第1話 流れ始める水の時間
此処から本編に突入します!
青く流れる東の水の街―――蒼國市。張り巡らされた河川で周囲を囲まれ、それによって分断された陸地と陸地の間を多くの橋が繋いでいます。歩行者用の橋は勿論、電車が走る鉄橋も其処には含まれていました。
川の上には電車と並ぶ交通手段としての渡り船が何本も航行し、夏等のイベントシーズンには当然ながら屋形船も多く海や河口に出ます。
人々はそれ等の交通手段を空気の様な当たり前の存在として利用し、休日は川辺も多くのレジャー客で賑わう……。まさに水と共に生きる者達の楽園と言えましょう。
この水の都に建つ学園『私立霧船女子学園』の校門を、1人の少女が通過しました。
とても澄んだ藍色の瞳を持つ少女…、名を『汐月リラ』。学校指定の制服に袖を通し、今日は入学式です。
『新入生、入場!』
学園の教師のアナウンスと共に、霧船の制服に身を包んだ1年生達が大掛かりな列を組み、紅と白で彩られた体育館の会場へと入って来ました。まるで大きな湖沼に川の水が流れ込むかの様に……。
因みにリラの教室は1年2組です。
(此処から始まるのね―――私の新しい生活が。)
めくるめく高校生活の幕開け――――それは少女にとっては未知なる新世界への処女航海。
新入生代表の答辞が終わるまでの間、リラはずっとその藍色の瞳を希望に輝かせていました。
嘗ていじめに遭い、自殺を考える程に追い詰められていた少女が、その眼差しを取り戻すのにどれだけ過酷な道程を経た事か……。
水の力を以ていじめっ子達の心の穢れを洗い、その原因を清め、その魂と肉体を有るべき姿へとリセットする……。
ご存知でしょうか?人間の身体の過半数――――数字にして凡そ60~70%は水で出来ています。丁度地球に於ける海の面積とほぼ同じなのです。
それは見方を変えれば『人間とは1人1人が皆、人の形をした地球である』と言えるのでは無いでしょうか!?
「心と身体は密接な繋がりを持つ」と言いますが、生き物の身体を形作る水とそれを司る水霊を浄化する事は、その水の上に成り立つ肉体を持つ人間の心を救う事にも繋がるのです。
一朝一夕では決して成し得ぬ業の完遂に奔走し、自分のみならず他者の水を清め救う。
そんな決して語られる事の無い、密やかなる戦いの日々を乗り越えた水霊士の少女は今、弱者としての自分と言う冷たい深海より解き放たれ、温かな光の差すコバルトブルーの水面へとイルカの如く飛翔しようとしているのです!
少女の新たなる生活に幸多からん事を…………と締め括りたい所ですが、遺憾な事に現実はそれを許してはくれませんでした。
(新生活の場がこの水の街とは何と言う運命の巡り合わせでしょう)
リラにアクアリウムの能力と、水霊士としての運命を与えし水霊―――――テミス。
入学式の会場の体育館の傍を泳ぎ、通りすがった彼女が窓から様子を眺めると、其処に居る新入生、在校生、教師陣問わず黒くくすんだ水煙が多かれ少なかれ揚がっているのが見えました。
そう―――――これが『穢れ』です。不摂生やストレス、欲求不満や憎悪、怨嗟等、人の心身を損なう因子がその身に蓄積する事で生まれる水の汚れを、この街の住人達も少なからず抱えている様でした……。
やがて式が終わり、教室に戻ったリラにテミスが語り掛けます。
(リラ、聞こえるかしら?)
(…テミス!?テミスなの?)
(久し振りね。だけど直ぐに私は行かなきゃならないから手短に言います。良い、リラ?貴女の通うその学園にも穢れが多く漂っているわ。)
「えっ!?」
思わず立ち上がるリラ。担任の先生が話している最中だった事も有り、当然クラス中から奇異の目で注目されます。
「どうした汐月?いきなり立ち上がって…」
「あ、いや、ごめんなさい…何でも無いです……」
リラはそう委縮しながら腰を降ろしました。校庭に張り巡らされた水路からは、尚も変わる事無く水が滔々と流れせせらいでいます。
先生が話をしている間、リラはテミスから聞かされました。
この霧船学園にも嘗て自分の居た中学と同じ様に穢れが満ちている事を。それはつまり、多くの人間が穢れをその身に抱え過ぎ、その内に宿せし水霊では最早対処不能に陥っていると言う事でした。
更にテミスの情報によると、この蒼國の街中も同じ様に穢れが充満しているとの事です。
(本当なの、テミス?まさかこの街も…。)
(リラ、私の言っている事が嘘だと思うなら、アクアリウムを発動させてみなさい。)
テミスに促され、アクアリウムの力を促すと、リラの視界に飛び込んで来たのは黒くくすんだ水煙を挙げる生徒の姿と、それを避けて泳ぐ水霊達の姿でした。更にその生徒1人1人に宿る水霊も、さも苦しそうに彼女達の身体の中で暴れ狂っています。
それも1人や2人では無く3人、4人、5人………教室だけでも10人近くいるのです。更に窓の外から遠くを眺めると、遠目からも黒い霧か靄の様な物が濛々と天高く昇り、まるで昭和に於ける工場地帯の大気汚染の様な光景が広がっていたのでした。
穢れの水煙は住宅街以上にビル群の辺りから多く出ている様です。
余りに見ていて痛々しい光景に思わず能力を解除すると、リラの目に飛び込んで来るのは元の澄んだ青空でした。
全く…、穢れを抱えた人間と言うのは何処にでも大多数存在する様です。もしかしたら悪人よりも遥かに……。
HRの終了と共に校庭を出るとリラは1人、街に流れる川のせせらぎを聞きながら家路に就きました。暮らしているアパートの近くの水路を泳ぐ鯉や鮒、鯰等の魚達を横目に見ながら、リラは空を見上げて再びアクアリウムの能力を発動させます。
尚も空高く立ち昇る穢れの水煙……。けれど、それでもその穢れを浄化せんと天空を泳ぎ駆ける水霊の群れ。そしてそれを率いる一際大きな水霊―――――――それはテミス以外の上級水霊です。
「汚れた水って、人間が居る所じゃ何処行ったってあるのね……。」
誰に言うでも無くそう呟くと、リラはあの後テミスが去り際に遺した言葉を反芻しました。
(忘れないでリラ、水は只流れ、器に従って形を変え、飲み込みたくない物や沈めたくない物、押し流したくない物までそうしてしまう。そして穢れが内に流れ込めば、抵抗出来ずにそれに染まるしか無い。私達水霊は確かに下級から上級まで居るけれど、その性質に従って動くしか出来ないの。そんな私達の力を最大限に引き出し、より良い方向へと向けられるのは水を対話出来る水霊士だけ。この街の水を癒す。それが今の貴女の使命よ、リラ―――――!!)
「……………。」
深く深呼吸すると、リラは周囲を泳ぐ水霊達に語り掛けます。
「この街に流れる水霊の皆、私は水霊士の汐月リラ。街の皆の水の汚れを浄化する貴女達の力になりたいの。どうか私を受け入れて頂戴!」
すると紅、青、白、黒、マゼンタ、黄色、エメラルドグリーン……様々な色と魚のフォルムをした水霊達がリラの元に集まって来ます。
その遠くでは、あのコバルトブルーの水霊―――テミスも見守っていました。
澄み渡る藍色の瞳で色も形も多種多様な彼女達の姿を一通り見回すと、リラはフッと微笑みます。
そんな彼女の内側から現れたのは、青白い輝きを放つグッピーの姿をした、彼女と同じ位の大きさの水霊でした―――――。
キャラクターファイル2
テミス
年齢 無し
誕生日 無し
血液型 無し
種族 水霊
趣味 無し
好きな物 澄んだ水
リラにアクアリウムの能力を与えた水霊。計算高い所が有るが基本的には温厚で母性有る人格。シクリッドとグラミーを足して2で割った外見をしており、コバルトブルーのカラーリングが大変美しい。人間態はリラと同じ位の少女。
水霊とはこの地球を廻る水の化身であり、全員が様々な魚の姿をしており性別も女性である。
そして固体、液体、気体、問わず周囲に存在する水其の物なので水在る場所には何処にでも現れるが、当然人間を始め、身体が水で出来た全生物の中にも存在している。
だが、ストレスや不摂生等、心身に負荷が掛かる荒んだ生活を送っていると水霊は濁り穢れてしまう。それは宿主である人間の精神を苛めっ子や引き籠り、暴力魔等の悪しき人格へと変貌させ、最悪病人になって死に至る等の悪影響を及ぼす事となる。
水霊はそんな穢れを浄化出来る存在だが、如何に力が有ろうとそれ単体では自身の浄化能力を活かし切れない為、自らの力を最大に引き出す水霊士は彼女達にとって貴重な存在なのだ。