病んでる彼女のお気に入り
病んでる彼女のお気に入り
僕は生き物じゃない。無機質なマグカップ。真ん中にウサギの絵が書いてある。毎日彼女の飲み物を入れて、口に運ばれるまでこぼさず保つのが僕の役割。彼女は僕を至極気に入ってくれていて、少しの汚れも逃さず綺麗に洗ってくれる。そのおかげで他のマグカップ達よりも一段と光っている気がする。僕はそれが誇らしい。もう1つ同じくらいに光っている奴がいる。そいつは彼女の物ではなく、彼の物。僕等2つ以外は彼女と彼以外の人間が使う。その人間たちが来ると、彼女等は丁寧な敬語を使い、いつもよりも香り良い紅茶が注がれる。ここへ来たばかりの時は来客用のティーカップ達に嫉妬していた。綺麗な花が描かれていて、形も僕よりお洒落。勝っていた部分といえば、容量が大きい所くらいだった。それでも、偶にしか使われないティーカップより、僕の方が彼女は気に入ってくれていたと思う。そう、僕が1番だ。彼女の中では僕が1番なんだ。
僕が彼女の物としての生活が始まって2週間くらい経った頃だろうか。何の予兆もなく訪れた僕の終わり。僕は壊れた。粉々に砕け散った。僕は液体をこぼさず保つことができなくない、破片と化した。短かった。彼女は僕を落としたんじゃない。僕を床に叩きつけて割った。どうしたんだろう。まだ中にコーヒーが入っていたから、絨毯が茶色に汚れてしまった。そんな事もどうでも良くなるくらい僕を割りたかったの?僕は本当は嫌われていたのかな。それとも、僕は1番、どうでも良かった?もしかして、僕は1番じゃなかったの?やっぱりお洒落な絵柄のティーカップの方が良かった?
僕はなんて惨めなんだ。1人で粋がってただけじゃないか。僕は彼女の何だったんだろう。あ、そうか。ただのマグカップか。他のマグカップと同じマグカップ。普通のウサギが書かれた普通の大きさの普通の色の普通のマグカップ。何の変哲も無く、特徴も無く、大量生産された内の1つ。
思い出すなぁ。彼女と初めて出会った時、僕がまだ僕に似た否同じ僕等と商品棚に沢山並べられていた時。「かわいい!これにする!」って真っ先に僕を手に取ってくれて、正に天に昇る気持ちだった。嬉しかったなぁ。有象無象の物が大量に並ぶ中で僕が選ばれて、僕は特別なんだって思えた。この家に来てからも、毎日僕を使ってくれて、オンリーワンとナンバーワン、両方手に入れた。いや、ただその気になってただけだったんだ。ははは。できれば知りたくなかった。勘違いしたままでいたかった。これは何なんだろう。僕はただのマグカップなのに、苦しいよ。もう砕けているのに、張り裂けそうだよ。分からない、嫌だ。嫌だ。認めたくない。受け入れたくない。僕の事どうでも良いなんて言わないで。特別でしょう?僕しかいないでしょう?唯一無二でしょう?ねぇ、そうでしょう?
と、僕の尖った所で彼女の指先を切ってしまった。僕はハッとした。彼女を傷付けてしまった。もう駄目なんだ。彼女とはお別れだ。今までの日々には戻れない。彼女のコップ、という存在にさえもう戻れないんだ。欲だらけで、ただ他を傷つける事しかできない自分には…もう…役割なんて無い。そしたら彼女は言ったんだ。
──ごめんね。
その一言にまた僕は舞い上がった。僕は君に大切にされていたんだね。こちらこそ、疑ってごめんね。いつも綺麗に使ってくれてありがとう。さようなら。
彼女はとても丁寧に僕を1つ1つ集めて、白い紙に纏めて包んでくれた。