第三三話 「困惑軍師」
デビュ砦は国境付近の砦ゆえに、城内の内装は豪華とはいえないが、それでも城壁の文様と同様に床や壁にはモザイク調の装飾が施されている。机や椅子には特産物である大理石が使用されており、貼ってある布織物もしっかりとした仕事が成されている。もっとも、ほとんどの調度品や装飾品などはカタストロフ軍に売り飛ばされたのか無くなっていた。
頂点より少しだけ西に傾いてきた日差しの差し込むそんな部屋で、青い瞳のレージュは老人と向かい合う。
「なにか妙な爺さんが訪ねてきたそうだな」
奇妙な老人を椅子に座らせて、いざ話そうという時に、噂を聞きつけたヴァンが面白半分にやってきてレージュの隣に腰を下ろす。
「ちょっと、今までどこに行ってたのさ。代理でも仕事はいっぱいあるんだよ。ビブリオも探してたし」
「そうは言ってもな、一人で部屋に籠もって朝から晩まで書類に埋もれながらビブリオから立派な王様になるためのお勉強を受けるのは戦闘よりきついぞ。あんな事してたら息が詰まって死んじまう。後で手伝ってくれよ」
「しょうがないなー」
親しげに話す二人を見て、老人は笑ったように髭を揺らす。
「久しいな若造。こそ泥から随分と偉くなったようじゃの」
その姿と声にヴァンは覚えがある。
どこかであっただろうか。と、記憶の中を漁ってみるとすぐに思い出した。
「もしかして……あの時のじいさんか?」
「えっ、ヴァンも知り合いなの?」
驚愕するレージュにヴァンは簡単に説明する。
☆・☆・☆
今から一年ほど前に、ヴァンの義賊団はとある山中でカタストロフの貴族にちょっかいを出し、報復のための騎士団に追われていた。その逃亡劇の最中に、この老人と出会ったのだという。
「若造、追われているのか」
老人は、彼らの目の前に突然現れ、北東へ逃げてマルブル領の端っこの古城に逃げ込むように指示した。義賊団は奇妙な老人を訝るが、後ろからは彼らを打ち滅ぼさんとする騎兵隊の馬蹄の音が迫ってくる。悠長に悩んでいる時間はなかった。彼らが急いで北東へ進路を取ると、何故か追っ手の足音が遠のいていく。立ち止まって後ろを振り返っても、老人の姿はもうどこにも無かった。
☆・☆・☆
「あの時は本当に助かった。礼を言う」
「ひぇっひぇっ。それは良かったの。礼と言うたが、それならば一つ儂の頼みを聞いてはくれぬか」
助けた頼みと聞いてレージュが柳眉を動かすが、ヴァンは気にせずに二つ返事で受ける。
「俺にできることなら何でも」
「ちょっと、ヴァン……」
「心配なさるな。そんなに難しい事ではない」
なだめるように言われ、レージュは心を見透かされているような気持ちになり眉根を寄せる。
老人はフードを脱いでしわくしゃの顔を晒す。頭頂部は禿げ上がっているが、白い髭だけはやたらと長く、色の薄い瞳には不思議な色合いがある。初めて見る顔に、なぜかレージュには見覚えがあった。
「この老いぼれをマルブル残党軍に参加させてもらえないかの。剣を取って戦うことはできぬが、戦は知っている。力になるぞ」
「なんだそんなことか。良いぞ。なあレージュ」
「……まあ、いいけどさ。あたしも恩があるみたいだし。でも危ないよ」
「ひぇっひぇっ。心配は無用。儂は面白い事が好きでな。この世で遊び尽くすまでは死なんわ」
何の根拠にもなっていないが、本人が良いと言う以上こちらから言うことは何もない。
「じゃあ晴れて仲間になったわけだから質問してもいいかな。あんたの本当の目的は何?」
この老人が、ただの道楽で入ってきたはずは無い、とレージュは踏んでいる。スーリとヴァン、この二人に接点はない。本来なら出会うはずのない二人に出会って手助けをして、今日ここにいるこの老人には何かを感じざるを得ない。この老人がその二人に出会ったのはただの偶然ではないだろう。
それに、彼は何かしらの古代遺産を持っているはずである。そうでなかったら、スーリを一瞬でマルブルに送ることなど不可能だ。超自然な事を行うとなると、古代遺産の力が必要不可欠であるのだから。
レージュの、真実を見抜く隻眼が鋭く光る。
次にこの老人が何を言おうと、自分は絶対に嘘を見抜く自信がある。そして、もしも古代遺産を隠し持っているのなら、自分はそれを破壊しなくてはならない。
「はて、何の事かの? 儂は純粋にマルブルの為に手伝いたいと思っているだけなのじゃが」
惚けることぐらい想定済みだ。そして惚けたとしても、嘘は隠せない。
「しらばっくれても無駄だよ。あたしは嘘が……」
嘘が分かる。……分かるはずなのだ。
今まで相手の嘘を見抜けなかった事はない。どんなに凄腕の詐欺師であろうと賭博師であろうと、自分の前では丸裸同然なのだ。嘘を言っているのか真実を喋っているのか容易に判断できる。だが、こいつは……。
「儂の事よりも、今はマルブルの未来のことを気にした方が良いのではないかえ? ひぇっひぇっひぇっ」
「……」
実際今は時間がない。この場でこれ以上関係ない話を続けることは得策ではないことは分かっている。気を許した訳ではないが、この件は保留にしておいて、この老人からは目を離さないでいる他ないようだ。
「……確かにそうだ。オルテンシアを取り戻したら、じ~っくりと話をしようね」
「ひぇっひぇっ。若いものと話すことは年寄りの楽しみの一つでもある。望むところじゃ。――さて、此度の戦で何か必要なものはあるかの。周辺住民の了解は既に得ておる」
この切り替えの早さ、胡散臭いだけではない。どこまでも食えないジジイらしい。レージュにとっては初めて出会うタイプの人間であった。それでもレージュは怯むことも臆することもなくいつもの調子で接する。
「まずは下肥(肥料にする糞尿)が欲しい。それもなるべく多く」
「ひぇっひぇっ。蒼天の軍師様は恐ろしい事をお考えになる」
「糞なんか集めてどうするんだ?」
「知らぬのか。鏃に塗るんじゃよ」
皆目わからないといった風にヴァンは首を傾げる。
「……破傷風だよ。傷口に糞を塗ると破傷風になる可能性がある。それを狙う」
伏し目がちに告げたレージュの声は真剣そのものだった。
「寡は衆に敵せずって言うでしょ。この戦力差を覆すには生半可な手じゃ通用しないんだよ。一人で二十人を倒すのは困難だけど、一人で二・三人にかすり傷をつけることは可能だ」
傷口に糞を塗ったからといって必ず発症する訳ではないが、目的は相手の士気の低下なので、破傷風の危険性に恐怖して足が止まればそれで十分なのだ。
「相手の数は?」
ヴァンが聞いてくるが、レージュは老人に聞かれることを少し気にする。しかしこの老人はその情報はもう掴んでいるだろう。
「たぶん二千。騎馬は三百いる」
「その手だけだと二千の物量は抑えきれないぞ。騎馬が突っ込んできて終わりだ」
「平原や街道ならね。今回の戦いの場は森の中だ」
歩兵のみで騎馬を相手に戦うときは絶対に平原でやりあってはならない。その高い機動力と突破力で簡単に包囲され、陣形など意味を成さなくなってしまうからだ。
「ヴァンだって、山で盗むのも素速い騎馬が動きにくいから選んでるんでしょ」
「確かにそうだな」
「そこで、街道には罠を仕掛けて行動を制限する。相手が森に入るように誘導するんだ」
「なるほど」
森の中ならば木の根や枝などで視界が悪く、舗装もされていないため足場も悪く騎馬の持ち味である機動力が激減する。さらにこちらは優位な木の上で待ち伏せをすることもできるのだ。
「それなら俺たちの出番だな。鎧を着込んだ騎士たちには荷が重いだろう」
「そういうこと。そっちの人選は任せても良いかな」
「ああ。仮にも団長だからな。それぐらいは任せてくれ」
「よし。こっちに有利な地形に引き込むことは兵法の常識だからね。森で戦えば戦力差は一気に埋まる」
木の上から矢を射れば一方的に攻撃できるし、敵の反撃も幹や枝で届きにくい。囲まれてしまうとやられてしまうが、その前に別の木に飛び移れば長い間戦っていられるのだ。もっとも、鎧を着込んだ騎士たちだけであったのならそんな作戦は立てられない。身のこなしの軽い盗賊たちがいるからこそ可能な作戦なのだ。
「俺からも一ついいか」
「なに?」
「相手の輜重はどうする。二千人規模の輜重なら相当な量があるはずだ。奪い取った方が良いんじゃないか」
「へえ。輜重に目が行くとはね。さすが盗賊」
「盗賊じゃない、義賊だ」
軽口を叩くレージュだが、内心では結構驚いていた。傭兵と軍師の目を持っているレージュだが、盗賊の目は持っていない。軍師としては、輜重は燃やして相手の混乱を招こうと考えていたのだが、確かにヴァンの言うとおりに輜重は奪い取った方が良い。マルブルから補給が受けられていた時ならともかく、残党軍の現在では満足な補給が受けられないからだ。だが奪い取るのは燃やすよりリスクが大きい。しかし、それでもやるべきだ。成功すれば見返りが大きいし、マルブル時代と違ってそういうことに長けた盗賊たちがいる。十分に成し得るだろう。
「良い考えだ。輜重についてはその方向で行こう。伏兵と合わせてそういうのが得意な人員を選び出して欲しい」
「お安いご用だ」
ヴァンとレージュは互いに口角を少し上げて拳を軽く突き合わす。そんな二人を見て老人は「ひぇっひぇっ」と笑い声を漏らす。
「仲良き事は美しきかな。お前さんらは良いコンビじゃの。さて、他に入り用の物はないか?」
先程よりも元気よく、八重歯を見せて蒼天の軍師は老人に向き直る。
「あとは樽と布が欲しい。急拵えの太鼓をいっぱい作って、村の人にはそれを叩いてもらう。敵が来るまでに、マルブル軍の進軍のリズムだけでも覚えてもらう」
「こちらの数を多く見せる作戦じゃな。少数と思って油断している敵軍の虚を突けば――」
「敵さんは愕いて浮き足立ち、士気は大きく削がれるってことか。なるほどな」
「そういうこと。更に布を接ぎ合わせて中庭の天井と壁を埋めて城門を開ける。その中で太鼓を叩けば、音は城門に収束され、さらに大きな音が出せるはずだ。そこへ、糧秣隊への奇襲と糞矢の強襲と来たら、もう相手はてんやわんやでこっちの数が分からなくなる」
予想していたより敵の数が多いというのは精神的に辛いものがある。敵の数がわからないとなれば尚更だ。とにかく、圧倒的に数で負けているこちらが勝つには搦め手で崩していくしかない。
「最後に、相手が慌てて統制が取れないところにリオンとオネットを向かわせて挟み込み、リオンを突出させて相手の将軍の首を取る」
この作戦で積極的に敵を殲滅していく役割の担っているのはリオンただ一人である。ほかの人員は全て、敵を攪乱し、士気を低下させ、敵戦力の無効化を図るためのものだ。
これでレージュは二千五百対三百を一対一に持ち込もうとしている。
「なるほどのう。そういう作戦か」
「一対一ならこっちが勝つ。なんたって大陸最強のリオンがいるからね。これがこの作戦の真意だ」
崩れに崩れた砂の山を、リオンという突風が吹き飛ばす。これが今回のレージュの作戦だ。
「戦争は勢を制したものがたいてい勝つ。数で負けているあたしたちが勝つには、そんなものを吹き飛ばすほどの勢いが必要なんだ」
「わずか三百ばかしの軍勢であるからのう。ひぇっひぇっ」
レージュがこの老人とここまで話して気づいたことは、彼はこちらの軍事的状況を完全に理解しているということだ。現に、今もこちらの軍勢が三百だと言ってのけた。この老人には一度も話していないのにだ。村から来たと言っていたが、あの村に立ち寄ったのは数人だけだし、あのときは義賊団はいなかった。いつ、どこで、どのようにして知ったのか分からないが、自分の考えていた作戦まで知っていたような感じさえする。
だが、そんなことはあり得ない。内通者のあぶり出しは済んでいるし、新たに加わった者も全員調べてある。この作戦を話したのもビブリオだけで、彼にすら概略しか話していない。
この胡散臭い老人、まったくもって信用出来ないのだが、心の奥底では信用しているような気がする。彼を切り捨てて今後の道を進もうとすると、どうしても落とし穴にはまりそうな気配があるのだ。でなければ自分が初対面の人間にベラベラと作戦を話すことなんてしない。
かつてない感情にレージュは困惑する。傭兵時代から様々な人種と接してきた。色々な国も回って多種多様な経験もした。数々の戦場を駆けめぐってきた。それでも、この老人はどう扱えばいいのか分からない。表面上は信用していないが、心の中ではどうしようもなく信用している。もやもやする。敵か味方か即座に判断できない。決断力に優れるレージュにとって初めての経験である。
本当に、なんなんだ、こいつは。
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/21 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/07/09 文章微修正(大筋に変更なし)




