第九三話 「星空軍師」
「いてて……。セルヴァ、大丈夫?」
「はいー、なんとかー」
落ちたときに打ち付けた尻をなでながら周囲を見渡したレージュはニヤリと笑って十字架の眼帯を指で掻く。
「大当たりだね」
彼女たちの周りは一面の星空で、頭上だけでなく左右や地面の下までも延々と星空が広がっている。だが空中にいるわけではない。足の裏には、敷き詰められた砂利のようなものを踏んでいる感触がちゃんとある。地面を踏むと鉄琴を叩いたような音がした。
「ここは、古代遺跡だ」
こんな非現実的な空間は、古代遺跡であるという確たる証拠だ。とするなら、さっき現れた謎の扉が入り口だったのか。
マルブルを飛び出てから誰かに呼ばれるように西の空を飛んでいたレージュとセルヴァだったが、突然空中に現れた妙な扉に吸い込まれて、気がついたらこの星空にいたのだ。
足下をすくうと、小さな星の粒が指の間からさらさらと流れ落ちる。
「それにしても、昔にあれほど追い求めた星が手ですくえるとはね。さて、久しぶりの古代遺跡なんだ。気を引き締めていかないと」
古代遺跡を探索する上で注意する事は山のようにある。中でも厄介なのが古代遺跡内の時間の進み方だ。
この中の一日が外の一日より遅ければさほど問題ないが、早かったりしたらとてもまずいことになる。ここでの一日が外では一ヶ月にも一年にもなるかもしれないからだ。そんな無駄な時間は彼女らにはない。
「早いとこ調べちゃおう。ここの時間の進み方もわからないし」
急ごうとするレージュにセルヴァはいつものようにのんびりとした調子で返す。
「時間でしたらわかりますよー」
セルヴァが腰に付けている懐中時計を開けて中を確認する。
「どうやらこの中の時間は外とほとんど同じみたいですねー」
「ちょ、ちょっと見せて」
レージュがぴょんぴょんと跳ねてセルヴァの手元の懐中時計をのぞき込もうとする。セルヴァが笑顔のまま懐中時計をレージュに渡すと、彼女は様々な針や数値が星座のように輝いている文字盤を食い入るように見つめた。
「……こりゃまた便利な物だね」
十分に眺めたレージュはセルヴァに懐中時計を返す。しかし、なぜかセルヴァは受け取ったまましまおうとしない。
「もうよろしいのですかー?」
「うん、大体の古代遺産は見れば十分理解できるよ。確かにこの中の時間の進みは外とそう変わらないみたいだ」
「そうではなくてー、壊さないのですかー?」
「何を?」
「この古代遺産ですよー。ご主人様からレージュ様は目に入った古代遺産は片っ端から壊して回っていると聞きましたからー」
「あんたのご主人様はあたしをなんだと思っているんだか」
呆れたようにレージュは頭を掻く。その頭の上には、二つに増えたクレースが天使の輪のように浮いていた。
古代遺産を破壊して世界から排除することは昔から、それこそ傭兵団の白き翼にいた頃から言っているが、何故ご主人様はそれを知っているのだろうか。セルヴァには伝えてあるが、彼女の口振りは自分に出会う前からそのことを知っているようだった。
もしかして、ご主人様とやらは自分に近しい位置にいる人物なのではないか。
「レージュ様ー?」
考え込んで足が止まってしまったレージュをセルヴァが呼んだ。その声にレージュはハッと顔を上げる。
「……なんでもない。まあ、その古代遺産も壊すよ。だけど今じゃない。物には順序ってやつがあるからね。例えばそれを今すぐ壊したとしたら、今後の古代遺跡の破壊が少し面倒になる。先に古代遺跡を破壊してから壊した方が効率が良いでしょ」
「なるほどー」
「それにしても、あーあ、服がズタズタだ」
レージュの着ている白いワンピースは無惨に引き裂かれ、セルヴァのメイド服もボロボロになっている。ここに吸い込まれたときにやられたのだろうか。しかし被害は服のみで、肌などに傷はない。もっとも、古傷だらけのこの小麦色の体に今更傷が増えたところで気づかないかもしれないが。幸い、形見の赤いリボンは無事であった。
原因は分からないが破れてしまったものは仕方がない。他に服も持っていないので、乞食のような格好でレージュはそのまま星空を歩き出す。それをセルヴァが見咎めた。
「レージュ様ー」
「何?」
「まさかその格好のまま行くおつもりですかー?」
「そうだけど? 今はこれしか服持ってないし。予備の服とか持ってないし」
「いけませんよー。外を歩くときはきちんと服を着ていかないとー」
「外っていうか星空だけどね。別にあたしとセルヴァしかいないんだからこれで良いよ」
「ダーメーでーすー。替えの服を出すのでこちらに着替えてくださいー」
笑顔のままのセルヴァは破れたロングスカートの中をまさぐる。彼女のスカートの中には何でも入るようで、食料や雑貨や薬草などは全部そこに収納されているのだ。
そしてセルヴァは代わりの服を取り出す。その服を見るとレージュは眉を寄せて露骨に嫌な顔をする。
「……あたしにこれを着ろっての?」
「もちろんですー」
「どうしても?」
「どうしてもですー」
「これしかないの?」
「これしかありませんー」
レージュは十字架の眼帯を指で掻いて重いため息をついた。
☆・☆・☆
☆・☆・☆
星々がたゆたう夜の世界を、太古に滅んだはずの天使が二人、メイド服姿で歩いている。片方は黒い三つ編みに丸縁眼鏡で、もう片方は輝く金髪を流していた。
「相変わらずこの中は不思議な感じだね。なんだか不気味なような、懐かしいような……」
「レージュ様は以前にもここに来たことがあるのですかー?」
「ここじゃないけど別のやつには何度か入っているよ。さ、早いとこ探索してぶっ潰してここから出よう。時間の流れが早くなくても長居は無用だ」
「かしこまりましたー」
レージュとセルヴァは星屑の空間を鉄琴を鳴らす音と共に足早に進んでいく。しかし、レージュの動きはギクシャクしており、たまにけっつまずいたりする。そうなる度に彼女はお決まりの問答を始めた。
「やっぱりこの服装なんとかなんないの? スカートがひらひらしてて邪魔なんだけど、腰も無駄に締め付けてくるし、靴も踵が高くて歩きにくいし、よくこんな服着ていられるね」
「それが正装ですからー。私はなにも不便はありませんがー」
「そりゃセルヴァはいつもの格好だからそうだろうね。あたしの服はまだ直らないの?」
「まだですー」
ボロボロになった服はメイド服の裾にしまい込み、こうすればその内に直っているのだと言っていたが、まだ時間がかかるらしい。
「よくお似合いですよー」
「ああ、そう。そりゃどうも」
なおざりな返事をしてレージュは再び歩き出す。
ふと、デビュ砦で合流した生き残り組が話していたことをレージュは思い出した。解放したカタストロフ軍五百人を古代遺跡で消し去った天使の事だ。その天使とやらは、イデアーかセルヴァであろう。しかしイデアーは片翼だ。飛ぶことはできまい。となれば彼らが話していたのはセルヴァのことであろう。ならば彼女は自由に古代遺跡を出現させることができるのだろうか。
「まさかセルヴァがこの古代遺跡を出したんじゃないよね?」
「私はそんなことできませんー」
私は、か。こいつのご主人様とやらならできるということか? だがそれを聞き出そうとしても彼女は上手いことかわすだろう。無理矢理聞き出す手もなくはないが……。
「ひとつ確認しておきたいんだけど、あたしとご主人様とやらが別々の指示を出したらあんたはどっちに従うの?」
「失礼ながらー、レージュ様はあくまで仮のご主人様でしてー、私のご主人様はご主人様ただお一人なのですー」
「じゃあもしもそのご主人様があたしを殺せと言ってきたらどうする?」
「残念ですがー、ご主人様のご命令は絶対なのでー」
「そう。じゃあ精々ご主人様の気を損ねないようにしようかね」
「そうしていただけると助かりますー」
セルヴァの後ろにいるご主人様の姿は全く見えない。だが食えない相手だと言うのは分かる。会いたいような会いたくないような、なんとも微妙な感じだ。しかし、いずれ必ず会わなければならないならないだろう。
「――止まって」
その短い言葉を言い終える前に、レージュはクレースの一つの輪を、小さな十字架たちが形作る片翼に変化させて周りの星空に気を配る。クレースの数が増えてから、片翼に変化させるだけならいつでも出来るようになったのだ。純白と十字架の一対の翼と天使の輪、まさに人類が想像する天使の姿そのものであった。
レージュたちが歩みを止めると遠くから鉄琴の音が近付いてくる。音の鳴る感覚から考えて一人だろう。だが、音が反響していてどこから来るのかわからない。
「セルヴァは後ろを見てて」
「かしこまりましたー」
セルヴァも竹箒を取り出し、槍のように振り回して構える。
「おーい」
二人の天使が背中合わせで辺りを見回していると、遠くから少女の声が聞こえた。
……古代遺跡に、子供が?




