(5)とある牧場にて
「はい。もういいよ。目を開けて」
言われた通りにすると、ワタシたちは太陽の下にいた。頬を柔らか
な風がくすぐってゆく。辺りには、土や濃い緑の匂いが満ちている。
多分マイナスイオンがいっぱいなんだろうな、そんなコトをつい思
ってしまうくらいだ。それにしてもこんな所は見たコトがない。そ
う、まるでお話の世界みたいだ。
「ねえ、ここってどこなの?」
見渡す限りの緑の中に、小さな牧場が建っていた。二棟しかない建
物の赤い屋根が、目にまぶしい。
辺りには牛や豚、にわとりの鳴き声が響き、遠くに作業をしてい
る人の姿も見ることが出来た。動物を囲う柵は木製で、いかにも手
作り風。見ているワタシの耳元をブ〜ンと虫が飛んでゆく。
うん、ここってお話の中の、と言うよりも、牧場と聞いて誰もが
想像する理想の牧場、と言った方がいいかも知れない。
「え? ここ? 見て通りの牧場だよ。牧場。知ってるだろ?」
ハジメ君は信じられないと言う顔でワタシを見返した。
「知ってるわよ。牧場ぐらい。牛から牛乳を採ったり、馬や豚を飼
育する施設よね。それくらいの知識はワタシも持ってる。でもワタ
シが聞きたいのはそんなコトじゃない。ここがどこかって聞いたの」
「ん? 場所を聞きたいの?」
少し間があってから
「そうだな、ここはね、キミが住んでた所からは遠く離れた所だよ。
キミたちの言い方からすると、そうだ、田舎だね」
ハジメ君は道ばたに咲いてる小さな花を眺めながらそう答えた。
「ふうん。でも、日本よね? ここ」
確かにカンジとしては日本みたいだ。でもワタシの知ってる日本
とは明らかに違う。例えば、こんなに自然の残っている場所は珍し
い。まるで自然と牧場をテーマにした『テーマパーク』のよう、そ
れが一番しっくりくる言い方だ。
ハジメ君の前に回り込んでそう尋ねるワタシに
「そんなコトはどうでもいいんだ。いいかい、これから見聞きする
コトをしっかりと覚えておくんだよ」
ハジメ君は真剣な顔をしてそう言ったんだ。
ワタシたちは赤い屋根の建物に近づいていった。
「ここはね、家族で経営してる小さな牧場なんだ。主なのは乳牛、
つまり牛乳を採るために牛を飼ってるんだね。二棟並んだ大きい方
の建物が牛舎。他には豚も飼ってるし、にわとりなんかも飼ってる。
あ、でもコレは商売というよりも自給自足の意味合いが強いかな」
さりげなく言うハジメ君にワタシはビックリした。
「え? 自給自足? それってどういう意味?」
ワタシのこの言葉に、ハジメ君の方も驚いたようだった。
「どういう意味って、言葉通りの意味だよ。にわとりの卵を食べる
為だし、卵を産まなくなったにわとりや、オスはそれ自体も食べる
んだ。もちろん豚だって食べる。時には牛もね」
「豚や牛を自給自足? ワタシ、自給自足って言葉は、野菜をさす
言葉かと思ってた」
ブリッコじゃなくって、ワタシはホントにそう思ってた。だって
ワタシのイメージの中では、家庭菜園が自給自足のシンボルだった
んだもの。それも、小さなベランダでミニトマトなんかを作ったり
するアレ。
でもね、考えてみれば、それって、自給自足にはほど遠い趣味の
延長だよね。それを自給自足だと信じていたんだから、ハジメ君が
驚くのも無理はないかも知れない。
「何言ってるの。野菜はもちろん、動物だってそうさ。キミだって
お肉は食べるだろ? キミとここの人たちの違いは、手に入れる方
法だけって話さ」
ハジメ君は続けた。
「野菜も自給自足。当然お肉も自給自足。出来るコトは何でもしな
くちゃ。だってここは田舎だからね。ここではそれが当たり前なん
だ」
これを聞いてワタシは衝撃を受けた。だって、ワタシの感覚には
そんな考えは微塵も無かったからだ。
確かにワタシもお肉は食べる。どっちかって言えば、好きな方だ。
そのお肉はスーパーかお肉やさんでお母さんが買ってくる。ワタシ
が目にするのは、白いプラスチックのトレイに乗ってラップをかけ
られた状態で、冷蔵庫に入ってるキレイなお肉だ。それがワタシが
知ってるお肉だった。
でも、考えてみれば当たり前のコトだった。最初からお肉がその
状態であるわけがない。元は一頭丸々の牛だったり豚だったりする
んだ。つまりは食べる為には、健康な牛や豚を…。そう言うコトだ。
「なんだ、静かになっちゃったね。今更ながらにショックだったっ
て訳かい? でもね、キミがどう思おうが、事実は変わらないよ。
自給自足が出来ない場合は、お金を出して買うコトになる。そのお
金の中に、お肉の元をお肉に変える仕事料金も入ってるのさ。お肉
だって魚だってみんなおんなじだ。今のキミたちは、お金を出して
買ったモノしか知らないだろうし、またそれもしょうがないだろう
さ。でもね、生き物は命を食べなければ生きてはいけないってコト。
これだけは忘れないで欲しいね。ああ、今は頭の中だけでもいいか
らさ」
ワタシは初めてハジメ君が先生のようだと思った。
「ほら、元気を出して。今から私たちはこの家族の生活をちょっと
だけ見せてもらうんだ。いいかい?私たちは彼らからは見えないし、
居ないも同然。じゃ、行くよ」
ハジメ君は黙って牛舎の隣の建物に入っていった。ワタシもその
あとに続く。
ここはどうやら家族の暮らす家のようだ。建物は簡単な造りだっ
た。広い玄関には作業で使うんだろう色んな道具が置かれてある。
そこを抜けると広間が三つ続いている。一番奥が台所になっている
ようだ。広間の横は玄関から台所まで、一直線に土間で繋がってい
る。
「じゃあ、一応、礼儀だからこの家の主さんにご挨拶だけでもして
おこうよ。ほら、こっち」
ハジメ君はかって知ったる何とかやらよろしく、居間をふたつ抜
けて、三つ目の前で立ち止まると、ワタシに向かって「ここの家族
構成はね、おじいさんおばあさんに父さん母さん、娘さんに息子さ
んが一人ずつ。三世代計六人家族ってコトになるね」
「ふうん、大家族なんだ」
驚くワタシにハジメ君はくすっと笑い
「大家族? ここらじゃ少人数のほうさ。普通はそうだな、四世代、
十人家族が当たり前かな。ひいばあちゃんをハジメとして、じいち
ゃんばあちゃん、父さん母さん、父さんの姉弟、それに子供が三人、
コレがスタンダードかな」
またまた驚いた。ワタシの常識では、家族と言えば両親に子供一
人の三人家族、コレが当たり前。姉弟がある子は家族が多い、そう
思ってたからね。
指折り数えていたワタシに
「あ、そうだ、言っておくけど、この家の主さん、今八十六歳にな
るんだけど、寝たきりだからね。意識はあるんだけどモウロウとし
ているコトも多いから」
ハジメ君は神妙な顔つきでそう言った。
「え? 寝たきりなの? それならなぜ病院に入らないの? そう
だ、救急車を呼んだ方がいいんじゃない?」
寝たきりだなんて相当症状が悪いんだろう。なんの病気か、はた
またケガかは知らないけれど、それを放っておく家族の常識を疑っ
てしまう。一歩間違えれば、虐待ってコトでしょう?
それなのに、ワタシの剣幕とはうって変わって、ハジメ君は冷静
そのものだ。
「ン? その必要はないよ。ここではコレが当たり前。死ぬ時は自
分の家でがね。ここは『死』のある家なんだから。あ、そうだ、言
うのを忘れてたけど、彼だけには私たちが見えるから、そのつもり
でね」
そう言うとハジメ君はぺこりと頭を下げてから、居間に入ってい
ったんだ。
それにしても『死』のある家だなんて気味が悪い。聞いただけで
鳥肌が立つ。早くここから抜け出したいよ。
その時のワタシはそう思っていた。




