第二五話 「出兵軍師」
――アーンゲル大陸暦947年6月29日。
元マルブル領 城下町オルテンシア。
時は再びもとに戻る。オルテンシアの城郭に瀕死のカタストロフ兵が担ぎこまれた後のことである。
「そうか……。ご苦労だった、下がってよい」
城下町オルテンシアの現領主であるヴェヒターは、領主の執務室にて衛兵から衝撃の報告を聞き、難しい顔のままうなずいて衛兵を下がらせる。
四十も後半の彼は、武官であったが今は戦場には出ていない。灰色の長髪を後ろで束ね、黒と金を基調とした、およそ戦場では役に立たない高官の制服を身にまとっている。かつてはそれなりに名を馳せた彼だが、戦場で怪我をしてから足の動きが悪くなってしまった。それからは書類仕事に追われる日々を送っている。
そして彼は一枚の書類……ではなく、一枚のナプキンを手に取る。
『死神レージュが隻眼片翼で復活し、僅か三百ほどの兵にデビュ砦を奪われた。今は砦に籠もって兵を集めているようだ。急ぎ救援を求む』
これが先ほどデビュ砦のフクスから送られてきた伝書の概容だった。何を馬鹿なと思ったが、この伝書がナプキンにスープのような汁で書かれたという異常な状況と、デビュ砦から命からがら逃げてきた兵の報告を聞くと、全くの冗談ではないらしい。
この悪夢のような事態は、すぐに城内に広まるだろう。いや、もうほとんど伝わっているに違いない。そして近いうちに本国にも伝わり、国内に動揺の波紋が広がる事は、火を見るより明らかだ。
だが、逆にこれはチャンスでもある。上の人間が血眼になって探している死神の首を持ち帰れば、母国カタストロフの勢いを増すことができ、姫殿下の悲願である大陸統一に大きく近づくことができる。絶対にここで討ち取っておきたい。
今の死神は万全ではない。あのときのように、空から全てを見下ろし、マルブルの全戦力を使えるわけではないからだ。手持ちの軍がわずか三百の兵のみの今なら叩き潰せる。
しかし、相手はあの死神レージュだ。手負いとはいえ油断して良い相手ではない。今持てる全戦力を投入して奴を討つ。
そのためにヴェヒターは、一人の男を部屋へ呼び出した。
「儂に声がかかるという事は、どうやら噂は本当だったようですな」
呼び出した男は禿げ上がった頭と白い髭をたくわえた老将軍クラーケである。老齢であるが腰は伸びていて背が高く、彫りの深い顔には皺が刻まれ、その目は光を失いそうにあるが、力強い色を湛えている。そして、体に纏った外套は異様な膨れかたをしている。
「察しの通りだ、クラーケ将軍。あの死神が生きていた」
ヴェヒターはフクスから送られてきたナプキンを見せる。クラーケはそれを指で摘んで馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「ふん。儂はどうにもマルブルの奴らの味付けが気に入らん。薄い味付けに水っぽいスープ。物を食った気がせん」
「なめてかかれば腹を下すぞ。クラーケ将軍」
「では、如何なる方法で?」
「うむ。我らはこれよりオルテンシア鎮圧用の兵を除き、駐在している全兵力を結集し、デビュ砦を攻め落とす。貴公にはその指揮を執ってもらう」
「全兵力とは。これには三百程の敵を書かれているが?」
「そうだ、その僅か三百程度の相手に全軍だ」
ひどく真面目に答えるヴェヒターに、クラーケ将軍は小馬鹿にしたように口角をあげて白い髭を撫でる。
「獅子はウサギを狩るのにも全力を尽くすと言うが、少々過剰過ぎやしないかね。鎮圧用の兵を五百として、それを除いてもこちらは二千の戦力がありますぞ」
「そのたった三百のウサギに、五百の兵と一匹のキメラを有するフクスの砦が奪還されたのだぞ」
「なるほど。しかし、それは正面からぶつかり合ったのではなく、虚を突かれたからであろう。フクスは所詮狡い小銭稼ぎしかできん文官。戦場の事など何も知らないのだからな。元武官のヴェヒター殿の仰るとおり、二千もの大軍で叩き潰してご覧に入れましょうぞ」
半ば、ヴェヒターを臆病者とあざ笑うように、クラーケは恭しく一礼する。自信家なクラーケに対し、ヴェヒターは苦々しく言葉を吐く。
「……いいか、文官が武官に対してこのようなことを言うのはおこがましいだろうが、くれぐれも油断するな。奴らは今まで百の兵で千の兵を幾度も退けてきた。さらにはデビュ砦であのリオン獅子将軍まで手に入れた。もしもそのような慢心を欠片でも奴らに見せてみろ。死神の声が聞こえるぞ」
先のマルブル戦線時に、カタストロフの将軍たちの間で囁かれている噂があった。その噂とは、戦場の乱雑とした音や声が響く中、ある少女の声が聞こえるという話である。その声は、自軍に良くない事が起こったときに聞こえ、人の力量を測ろうとするように『さあ、どうする?』と言うのだそうだ。敵軍の向こうにいる死神の声が、自軍を敗北に導くという。
しかし、死神と直接対峙していない者には理解しにくい噂であった。現にクラーケ将軍もその噂を一笑に付している。
「死神よりも、むしろ獅子将軍と戦える事に感謝したいぐらいだ」
クラーケ将軍が異様に膨れた外套にしまわれていた腕をさらけ出す。
「宰相殿からこれを頂いてから戦が退屈でしょうがないのでな」
奇怪な事に、彼の腕は二本だけではなかった。外套の中に隠されていた腕は、二本は通常の位置にあるが、四本は脇の下辺りから生えており、いずれも丸太のような太さで、強く脈打つ血管が盛り上がっている。このような、自然の摂理に反した技術が、古代遺産には多く存在するのだ。
「ヴェヒター殿には精々、レジスタンスどもに死神の復活が広まらないように努めていただきたいものですな」
マルブル陥落から約半年が過ぎた。武力と恐怖によって、カタストロフはマルブルの民を抑えつけているが、日に日にカタストロフに反抗する力が各地で強まってきている。今はまだ小さな力だが、彼らの勝利の女神であるレージュの生存が知れたなら、その力は爆発的に増すだろう。なんとしてもここでレージュの息の根を完全に止めなくてはならない。
「最近はレジスタンスに翼の生えた女が加わったという噂も聞く。士気向上の流言飛語であろうが、天使信仰が強くある奴らの勢力が強まってきているのは事実だ。この地に残す戦力を増やした方が良いのではないかね」
誰のせいで勢いづいていると思っているのか、とヴェヒターは心の中で毒づく。
『赤い光』の後、この町を占領したカタストロフ軍は、オルテンシアの民に対して横暴な行いが目立つ。当然ながら、そんな扱いを受けているオルテンシアの民の怒りは募り、レジスタンスたちはその怒りを燃料に増大していっている。徒に火種を増やしたくないヴェヒターは、クラーケ将軍に部下の勝手な行動を慎むように言っているが、それがまともに改善された試しはない。
過去にこんなことがあった。
「クラーケ将軍。貴公の軍が町で大分派手に歩いているようだが?」
「なに、反乱の芽は早々に潰しておかねばならぬからな。我々に逆らうことの愚かさを身に覚えさせるのだ。それに、勝者としての当然の権利であろう。もしも我々が負けていたら、我々がそうなっていたのだから」
「カタストロフ帝国が負けるとは口が過ぎるぞ将軍」
「ただの例え話だ。そうカッカするでない」
オルテンシア駐留軍は、最初はヴェヒターの軍五百人だけだったのだが、少し前にクラーケ将軍が二千を率いてやってきたのだ。ヴェヒターの軍は軍規を厳しく敷いていたため、彼の部下がオルテンシアの民相手に問題を起こすことはほとんど無かった。しかし、クラーケ将軍の方はそうでもなく、ヴェヒターは彼の軍を「鎧を着た盗賊」と考えている。
「……私としても、レジスタンスたちが勢いづく今、町に戦力は残しておきたい」
だが、とヴェヒターは言葉を続ける。
「死神を相手にして一挙両得ということはあり得ない。たとえこの町をレジスタンスたちに奪還されようとも、私の首が討ち取られようとも、死神さえいなくなれば後でいくらでも建て直しは効く。何をおいても、今ここで死神を確実に討伐することが最優先事項だ」
「随分とまた、入れ込んでおりますな」
熱弁するヴェヒターだが、クラーケとの間には埋めることのできぬ温度差があった。噂でしかレージュの話を聞いたことがないクラーケと、直接相対したヴェヒターでは無理もないことなのかも知れない。
「それよりも、兵の編成はどうするつもりかな、ヴェヒター殿。儂としては、自分の軍だけで出撃したいのだが」
「それで構わない。むしろ、そうして頂きたい。急拵えの混成軍では戦力が落ちる。その為に宰相殿はクラーケ将軍の二千をこちらに寄越したのであろうからな。まったく、あのお方の先見性には恐れ入る」
「死神討伐の手柄は儂一人でいただく事になるが良いのかね?」
「私はそんな手柄に興味はない。私が望むのはカタストロフ帝国の繁栄だけだ」
忠誠心の固まりとも言えるヴェヒターをクラーケは心の中で嘲う。
「相変わらず素晴らしい愛国心だ。ヴェヒター殿が玉砕するのは勝手だが、我々が戻る場所は残しておいて欲しいものですな。凱旋して城に入れないというのは間抜けを通り越してますからな」
「無論私も全力を尽くす。私とて死にたいわけではない。貴公は死神退治に専念していただきたい。それも今すぐにだ」
これ以上話すことは無いということらしい。
「心得た」
厳格にうなずくと異形の腕を再び外套の中にしまってクラーケ将軍は部屋を去っていった。
16/03/20 文章微修正(大筋に変更なし)
16/09/29 サブタイトル変更「旧:天使の影」
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/07/09 文章微修正(大筋に変更なし)




