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(3)はるかちゃんの理由(わけ)

 その日の朝はいつも以上に憂鬱だった。何でって聞かれても困っ

てしまう。理由なんていくらだってあったし、本当にその理由で? 

って聞かれたらそうじゃないかも知れないからだ。でも、とにかく

気分は良くなかった。


「はるか! 早く起きなさいよ! また遅刻してもお母さん知りま

せんからね。まったく、遅くまで起きているからいけないのよ!」


 階段の下からお母さんの怒鳴り声がした。コレはいつものことだ。

ワタシの一日はお母さんの怒鳴り声から始まると言ってもいい。

「いい? もっとシャンとしなさい! 車には気をつけてね。忘れ

物は無い?」


 あわただしく朝のスケジュールをこなし、こんな言葉を背中で聞

きながら家を出た。時刻は午前八時五分過ぎだ。学校まではどんな

に急いでも二十分は掛かるから、遅刻は間違いない。

 途中にある銀行の電気掲示板は、八時十五分を示していた。


「ああ、今遅刻が決定しました。先生ゴメンなさい」

 担任の中島先生の膨れっ面を想像しながらぺこりと頭を下げた。

ワタシだって好きで遅刻をしてる訳じゃない。でも、気力が出ない

んだもの。こっちが聞きたいくらい。どうしてみんなはそんなに元

気なの? って。


 そう、最近のワタシはみんなと比べてもヘンなんだそうだ。コレ

はみんなから言われてる。本来のワタシは元気でお転婆だったのに、

最近のワタシは一言で言うなら『暗い』んだって。

 でもね、ワタシは薄々気づいてしまったんだもの。人間は必ず死

ぬし、自分の思い通りにコトが運ぶ訳じゃない、ってコトにさ。そ

う、人間の、ううん、そんなに大袈裟なもんじゃなくても、ワタシ

の限界ってモノに、ある日気づいてしまったんだ。


 例えば、ワタシは器量が決していい方じゃないし、歌だって大し

てうまくはない。だからアイドル歌手にはなれないだろう。かと言

って、運動神経だってごく普通だからオリンピックにも出られない

だろう。頭だって抜群に良いって訳じゃない。だからお医者さんや

弁護士は無理だ。このまま行けば、ごく普通に高校を出て地元の短

大に行って、近くの会社にお勤めして、そして三、四年後に職場で

知り合ったごく普通の男の人と結婚する。そして子供が産まれて、

今のお母さんのように毎朝子供を怒鳴るんだ。それから…何事も起

こらない様に祈りながら平凡な毎日を過ごして、やがては死んでい

く。今ワタシは十才だから、平均寿命まで生きるとしてあと七十数

年。


 ああ、神様、ワタシの人生って一体何なのですか? 言葉にする

だけでも、ほんの数秒で語り尽くせてしまうなんて。まるで犯人が

分かっている推理小説、それも極簡単なトリックが使われているモ

ノを無理矢理読み続ける、ナンてコトに意味があるのですか?


 こんな風に思い出してからずっと神様に答えを求めてはいたけれ

ど、今朝もやっぱり神様は返事をしてくれなくて、ワタシの考えは

確信に近くなってゆく。

 前に『知らない方が幸せなコトもある』って言葉を聞いたコトが

あるけれど、今はその意味がよーく分かる。無邪気だったワタシが

懐かしく、そして愛おしい。


 あの瞬間からずっと続いてる、胸のザワザワを感じながら、大通

りの前まで来た時だった。

「あっ!」

思わず声が出た。信号の前の横断歩道、その真ん中辺り。黒い何か

がうずくまってるのが見えた。

「何かいる?」

 大きなトラックがそれを目掛けるように突っ込んでくる。その時、

それが動いた。

「猫だ! それも子猫!」


 その瞬間、ワタシは思わず子猫目掛けて駆け寄っていったんだ。

パパパーというクラクション。キキィーというブレーキ音。周りの

人達の悲鳴。それから…


「それから…ああ、気づいたら暗闇の中だったんだ。そうか。あの

時子猫を助けようとして。トラックにひかれたのね!あ、でもヘン

ね。てことはやっぱりワタシ、死んだんじゃない。ヘンな慰めはい

いからさ、本当のコトを教えてよ」


 スッキリした頭をちょっとだけ振りながらそう言うと、ハジメ君

はニコッとして

「うん。やっと自分のコトが全部思い出せたみたいだね。よかった。

でもね、言ったろ? キミは死んでないって。これでも私、神様の

お使いの端くれだよ。ウソはつかないって」

「え?」

「ああ、ゴメン。キミにはこの私がハジメ君っていう子に見えるん

だもんね。実は私、さっきも言ったけどハジメ君じゃないんだ。こ

れでも神様のお使い。または代理人って言ってもいいかな。ホント

の名前はね…」

「うそ!」


 ワタシの大声で、ハジメ君の言葉はさえぎられた。でもしょうが

ないじゃない。言うに事欠いて神様のお使い? 代理人? はん! 

笑わせないでよ。うそつき! うそつき! うそつき!

 これまでワタシの人生に神様はいなかった。毎日一生懸命に祈っ

たけれど、それでも神様は一言もワタシに答えようとはしなかった。

それが今さらナンなのよ。神様のお使い? 神様の代理人? この

ワタシに対して今さらそんなコトが言えるの?


 ワタシの剣幕に、ハジメ君はいつもするように、鼻の頭をかきだ

した。これはハジメ君が困った時によくやるクセだ。これを見てい

ると、半分くらいは彼が本当はハジメ君じゃないかもって思ってた

コトが、間違いのように感じる。今、目の前にいるのは本当のハジ

メ君だ。


 そのハジメ君は神妙な顔をして

「風野はるかくん。よく聞いてね。私はキミ担当の審判役なんだ。

キミはぬいぐるみを拾おうとして、車にはね飛ばされて魂が体から

抜けた。でもまだ死んでない。体は総合病院の集中治療室にあるし

ね」

「え? ぬいぐるみを拾おうとして車にひかれたの? あれって子

猫じゃなかったんだ」


 ちょっと拍子抜けして、ワタシの勢いも弱まった。

「そうだよ。あれはキミの見間違い。災難なのは運転手さんの方だ

よ。いきなり信号無視で道路に駆け出されたら、しょうがないよ。

キミ、それはまあ見事に吹っ飛ばされたみたいだよ。あれなら体か

ら魂が抜け出たって、ちっとも不思議じゃない」

「へえ、それじゃ、この体が体じゃないって言うの?」

ワタシは自分の体をパンパン叩きながら、ハジメ君をグッとにらみ

つけた。自分の愚かさをハジメ君にぶつけるのはちょっと卑怯な気

がしたけれど、この際だからしょうがない。それにしても子猫とぬ

いぐるみを見間違えて、車道に飛び出すなんて、ほめられたもんじ

ゃない。ていうか、バカだ。


 ハジメ君は少したじろいたけれど

「そうだよ。今のキミは普通の体じゃない。魂だけなんだ。正確に

言うと死んでるんじゃないけどね。でもまあ、普通の人間の感覚で

言うなら死んでるって言ってもいいかな」

と言った。


「ふうん。こうしてちゃんと感覚もあるのにね? でもさ、ハジメ

君だって死んでないって言ってみたり死んでるって言ってみたり、

ハッキリしないよね。第一、ハジメ君は自分でハジメ君じゃないっ

て言いながら、ほとんどハジメ君なんだもん。ワタシ、何を信じて

いいのか分かんないよ」

 本当に混乱してきて、ワタシの考えは行ったり来たりだ。


「よし。そこまで言うならしょうがないか。百聞は一見に如かずっ

て言うしね。事実ってヤツをキミにも確認してもらおう。ほら、お

でこを出して」

 そう言うとハジメ君はワタシのおでこに手を触れ、続けて目を閉

じるように言った。

「いいかい? 今から証明してあげる。はるかくん、キミ、何が起

きても驚かないでね」

「うん」

ワタシはハジメ君とこうして触れ合うのはどれ位ぶりだろうってコ

トの方に気が行ってしまって、反論も出来ずに、素直に彼に従った

んだ。


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