第一〇話 「宝玉眼軍師」
翌朝。
昨夜の王様騒ぎはすでに収まり、いつもと同じ太陽が山際から顔を出している。
朝日を浴びた団長ヴァンの目覚めは良く、ボロい寝台から軽やかに飛び起きる。階下からは朝食の香りが立ち上っており、空腹の寝起きには抵抗し難いものがある。自然体に生きることをモットーにしている彼は、軽く身支度を整えると、すぐさま食堂へと向かう。
そこは、食堂といっても元であり、崩れた古城である今は、良く言えばオープンテラス、悪く言えば天井と壁が焼け崩れた広間である。しかし、厨房部分は奇跡的に殆ど残っており、調理するぶんには何も問題はない。
「おはよう」
「おう」
食堂に入ってきたヴァンに一番に声をかけたのはレージュだった。その相手は昨日の朝にはいなかった少女だ。しかし今は他の団員たちと同じように朝食を取っている。さすがは元傭兵、適応能力は相当なもののようだ。
彼女は、朝日の当たる席に座って朝食をぱくついている。レージュの方へ向かいながら、道々にいる団員と挨拶を交わすが、レージュの正面の席に座ったとき、彼女の異変に気づいた。隻眼片翼、朝日のように輝く金色の髪に古傷だらけの小さな体。それは昨夜と同じなのだが、どうしたわけか目の色が変わってしまっている。
「……その目はどういったカラクリになっているんだ? 目玉焼きでも突っ込んだのか」
確かに昨晩見た時にはレージュの瞳は夜空の黒だった。だが今は朝日の金へと変わっている。レージュのことは昨晩に驚ききったと思っていたのだが、まだまだ謎は多そうだ。
「ああ、これ? なんか時間によって変わるんだよね。朝は金で昼は青、夕方は赤、そんで夜は黒。ま、あたしからは見えないから気にしてないけどね。――目玉焼きは焼き加減が絶妙でとても美味しかった。変に気取った王宮の料理なんかよりずっと良いよ」
後半部分は、ヴァンに食事を運んできたエプロンの似合う若い女性に向かって笑いかけて言う。王宮の料理より美味いと褒められ、彼女は微笑みながら去っていく。
「ここの人たちは本当に良い人ばかりだね。とても盗賊団とは思えないよ」
「義賊、な」
彼らはレージュに寝床を用意し、朝食を作ってくれ、髪も梳いてくれた。皆とても友好的で、部屋毎に家庭があり、子供にも仕事があり、秩序もある。
「まるで小さな国だ」
レージュにそう言われてヴァンは改めて団員たちを見渡す。彼らは楽しそうに笑いながら食事をしていた。
そう、自分はこのような国を作りたかったのだ。不平等の抵抗から始まり、挫折から逃げた義賊業だったが、国に捨てられた人々を拾い込んでいる内に、このような人々が幸せになるにはどうすれば良いか、などと考えることも少なくなかった。
「王冠が花輪の国だがな」
「国の良さは王冠の豪華さじゃ測れない。何が国の良さかは一概には言えないけど、王が民を想って、民が王を慕っていれば、それは良い国だと思う」
国の善し悪しを測る物差しなど、人の数だけあるが、そのどれもが正しいとも言えるし、間違っているとも言える。少なくとも、レージュはそう考えているようだ。
「たしかに、俺はこいつらが好きだ」
「あたしも好きになったよ。昔は傭兵団にいたからね。雰囲気が似てて居心地が良い」
十歳そこらの少女が昔というと妙な感じがするが、彼女は自分の過去について少しだけ話し始めた。
☆・☆・☆
レージュは、両親の顔すら知らぬ捨て子で、通りがかった傭兵団に拾われた。はじめは羽の生えた赤ん坊に驚いた彼らだが、傭兵団の団長が、「こいつは白い羽を持っている。俺たちの幸運の女神に違いない」と言って拾い、世話をすることになる。しかし、その傭兵団は、男所帯のむさい傭兵団で、子供など育てたことのない者がほとんどだった。それでも、彼らは天使の赤ん坊を町に預ける事もせず、手探りで育てていった。
そしてレージュと名を与えられた少女は、戦火の中で成長していくうちに、軍師としての才能が芽生える。十にも満たない幼い天使の策略は、鋭い洞察力で敵の動きを的確に見抜き、綿密な知略を紡いで巡らし、傭兵団に多大な戦果をもたらした。
時は流れ、レージュの活躍により傭兵団が一流と呼ばれてきた頃、カタストロフ帝国がマルブル王国に宣戦を布告する。その時にレージュはマルブル側を救援に向かった。楽に戦果を上げるなら強国のカタストロフに付く方が得だが、彼女はそうはしなかった。
そして、マルブル王国の傭兵となった彼女に、マルブル王から謁見を求められたのである。立場が逆じゃないかといぶかしむ彼らをよそに、レージュは王に会う事に積極的であった。
建国来より、マルブル王国にはある伝説があった。昔、自然と文化を愛する一人の男が、圧政の世を嘆き、自身で良き国を作ろうとしたが、彼には金も土地も人脈も無かった。ある時、天より羽の生えた少女が彼の前に降り立ち、彼を連れて飛び、とある場所へ案内した。そこは、溢れんばかりの大理石があちこちに埋まっている、広大で肥沃な土地だった。彼は天使と共にそこに王国を建て、現在まで続く自然豊かな王国を築き上げた。
それが、マルブル建国の伝説である。その伝説の名残として、国王の戴冠式では、天使に仮装した少女がひざまずく王に王冠を載せる取り決めになっている。
なるほど、昨夜の花輪はそれの真似だったのか。ヴァンは一瞬、部屋に置いてある白詰草の花輪に意識を向けるが、今はレージュの話を聞くべきだとすぐに聞く態勢に戻る。
そんな伝説の残る国へ、本物の天使の翼を持った少女が現れたのだから、マルブル王国は上を下への大騒ぎであった。
☆・☆・☆
「ただ同じ様に羽が生えてるってだけで、そんなに期待されても困るんだけどね」
慌ただしくもマルブル王との謁見を果たし、王と意気投合した彼女は傭兵団を離れ、そのままマルブル国の軍師となったのだ。それより後の話はヴァンの知っている通りだという。
「正直、傭兵団を抜けるのが一番大変だったよ。みんな、行かないでくれー、行かないでくれーって泣きつくんだ。大の男たちがだよ? 一人娘が嫁にいくんじゃないんだからさ。笑っちゃうよね」
楽しげに語る天使の金色の瞳には、郷愁の色がわずかにあった。
傭兵団に帰りたいのか?
ヴァンはそう問わなかったが、レージュはその無言の問いかけに答えた。
「本音を言えば帰りたいけどね。でも、あたしにはまだマルブルでやることが残っている。爺さんとの約束もある。帰るのはその後でもできるからね」
だが、もしも次に彼女が敗北するような事があれば、傭兵団に帰ることは叶わないだろう。レージュにとっては、今すぐマルブルから逃げ出して傭兵団に戻った方が良いのだが、彼女は物事を途中で投げ出すような娘ではなかった。意地とも執念とも違う少女の決意は、必ず成し遂げるという気迫に満ちていた。
運ばれてきた葡萄酒を飲みながら話を聞いていたヴァンは、彼女が育った傭兵団の名を尋ねてみる。
「聞きそびれていたが、お前はどこの傭兵団の出身なんだ?」
「白き翼」
ごく短い答えを聞くと、ヴァンは飲んでいた葡萄酒をせき込んで吐き出す。
「……汚いなぁ」
豪胆なヴァンがせき込んだのも無理はない。白き翼と言えば、いま最も有名な傭兵団の一つと言っても過言ではない。十年ほど前は、名前すら知られていなかった白き翼だが、ここ十年でメキメキと力を付け、今では大陸最強の傭兵団とも呼ばれるほどになっている。団長の指揮の下で一人一人が実に統率された動きをし、その規則正しさは半端な練度の国軍を遙かに凌駕する。巧みに戦場を走り回り、包囲し、時には退いておびき寄せ、数々の敵を一網打尽にした。
「あたしがそう仕込んだからね。当然だよ」
さも当たり前だと言うレージュに、ヴァンは半ば呆れ、半ば驚嘆した目を向ける。
「そんじゃあ、俺たちも全力で頑張らせてもらおうじゃないか。お前の期待に応えられるようにな」
「にひひ、よろしく頼むよ」
「よし、飯を食ったら出発の準備だ。天使の軍勢に合流するぞ」
食堂にいる団員と、いつの間にか出入り口付近に立っていたオンブルに出発を伝える。腕を組んで格好つけて壁に背を預けていたオンブルは、一つうなずくと、いつものようにニヒルに笑って部屋から出ていく。これで食事が終わる頃には全員の準備が整っているだろう。
「じゃ、出発するときに呼んでね」
目玉焼きの黄色を口の端に付けてにこやかに笑う天使も、オンブルに続いて部屋をあとにする。
☆・☆・☆
「さすが、早いね」
一本のパルファンを吸い終わる間に、ヴァンたちはレージュの前に現れた。
「義賊団をなめてもらっちゃ困る。逃げ足と支度の速さなら超一流だ」
ヴァンの赤銅色の頭に白詰草の冠が乗っているのを見ると、レージュは満足げな顔になる。
世界を渡り歩く彼らは住居を持たない。そのため、拠点とするところは古城や捨てられた村などを選ぶ。何もないところでは布を使った簡易の住居に住む。彼らの行っている事は、言ってしまえば強盗であり、被害にあった貴族や国が兵を使って掃除にくることもある。そんなときに素早く逃亡できるように、訓練され、常にそれを意識している。
各々が少量の荷物を抱え、馬車や荷車は無い。自分に持てる必要最低限の物だけを持つ。これも、どんな悪路でも素早く行動するために考え出された知恵だ。
「じゃあ、行こうか。合流地点は、山を二つ越えていって、谷川にあたったら下流に進んだところだ。はぐれたり転んだりしないように気をつけて行こう」
「おおー」
彼らの元気の良い返事を聞き、レージュは一度うなずくと、その足を一歩踏み出す。
頭上には青々とした空が広がっていた。
まるで彼らの心境を表すかのように。
16/03/13 文章微修正(大筋に変更なし)
16/09/15 文章微修正(大筋に変更なし)
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/26 文章微修正(大筋に変更なし) ロゴ追加
17/07/08 煙草削除(大筋に変更なし)




