずもでは―――――。
「この音は―――――!?」
仕事の合間に食堂でカレーを食べていた真理愛の父の脳内に、彼女のフルートの音色が突如として流れ込んで来ます。
『お父さん、何時も私達の為に頑張ってくれて有難う―――――。また元気で私達の所へ戻って来て下さい――――――!!』
真理愛の心の声がフルートの旋律と共に脳内に響き、気が付いたら真理愛の父の目には涙が浮かんでいました。
(真理愛、お前は――――――――――――)
潤の魂の水霊とも言うべきステラと、自身の魂の水霊足るシュトラーセを宿した真理愛のフルートの音色は、セドナを筆頭とした海の水霊達が見守る中、瑠璃より蒼く輝く蒼國の海原に何時までも響くのでした―――――。
キャラクターファイル22
濱渦水夏
年齢 16歳
誕生日 4月26日
身長 171㎝
血液型 O型
種族 人間
趣味 水生生物の飼育と観察&新種探し
好きな物 変わった魚
カチューシャを付けた紅茶色のセミロングの髪に、緑の瞳が特徴で良く手を後ろ手に組む。
大人しい性格だが非常に芯が有り、いざと言う時には大胆なまでの行動力を発揮する。両親が蒼國水族館のオーナーとドルフィントレーナーの為、自身も将来海洋生物に携わる仕事がしたいと思っている様だ。
瑠々とは幼馴染みの関係で、同じく幼馴染み繋がりの深優と葵の2人とも良い話し相手になっている。クラスは瑠々と同じで2年5組。ともすれば暴走しがちな彼女の手綱を握れる唯一の人物で、瑠々のボケに辛辣な突っ込みを入れるのは様式美。忍同様、嬉しい時には無自覚に胸を揺らす癖が有る。
平泳ぎと背泳ぎが得意で、レインと言う名のウナギ型の水霊を内に宿す。
深優と同じで何事も無難にこなす天才肌と思われるが、実際は途轍も無い努力で己を磨き上げて来た類稀な努力家であり、母を始めとした古今東西の尊敬する偉人の言葉を引き合いに出す等の有学振りを見せ付ける。
将来、未だ誰も知らない新種の魚や水生生物を発見したいとも思っている。




