販売最終準備と値引きの勉強
日本では社会人二年目の四月下旬。女神の谷に一番近い小さな街で、移動式の飲食店をやる為の申請を出しに行く。
広場の意見箱に多く入れられていた希望が、自分達で出来る事で村を豊かにしていきたいというものだった。
現状だと観光名所になる要素は何もないし、作物は米が多く収穫出来る事以外は希望が持てない。
代表者が集まって何度も話し合った結果、家畜と米を活用するのはどうかという事で話がまとまった。
当番を決めて交代でやる飲食店にしよう。そう話が決まったから申請書類を俺が書いた。文字に関しては、頑張って剣吾と二人で勉強した成果だが、読み書きが何とか出来るようになった。
日本どころか地球では役に立たないけれど、買い物とかが楽になるから便利だ。今まではサンチョスかヨハンに付き添ってもらわないと、値札が読めないなんて事が多かったから進歩だ。
後から思いもしない事で教えてくれた長老に、心底感謝する事になるとは思わなかったけど。
そんなわけで服を着替えて街まで来たが、俺達とラルドさんだけじゃ信用なんてないから、ユレアに一緒に来てもらう事にした。
商業組合の元締めは申請書類に判を押すと、俺達に向かって手を差し出す。
「では申請手続きや最初の上納金、許可証など、全てで金貨五枚だ」
「…分かりました。金貨五枚の内、上納金は何枚ですか?」
「一枚だ」
元締めは俺の質問に、そんな事も分からん若造かという顔をする。気のせいか?何だか高い気がする。
俺達が持ってきたのは、女神様と俺達にばかり頼れないからと、三村の皆が少しずつ出し合った貴重な金だ。
金貨で十枚しかなかったから、いきなり半分消える事になる。多分だが足下を見られているのだろう。
悔しいが今は我慢しておく事にする、ここで文句を言って申請を取り消されるわけにはいかない。
剣吾が見事な愛想笑いを貼り付かせて、元締めに金貨を渡した。ちなみに地球と同じで、権力者や何かの功績のある人物の絵姿が、一番多いモチーフなんだそうだ。
代替りすると旧貨幣を回収して、新しく自分の絵姿の貨幣を出す権力者もいるらしい。許可証を受け取って挨拶をしてタレサビ村に戻る。
「どうでしたかな、申請は通りましたかな?」
村人達が集まって真剣な顔で注目する中、長老が質問してくる。
「大丈夫だ、ほら許可証だ。これでタレサビ村の名前で商売出来るぜ」
長老に許可証を渡す。皆が嬉しそうにしているのを見て、まだこれからだけど頑張ってて良かったと思った。
「勇太兄ちゃん!馬車の用意出来てるだあよ」
「剣吾さん!売り子の服も用意出来ましたよ」
サンチョスとヨハンが揃って胸を張って報告してきた。
俺と剣吾は会議や商品の開発には参加するが、実際に販売を行うのは皆にやらせようと決めていた。自立していく為だから、全部俺達がやってしまうと意味が無い。
馬車は箱形で頑丈な扉が後ろにある物をレタスタ村で作って、お揃いの赤色と黄色中心の可愛い服はソンノ村で作ってもらった。
販売する商品の初期開発はタレサビ村の担当だ。単純な理由だけど、俺達の家があって転送場所になっているからだ。
話し合いに都合が良いというわけだ。
最初に用意する商品は炊き込みご飯のおにぎりと、鶏と卵の二色そぼろ丼だ。ソンノ村の鶏と卵を使っている。
そぼろ丼の器は木製でスプーン付き。レタスタ村の男達に作ってもらう。おにぎりは皿に載せて出す予定だが、これもレタスタ村で作る。
まあ炊き込みご飯って言っても、相変わらず野菜やキノコが少ししか採れないから、残念だけど具は少ない。
上手く売れるようになったら、他から仕入れて味を変えたりと、バリエーションを増やせばいい。
商売の許可証を無事に手に入れて売る物も決まったけど、次は値段をどうするかという問題になった。
日本でさえ食べ物の値段は色々だ。おにぎりというカテゴリーでも、安い物から高い物まで幅広い。
話し合いをしてみたが上手くまとまらなかった。ラルドさんとヨハンに頼み事をする。
ドワーフ達が一回あたりの食事にかけている、平均金額を調査してもらう事にした。
ノアールに協力してもらって、出来るだけ広い範囲で調べるようにお願いをする。
「それじゃ、今回はここまでにして帰るよ。ヨハン頼んだぞ、ラルドさんと一緒に頑張ってくれ」
「頑張ります!勇太さんと剣吾さんが言うなら、きっと良い事だから頑張ります!」
ヨハンにはもう少し疑う事を教えた方が良いかもしれない。俺達だって間違うかもしれないと言わないとな。
そんな事を考えて帰宅後は反省会に突入した。
社会人二年目の五月、連休初日。色々と忙しくてやっぱり進んでいない、あのゲームで遊ぼうとして再び変化に気付く。
いつの間にか称号が『大胆な商人元締め』などという、前回よりも更に意味不明な物に変わっている。アイテムや所持金が増えたりはしていないのに。
可能性としてはそのゲーム自体が、異世界召喚のきっかけになっているらしいから、変な影響が出ているということだけど。
「まさかとは思うけど…向こうでの行動で変化するなんて…ネット仲間に聞いてみよう」
皆忙しいらしくて、最近はメールも回数が減ってきた。返事が来ないかもと思ったけど、何人かはすぐに返してくれた。
自分達の近況も書いてくれている。頑張っている奴もいたり、故郷に帰った奴もいたりで色々だった。
問題の称号については知らないという物ばかりだった。
「…聞いたことないか。やっぱり影響あるのか?向こうはどう考えても、ゲームの世界じゃないのにな…気が向いたら剣吾に確認しよう」
少しだけ遊んだが、色々気になって止めてしまった。
仕事の方では連休明けに訪問した得意先で、新しい事を勉強するチャンスに出会った。俺は定期的に資材を大量に買ってくれる、上得意のお客さんに呼び出された。
「忙しい中すまないね、高野君。実はだね、いつもの商品を今回だけ十組購入する予定なんだが…どの位値引きをしてくれる?」
「ありがとうごさいます…え、値引き…ですか?あの、えっと…」
値引き交渉なんてやった事がない。勝手に答えちゃっていいかな…多分だけど課長に怒られる。自分だけで判断は良くない気がする。
お客さんを怒らせないように慎重に言葉を選ぶ。
「申し訳ありません。一度持ち帰らせて頂きたいのですが、いかがでしょうか?」
「いいよ。相談した結果を連絡してもらおうか」
なんだろう?お客さんがにんまり笑っている気がする。会社に戻ってから、課長に相談する。
「…という話だったんですが、値引きってどうするんでしょう?」
「試されているな。報連相をちゃんと覚えていたのは評価出来る。そうだな…ちょうどいいから教えておくか。昼飯後に第三会議室に来い、電卓を忘れるな」
昼一番にノートと電卓、筆記具を持って移動する。課長は既にボードなんかを用意していた。やばい、出遅れた。軽く小言を言われる。
「よし、始めるぞ。値引きするには、品物の仕入れ価格を知る事が重要だ。少ない場合と多い場合で、価格に差が出るんだ…」
「か、課長!待って下さい…書くのが間に合わないです」
「早くメモを取る事も営業には必要だ!次々いくぞ」
課長はスパルタだな、少し位なら字がきれいじゃなくてもいいかな。
「一つ百円の商品を百五十円で売ると、千で粗利益はいくらだ?一万なら?」
「…えっと、千で五万円で、一万だと五十万円です!」
急いで計算して答えると、課長はホワイトボードに素早く書いていく。
「では、八十円の商品を一万、同じ価格で売ると?」
「八十円の仕入れ?…七十万円です」
今度も課長は答えを書いたが、矢印を三本書いて一番上に七十万と書く。その下には六十万から五十万と書いて、一番下に四十万と書いた。
「ここからが重要だ、きっちりメモしろ。大量に仕入れると、価格を少し下げてもらえる事が多い。百円が八十円になる、どこも沢山買って欲しいというわけだ」
「それなら、そのままで売れば会社は儲かりますよね、何で値引くんですか?」
俺の質問に課長がボードに信頼関係、期待、お互い様と書く。
「最初の計算と同じ利益率だと、本当は四十万円位になる。黙って高い計算をしてもいいが、客だってそういうカラクリは知っているから、次回に影響する」
よく分からない俺に課長が続ける。
「一組が十五万円の物としたら、いつもの十倍は単純にいくと、販売総額は百五十万円だな。でも沢山買うからと期待があるし、予測出来る客は計算をしてこっちの出方をみるんだ」
お客さんが計算して待ち構えている?そこを上手く売る?難しい…俺に理解出来るのかこれ。とにかく必死にメモを取る。
「同じ計算で適正な価格でというのが理想だが、バカ正直にいく必要は無い。会社は利益をあげないと社員を養えない、だから中間を狙うんだ」
課長は真ん中の数字に印をすると俺に言ってきた。
「お客様はいつもより少し安く買える、こっちは通常よりも少し儲けが出る。お互い少し得をする訳だな…まあ、仕入れの価格交渉が大切だけどな」
「…そうか、まとめるとお得にって日常にも溢れてますよね。こうやって計算するのか?」
「あくまでも例えだから、自分で何度も計算したり、客の好みを掴むようにするんだ。今のメモを参考にやって…高野、お前はそのメモで後から分かるのか?」
俺のノートをのぞき込んだ課長に、呆れた声で指摘された。自分で書いたんだから分かるに決まって…読めない。
ちゃんとメモしていたはずなのに。見れば文章がバラバラになっているし、字そのものが壁画の絵文字みたいだ。
「…高野、お前はさっき説明が早くてメモが取れんと言ったな?」
「…はい、言いました」
「今から言うのは、俺も先輩達から言われた事の受け売りだが、役に立ってる言葉がある」
ちょっと照れくさそうにしている課長に注目する。
「いいか?…知識と経験は武器であり盾である。…要は自分の中に知識がしっかりあれば、メモは最低限の単語だけですむ。経験が多ければ、突然の話にも焦る事なく、対応出来るというわけだ」
「…課長、格好いいです。俺、頑張りますね。ありがとうございました」
課長にお礼を言って自席に戻る。今日は色々と実りの多い日だと思った。もっと知って、もっと経験を積むと何が見えてくるのかな。
入社したばかりの頃に比べて少しだけ、仕事が面白いと思えるようになってきた。
何度か計算して、俺が良いと思った価格を課長に相談した。お客さんには喜んでもらって追加の注文までもらえた。
その日の夜。剣吾と飯を食いながら価格の打合せと、次の段階について話し合った。週末はいよいよ販売開始だ。
利益計算とかは、あくまで例えですから、そういう話が苦手な方はサラッと流して下さい。




