第一六話 「禁句軍師」
真上から太陽に照らされたデビュ砦は、国境の川に架けられた大理石の橋を吸い込むように建っている。ここの国境は、川に沿って引かれていて塀などはない。そのため、近くに村はあるが、川岸に城壁に囲まれた砦がポツンとあるだけだ。
しかし流石は文化の国といったところで、城壁にも大理石を使って多様な文様を描き出し、辺境の砦であろうと美しさに隙はない。なお、見目が良いだけでなく、実用面でも手抜かりはない。城壁の上にはカタストロフの兵士が暇そうに巡回している姿が見える。
「レージュ、なにしてるんだ?」
川の向こうに砦を望む森の出口近くで純白の片翼を見つけたヴァンは、近寄って問いかけてみるが、反応はない。レージュは、木の幹に手をかけ、小さな舌を出したままデビュ砦を見つめている。少しすると、レージュは舌をしまって納得したように小さくうなずく。
「おい、どうしたんだ」
「ん? ああ、ヴァンか。風の味を調べてたんだよ」
「風の味……? そんなものがわかるのか」
「うん、わかるよ」
「美味いのか?」
「そういうんじゃないよ。天気がわかるんだ」
にひひとレージュは笑う。
「今夜の夜明け前に少しだけ雨が降る。決行はその時だ、雨に紛れて川を渡って城内に侵入する。川幅はそれなりにあるけど、この時期の流れはそこまで急じゃないし、身軽になれば渡れるよ」
「天気までわかるのか。便利なものだな」
「にひひ、凄いでしょ」
白い歯を見せて笑う蒼天の軍師の顔は、年相応のものであった。
「まるで古代遺産みたいだな」
ヴァンにとっては軽い冗談のつもりだったのだが、レージュは笑みを消して睨むような眼差しを左目でぶつけてくる。
「――古代遺産なんて無い方が良い。人間は馬鹿だから、強大な力があるとすぐに戦争に利用しようとする。あれはこの世界の物じゃない。人間が持っていて良いものじゃない」
いつになく真剣な様子のレージュに、心臓を掴まれたような錯覚に陥り、ヴァンは僅かにたじろぐ。
「言ってなかったから今回は許すけど、あたしを古代遺産みたいなんて言わないで」
「……すまない、軽率だった。二度と口にしないと誓おう」
「それでよし」
そう言って気を緩めると、十字架のサークレットを持ってクルクルと回し始める。
「あー、そのサークレット、随分古いものみたいだがどこで手に入れたんだ?」
物の価値を見抜くヴァンの目は、彼女と出会ったときから、十字架のサークレットがずっと気になっていた。見たところかなりの年代物のようだが、レージュがそれを手放したところを見たことがない。水浴びをするときも寝るときも身につけていた。よほど大切な物なのだろうか。
「手に入れたっていうか、最初から持ってたんだよね。そうだね、一言でいうなら、あたしの一番の友達だね」
「ほう、興味深いな。ちょっと見せて貰ってもいいか?」
優れた審美眼を持つヴァンは、美しい骨董品などを好む。彼女のサークレットからは、今まで感じたことのない趣が見て取れ、手にとってよく見てみたいと思っていたのだ。
しかし、ゆっくりと伸ばした手はレージュによって軽く払われる。
「だーめ。お触りは禁止だよ」
「どうしても駄目か?」
「ダメ。無理に触ろうとすると手がズタズタになるよ。勝手に触ったら絶対に許さないから」
そういえばレージュをさらってきた団員たちがそんなことを言っていた。触ると手が切り裂かれる、鉄の槍でもバラバラになる、そしてめちゃくちゃ睨んでくると。
俄然興味が湧くが、無理矢理は彼の趣味ではないので、レージュが良いと言うまで大人しく待つことにする。
残念そうに肩を落とす大の男を見かねて、レージュは腰に手を当ててため息をつく。
「しょぼくれないの。あの砦を取り戻したら、触るのはダメだけど、この子について少しだけ話してあげるよ」
現金なもので、ヴァンの顔がぱっと明るくなる。
「よし、約束だぞ」
「うん、約束」
☆・☆・☆
「スーリ、ちょっと話したいことがある。こっちに来い」
「わかりました、隊長」
レージュたちとは離れた位置から砦を睨みつけていたスーリの後ろにオネットがいた。少年と言っても差し支えないほど若いスーリは、目つきの悪い切れ長の金色の瞳、曇天のようにくすんだ短髪、騎士たちの中でも一番小さい背丈、オンブルを豹に例えるなら、スーリは鼠というところか。性格は短気で、じっとしていることを好まない。それでも軍紀は忠実に守り、今もオネットに対して敬礼を忘れない。
「まあ、座れ」
甲冑を鳴らしてオネットが地面に座り込み、指で前に座るように指す。まだ出撃の時は決まっていないが、オネットはいつでも戦闘できるように、常に甲冑を着込んでいる。
これからオネットが何を話すかは予想できた。そしてそれはスーリにとって好ましくない話であることも。しかし、彼は逃げることが嫌いだった。
オネットの指示通りに彼の前に座り込む。すると、彼は後ろからスーリの剣を取り出して渡してくる。
「レージュを斬りつけようとした事なんだが」
やはり。
「反省はしていますが後悔はしていません。自分はあの時、本当にあいつを切り捨てるつもりでした」
「……スーリ」
「処分でしたら甘んじて受けます。今この場で切り捨てられても構いません」
「……処分は無しだ。本来なら最低でも一週間は投獄だが、ここに閉じこめる牢など無いし、切りつけられた本人が不問にしろと言っているからな」
これではまるでレージュに助けられたようで、スーリとしては面白くない。
「軍師に対してあれだけ大それた事をしたのに、何のお咎めも無しでは、先輩騎士たちに示しがつないのでは?」
「大それた事をしたとは分かっているんだな」
「……」
この辺りの詰めの甘さが、彼がまだ未熟であることの証明である。
「スーリ、レージュの何がそんなに気に入らない? 確かに彼女が最初に軍列に加わったときは私も反発したものだ。しかし今では信頼に足る友として尊敬の念すらある」
「……」
「言えないのか。それとも、好いているからこそ嫌うという子供特有のアレなのか」
激情して立ち上がり、返して貰った剣に手を伸ばす寸前でスーリは動きを止め、苛つきを振り払うように手を振る。
「今のは隊長の言葉ではありませんね。あいつの考えた言葉でしょう」
やはり見破られたか。激情してもその洞察力は見事なものだ。レージュが期待しているのもうなずける。
それにしてもお互いの事がよく分かっているな、と小さく笑うオネットに、スーリの目つきの悪い目がさらに細く鋭くなる。
「自分は、あいつが嫌いです」
「だが、お前はあの時レージュの元へ戻ってきた。お前がいなかったら、私もレージュも燃えるマルブルから脱出できなかっただろう。彼女もその事をとても感謝している」
「あいつを助けたのはついでです。……失礼します」
「レージュを斬ってくれるなよ。彼女は我々の希望なのだからな」
スーリはその言葉に何も返さず、立ち去っていった。
そして、彼らは夜を待った。
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/26 文章微修正(大筋に変更なし)
17/07/08 文章微修正(大筋に変更なし)




