第七四話 「飛翔軍師」
城の最上階にあたる展望台で、杖を付いたままヴェヒターは眼下の戦場を眺めていた。あちこちから戦闘の音が聞こえる。戦場に長く身を置いていた彼には、音だけでも戦況が分かった。
我軍は、劣勢だ。
兵は次々に倒され、腹心の二人もやられてしまった。城壁上の人形兵とは違い、城門前の麾下の兵は奮闘しているようだが、長くは持たないだろう。
撤退することもできないこの状況を打開する術はただ一つ。
かつてこの青空を飛んでいたあの天使をこの手で屠る。それが、勝利への唯一の道だ。
決意を固めたヴェヒターに、背後の扉の開く音と共に少女の声がかかる。
「チェックメイトだよヴェヒター。大人しく投降して」
「まずは降伏勧告か。あの時と変わらぬな」
ヴェヒターが杖を付いて振り向くと、かつて相まみえた天使の少女の姿があった。以前と違い、片翼と片目を失ってはいるが、あの不敵な表情は変わっていない。
「久しぶりだな死神よ。二度と会いたくはなかったがな」
ヴェヒターもここまでは想定していた。クラーケ将軍が負けることも、蒼天の軍師が自分の所までたどり着くのも想定していた。だが、ここで自分が負けるなどとは考えてもいない。
「私には降伏勧告をしてくれたようだが、彼らにはしてくれないのかね」
ヴェヒターは城壁で燃える火柱をちらりと見やる。
その視線の先を見て片翼の天使は小さくため息をもらした。
「復興に使える人材だからあんまり殺さないように言ってるんだけどね。それに、先にマルブルを焼いたのはそっちでしょ。侵略者のくせに被害者気取りなの?」
「言ってくれるな。私とて、赤い光に頼ってほしくはなかったのだ」
「どうだか」
ヴェヒターは再びレージュの姿を観察する。
以前に出会ったときはまだ両翼があった。
空より戦の状況を見ることができるというのは、呆れるほど有利な条件だ。隠れて兵を動かしてもすぐに見つかるし、陣形を組んでぶつかり合っている時もこちらの脆いところがすぐにバレる。彼女が戦場を飛ぶとき、こちらは常に不利だった。
その彼女をここまで追い込むことができたのは、古代遺産を使いこなす宰相コシュマーブルしかいないだろう。
「羽と目を奪われたというのは本当だったようだな」
「ああ、あんたのとこのクソ野郎のおかげでね」
「ふん。やはり悪趣味な男だ」
吐き捨てるように言うレージュからヴェヒターはヴァンに視線を移す。
「そいつが噂の王太子か。なるほど、危険な目をしている。我らがカタストロフの脅威となる目だ」
「いつの間にやら俺もかなりの有名人になったようだな」
笑い飛ばすヴァンにヴェヒターも冷めた笑みを漏らす。
「だが、それもここまでだ」
ヴェヒターが懐から取り出したものを見て、ヴァンたちは目を見張る。
「まさか!?」
ヴェヒターが十字架の形をした古代遺産を振るうと、ヴァンたちは踏ん張る間も無く塀を越えて空へ落下していく。
風ではない。自分の体が何かに引っ張られた様に、斜め上へと落ちる感覚があった。その感覚が無くなると、今度は本当に重力に引かれて下へと落ちる。
この高さだ。地面にぶつかったら間違いなく死ぬ。しかし、空気以外に触れることのできぬ空中ではどうすることもできない。
「くそっ!」
徐々に加速して落下していく中、ヴァンは空に手を伸ばして思う。
こんなところで、こんなに呆気なく死ぬのか?
冗談じゃない。俺はまだ、何もできちゃいない。国も起こせてないし、国王だという親父にも会ってない。レージュのクレースだってまだまだ触り足りない。
死にたくない。死にたくないが、翼を持たない自分では空の中でどうすることもできない。
せめて、せめてレージュだけは助けたい。俺が下でクッションになればあいつは助かるかもしれない。
レージュは上方にいる。純白の片翼を懸命に動かして何とかバランスを取ろうとしている。流石に昔は空を飛んでいただけのことはある。
だが、やはり片翼では満足に飛ぶことはできず、空より追い出されてしまう。
駄目か。俺がその空いた翼になれればいいのだが、それは無理な話だ。
蒼天が、眩しいな。
そして、ヴァンの全身に衝撃が走った。
☆・☆・☆
何かにぶつかったかのような衝撃に目をつぶったヴァンがおそるおそる目を開けると、自分がまだ生きていることに気づく。それどころか、自分はまだ空中におり、地面に届いてすらいない。
では、自分は空で何に当たったのだろうか。
「まったく、あたしの許可なく勝手に死なないでよね」
羽ばたきの音を聞いたヴァンは、自分がレージュに手を引かれ、ゆっくりと降下していることに気づく。横にはオネットもおり、彼もまたレージュに手を引かれている。しかし、レージュの手はこんなに大きく、こんなに固かっただろうか?
「レージュ、お前、その姿は……」
「にひひ」
ヴァンとオネットがレージュの姿に目を見開く。なんと彼女は彼らを抱えて飛んでいるのだ。
レージュの右翼はいつもの純白の翼なのだが、失ったはずの左翼が生えている。いや、違う。生えているのではない。よく見るとその左翼は小さな十字架が集まってできているではないか。
「まさか、クレースか!」
「正解。最後まで秘密にしておいて皆を驚かせようと思ってたんだけどね。案外早くばれちゃったね」
変化の能力を持つクレースでできた翼は、ただ飛べるようになるだけではない。羽ばたいている今も、レージュの細腕では絶対に支えることはできない二人の男を、翼の根本から伸びる二本の十字架のアームが掴んでいる。
これがクレースの能力『変化』の本来の使い方なのだ。人真似ではなく、レージュ本来のクレースの使い方は、この変幻自在な十字架の翼なのである。
ゆっくりと地面に着地するとレージュは二人をアームから解放した。
「まさか古代遺産を持ってるとはね。情報ではそんなことなかったんだけどな。――とにかく状況が変わった。ヴェヒターはあたしが一人で倒す。オネットはヴァンと一緒に城門近くの自分の部隊に合流して蹴散らして。その後は城郭の解放をよろしく」
オネットはうなずいたが、ヴァンは拒否した。
「しかし相手は古代遺産持ちだぞ。一人で行かせるわけにはいかない」
「だからだよ。古代遺産を持ってるってことは、あたしもクレースで存分に戦えるってわけだ。それなら一人でも大丈夫」
「だがな……」
「ヴァン」
レージュは、蒼天の隻眼でヴァンをしっかりと見つめて言った。
「状況が変わったって言ったでしょ。古代遺産も持たないで古代遺産を相手にするのは無茶だよ。ヴァンがいたらあたしも守るために戦わないといけなくなる。それよりも、ヴァン王太子殿下が救いに来たって町で触れ回った方が場が良くなる。なるべく派手に頼むよ」
「それはそうだが……」
「あたしにはあたしの、ヴァンにはヴァンの戦いがある。最初に出会ったときに言ったよね。分を弁えろって言うんじゃない、自分にできることをすれば良いって」
その言葉を聞いたのはほんの一月ぐらい前のことなのに、とても昔のことのようだ。
レージュと初めて出会った夜、白詰草の群生する地で語り合ったあの夜の事をヴァンは思い出した。
「……そうだったな」
自分にできることをする。レージュは信頼してくれているからこそ、一人で戦うと言っているのだ。俺が、信じてやらなくてどうする。
「殿下、行きましょう」
「わかった。こっちは任せてくれ」
「うん。頼りにしてるよ」
「ああ。勝てよ、レージュ」
「誰に何を言ってるんだか」
抜け落ちた羽の光の粒をまとって天使は勢いよく羽ばたき、再び空へと飛び立つ。
初めて見る天使の飛翔に、ヴァンは思わず深い息を漏らす。数々のお宝や美しい景色を見てきた彼だが、今ほど体が震えたことは無い。
「殿下。さ、お早く」
「お、おう」
呼ぶオネットの目には涙のような雫が光っていた。
「なんだオネット、泣いているのか?」
「殿下こそ、鳥肌が立ってますよ」
悪戯っぽく笑って飛び立ったレージュを見て、オネットは目を潤ませている。天使は新たな翼を得て、再び目の前で飛ぶ姿を見せてくれた。純白の翼と古代遺産の翼、今のレージュは、伝説にある天使を最も美しく顕現させた姿であろう。
蒼天の軍師は、まだ空を失ってはいない!
「よし。俺たちも行くぞ、オネット」
「はっ!」
17/07/14 文章微修正(大筋に変更なし)




