俺たちの敵
俺たちを苦しめているのは、地震でも放射能でもない。
お前ら人間だ。
地面がひっくり返った。椅子や机が悲鳴を上げて、先生とクラスメイトたちが床に倒れる。俺も同じようにした。そこからはほとんど覚えていない。ただ先生たちに言われるがまま、右も左も分からないうちに山の上に逃げた。おびえる俺の手を永友が掴んでくれている感触だけが頼りだった。
避難している先にはどんどん人が集まってきた。誰かが「津波だ!」と叫んだ。見ると、町が海に飲まれていっていた。
気づけば走り出していた。山を下りようとして、大人たちに止められた。家族はここに逃げてくるはずだから、ここで探せって。走り回った。苦しくて苦しくて、悲鳴と泣き声の間を潜り抜ける。
どれぐらい走っただろう。何十分だったか、もしかしたら数分だったかもしれない。ようやく父さんを見つけた。でも、母さんはいなかった。二人で身を寄せ合って、母さんの無事を祈った。父さんの体は冷たくて、寒かった。俺は泣きそうになるのを必死にこらえた。
でも、もっと冷たくなった母さんを見たときは限界だった。低学年の子供みたいに大声で泣いた。ボランティア活動で居なかった父さんの代わりについてきてくれた永友は、ずっと俺の背中をさすってくれていた。
大きな音が鳴った。重い体を起こして、目覚まし時計を止める。今日も高校に行かないといけない。でも今日はテスト返却の短縮授業だけだから、気軽なものだ。それに、今日で最後じゃないか。これで三週間は行かなくてよくなるんだから。そう言い聞かせて、穴の空いたシャツとトランクス姿のまま台所に立つ。冷蔵庫から、水に浸したもやしを取り出して、軽く煮込む。半分は俺の皿に、もう半分は別の皿に盛り付けて冷蔵庫に戻した。夜勤明けで帰ってきた、父さんの分だ。
塩を振りかけてテレビをつける。本当は見たくもない。特にこの時期は。けれど、来年のことを考えたらそうは言っていられない。センター試験にはこの手の問題が出されるからだ。
テレビには俺の故郷が映し出されていた。大げさな表情をしたアナウンサーが「福島県の現在は……」と解説している。いや、解説っていう体の悪口だ。
そんなに弱いものを、でっぱりのあるものをつつくのが楽しいのか。いや、楽しいだろうな。罵るだけで金が手に入るんだから。年収一千万円になるんだから。手元のもやしを口に入れる。お情け程度の薄い塩味をかみしめた。
一分でお粗末な食事を終えて洗い物にかかる。すぐに消したかったが、別のニュースをやるかもしれないと考えてつけっぱなしにした。だが、着替えている間も、軽く掃除機をかけている間も、父さんの布団を敷いている間も、テレビは馬鹿の一つ覚えみたいに「福島の原発が~」「福島の放射能が~」と口にしている。連呼するだけならオウムにでもできる。結局、テレビを消すまでそれ以外の言葉が出ることはなかった。
家を出るとき、郵便受けに紙が一枚入っていることに気づいた。内容を見て、それを鞄にしまった。朝から嫌な気分だ。
高校に向かう間も俺の気分は晴れなかった。いや、これから起こることを考えたら、明るい気分になんてなれやしない。行きたくもない高校に行くのだから当然だ。でも、父さんのことを考えたら休むとか言えない。
不満はやっぱりテレビやマスコミへの怒りに変わった。でも当然だ。あいつらが全部壊しているんだから。
俺たちの生活を奪ったのは確かにあの地震と原発かもしれない。だが、さらに悪化させているのはマスコミだ。
ある政党の代表なんかは「放射能は一ミリシーベルト以下でないと危険」と言って、マスコミは大きく騒いだ。そんなわけあるか。放射能なんていっつも俺たちの頭上から降り注いでるんだ。太陽光の紫外線。これだって立派な放射能だ。海外の高名な学者は福島は安全。とまで言ってる。なのにそれを一切報道しない。ただただ、危険危険、怖い怖いと報道するだけだ。
そのせいで、俺たちはどんな目に合ってると思っているんだ。
黄色い青春の声が満ちる中、俺は朝礼の時間直前に教室へと入る。いつも通りの光景がそこにあった。仲間同士でおしゃべりしてるやつら、マンガで騒いでるやつら、スマホをいじってるやつら、そして隣でひっくり返っている俺の机。直そうとすると、また蹴りが飛んできた。見上げるといつもの三人がそこにいた。
「学校に来てんじゃねえよばい菌!」
ボールを相手にするかのような蹴りが飛んできた。とっさに体を丸める。体の大きいこいつらは何か汚い言葉を高らかに叫びながら俺の背中やおしりを蹴り続けた。
最初は抵抗もした。でも、そうすればあいつらは椅子やらで殴りつけてくる。こっちも持てばいい話なんだけれど、向こうは三人だ。結局かなうわけがない。味方のいない俺には、暴力に耐えるしか道がない。
話し合いや理解で解決できると思っていた時期もあった。放射能なんて嘘だと何度も言った。放射能が本当に危険領域なら、福島の人たちは皆死んでる。彼らは福島産のものを食べているんだから。少し考えたら分かることだ。
避難警報が解除されてない?議員たちが責任取るのを嫌がって押し付けあっているから、進んでないだけだ。
何度も何度も言ってきた。だけど「テレビが言ってるんだから間違いない!」と切り捨てられるだけだった。こいつらにとっては真実なんてどうでもいい。虐める口実が欲しいだけなんだから。話し合いで解決できる? 嘘だ。話を聞かない相手には、何を言っても無駄だ。暴力には暴力で、数には数で対抗するしかないんだ。
「伊藤先生が来たぞ!」クラスの誰かが叫んだ。もちろん俺を助けるためのものではなく、三人を逃がすためのものだ。途端に三人は素早く自分の席に戻った。起き上がりたかったが、背中が痛くて動けない。
ドアが開いて「規律」と日直が声を上げた。無言だ。誰も何も言わない。生徒が一人転がっているのに、誰も何も言わない。先生もだ。礼が終わって皆が着席する。先生の第一声は「出席を取るぞ」だった。俺の名前は呼ばれなかった。なんとか席について年配の男性教員を睨み付けた。だが、こちらを見ることはなかった。
休み時間は地獄だ。三人が絡んでくるのは分かっているからだ。俺の居場所はトイレの個室だ。汚いけれど、あいつらもあまり寄り付かない。汚物のくせに。
チャイムと同時に教室を出ると、廊下の掲示板に何か張り出されてることに気づいた。原発が、福島が……という文字が見えた。あの震災を、悲劇を忘れないで……とも書いていたが、偽善だ。
この学校の教員たちは「教育者として何かしてるふりをしておかないと」ぐらいにしか思っていない。これは震災を哀れんだものじゃない。いざ虐めが発覚したときにマスコミに攻撃されないようにするためのものだ。「こういう対応していました」と言い訳するためのものだ。そうでなかったら、俺の状態をほっとくわけがない。
個室について鍵を閉めた。相変わらず汚いが、学校で唯一ほっとできる場所だ。こういう時はスマホでも取り出すんだろうけれど、そんな高級品は持ってない。代わりに単語帳を取り出した。来年は大学受験だ。やることがないのなら、少しでも勉強しておきたい。夕方からは父さんと同じコンビニでアルバイトをしなくちゃならないんだから。
単語帳はチラシの裏紙を使っているから、しなって使いにくい。それでも、俺にはこれしかない。赤本も買えない俺には、こうするしかない。
その単語帳が水浸しになった。上から降ってきた水に濡れたのだ。外からは水を放出する音と、あの三人の笑い声が聞こえた。ホースで水を撒いているらしい。雨よりも農密な水の束が俺に降りかかってくる。単語帳をかばうように体を丸め込む。「糞は流さないとな!」「放射能も!」とかいう声が聞こえてきた。 飽きない悪口と放水はチャイムが鳴るまで続いた。水もあいつらの気配がなくなっても俺は動けなかった。ゆっくりと単語帳を取り出す。文字がぐちゃぐちゃで、何も読めなくなっていた。
誰もいないことを確認すると、服を脱いで絞った。パンツもだ。こんなところ見られたら「トイレでフリチンになったやつ」と言いふらされるだろう。でも良い。現状以下になることはないのだから。一通り絞っても、水気が全部とれるわけがない。幾分かはマシになった制服を着て、廊下に出る。授業が始まって、もう半分ぐらい過ぎていた。少しでも授業を受けようと、教室に向かう。さっきの張り紙に目が行った。そこには俺の名前が書かれていた。汚い言葉がマジックで落書きされている。なんで俺ばっかり……。
そこに先生が来た。担任の伊藤だ。廊下でびしょ濡れっていう異常な俺に見向きもせずに、張り紙を回収した。何をするのか見当がついた。シュレッダーにかけるんだ。いじめがあったという証拠を隠滅するためだ。伊藤はびしょ濡れの俺には声一つかけることなく、職員室へと入っていった。シュレッダーがある職員室に。
長い一日が終わった。
帰りにまたあの三人に殴られて、帰宅した。
そんなことは忘れて、気持ちを切り替えることにした。早くこの制服を乾かそう。古いけれどアイロンぐらいは家にもある。今日のバイトは休みだ。明日のために早く家を出ないといけないけれど、多少の時間ならある。
玄関のドアを開けると父さんの背中が見えた。できる限り明るい声で「ただいま父さん」と言った。せめて雰囲気ぐらいは明るくしたいから。
でも、父さんはこちらを見ただけで何も言ってくれなかった。くたびれた顔を俺に向けるだけだ。
「体調でも悪い?」
「いや……」
そう言われても顔色が悪い。再度尋ねようとして、あるものが目に留まった。父さんの手に何か紙切れがある。見慣れた奴だ。恐る恐ると覗き込むと、解雇通知と書かれていた。
「なんで……?」
「俺だけじゃない。お前もだ」
あの三人に殴られたときとは比べ物にならない衝撃が俺を襲った。
「……なんで?」
尋ねたが予想はついてた。いつもの理由だろう。そして、やっぱりそうだった。
「俺とお前が福島県からの避難民だと、お客さんに広まったらしい。寄り付かなくなるからやめろってことだった。不当解雇だから金は出すってな」
そんなもの、雀の涙みたいな金額だ。とてもやっていけない。
「またバイト探しだな……」
力なく笑って言う。50近い父に新たなバイト先なんてあるのだろうか。使えなくなった単語帳を思い出して、俺は意を決して口にした。
「父さん。俺、やっぱり受験やめて就職……」
「やめろ」
一蹴された。
「福島出身というだけでどこも雇ってくれない。良い大学に入って、力と履歴をつけろ。有名大学でなくとも、高卒と大卒じゃ待遇が違う」
「でも……」
「大丈夫だ。俺は父親なんだ、なんとかするさ。それより、お前なんでびしょ濡れ……」
「それこそどうでもいいだろ」
「……そうか」
何があったのか予想がついたみたいで、父さんは何も言わなかった。その方が俺も助かる。これから三週間は、あいつらの顔を見ずに済むのだ。忘れたい。
「アイロンがけは俺がしておく。お前は支度しろ。明日は……な?」
父さんの言うとおりにすることにした。アイロンがけをする父の隣で、俺は鞄の中を覗き込んだ。今朝のあの紙がそこにある。これだけは父さんには見せられない。大家からの立ち退き願いが書かれた紙。理由はコンビニと一緒だ。
翌日、俺たちは故郷に来ていた。今日はあの日だ。東日本が揺れたあの日。幸いにも今年は土曜日だ。県外に移り住んだクラスメイト達も大勢来るだろう。もしかしたら、永友とも会えるかもしれない。
最後にあったのは二年前のこの日だ。互いに避難先で苦しい生活をしているから、連絡はできなかったけれど、高校受験の成功を報告しあって、楽しい時間を過ごした。たぶん、ああいう奴を親友っていうんだろう。あいつならきっと来る。
町はあまり変わっていなかった。と言っても二年前と比べてだけれど。避難勧告は解除されて、人が戻ってきている……って聞いてたけれど、小学五年生だった俺の記憶に比べたら、だいぶ寂しかった。
慰霊会場に行って、俺は拳を握りそうになった。またあいつらがいる。マスコミだ。会場の前に車を止めて、いろんな器具を道に置いて占領している。会場に入る俺たち側からしたら邪魔で仕方ないのだが、そんなのお構いなしだ。喪服に身を包んだ他の人たちも、睨むような目を送って通り過ぎていく。俺も同じようにしながら父さんと一緒に中に入った。そして忘れることにした。クラスの誰かが来ているかもしれない。
仲間はすぐに見つかった。やっぱり土曜日だからか、たくさんのクラスメイトがそこにいた。手を挙げて近づくと、皆手を振って俺の名前を呼んでくれた。「久しぶり」「元気してた?」と声をかけてくれる。涙が出そうになったけれど、なんとか我慢できた。
にぎやかな時間はあっという間で、すぐに慰霊の時間になった。俺も皆も、静かに黙とうをささげる。母さんのことを考えていたとき、ふと気配を感じた。誰かが歩いている。マスコミだった。腕にテレビ局の腕章がある。あるお婆ちゃんの顔にカメラをぐっと近づけている。よく見ると、お婆ちゃんは泣いていた。旦那さんかお孫さんを亡くされて、思い出しているのだろうか。それとも……俺と同じで悔しいのだろうか。
お婆ちゃんには悪いけれど、黙とうに戻った。カメラ持ってるやつに怒鳴りつけたい気持ちを抑えながら。
父さんともう一度分かれて、クラスメイトのところに戻った。辛い気持ち、悲しい気持ちはあるけれど、皆切り替えたいみたいで、おしゃべりに夢中になった。俺も久しぶりだった。普通の会話を楽しむなんて。
「そういえば……」と俺は切り出した。いくら待っても来ない。だから訊いてみることにした。ダメもとで。
「永友は来てないんだな?」
空気が凍った。いや、湿っぽくなった。皆が俺を見ている。「え?え?」と俺は皆の顔を見渡す。
「あ……そっか。うん、連絡行ってなかったんだね?」
女の子の一人がつぶやいた。暗い空気に俺の本能が悲鳴を上げた。
「あのね……。よく聞いてね。永友くんね……」
「まさか」という言葉が脳裏をよぎる。耳をふさぎたくなった。でも、体は動いてくれなかった。
「自殺したの」
皆は気遣うように話してくれた。永友が虐めにあっていたこと。福島県出身だとか、放射能とか、ばい菌と言われたいたこととか。全部、永友の親から聞いた話なのだろうけれど。
説明してくれているうちに、クラスメイトの一人が泣き出した。「なんで永友くんが……」と。俺も同じだ。なんであんないい奴が。
涙っていうのは広がっていく。一人、また一人と泣き出して、皆で泣いた。俺だけが泣けなかった。なんで永友がという気持ちが強かったのかもしれない。
「すいませ~ん」
そこに場違いな声がかかった。振り返ると、カメラがあった。マイクを持った女までいる。
「皆さん悲しそうですね。何があったのか、詳しく聞かせてもらえませんか?」
何があっただって……?
俺の目は女からカメラへ。そしてその後ろへと移った。腕組組んだ偉そうな男がいた。そいつは隣にいるまた偉そうなやつと何か話している。たぶん、監督とかいう奴だ。そいつらは俺たちを指さしてにこやかに話している。
全部理解した。俺たちが絵になると思って近寄ってきたんだ。高校生たちが集まって泣いてりゃ、そりゃ絵になる。
監督の腕に目が留まった。高そうな時計をつけている。腹には贅肉をぶら下げて、笑い声に合わせて揺れている。
こいつらが……こいつらがこいつらが……こいつらが!!
女に手を伸ばした。高そうな化粧で覆われた顔が歪んで、綺麗にマニュケアが塗られた指からマイクを取り上げる。そして、たじろぐカメラマンに構わず、俺はカメラに向かって叫んだ。
「お前らだろうが! 俺たちを苦しめてるのは、お前らだろうが!」
会場全体に声が響いた。皆が驚いて俺を見ていた。構わなかった。叫ばずにはいられなかった。
「俺たちを苦しめてるのはな、お前らだ! マスコミのお前たちだ!」
監督が何か叫んだ。男のスタッフたちが駆け付けて、俺を取り押さえようとしてくる。マイクはあっという間に取り上げられた。それでも俺は叫ぶのをやめない。誰かが俺の髪を引っ張ったり、背中を蹴ったりした。それでも俺は叫ぶ。
俺たちを苦しめているのは、地震でも放射能でもない。
お前ら人間だ。
マスコミについては他にも色々と書きたかったのですが、今回は虐めと風評被害について描きたかったたため、削除しました。
マスゴミで検索してください。日本のメディアがいかに狂っているのかがご理解いただけると思います。




