第九六話 「電車軍師」
夜が押し寄せてきたような闇が去った後、彼女らが目を開けるとまぶしい光が網膜を刺激する。
「うわぁ! わわぁ!」
ペタルが素っ頓狂な声を上げた。その理由はすぐに理解できた。
「ど、どこなのここ! 冷たっ!」
周りを見渡せば、先ほどまでの星空は消え失せ、測ったように均一な直方体の建物に囲まれていた。それらの建物は全て朽ち果て、蔓植物が壁面を覆い、あちこちの窓らしきところからは水が流れ出ている。太陽が無いのに明るい青空は狭く切り取られており、地面には建物から流れ出た水で浅い川を作っていてレージュたちの足を冷やす。
「また凄いところに飛んだね」
「ですねー」
「何で二人はそんなに冷静なの!」
ペタルがバシャバシャと水を踏みながら喚いている。レージュは頭の上のクレースを回すと、辺りを注意深くうかがう。
「古代遺跡ではよくあることだよ。こうやっていきなり場所が変わるんだ。まあ今回はそのまま地上だったことに感謝するんだね。たまに空の上だったり海の底だったりするから。それで死ぬ盗掘者たちは多い」
ペタルの動きが止まる。
「そんな……」
「古代遺跡は宝の山なんかじゃない。宝や伝説を餌に人を引き寄せ、人の生き血を食らう、この世界の不純物だ」
レージュの蒼天の隻眼には確かな決意の色がある。
「あたしたちは翼があるし古代遺産も持っているから大体の状況には対処できる。備えはちゃんとしているんだよ。それでも、死ぬ危険は十分にある。ただの人間が興味本位で立ち入って良い場所じゃないことはわかった?」
うなだれていたペタルが顔を上げると、力強くうなずいた。
「わかったわ。もう二度と古代遺跡には入らない。誓うわ」
「よし、聞き分けのいい子だ」
「あら、子供扱いしないでくれる? あなたと同い年なのよ」
「そうだった」
レージュたちが笑い合うと、ペタルはレージュの瞳の色が蒼天に変わっていることに気づく。
「あれ? レージュの瞳って黒だったような……」
「ああ、青くなっているでしょ。ここは空が青いからね。あたしの目は空の色によって変わるんだ」
「綺麗……」
ため息まで出してペタルはレージュの隻眼をうっとりと眺める。
「天使って皆そうなの?」
と、セルヴァを見るが彼女の瞳は黒いままだ。
「レージュ様が特別なんですよー」
「あたしは特別なんてなりたくないけどね。特別は余計ないざこざを産む」
そのとき、何か大きなものが水に落ちた音が遠くから聞こえた。どこかでこの直方体の建物が倒壊したのだろうか。続いてラッパのような音が高々と長く尾を引いて響く。
「……何の音?」
不安そうに周りを見渡すペタルとは違って、レージュとセルヴァはただ一点だけを見つめて身構える。
「セルヴァ、ペタルを頼んだよ」
「かしこまりましたー」
レージュは、頭の上で光を受けて鈍く輝く天使の輪を一度回した。セルヴァはペタルの後ろへ回り込む。
再び、先ほどの音より短く、より大きなラッパの音が鳴り響くと、彼女らの前から強烈な光が現れる。その光の後ろから、金属の細長い箱が水を切りながらこちらに向かって高速で突っ込んできた。
「キャア!」
ペタルが悲鳴を上げて頭を抱える。巨大な金属の箱は彼女らを轢き殺さんと水しぶきを上げながら迫ってきた。
左右が建物に挟まれたこの地形では通常なら逃げ場がない。だが、レージュたちは通常ではない。翼を持つ彼女らだけにできる逃げ道があるのだ。
車輪の付いたその箱をそれぞれ上に飛んで避け、彼女らは狭い地上から広大な空へと舞い上がる。
「な、な、何あれ!?」
セルヴァに抱えられたペタルは巨大な金属の箱に驚きの声を上げる。
「さあね。金属でできた巨大な荷車かな。中には椅子もあったみたいだし、古の天使の乗り物かもしれない」
「ご明察の通りですレージュ様ー。あれは電車といって人や物を運ぶ昔の乗り物ですー」
「へえ、よく知ってるね」
「ご主人様に教えてもらいましたのでー」
電車は地上を高速で行ったり来たりしている。どうやら空までは飛んでこないようだ。
「このまま飛んでいこうか」
「かしこまりましたー」
「えっ、わっ、すごい! 私、空を飛んでいる!」
今更飛んでいることに気づいたペタルが興奮した声ではしゃぐが、レージュは、いつの間にか二本の黄緑色の線が自分たちの周りを通り過ぎて空へと真っ直ぐに伸びることを不審に思う。
「なんだ、これ」
「レージュ、下!」
ペタルの叫びで下を見ると、先ほどの電車が飛んでいるこちらに向かって突っ込んでくる。どうやら電車は地面ではなく、この二本の線の上を移動するようだ。
「流石は古代遺跡、タダでは通してくれないか」
純白の翼と十字架の翼を羽ばたかせて頭の上のクレースを一回しすると、いつもの不敵な笑みを浮かべてレージュは電車と対峙する。
「行くよ、クレース」
電車は直線的な動きしかしない。重量と速度はかなりのものだが、レージュはすでに目が慣れていた。
頭の上で浮いているクレースをトゲ付きの大きな球体に変化させて高速で回転させ、相手の突進に合わせて思いっきり投げつける。金属と金属がぶつかり合い、巨大なシンバルの中にいるような大音量が空の彼方にまで響く。正面衝突したクレースを分解し、再び天使の輪へ変化させると、先頭の車両がグシャグシャになった電車が落ちていく。地上に落ちた電車は巨大な水しぶきを上げて動かなくなった。
「すごいすごい! やったねレージュ!」
セルヴァに抱えられたペタルが賞賛の声を送っていた。歯を見せて笑ってそれに答えると、レージュはパルファンを一本取り出してクレースで火を付けようとする。
カチリ。
時計の針がちょうど十二時に合ったような音が聞こえたと思うと、レージュのすぐ横に先ほど倒した電車が音もなく現れた。いつの間に動いたのかと考える前に電車の扉が静かに開く。すると、レージュは自分の体がその開いた扉に吸い込まれていくのを感じる。
「吸い込まれ――いや、押し込まれる!?」
周りにはなにもいないのに、何かが猛烈な力で電車の中へと入ろうとしている。まるで見えない人混みがこの中へ乗り込もうとしていてそれに巻き込まれているみたいだ。レージュは、走ることも飛ぶこともできずにあっという間に中へと押し込まれてしまった。
『駆け込み乗車はお止めください。電車、発車します』
独特な抑揚の声が響くと、なんとか外へ出ようとしていたレージュの目の前で扉が閉まる。
「レージュ!」
ペタルが叫ぶが、すでにレージュは電車に閉じこめられ、火の付いていないパルファンが水の中へ沈んでいった。
「クソッ」
閉じこめられたレージュはクレースを巨大な拳に変化させて扉を殴りつけるが、一撃では凹むだけで破壊できなかった。もう一度殴ろうとするが、この部屋のなかにある、白い輪っかを吊っている革のベルトたちが蔓のように伸び、レージュの体に巻き付く。
「離せ!」
レージュはもがくが革のベルトは締め付ける力を強めるだけで解放する気は無いようだ。
「こんなもの!」
クレースを幾多の剣に変化させてベルトを断ち切ろうとするが、レージュの意に反してクレースは元の十字架に戻ってしまった。十字架の翼もだ。
『車内での特殊機械の使用は、他のお客様のご迷惑になりますのでご遠慮ください』
再び独特な抑揚の声が響く。バラバラになった十字架が無残に床に散らばっている。
「そんな……。クレース、動いて!」
だがいくらクレースに呼びかけても反応がない。
そしてクレースが動かなくなってからだんだんとレージュの体から力がぬけていく。瞼も重くなってきた。この感覚はクレースの活動限界と酷似している。まずい。この状況を回復できるセルヴァは外にいる。このままでは……。
その時、部屋の壁や天井に吊ってあった紙が怪しく光り出す。紙に描かれていた人間が這い出て、実体となってレージュの周りに集まってきた。彼らは本やら缶やらよくわからない物を持って、大体が作った笑顔を張り付けている。
外からは、ペタルを背に負ぶったセルヴァが竹箒で内部に進入しようと試みているが、電車から発生した謎の力で遠くの建物まで吹き飛ばされてしまった。
「セルヴァ! ペタル!」
事態は非常にまずい。古代遺産が二人とも使えなくなってしまった。セルヴァたちの生死も気になるが、まずは目の前に迫り来る人間たちをなんとかせねばならない。
さて、どうしたものか……。




