(10)死を考える
「ワタシの体は向の棟四階の集中治療室。おばあさんはこの棟の三
階なのね」
総合病院の三階の窓からは、色んなモノが見えた。見おろすと、
敷地内なのに病院に出入りする人達やタクシー、バスで慌ただしく、
それはちょっとした駅のロータリーみたいだ。その周りにはキレイ
に整えられた緑。そこに集まる小鳥たち。目を正面に移せば、同じ
病院の別の棟。そのちょっと先にはさっきまでいた高級マンション
もハッキリと見える。
「うん。あ、ここだ、この二人部屋らしいね」
廊下の両脇にいくつかの部屋が並んでいる。入り口には入院患者
の名前が書かれたプレートが張り付けられている。その中のひとつ
に【山名】のプレートを発見したんだ。
「いいかい。私たちの姿はお医者さんや看護師さんには見えないけ
れど、ここの入院患者さんには見えるコトも多い。この意味が分か
るだろ?」
つまりは死に近い人たちが多いってコトだ。
うなずくワタシにハジメ君は続けた。
「まあ、ハッキリ見える人は、自分ではしゃべれないくらいに衰弱
してるから特に問題はないけどね。それから、ちょっと言いにくい
けど、ここでは留まってる魂も珍しくはないから。話しかけられて
も相手にはしないようにね」
「留まってる魂って? あ、幽霊のこと?」
つい声が大きくなった。
「ん。まあ、簡単に言うとそうだね。福ちゃんの時もちょっと触れ
たけど、魂が抜けてから四十九日間は、望めば現世にいるコトが出
来るんだ。そうだ、パターンで考えれば分かりやすい」
「うん」
ハジメ君は人差し指を立てて
「まずは第一のパターン。お迎え役が来て魂が抜け、そのまま導か
れて天に昇る。これが基本パターンだね。ほら、牧場のおじいさん
もコレだった」
なるほど。
次は中指を足してブイサインを作り
「二番目は、お迎え役が来ても、そのまま一緒に天に昇るのを拒否
してしまうパターン。まあ、四十九日間だけは、それは許される。
そう、猶予期間と思ってもらえればいいかな」
ふむふむ。
「普通はその間に、自分が死んだことを悟って天に昇る。まあ、そ
の時はお迎え役も付き添うけどね」
ほほう。
「でも中には自分が死んだコトをいつまでも理解できない魂もいる
んだ。四十九日を過ぎても天に昇らない魂は、現世に留まるコトに
なる。そうなるともう簡単には天には昇れないし、それが悪さをす
る場合が多い。こうなると、お迎え役はもう出番がないんだ」
あ! 福ちゃんもそうなるところだったもんね。
「あの牧場の時代は、ほとんどが第一のパターンだったんだけど、
この時代じゃ第二のパーンがほとんどで、お迎え役はみんな嘆いて
いるんだ。おまけに昔は滅多になかった四十九日を過ぎても現世に
留まる魂が、ここのところは増え続けてる」
ふうん、自分が死んだコトに気付かない魂が増えてるってコトだ
よね。コレって『死』が分からないからだよ。きっと、普段から命
を食べるってコトに気づいてないし、身近なところで死ぬ人を見て
ないからだ。イヤなコトから目を背けて『死』を勉強してないから、
そうなるんだ。
「ここは病院で、特にこの棟のこの階は老人が多いから、死ぬ人も
多い。まだ四十九日前の魂も、過ぎてしまった魂も、留まる魂は、
普通は死んだ場所に留まるんだ。それ以外の例としては、その魂の
思いが一番こもった場所にも留まる。あの福ちゃんみたいにね。ま
あ、とにかく、ここには間違いなく留まってる魂が多いからね。気
をつけて」
「うん分かった。でもさ、増え続ける留まる魂はどうなるの? そ
のままじゃ、困っちゃうよね?」
ちょっと想像してみた。そこら中に幽霊がいたら、これはもうお
化け屋敷顔負けだもんね。トイレに入ったら幽霊が座ってただなん
て、怖いよ。
ハジメ君は鼻の頭をかきながら
「うん。その辺りは私たちも対策に乗り出してはいるんだ。別の部
署で『おなだめ役』ってのが新設されてる」
「おなだめ役? あ、迷った魂をなだめるんだ。そうでしょ?」
「簡単に言うとそうさ。なだめて納得させて天に昇ってもらう。で
もコレが一筋縄じゃいかないらしい。部署の連中はもう、ブーブー
言ってるって話さ」
「へえ」
「もしかしたら、ここにも『おなだめ役』が来ているかも知れない
な」
「ふうん」
ちょっぴり不遜だけど、ワタシはその『おなだめ役』も見てみた
いと思ったんだ。
「失礼します」
入り口の【山名】のプレートを再度確認してから、ワタシたちは
部屋に入っていった。
部屋にはベッドが二つ置かれていて、カーテンで一人分ずつスペ
ースが分けられるようになっていた。今はカーテンが開いているの
で、寝ている患者さんの姿を見るコトも出来た。
「どうも、こんにちは」
ワタシは患者さんを目で追って、一度ずつ頭を下げたんだ。患者
さんが寝ている頭の上の方に、患者さんの名前が書いてあるから、
どちらの人が【山名】のおばあさんか確認したかったんだよね。
山名のおばあさんは直ぐに分かった。左側におばあさんは静かに
横たわっていた。やっぱり色んな管がつながれてる。機械だって大
きなのが二つもチカチカしてるしね。
ハジメ君はおばあさんを見下ろしながら腕を組んだ。
「風野はるかくん、分かるかい?『死』のない家の理由はここにあ
るのさ。今、この時代じゃ、人間は病院で死ぬんだ。この山名のお
ばあさんを見てごらん。おばあさんも間違いなくここで死ぬ」
「うん」
「病院は、本来病気を治すところだ。勿論ここだってそう。でもね、
あの牧場の家の時代とは違うところもある。この時代じゃ、ほとん
どの病院は、死ぬ場所としての意味が大きい。しかも不自然な形の
死に方でね」
「不自然な死に方? それってどういう意味?」
少し震えてる自分に気づいた。
「ほら、おばあさんを見てごらん。色んな管が繋がれてるだろ?」
「うん。でもワタシの体だってそうなんだよね」
前の棟の集中治療室を思い出した。ワタシの体にも、コレにも負
けてないくらいに管が繋がってた。
「キミの場合は違う。キミはまだ若いし子供だ。キミは事故でそう
なったんだよね。でもこの山名のおばあさんはそうじゃない」
「うん」
「もう寿命は尽きてるのに、無理矢理生かされてるんだ」
「無理矢理生かされてる?」
「ああ。この繋がれた管や機械を外せば、直ぐにでも魂が抜ける」
「…えんめいそち?」
「ほう、スゴイね。よく知ってたね」
ワタシのひいおばあちゃんが死ぬ前に、そんな言葉を聞いた覚え
があった。アレはこういう意味だったんだ。
「牧場の家の時代は、寝たきりになって、食が細くなって、体が自
然に衰え、死を迎える。年をとって死ぬとはそう言うコトだったん
だ。でも、ここじゃ年をとって寝たきりになってからも、栄養は充
分に与えられる。薬だってね。その繋がれた管がそうなんだ」
「…」
「勿論これは難しい問題さ。『死』が何かというコトにも関係があ
る。だからどっちがいいか悪いかは何とも言えない。けどね」
「けど?」
「おばあさん自身はどっちが幸せなんだろうね」
ハジメ君はそう言うと、山名のおばあさんをじっと見た。
おばあさんはただ静かに横たわっているだけて、動いているのは、
おばあさんに繋がっている機械のモニター画面だけだ。この画面だ
けが、おばあさんが生きてる証に思える。
ワタシもどっちがいいかなんて分からない。家族だったら少しで
も長生きして欲しいと思う。
ワタシはあの牧場でのおじいさんを思い出した。寝たきりでも、
孫の相手をして、みんなと一緒に食事をして、みんなに見守られな
がら魂が抜ける。きっと満足してのお迎えだろうな。
けど、この山名のおばあさんは? 病院のベッドの上で、たった
一人で魂が抜けるんだ。完全看護だから、病院の先生や看護師さん
は親切、丁寧に面倒を見てくれるだろう。それに、死ぬ直前には家
族も姿を見せるかも知れない。でも…お迎えが来ても素直に応ずる
気になれないのは、しょうがないのかも知れない。
「悲しいのかい?」
そう言われて、初めて流れ落ちる涙に気がついた。何でワタシ泣
いてるんだろう?
ワタシの時代じゃ、みんなが忙しい。だから家には寝たきりの老
人は居られない。しかたがない。病院にまかせておけばいい。そっ
ちの方が本人の為にもなるし、家族の負担も減る。しかたがない。
そう、しかたがないんだ。
頭では充分分かってるはずなのに、心ではどこか違う、そうも感
じてる。だから涙が出るんだろうか?
「あのね、この時代でも『死』について真剣に考え始めた人たちも
いる。自然な死に方をしたいと、死を遅らすだけの延命から尊厳の
ある死を望んで実行している人たちもいるし、あの牧場の時代と同
じ様に家で死を迎える為の運動をしてる人たちだっているんだ。ま
あ、コレはまだ少ない例だけどね。病院だっておんなじさ。色んな
方向から『死』を真面目に考えるようにもなってきてる。でも、今
はまだ大多数が、この山名のおばあさんと同じ様に死を迎える。こ
れは紛れもない事実なんだよ。きっとこれまで『死』から目を背け
ていたツケなんだろう」
「うん」
ワタシは涙をぬぐって顔を上げた。
人は誰でも必ず死ぬ。その時、自分が望む死に方をする為には、
やっぱり生きてる時から『死』というモノをよーく考えなければダ
メだ。
今の時代では『死』は遠ざけられている。家には『死』の陰すら
ない。食べ物にも『死』の形がない。『死』はテレビの中の他人事
か、バーチャルなゲームの中にしかないんだ。だから本当の『死』
がイメージ出来ない。結果、簡単に人の命を奪うコトにもなる。
『死』のない家が多い時代に『死』の事件が多いのは、そんな理由
なんだろう。
『死』は、出来れば避けて通りたい。それは誰でもおんなじだ。で
も、イヤなコトから目を背けていては、ダメなんだ。しかたがない
で済ませていては現状は変わらない。やっぱり『心構え』ひとつ。
多分そういうコトなんだろう。ワタシはまたひとつ心が利口になっ
た気がする。




