第九八話 「揺籠軍師」
三人のメイドが古代遺跡の空を行く。
一人は片方を十字架の翼で、一人は自前の翼で、もう一人は翼を持たずにぶら下がって飛んでいる。
水浸しの廃墟を飛ぶ彼女らの一人が、血相を変えて、今すぐ止まるように呼びかけた。
「どうしたの、レージュ?」
「静かに。……あの音楽が聞こえる」
「音楽?」
ペタルもセルヴァも聞こえていないようだが、レージュの耳にははっきりと届いていた。
夢で彼女が歌っていたあの曲が、半分の天使が聞こえたのだ。
「……こっちからだ」
純白と十字架の翼を大きく羽ばたかせ、凄まじい速さでレージュはどこかへ飛んでいってしまう。
「レージュ、どこに行くの!?」
「追いかけますよー、しっかり掴まっててくださいねー」
ペタルの手に力がこもったのを確認すると、セルヴァも勢いよく蒼天を追いかけていく。
先を飛ぶレージュの視界からはすでに先ほどまでの退廃都市の世界は消え、目の前にはトゲトゲした金属質の平原が広がり、向こうには王城よりも巨大な建物が一つだけ建っていた。
「あそこだ。あそこから聞こえる」
その巨大な直方体の建物は、全面がガラスで覆われ、中には白い廊下や扉が見える。
「ここは、まさか……」
レージュが地上に降り立ち近づいてみると、入り口らしき所に石碑があった。石碑にはこう書いてある。
【国立特殊機械研究所】
聞いたこともない場所だ。しかし、どこかで聞いたことのあるような場所だ。
不思議な感覚に困惑するレージュの後ろからペタルとセルヴァがやってきた。
「レージュ、いきなり飛んでいってどうしたの? この建物は何?」
「ごめん。ちょっと気になる音楽が聞こえてきたからね。ここは国立特殊機械研究所って所らしい。そこの石碑に書いてある」
ペタルは石碑を眺めてから首を傾げる。
「へえー……。何それ?」
「さてね。意味はわからないや」
「ふーん。それにしても天使様の文字って変わっているのね。ぜんぜん読めないわ。マルブルの文字もそんなに読めないけど」
ペタルが感心するように言ってからレージュははたと気づく。何故自分はこの文字が読めたのだろうか。こんな文字はアーンゲル大陸のどこにも無い。だが似たような文字は見たことがある。もっとも、その文字は古文書の中だけだったが……。あの時は全く読むことが出来なかったが、今は読めるようになっているのだろうか。これもクレースが増えた影響なのか。
ここで考えていても埒が明かない。今はこの中を調べる方が得策だ。思い立ったレージュは前へ踏み出す。
「入ってみよう」
一歩一歩確かめるようにレージュとペタルは研究所へ足を踏み入れる。
だが、セルヴァだけはその場で立っていた。彼女は自分の右手を耳に当てて小声で何かしゃべっている。
「はいー、ただいまレージュ様が研究所へはいりましたー。いえー、そんなー、ご主人様に褒めていただけるなんてー、セルヴァ感激ですー。はいー、では後ほどー」
☆・☆・☆
レージュたちが建物内に一歩踏み込むと突然女性の声が天上から降ってくる。
「ようこそ、国立特殊機械研究所へ!」
「わぁ!」
その声の大きさにペタルは驚いていたが、レージュは何度も聞いた覚えのある声と同じ声であったことに驚いていた。
「……彼女だ。彼女の声だ」
夢の中で何度も聞いたあの声だ。間違いない。
首をしきりに動かしてどこから彼女が話しかけているのか探したが、彼女の声は天井に取り付けられている小さな黒い箱からでているようだ。
だが、どこか近いところに彼女がいるはずだ。そう思うと、レージュの中でかつてないほど暖かな感情が湧き上がってきた。
「ここでは、皆さんの暮らしに欠かせない特殊機械を研究している。便利で新しい特殊機械を日夜発明、開発しているのだ」
よくよく聞くと、夢の彼女の声と少し違うような気がする。語りかけるような夢の中と違って説明的な口調だからだろうか。
「おっと、あまり前置きが長くなってはいかんな。皆さんに見てもらいたいのは玄関ではなくて研究施設なのだからな」
雑音まみれの機械的な笑い声が響く。
「では早速と言いたいところだが、ここはあくまでも研究施設、好き勝手に歩き回ると危ないし、それなりに広大だ。そこで、案内用特殊機械を用意させていただいた。紹介しよう、ユウト君だ」
彼女に紹介されてレージュたちの前に現れたのは、ピカピカの燕尾服を着た三頭身ぐらいにデフォルメされた少年のようなキャラクターであった。
「皆様、ようこそ、国立特殊機械研究所へ。本日のガイドを努めさせていただきますのは僕、案内用特殊機械のユウトです。どうぞよろしくお願いします」
礼儀正しくお辞儀するユウト君とやらを見ていると、レージュはとても不愉快な顔になる。燕尾服ぐらいしか共通点はないのに、何故かあのコシュマーブルを思い出してしまうのだ。一度そう考えてしまうとなんとなく顔つきも似ているように見えてくる。
レージュはユウトの顔を見ないように目を背けた。
彼女の咳払いが黒い箱から聞こえた。
「ああ、重ねて注意させていただくが、もしも万が一、立ち入り禁止区域などに入ってしまうと、所内の防衛システムが作動してしまう。そうなった場合の命の保証は出来ないのでな。それは入場時に署名してもらった通りだ。だが心配することはない。案内の特殊機械は禁止区域に近付くことはないし、視覚的にも明確に危険な場所だと分かるようにしてあるからな」
小さい声で「あー、こんなもので良いか」とも聞こえた。
「さて、お待たせしてしまったな。これで長々と続いた説明は終わりだ。後はユウト君に任せるとしよう。それでは、ごゆっくりとご覧あれ」
彼女の声が途絶えると、レージュはいつの間にか呼吸が荒くなっていることに気づく。
彼女に会えるのではないかという期待と、初めて来たはずのこの場所を自分は知っているのではないかという既視感と困惑がレージュの中でせめぎ合っていた。
「ねえレージュ、今の話わかった?」
「え? あ、ああ。まあ、だいたいは」
話半分だったが意味は理解できた。
「私はわからなかった。聞いたこともない言葉で、何をしゃべっているのか全然わからなかったわ」
「えっ……。セルヴァは今の話わかった?」
いつの間にか後ろにいたセルヴァにも聞いてみる。
「はいー。わかりますよー」
天使にしかわからない言語なのだろうか。自分では違和感なく聞き取れたが……。
「ねえ、なんて言ってたの?」
「んー」
暮らしに便利な特殊機械を研究していると言っていたが、特殊機械とはおそらく古代遺産の事だ。つまり古代遺産はここで作られた物なのだろう。
「ここは古代遺産を作っている研究施設で、目の前のユウトがあたしたちを案内をしてくれるらしいよ」
「へえー、古代遺産なんて一生に一度見れるかどうかと思っていたのだけれど、意外と多いのね」
「ずいぶん冷静じゃん、ペタル」
「さっきからとんでもないことばっかりで、なんだか慣れちゃったわ」
ユウトの案内の元に研究所を巡っていると、古代に滅んだ超文明の片鱗が幾分か見えてくる。
古代人は、天候や時間すらも自由に操れたり、何万冊もの本を髪の毛一本に集約して自在に引き出せたり、空の果ての果ての果てまで行けたり、どれだけ離れた相手とも会話できたりと、どれもレージュたちにとって、特にペタルにとってはおとぎ話以上の世界だった。
これほどの世界を築いた文明が何故滅びたのか。言い伝えでは古代遺産の暴走と聞いたが、果たして本当にそうなのだろうか。レージュの頭の中に様々な考えが浮かぶが、どれも断言できるものではない。
研究所内を歩けば歩くほど、自分の中に既視感が不気味に降り積もっていくのをレージュは感じる。
過去にここに来たことが……? いや、来たというより、ここに、いたことが? 何千年も前に消滅した古代遺跡に、自分は存在していた? それはありえない。自分が赤ん坊で発見されたのは十三年前、あの雪山のはずだ。なら、この既視感は何なんだ。
そんなことを考えていたレージュの前でペタルが手招いている。
「ねえねえレージュ、これってあなたの頭に乗っているクレースと同じ物じゃない?」
ペタルが指さすショーケースに近づくとまたも彼女の声が響く。
「これが、当研究所の粋を尽くして開発され、もうまもなく完成する、過去現在未来すべての特殊機械を統括する特殊機械、クレースだ」
煌々とライトアップされたケースの中には、自分の頭の上に浮いている物と全く同じサークレットが、頭部だけのマネキンの上に乗って展示されている。そのマネキンの顔が、なんとなく自分と同じ顔に見えた。
「もっとも、ここに展示されているのは樹脂でできた模型だがな。クレースが実用化されれば、今までバラバラだった特殊機械を個々人で一括管理することが出来るようになるのだ。使用方法は頭に被るだけで良い。クレースを被って念じれば、登録してある特殊機械が自動的に働き、使用者の望みを叶えてくれるだろう。もはや指一本動かすことなく生活が出来るのだ。この映像を見てくれ」
レージュたちの前に画面が現れる。ノイズがひどくて見辛いが、デフォルメ化された褐色肌の天使が、天使の輪に見立てたクレースを頭に乗せて様々な機械をコミカルに動かしている映像が流れていた。
「なんだか、レージュみたいだね……」
ペタルのつぶやきなど意に介さず、レージュはその映像を食い入るように見つめている。
「どうだい、まるでおとぎ話の天使みたいで可愛いだろう。本当は空中に浮かせたかったんだが、無駄にコストがかかりすぎるとのことで打ち切られてしまった。まったく、上の連中はロマンが分かっていないから困る。だが、いつかは必ず浮かせてみせるぞ。クレースは私の自慢の子どもみたいなものだからな」
彼女の意気揚々とした声を聞きながらレージュは浮いているクレースを手に持つ。
クレースは、彼女の手で作られたのだ。どれほど愛し、どれほど求めた彼女の一部がここにある。そのことを思うと、今まで以上にクレースが愛おしく感じられる。
西の空で呼んでいたのは彼女だったのだ。
「あれ……?」
ふと、レージュは自分がクレースを抱きしめて涙を流していることに気づく。驚いて目を拭うが、涙は止めどなく流れてくる。そのうちに嗚咽までこみ上げてきた。
「レージュ? どうしたの?」
突然泣き始めたレージュに心配そうな声をかけるペタルをセルヴァが優しく止める。
泣きじゃくるレージュには蒼天の軍師の凛々しい面影などなく、どこにでもいる一人の少女でしかない。溢れる涙を流し、嗚咽を上げ、素直に泣く少女。
「会いたい……会いたいよう……。彼女に……。ナギに会いたい……!」
その声は、母を求める幼子のようだった。




