(7)おじいさんの旅立ちとお迎え役
その日の夕飯はにぎやかだった。にわとり料理も沢山あって、い
つも以上に豪華なんだろう。この家では夕飯は、おじいさんの寝て
いる部屋で、家族みんなで食べるようだ。座卓を囲んでみんなが顔
を合わせ
「それではいただきます!」
一斉に挨拶をしてから始まった。おじいさんは布団の上に半分起
きあがり、おばあさんから食べさせてもらっている。あまり食欲が
無いみたいで形だけの食事だけど、それでも楽しそうだ。
「よう、今日は何のお祝いだ? ほお、お前の絵がな。良かった良
かった」
「誰に似たんだろね? 私、絵はまるっきりダメだったのにな」
「うん、旨えな。やっぱり肉は旨えや」
「アンタばっかりズルイ! わたしもお肉食べる」
「ご飯おかわり!」
「ハイよ。父さん、大盛りだ!」
「このサヤエンドウもいけるな」
「ワシの煮方がうまいのさ」
「おかあさん、コレ出汁はいつもの?」
「そうさ」
「おかあさん、今度は私ががじいちゃんの面倒見るからさ、ご飯食
べてくれ」
「ああ、でも大丈夫だ。ありがとな」
こうして一家は楽しげに食事を終えた。最後は『いただきました』
の合掌でだ。この時、みんなは本当に命に感謝をしていたんだろう
とワタシは思う。
今の食事。テレビもラジオも無いけれど、みんなの会話がもう一
つの調味料となって、食卓を華やかにしていた。コレが理想の食卓
の形なんじゃないかな? ワタシは自分を省みてそう思う。
ワタシの家では食事の時はテレビをつけっぱなしにしている。た
った三人しかいないのに、みんなが食卓で顔を合わせるのは、週末
くらいだ。お母さんに出されたものをよく見もしないで食べ、感謝
もせずに残している。きっとここの一家よりも豪華なものを食べて
いるはずなのに、食事で満足したコトがない。つまりは、こういう
コトだったんだ。
食事は体だけじゃなく、心でもするモノなんだってね。
ワタシがそんなコトを考えている間に、一家は暗くなる前にお風
呂に入り、夜と共に眠りについた。彼らの生活は本当にシンプルだ。
うらやましくて妬ましいシンプルライフ。
「風野はるかくん。そろそろおいとましようか? もうすぐ慌ただ
しくなってくるからね」
ハジメ君が突然そう言いだした。外では風が強くなってきたのか、
窓がカタガタと震えだした。ワタシはふと不安になった。
「え? どうして?みんな寝てしまったのに何か起こるの?」
ハジメ君はワタシの方を見ずに
「うん。おじいさん、いよいよ今夜みたいなんだ。ほら、あそこの
天井をごらん」
おじいさんとおばあさんが寝ている部屋。そう、さっきまでにぎ
やかだったその部屋の天井。
見上げると、天井スレスレの所に、何かが浮かんでいる。ん?
と目を凝らすと、それはモヤモヤから次第にハッキリとしてきて、
像を結んだ。
「あ、アレがおじいさんの『お迎え役』なのね」
そこにはかすりの着物を着た、坊主頭の少年が微笑んでいたんだ。
やっぱりおじいさんは旅立つんだ。こんな素敵な場所、素敵な家
族から別れて。
「ねえ、その、もうちょっと何とかならないの?こんなに仲のいい
家族なのに」
無理を承知で聞いてみた。
「うん。おじいさんは寿命が来た。八十六歳。大往生と言っていい。
この時代では珍しいくらいさ」
「この時代って?」
ハジメ君は坊主頭の少年に黙礼してから
「風野はるかくん、キミだって薄々は感じていたんだろ?ここはね、
地理的に遠く離れた場所なんかじゃない。キミの体がある総合病院
の割とそばなんだ。遠く離れてるのは時間なんだよ」
「…」
「今のキミの生活からしたら田舎だろ。うそはついてないさ」
ばつが悪そうに、鼻の頭をかくハジメ君だ。
そう言えば聞いたコトがある。昔、ワタシの町にも牧場があった
って話を。確か、まだ時代が明治と呼ばれていた頃の話だ。
「おい、お前さん、またこっちに来たのかい。それにしても今度の
お供のコは随分とお若いコじゃないの」
かすりの着物を着た坊主頭の少年は、ハジメ君に礼も返さずにそう
言うと、ワタシにウインクをしてきた。
「な、何よ。自分だって子供のくせに。生意気よ」
ハジメ君に挨拶も交わさないで、おまけにあの言いよう、この態
度! 四年生のワタシに向かってお若いコだと? 自分こそまだ小
学生にもなってないお小ちゃまのくせに! ワタシがムッとしても
当然だ。
「オッ! いいね。その気の強そうな所。ホレちゃいそう」
これを聞いてワタシは益々腹が立ち、少年を睨みつけた。ハジメ
君はちょっぴりうろたえ、
「す、すみません。おい、はるかくん、この方はこう見えても、ワ
タシの先輩なんだ。その、失礼のないように」
そう言うと少年に頭をぺこっと下げた。
え? この子が先輩? 一体どうなってるの? って一瞬思った
けれど、幻覚、幻聴に理屈は通らない。何でもアリのコンコンチキ
だ!
少年は着物のすそをちょいとつまみながら
「ああ、このカッコね。今はこのじいさんの担当だからこのじいさ
んに合わせたのさ。本当の姿はもっとシブいんだぜ」
「ああ、はるかくん、私みたいな審判役、先輩みたいなお迎え役は、
その担当の一番のお気に入りの姿になるんだ」
「そう。じいさんには、このオレが幼い頃一緒に遊んだ幼なじみに
見える。だからオレはその姿。じいさん、よっぽどその頃が幸せで
懐かしいんだろうよ」
姿とは裏腹に、随分と偉そうな物言いだ。ワタシはまだ腹が立っ
ていたけれど、あるコトに気づいてからそれどころじゃなくなった。
今の二人の言葉がホントなら、ワタシの一番のお気に入りがハジ
メ君てコトになるの?
「それにしてもお前、嬢ちゃんの担当とはいえ、そのカッコは恥ず
かしいだろ? え? 嬢ちゃんの初恋の相手かい?」
ハジメ君は自分の姿をまじまじと見ながら
「ええ、まあそんなトコですよ。多分ね。でもおかしいかな? 白
いポロシャツに黒の半ズボン。黒のスニーカー。シンプルだけど清
潔感もあって、この少年の容姿にだってあってますよ。何より利発
そうでしょ?」
「ふうん、嬢ちゃんの好みは優等生タイプなんだな」
二人はハハハと声を上げて笑った。ワタシはといえば、もう少し
で頭が沸騰しそうなくらいにカーッとなった。恥ずかしさ、悔しさ、
怒り、もう色んな感情がゴッチャになって叫び出しそうだ。でもそ
んなコトしたら、逆に認めてしまう気がして、冷静さを装った。そ
んなのは割と得意だ。ワタシは自分のホントの気持ちを知られるの
が何よりキライだから。
「オッと、もう時間だ。ワリイな。オレ、仕事だけは真面目にやる
って決めてんだ。それじゃあな」
少年は打って変わって真剣な顔になるとそう言った。
「はい。それじゃ、失礼します。はるかくん、こっちに来て、おで
こを出して目を閉じて」
「…」
「ねえ、って」
「ワタシ、ハジメ君が一番のお気に入りなんかじゃない」
「え?」
「絶対に違うから!」
「うん。分かった。分かったから早く!」
少年はワタシたちがいなくなるのを待っているようだ。しきりと
ハジメ君に向かって目で合図をしている。
「何なのよ。ワタシたちが見ていたらダメなの?」
「ああ、そうなんだ。旅立つ時、人間一人につき、立会人は一人だ
け、と決まってる。人生の終わりに静かに安心していけるようにね。
勿論、人間は別だよ。ほら、おじいさんの変化に気づいてみんなが
起き出してきた。ああやっておじいさんは家族に看取られながら、
自分の一番のお気に入りだった姿の人に、天まで導かれるのさ」
「ふうん。それじゃ寂しくないね。でも、考えてみれば、やっぱり
それも幻覚なんだ。だってお迎え人は姿だけで、ホントは違うんで
しょ」
「そうだよ。コレにも色んな理由があるけど、幸せな『死』の迎え
方には違いないさ。自分の生活している場所で家族に囲まれ、更に
その上、ってコトだからね。何にしても良き時代だよ。『死』のあ
る家がまだ沢山あった、古き良き時代さ」
「え? それじゃ、ワタシの時代は良い時代じゃないの?『死』は
沢山あるわよ。それこそ新聞やテレビじゃそんな話題ばっかりだも
の」
「ふうん。風野はるかくん、キミはそう思うんだね。そうだね。そ
れじゃ、次の場所はキミの所にしよう。それじゃ先輩、お騒がせし
ました。埋め合わせはまたの機会に」
少年はもういいから行って、という風に手を振った。ワタシはお
じいさんの為に祈りながら、家族に向かって礼をした。家族のみん
なはおじいさんの周りに集まって肩を震わせている。
ハジメ君はワタシのおでこに手を触れると強い口調で
「目を閉じて」
何度目かの同じ言葉を口にした。体がまた浮き上がるカンジがし
て、ワタシたちはそこを離れたみたいだった。