第一三二話 「女傑軍師」
ヒカイトは丘をやや迂回して駆け上り、こちらに向かってくるリオン騎馬隊の側面を突く位置に来た。そして獅子の旗を掲げる奴らの中に、リオンの姿を認識すると心が勇み立って体が震える。
側面から逆落としで仕掛ける。そうすれば仮に撃退はできなくても算を乱すことぐらいはできるはずだ。とにかくアッシェが逃げる時間を稼げればそれで良い。
そしてついにリオンが丘の下に差し掛かる。奴らは領主の本営しか見ていない。ここが機だと判断したヒカイトは声を上げて丘から駆け下り、一気にリオン騎馬隊に向かって突き進む。
猛烈な速さと力でぶつかった。
確かにぶつかったはずだ。
しかし、衝撃も手応えも何も無い。まるで煙に突っ込んだみたいに、リオン騎馬隊を通り抜けてしまった。
実は違う。ヒカイトは通り抜けたのではない。通り抜けさせられたのだ。リオン騎馬隊はヒカイトの方を全く見ずに隊列を分け、横から突っ込む彼女たちを受け流した。
そのことをヒカイトが理解して驚いている一瞬の間に、分かれたリオン騎馬隊は、鰯の群より素早く各隊を小さくまとめ、反撃を開始した。逆落としを受け流されて陣形の乱れたヒカイトの兵は次々に馬から落とされていく。
「一つにまとまれ!」
ヒカイトは隊を一つにまとめ直そうとするが、あちこちでリオン騎馬隊が邪魔をしてきて思うように陣形の組み直しができない。各自奮戦しているようだが、四方八方から襲いかかるリオン騎馬隊に次々と討ち取られていく。
「なぜだ! なぜお逃げにならない!」
ヒカイトの掩護に来た千の騎馬隊をリオン騎馬隊が断ち割っていく。それが、彼女の首が地面に転がるまでに見えた最期の光景だった。
☆・☆・☆
ヒカイトを討ち取った勢いのままリオン騎馬隊が迫ってくるのをアッシェは呆然と眺めていた。周囲は騒々しくわめき立てているが、アッシェの耳には何も入ってこない。
しかし、リオン騎馬隊は突然向きを変え、退却していく。まだ状況の理解ができていないアッシェの頭上から巨大な黒馬が現れる。
「領主様! ご無事ですか!」
『ふん、やはりこうなったか』
キントとキリンが前線から戻ってきた。キメラが戻るのを察知してリオン騎馬隊は撤退したのだ。
一目散に去っていくリオンたちを追うことはしなかった。いや、できなかったのだ。リオンが退くと同時に前線のマルブル軍の圧力が強まり、アッシェ領主群の前線が崩壊しかかっている。ヒカイトの騎馬隊を失い、キメラも離脱してしまった歩兵隊だけでは、挟撃の勢いに乗るマルブル軍を抑えきれない。
ここまで来てアッシェも漸く理解した。
シュトローの言っていたことは全て嘘だったのだ。王太子ヴァンは死んでいない。奴らは撤退していたのではない、撤退を装ってこちらを引きつけ、挟撃しようとしていたのだ。
だが、理解できた頃にはなにもかも手遅れであった。
これでキリンは動けなくなってしまった。前線に出れば本営が狙われ、本営にいれば前線が押される。こうなっては前線を戻して一つにまとまるしかない。
有利な丘の上に戻ろうとしても、既にリオンが押さえている。これで、三方向から挟み込まれる形となってしまった。
☆・☆・☆
領主軍の陣営の一角に傭兵たちが集まっていた。
「よお、隣いいか」
「好きにすりゃあ良いだろう」
「そいつはどーも」
金髪の男は懐からパルファンを取り出して吸い始める。
「お前、良いもん持ってんじゃねえか」
「吸うか?」
「おう、よこしな」
金髪の男が差し出したパルファンを髭面の男はひったくるように取り上げて吸い始める。
「なあ、この戦い、旗色が悪いと思わねえか? 最初は楽に稼げると思ってたのによ」
金髪の男が話しかけてきた。
「全くだ。このままじゃ大損害だぜ」
苛立たしげに髭面の男は煙を吐き出す。
「だけどまだ数は勝っているしキメラとかいう化け物もいる。あの獅子将軍だってキメラを見て逃げていったじゃねえか。まだ稼げるぜ」
「へえ、そうかい。おたくは勇敢だな」
金髪の男はニヒルに笑っている。
「俺は臆病者なんで命の方が惜しいね。前金は貰ってんだ。俺たちの団はここで引き上げさせてもらうぜ。名誉の戦死は騎士様たちだけで十分だろ。俺ら傭兵は金さえありゃ良い、違うか?」
「……確かにそうだな」
「まああんたがあの領主様に忠義を感じてんなら俺は止めねえよ」
金髪の男はゆっくりと立ち上がる。
「それじゃあな。次に会うときは地獄か? 先に待っててくれや。パルファンの借りはそんときに返して貰うぜ」
髭面の男が呼び止める間もなく金髪の男は去っていってしまう。
「……やっぱり、ヤバいか? ここまで負け続けだしな。そうだよな、死んじまったら元も子もねえし。俺が欲しいのは金だけで、名誉なんてクソ食らえだ。先に地獄で待ってろだと? 冗談じゃねえぜ!」
髭面の男は吸っていたパルファンを投げ捨て、転けそうになりながら自分の傭兵団へ走っていく。そんな彼の後ろ姿を、金髪の男はニヒルな笑いを浮かべて見ていた。
「さすがに傭兵の扱い方を心得ているもんだ、あの元傭兵は。さてと、俺らも逃げるかね」
オンブルは、同じように傭兵たちを煽動しているスーメルキ団に帰還の指示を飛ばした。
「それにしても、あのヌアージ。キメラには手を出さなくていいって言ってたが、どうするつもりなんだかな」




